《追憶》
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どう考えても自分は武官に向いていない。
二十歳を過ぎても一向に騎士として将として芽が出ることがなかった、武門の家ロックハートのダニエルは、心身ともに限界を迎え改めてその結論に達した。
騎士団長を務める実父の、騎士団におけるしごきと叱責、家でも日常的な体罰、暴言、侮辱的な振る舞いが繰り返される日々に、ダニエルは疲れ果て逃げた。
遠戚であっても自分よりふさわしい人間はいくらでもいるから、そこから後継者を決めてほしい。自分には無理だ。廃嫡してくれて構わない。領地の運営に貢献するから許してほしい。
そんな書置きを残し、帝都から家令に任せていた領地の邸宅に逃げこんだ。
妻のメアリーは反対することなく、むしろ喜んでついて来てくれた。疲弊していくダニエルに、もういいから何もかも捨ててしまって構わないから騎士団を辞めようと言い始めたのはメアリーからだった。
このままではダニエルが死んでしまうと思ったらしい。それくらいダニエルは追い詰められていた。
領地に移りしばらくは、いつ激高した父が連れ戻しに来るかと怯えていたが、ひと月経っても父は現れなかった。人づてに、ダニエルは怪我で騎士を続けることが出来なくなったことにされていたのを聞いた。どうやら父はダニエルを見限ったらしい。
父の期待に応えられなかったことへの罪悪感や己の不甲斐なさへの悲しみや悔しさはあったが、それ以上にほっとした。これでもう、剣を持たずに済むのだと思うと涙が出るほど嬉しかった。
せめて領地の運営で役に立とうと、ダニエルは伯爵領の発展に尽力し、三年で収益を二倍に増やした。交易が盛んになり、人の往来が増え、町は賑わい、次期領主として領民に慕われるようまでなったが、だからと言って父が認めてくれることはなかった。
それでも廃嫡されなかっただけ良かったと思うことにした。
父がダニエルを見限ったように、ダニエルも父との関係を諦めたのだ。
そんな折、崖崩れがあった山に視察に向かったダニエルは、山奥の村で奇跡的な再会を果たした。
行方知れずとなっていた兄デイヴィットと、一緒に駆け落ちした妻のサラが村民として暮らしていたのだ。
「久しぶりだな、ダニエル。次期領主としての活躍はこの山奥にも届いていたよ」
そう言ってくれた兄は、以前の騎士らしい強健さをなくし、一回り小さくなっていた。サラも溌溂とした笑顔をなくしすっかり痩せこけていた。
ふたりが随分苦労してきたことは、一目でわかった。
「兄さん、家に戻ろう。こんな所にいたら、ふたりとも早死にしてしまう」
「すまない、デイヴィット。家には戻れない。戻ったら父上は確実に私とサラを引き離すだろう。……サラは一度流産し、もう子は成せないと言われたんだ」
兄が戻ってくれれば、再び嫡男として騎士団要職に就けるだろう。これだけ時間が経ったのだから、父もさすがにふたりの関係を認めてくれるはずだ。なぜなら父は、兄の才能を認めていたのだから。
そう楽観視していたダニエルは頭を抱えた。子が成せないなら父は兄たちを認めないだろう。しかし兄たちをこのまま見捨てることは出来ない。
「……家に戻るかどうかはまた後で話すことにして、まずはこの村を出よう。伯爵邸の近くに私の私邸があるから、そこでふたりともしばらく療養してくれ。お願いだ」
遠慮からか渋るふたりを拝み倒し、ダニエルは兄夫婦を私邸で保護することに成功した。
兄に戻ってきてほしい。その為には兄だけでなく、父の説得も必要だ。時間がかかるのは目に見えていた。
その間、兄に領主の仕事を手伝ってもらい、跡継ぎとしての自覚を取り戻してもらおうと企んだ。実績があれば、父も認めやすくなるはず。
ダニエルのそんな思惑を知ってか知らずか、回復したデイヴィットはダニエルの仕事を積極的に手伝ってくれた。主にダニエルの苦手とする騎士の育成や領地の魔物討伐のほとんどを兄が計画し、実際の討伐にも加わってくれた。
「やっぱり兄さんは頼りになる。さすがロックハートの男だ」
「何を言うんだダニエル。お前だってロックハートの男だろう」
「いや……私はダメだ。才能がなくて逃げ出したんだ。情けない弟ですまない」
「ダニエルは情けなくなんてない。領地をこんなに豊かにしたのはお前の才能だ。もっと自分を誇れ」
兄はやはり兄だった。ダニエルは絶対に兄を次の当主にすると決意していた。
兄より時間がかかったがサラも健康を取り戻したあと、ダニエルの妻メアリーの侍女として彼女を補佐してくれるようになった。
メアリーが懐妊し、悪阻がひどく起き上がれない日が続いたときは、領主の妻の仕事をほぼ引き受けながら献身的に支えてくれた。
出産も難産だったが、最後まで立ち会い、息子のパトリックを取り上げてもくれた。
「なんて可愛いのかしら! まるで天使ね」
そう言って、サラはまるで自分が出産したかのように幸せそうに笑い、涙した。自分がもう子を望めないこともあり、我が子のようにパトリックを溺愛してくれた。
その後すぐ、今度はサラが懐妊した。奇跡が起きたと皆で喜んだ。
また難産になるのではと心配したが、健康と安定した生活を取り戻したサラは逞しくなっており、二日かけてナイジェルを出産した。
我が子パトリックと同じくらい、兄の息子のナイジェルが可愛かった。四人でこのふたりの息子を守り育てていこうと、固く誓い合うほどに。
新たな家族を迎え、六人となった領地での生活は幸せだった。しかしその幸せに亀裂を走らせる知らせが帝都から届いた。
「父上が危篤……?」
騎士団の訓練中に突然倒れたそうで、胸の病が原因で危険な状態にあるという。
父が死ぬときは戦いの中だと思っていた。まさか病が原因で倒れるとは、想像もしなかった。
「……ダニエル。今すぐ帝都へ戻れ」
「何を言うんだ兄さん! 戻るなら兄さんだろう! ロックハート家の長男なんだ!」
「私は家を捨てた、ただのデイヴィットだ。ロックハートの嫡男はお前だ、ダニエル。父の傍にいるべきだ」
「でも、今は……」
折悪しく、隣国に打撃を与えた伝染病が、領内で流行の兆しを見せていた。
流行り病は初期の対応を間違うと大変なことになる。領主代行としていま領地を離れるのは悪手でしかない。
「それにパトリックの傍を離れるのも心配だ」
一歳のパトリックが数日前から熱を出した。伝染病かもしれないと隔離している。そんな状態で自分だけ領地を離れ帝都に向かうことはダニエルには出来そうになかった。
「……わかった。私がお前の名代で帝都に行こう」
「いいのか、兄さん」
「とっくにどこかで野垂れ死んだと思っていた息子が帰ってきたら、父上の心の臓も驚いて元気になるかもしれないしな」
「兄さん……ありがとう」
今際の際でまさか自分たちを追い返すことはしないだろう。この際、サラを連れて行き関係を認めさせてやる。その為に涙を流して情に訴えるくらいしてやるさ、とデイヴィットは笑った。
まだ赤ん坊のナイジェルは乳母に任せることにして、デイヴィットとサラはダニエルたちの代わりに帝都へと出立した。
その道中、橋の崩落事故に巻きこまれ、ふたりが亡くなったと知らせが届いたのは、出立から三日後のことだった。
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