第36話 六田 一希
とりあえずデバイスを取り出し、電源を入れる。暗い森の中で、画面だけがぼんやりと青白く光った。
表示されたアプリは五つ。
『資料』『電話』『カメラ』『アルバム』『メール』
必要最低限の機能だけを積んだ、無駄のない構成だった。
とりあえず『資料』のアプリを開いてみる。そこには六田一希の情報、任務内容、位置情報などが整然と並んでいた。まずは経歴に目を通す。
氏名:六田 一希
年齢:32歳
生年月日:3月4日
血液型:AB型
所属:吉田組 組員
経歴
六田一希は16歳で吉田組に加入し、現在は古株として影響力を持つ──
短い文章の羅列だというのに、画面からは鋭い印象が滲み出ていた。計算能力、財政管理、若手の束ね役。
「……16からヤクザって……」
思わず独り言が漏れた。
『位置情報』をタップすると、地図に赤いピンが立った。そこに向かって歩き始める。山道は思った以上に急だった。足元を照らすものはデバイスの光だけ。
枝がスーツの裾を引っかき、草の影がやけに長く伸びる。
──熊に遭遇しないよな……。
背筋を冷たい汗が流れた。あの日の記憶が、ぼんやりと蘇る。
気を紛らわすように、別の資料を開いた。
家庭環境・少年期
4歳のとき母を亡くし、暴力的な父親のもとで育つ──
虐待、貧困、犯罪、18回の少年院──
そして12歳で父親を刺殺。
読み進めるうちに、足が止まった。画面の文字が、急に重く見える。胸の奥で何かが沈むような感じがした。
───同情……してるのか…?僕は…。
頭を振って歩き出す。
───今は任務だ。そして六田は、もう悪の人間だ。感情を挟むな。揺れるな。
そう自分に言い聞かせながら、ピンの位置へと向かう。
やがて、木々の合間に人工物が見えた。
小さなビル──しかし周囲はコンクリート壁で囲まれ、有刺鉄線まで張り巡らされている。
───ここで何を……?
裏手に回り、入り口を探す。資料では護衛が六名。どう考えても僕には荷が重い数だった。
ようやく見つけた入り口には、見張りが二人。距離は20メートルほど。赤い服と青い服の男が談笑しながら立っていた。
気付かれたら終わりだ。中から増援が来る。
息を潜め、慎重に観察する。
……そのときだった。
「……ん?」
手に、ぬめっとした違和感が這った。皮膚にまとわりつくような、嫌な重さ。
おそるおそる手を見る。
そこにいたのは──なんか変な色の虫。めっちゃキモイ。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
脊髄が跳ね上がるような衝撃が走り、反射で腕を振り払った。その勢いのまま数歩走る。
そして──
「あ」
護衛と目が合った。
赤い服の男が眉をひそめ、青い服の男が口を開いた。次の瞬間には、二人とも銃を構えていた。
──最悪だ。
完全にやらかした。僕も慌てて銃を引き抜く。なぜ、いつもこうなるんだ。




