第32話 仕事の始まり
ある日の閉店後。
「私、今日 夜 仕事あるからあんた掃除やっておいて」
「あ、僕も仕事なんスよ〜。初さんすみません!!」
ということで、僕一人で閉店作業をしていた。
その頃には、足もだいぶ動けるようになっていた。
ひとりでテーブルの水拭き。この単純作業にも、いつの間にか慣れていた。
───あとは食器を洗えば終わりだな。
そう思い、厨房へ向かった、その瞬間だった。
カランッカランッ
入り口のベルが静かな店内に響いた。
僕は反射的に振り返りながら声をかける。
「あぁ、すみません。もうお店閉め───」
ドゴッ!!
言葉が途中で吹き飛んだ。脇腹に炸裂した衝撃で、身体は宙に浮き、カウンターへ叩きつけられる。視界が揺れ、息が詰まる。
立っていたのは、嘴が黄色く、全体的に黒色の鳥の面を被った、異様にガタイの良い男だった。
「お前が新しくトリカゴに入った奴かぁ?」
低くくぐもった声。男は重い足取りで近づいてくる。
「テメェみてぇなカス、いらねぇんだよ!」
拳を振り上げる。反射的に横へ転がった。
バキッッ!
振り下ろされた拳が、カウンターを木片ごと粉砕した。冷たい汗が背中を伝う。体勢が崩れたままの僕に、男はすぐ次の拳を向けた。
咄嗟に、懐に忍ばせていた銃をつかむ。しかし、構えようとした瞬間──
「すとーーぷ!」
聞き慣れた、気の抜けた声が入口から響いた。目を向けると、鳩の面を被った店長が立っていた。
「ドバトさん……」
その姿を見た途端、男は拳を下ろした。その姿を見て僕も銃を抜こうとしていた手を止める。
店長は、開いた大穴のカウンターを見下ろし、沈黙した。
「………イカルくん。なにこれ?」
静かな声なのに、背筋が震えるほどの殺気を帯びていた。
「す、すみません……!」
先ほどまで暴れ狂っていた男が、嘘のように縮こまる。
「…あとで修理代請求するから。あとイカルくんは、外に出てって」
店長の言葉に男は小さく「はい……」と答え、逃げるように店を出た。店内には、僕と店長だけが残された。店長は鳩の面を外し、いつもの気の抜けた笑顔を見せる。
「いや~ごめんね〜。彼暴れん坊だからさぁ〜」
まるで先ほどの殺気が幻だったかのような口調。その落差が、かえって不気味だった。
「はじ……オナガくんにお仕事の依頼が来てね。それで来たんだ」
「仕事ですか?」
「そ。オナガくん一人での初仕事」
その言葉で、あの日のことを思い出す。スズメさんと一緒に夜の仕事をした日のことを。
僕は、今から人を殺さなくてはならないのだ。
口の中が乾き、喉がひりつく。
「し、仕事の内容って何ですか?」
「それは、私から話そう」
店長の後ろ、ひとりの男が立っていた。五十代ほど。スーツを着崩し、どこか胡散臭さを漂わせながらも、場の空気を支配する圧があった。
「こんにちは。オナガくん。私は、ウトウ。現在『トリカゴ』の管理している者だ」
「こ、こんにちは」
ウトウと名乗った男は、微笑の形だけを作りながら言った。
「仕事の依頼だが───六田一希を回収してきてほしい」




