得がたい刹那
どうしたんだろうか?
ゆきが戸惑っていると、千晴はすねたようにつぶやく。
「別に俺じゃねーよ。銃がいいんだよ」
「あっ、これって〝ASSカップ〟の認定競技銃だよね!」
ASSカップはエア・シューティング・スポーツ協会という団体が主催しているエアガン射撃競技会のことである。スチールチャレンジと同様に厳密なルールの下で運営され、公式認定された競技銃でしか参加できない。
千晴が撃っていたのは、ハンドガン部門の認定銃である〝ASS-3〟であった。ホップアップシステム非搭載の為、射程距離は短いのだが、一般的なエアガンを凌駕する高精度の射撃ができる。
「……ASS知ってんのか、おまえ」
「まあ、一応。わたしは普通のガスブロでやるスピードシューティングをかじっているだけだよ」
「ガスブロぉ? あんなうるせぇ銃、よく使えるな……」
「そ、そんなにうるさいかな」
「うるせぇし、雑だろ」
千晴はフロアスタンドに向けて顎をしゃくった。
「試しに俺の銃、撃ってみろよ」
「え……い、いいの?」
「いちいち聞き返すなよ、ウゼぇな」
「ありがとう!!」
憎まれ口も耳に入らない。ゆきはASS-3に興味津々だった。
手にしてみると、銃本体は極限まで無駄をそぎ落としたシンプルな構造で、各部の精密感に圧倒される。少々太いグリップも掌に吸い付くようだ。
「うわぁ……! なんか、すごいね……」
「トリガープル、ギリまで軽くしてるから、撃つまで絶対指を触れるなよ」
千晴のレクチャーを受けて、ゆきは射撃の準備をする。
ASS-3は弾を発射する前に銃身の下にあるレバー式のエアポンプを手動で操作し、シリンダー内に圧縮した空気を貯めておく。これにより毎回安定したエア圧を供給でき、射撃精度が上がる。
「六時照準で狙えよ」
千晴の指示通り、ゆきはターゲット中心の下端――ちょうど時計で言う六時の位置――にサイトを合わせる。
指をトリガーに添わせようとした時、タン! と、いきなり弾が発射された。
「わっ!? もう撃っちゃった!!」
「阿呆、トリガー軽いって言っただろ。おら、もう一回やれ」
エアポンプを操作し、ゆきはASS-3を構える。
「待て、そのまま動くな。特に指先はまっすぐ伸ばしたままにしとけよ」
すっと近づくと、千晴はゆきの腰に手を這わせた。
「うひゃっ!?」
「妙な声出すなよ、こっちまで恥ずかしくなるだろっ!?」
「だ、だって……」
「おまえ、姿勢が悪いんだよ! 腕も腰もバッラバラだぞ」
「で、でも、あの」
「うるせーな! 的見ろ、的」
仕方なくターゲットペーパーに目を向けたが、首筋、背中、腕など遠慮なく触られてしまい、どぎまぎしてしまう。体格はさほど変わらないのに、千晴の手はしっかりしていて、力強かった。
(うううう……や、やっぱ無理……これは無理、恥ずかしい……!)
