第41話 おじいさん
夢を見た。また、あの夢だ。
白く滲む病院の光。消毒液の鋭い匂い。
あの日、父に抱きしめられた記憶だけが、鮮明に浮かび上がる。父は、まるで何かを許すような、優しい顔をしていた。
「お前は、自由だ」
それだけ言うと、父は静かに背を向ける。
「待って──」
呼び止める声だけが空虚に弾け、夢はふっと途切れた。
目を開けると、顔半分を冷たい川の浅瀬に押しつけられていた。背中越しに伝わる石の冷たさが、現実へと僕を無理やり引き戻す。
上体を起こした瞬間、世界がふらりと揺れた。頭がぼんやりして、思考が噛み合わない。
───どれだけ流されたんだろう…。
すぐそばに落ちていたオナガの仮面を拾い、ポケットにねじ込む。ぼんやり見上げた空では、朝日が容赦なく輝いている。それなのに、風は冬を引きずったまま鋭く頬を刺した。
「さっっっむ……!」
身体の芯から震えが走る。びしょ濡れの服が冷たく肌に貼りつき、熱を奪い続ける。
必死に周囲を見回す。
──どこか……どこか暖を取れる場所は……
そのとき。
「おい、大丈夫かぁ〜?」
背後から、ゆっくりした朗らかな声が飛んできた。振り返ると、黒帽子のおじいさんが焚き火の前に座っていた。炎がぱちぱちとはぜ、橙の光がおじいさんの皺に柔らかく揺れていた。震える僕をひと目見ると、おじいさんは大きく手招きした。
「こっちきぃ〜!」
声に押されるように、ふらつきながら焚き火の側へ近づく。火の熱が皮膚に触れた瞬間、冷え切った身体がようやく現実に戻った気がした。
服を脱いで日の当たる場所に置く。
下着姿で火にあたる僕の隣には釣り道具が無造作に置かれていた。
「これ、食ぇ〜」
おじいさんが差し出した焼き魚は、湯気を立てていた。両手で受け取ると、その温もりだけで胸が詰まる。
「す……すみません……ありがとうございます……」
一口かじると、想像以上に優しい味がして、どうしようもなく涙があふれた。おじいさんは、それを何も言わずに笑って見ている。
「どうして、こんな所におったぁ〜?」
「…落ちたんです」
「ありゃ〜そら大変だったなぁ〜!」
豪快に僕の背中をバシバシ叩く。
───痛い。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
「なんか悩んでるんかぁ〜?」
「え?」
おじいさんの目は冗談を言っているときのものではなく、まるで僕の奥を覗きこむように静かだった。
「まぁ、言わなくてもいいだぁ〜」
「……いや」
言葉を出そうとした瞬間、何かが喉元でふっと霧散した。声にならないまま、視線だけが地面へ落ちる。




