形勢逆転3
不機嫌そうなアレス様に抱きかかえられたまま部屋まで連れて行かれ、ぽいっとベッドの中に投げ込まれた。
「だいたい、ディーネは気にならないのか?」
「………はい?」
相変わらずコートを適当にそのへんに脱ぎ捨てて前髪をかきあげると、身を起こして釦を留めている私の隣に転がり込んだ。
私は躊躇いがちに聞かれた質問の意図がわからずに、首を傾げてしまう。
「リズベットに私のことを教えられるのが、だ」
「はい? 幼馴染みですよね? 私よりいろいろなことを知っていて当たり前なのかなと」
「………あー…そうか。ならいい………」
アレス様は不機嫌そうにそっぽを向いた。
不思議なのだけど、今までだったら不機嫌な顔をされると不安になって仕方なかったのに、今はその横顔をほほえましい気持ちで眺めてしまう。
眉を寄せているアレス様を眺め続けていたらなんだかうずうずしてきて、誘惑に耐えきれずにゆっくりと手を伸ばした。
「………えいっ☆」
「―――っ!」
耳をくすぐられて飛び退いたアレス様は、思いっきり肩を竦めて両手のひらでそれぞれ耳の守りに入った。その格好はまるでおばけの立てる物音に怯える子供みたいに見えた。
「……なんだ?」
アレス様の顔には「なにも悪いことをした覚えがない」と書いてある。それがまた子供みたいでかわいくてたまらず、くすくすと笑みがこぼれた。
「あ、ごめんなさい。アレス様がすごく敏感に反応するのがおもしろくて、つい」
アレス様は一瞬不機嫌そうに睨んできたけれど、溜息をつくとぱたんと仰向けに横になった。
「……もういい。好きにしろ」
「いいんですか!?」
好きにしろと突き放せば反省してやめるだろうと踏んでいたらしく、私がぱぁぁっと輝く笑顔を浮かべると口元をひきつらせた。
「…………勝手にしろ」
しばし逡巡したようだけれど、結局渋々諦めた。
本当に怒られないかしらとドキドキしながら耳をくすぐってみると、アレス様は呻き声をもらした。
「ふふふ、いつもと逆ですね、アレス様」
耳元で囁くと、それだけでもびくびくと喉をふるわせる。さらりと流れ落ちた髪が触れたのをそれとなく退けたのをみて、もしかしてと髪を摘みあげる。
「―――ぅ……っ!!!」
銀色のチークブラシのような毛先でアレス様の首筋にふわっと滑らせたら、私の反対を側に寝返りを打って丸くなった。
案の定くすぐる以上の反応だ。
(かっ……かわいいです……っ!!)
これは、なんて楽しいのかしら。
さっきも――そしていつも、アレス様は時々執拗な意地悪をしてくる。なんでそんな意地悪をするのかと思っていたけれど、なるほどちょっと理解できるかもしれない。
いつも澄まし顔のアレス様が澄ましていられないのだから。
これは癖になりそう――と思っていたら、口からその一言がこぼれてしまったらしくアレス様はなんだか複雑な顔をした。けれど、なにも言わなかったし抵抗もしなかったので、存分にいつもの仕返しをさせてもらうことにした。
* * *
くすぐられ続けて慣れたのか疲れたのか少しずつ反応が悪くなってきた頃には私も満足したので、眠そうに転がっているアレス様の胸に頬を寄せ、耳をぴたりとつける。
(…………幸せ…………)
穏やかな心臓の音が聞こえてくると、安心感が胸を満たした。
顔色を伺わなくても、嫌なことをしても、そばにいることを許してくれるのですね――と思っていると、ぽすんと背中に大きな手のひらが乗せられた。
うつらうつらとしながら背中を撫でてくれる手の温かさを感じると、堪えられないほどの気持ちが溢れた。
「……大…好きです……っ」
心の奥から次々に溢れてくる想いが止まらなくて、アレス様の唇にキスをした。自分からキスするなんて初めてだけれど、ほかにどう表現していいのかよくわからなかった。
「アレス様、大好き……大好きです……っ」
「………ん……」
頭を抱え込むようにしていつもされるみたいに何度も角度を変えてはキスをすると、寝呆け眼のアレス様が私の髪を撫でてくれる。
応えてくれるのが嬉しくて、夢中でキスをし続ける。
背中に置かれた腕に力が込められ、もう片手では肩を掴み寄せられる。
額に軽くキスを落とされ、幸福感を噛みしめた――その、瞬間。
「…………エ…リー……――」
「………え、エリー?」
衝撃に頭が真っ白になる。
エリー?
知らない女性の名前。
アレス様に限って、不貞などありえない……。
ありえないけれど……リズお姉様や妖精の一件を思えば、あり得なくもない?
刹那の逡巡。
ぐっと肩を抱く腕に力がこもり、喉元に頭を押しつけられる。そして、呻くようにもう一度「エリー」とどこの娘だかわからない名を呼んだ。
「ちょ、アレス様っ!! エリーって誰なんですっ!?」
「…………んー…………」
バシバシと力任せに胸を叩き、起こして問いただそうとしてみるけれど、アレス様はうるさがって寝返りを打つともぞもぞと寝具の中に潜っていく。
一瞬、アベルを連れてこなかったことを後悔する。
だがアベルは最近お見合いをした彼女といい雰囲気で、邪魔をしては悪いからとおいてきたのだ。いつまでも私が世話をかけていては、アベルも安心して家族を持つことができない。自力でなんとかしなければと強く気を持ち直し、耳を引っ張ってその中に直接大声を張り上げた。
「アレス様!! 起・き・て・く・だ・さ・い―――っ!!!!!」




