第16話 夜の初仕事
数日が経った。慣れない接客業。
営業が終わるたびに、まるで気を失うように眠り、目を覚ませばまた働く。そんな生活を何日か続けていた。
その夜、閉店後に机を拭いていると、セッカさんに呼ばれた。
「初さん!店長が店長室に来てって呼んでるッス!」
「了解です」
雑巾をバケツに放り込み、背筋を伸ばして店長室へ向かう。
コンコン、と扉を叩く。
「は〜い」
中から軽い声が返ってきた。
「失礼します」
僕は、店長室に入る。何気に店長室に入るのは、初だった。
足を踏み入れた瞬間、思わず息をのんだ。そこは、店長室というより、まるで小さな会社の社長室のようだった。
黒革のソファ、壁際に置かれた観葉植物、整然と並ぶ書棚。落ち着いた木の香りと、わずかに漂う香水の匂いが混ざり合っている。
部屋の奥、パソコンの光に照らされた店長が、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見た。
「ごめんね〜、呼び出して〜」
「いえ、構いません。それで、用件は…?」
「まぁまぁ、とりあえずそこ座って〜」
店長はゆるく指を動かし、向かいのソファを示した。
僕と店長は、ソファーに机を挟んで向かい合う形で座った。
店長は机の下から一つのアタッシュケースを取り出し、目の前に置いた。
「こ、これは…?」
「見てみて〜」
店長に言われ、アタッシュケースを開ける。
金属音が響く。
カチャリ。
中には、きっちりと折りたたまれた黒いスーツ、艶のある革靴、そして──上が黒く、下が白い、鳥の面。
「こ…これは…?」
店長は口角を上げた。
「初くんのお仕事道具だよ〜。やっと届いたんだ〜」
「え…し、仕事って?」
「え?殺しの」
一瞬、時間が止まった。
店長の声が、遠くで響いているように聞こえる。
胸の奥が冷たくなる。
この数日間ほぼ、接客業しかしてこなかったが、僕がこの店で働くのは、殺し屋になったからだ。
ようやくその現実が、遅れて喉を締めつけてくる。
面を見る。面の目がなぜかじっとこちらを見返している気がした。
「まずねぇ〜。これ!」
店長は軽い調子でスーツをつまむ、
「これは、仕事をする時の服ぅ〜。防弾効果だったり、刃物を通さなかったり、結構いいものなんだんだぁ〜。後で着てみてね〜」
このスーツは、店長が着ていたやつと同じやつなのだろう。
「次にこれ!」
店長は次に革靴を持ち上げる。
「この革靴は、走りやすいようにデザインされてて〜。数メートルから落下しても衝撃を吸収してくれる機能があるんだ〜。あとしっかり防弾だよ〜。」
落下の衝撃を吸収?どんな技術なのか、想像もつかない。
そして最後に、鳥の面をそっと取り上げた。
「今日からこれをかぶって夜の仕事に行ってもらうねぇ〜」
「こ、これって何の鳥ですか?」
「オナガだよ」
その名を聞いても、何も思い浮かばない。知らない鳥。だが、その面の目孔が、まるで生きているかのようにこちらを見返してくる気がした。
「今日から君は、オナガだ。よろしくね。オナガくん」
パタン、と店長はアタッシュケースを閉じた。冷たい金属音が、部屋に残響する。
「と言うことで、今から仕事に行ってもらいます!」
「え?」
ガチャッ
制服姿のスズメさんが入ってくる。
「あ!スズメちゃん!」
店長は弾む声で彼女を見る。
「なに?仕事?」
店長は、僕の方を指さし
「スズメちゃんのサポートに初くんを連れて行ってくれない?」
「え………」
「は?」
一瞬、空気が凍った。
スズメさんの眉がピクリと動く。そして、鋭い目が僕を射抜く。
「何で、こんなのと仕事しなきゃならないのよ!」
怒鳴り声が、店長室の壁に反響する。頬がわずかに紅潮し、唇が震えていた。