中学時代、連絡事項以外で男子と話した記憶はほぼない。正直苦手だしちょっと怖いし、なるべく避けていた。こんな至近距離で接触することはなかった。こらえ切れず、こっそり横目で様子をうかがう。
千晴の横顔は真剣そのものだった。ゆきの視線など気にも留めていない。
一気に頭が冷える。というか、別の意味で恥ずかしくなってしまった。
ターゲットだ。ターゲットに集中しよう、とゆきは思った。
「おっ。やっと力が抜けたな」
「――うん。ご、ごめんね」
「はあ? 女はマジで意味わかんねーな……っと、後はここか」
肩をつかまれ、上半身のひねりを調整される――千晴が手を離した瞬間、ゆきは整った。
「――!」
「撃ちな」
発射された弾はまっすぐターゲットに吸い込まれた。
二人でターゲットペーパーを見に行くと、一発目は8点、二発目は10点――いや、10Xにあたっていた。
「ほらな? ちゃんと撃てば、ちゃんとあたる。銃にそれだけの精度があるんだよ。ガスブロなんかとは大違いだろ」
「すごいね……」
「おっまえ、そればっかだな」
「片山くんは、すごいね」
「はぁ!? いや、何聞いてたんだよ!」
「本当だよ、すごいよ! さっきもすっごく真剣でとっても綺……かっこよかったよ!」
「な……」
見る見るうちに千晴は真っ赤になってしまった。
〝綺麗〟とは逆に〝かっこいい〟はあまり言われた経験がないのかも知れない。
「小っ恥ずかしい台詞を吐くなよ!!」
「ご、ごめん。片山くんはASSの競技会に出てるの?」
「出てねーよ、俺はここで撃ってるだけ。撃つだけでいいんだよ。他人と競うとか、いらねーの」
「そっか。うん、それもいいよね。ただ狙って――」
「ただ撃つ。それだけで充分だろ」
ゆきにも覚えのあることだった。
レンジに入り、ブザーが鳴るのを待つ数秒間――他の何もかもが消え去って、自分とターゲットしか世界にないような気がすることがある。全てがクリアで、余計なものは欠片も存在しない、特別な感覚。
――繰り返し、また繰り返す中で不意に訪れる得がたい刹那。わたし達はきっとあれを共有しているんだ。
千晴はそっぽを向いていたが、ゆきの確信は揺るがない。
どうしてか、ほっこりした気持ちになった。
「だいたい受験もあるし、遊んでばっかもいられねぇだろ」
「あっ、片山くん、中三なんだね!」
「おまえは中二か? まさか俺と同学年じゃねーよな」
「ち、違うよ。中二でも中三でもない……」
「なーんだ、やっぱ一年生かよ。気楽でいいよな」
ゆきは笑顔を引きつらせた。
(なんだって、何かな? やっぱって、どういう意味なの?)
答えは明らかだ。
最初から、千晴はゆきを年下だと思っていたのだ。
「おまえだって二年後には受験なんだからな!」
「そうだね、進学するならね」
「あ?」
「あのね、片山くん。この制服……名西女子なんだけど、知らない?」
「名西ぃ? 俺が女子校の制服なんか、知るわけ……えっ?」
「はい」
「おまえ、高校生……?」
「だよ! 確かに一年生ですけど!!」
「……へぇーっ」
何やら含みのある相槌であった。
ゆきは咳払いし、精一杯年長ぶった態度にしようと試みた。
「こらこら! 年上には最低限の敬意を払うでござるよ、ち、千晴殿っ!」
「ご、ござる?」
「あ……ダメか。女の子が使うとおかしいよね」
「男でも充分変だろ!? 今、何スイッチ入ったんだよ!?」
「い、一応、わたしの方が年上なんだから――」
コンコン、と壁が叩かれる音がした。
ゆき達が目を向けると、カーテンの隙間から舞が顔をのぞかせていた。
「ゆきちゃん、ごめんね。ちょーっと、来てもらえるとおねーさん助かるなー」
舞は苦笑し、片手で拝むような仕草をしてみせた。
「千晴くん、年下なんだね。うふふふー」
「えっ、なに、おまえ。すげぇ怖いんだけど」
「わたし末っ子だからお姉さんになるの、憧れがあるんだよ」
「俺はおまえの弟じゃないが? いつの間にか、名前呼びしてやがるし!」
「あ……ごめんね、片山くん……」
「へ? い、いや……てめっ、こんなんでヘコむなよ!! 別に、呼び方は千晴でいいよ。でも弟じゃねーからなっ!?」
「――うん。ありがとう、千晴くん」
「お、おう……」




