29.反撃と反撃
「厳命する……焼き尽くせ〈地獄の炎渦!〉」
ライコウが呪文を唱えた直後、戦場に恐ろしく美しい蒼い炎の巨大竜巻が出現した。蒼炎の竜巻は、まるで顕現した龍が天へ昇るが如く立ち昇り、吹き荒ぶ暴風は腹の底を震わせる轟音を響かせていた。
激しさを増す渦巻く炎は、その巨体を滑らせる度に邪魔が幾重にも張り巡らせた巨大蔓のドームを焼き尽くして回っていた。
焼かれ、黒くひび割れた蔓は芯まで亀裂が入り、自らの重さに耐えきれず崩れ落ちていく。落ちていく巨大な塊は、竜巻の暴風に巻き上げられながら、大小様々に砕かれて広く樹海に降り注いだ。
その後しばらくの間、猛り狂う火炎竜巻はその猛威をじゅうぶんに奮い続けた。が、乱立していたすべての蔓を灰に変えると、次第にその威力を弱めていき、燃え残りを纏いながら蒼穹の彼方へと消え去って行った。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
白く焦げ蒸した煙が立ち込めるなか、銀槍に寄りかかるようにして立つライコウは息を切らし、酷く疲れた様子で膝をついた。
「はぁ、はぁ、はぁー……ぐっ!」
彼が呼吸を整えようとしたその時、今一度、一際大きい強風が吹き荒れた。この強風のお陰か、もうもうと煙る視界が急速に晴れていく。
その晴れた先、ライコウの視界に広がっていたのは黒と灰色で彩られた焼け野原だった。周囲の森をも巻き添えにしたからか、元の広さの二周りぐらい余計に広く感じられていた。
焼け野原には、大樹ほど太い蔓だった残骸が、根元だけを残してポツポツと点在していた。その他には焼け残った観測所の石壁と、その手前にある山盛りの燃えかすだけがあった。あの蠢く巨顔の姿はどこにも居ない。
「ちょっと……やり過ぎた、かな?」
ライコウは周囲を見渡して苦笑する。
元の広さの三倍、およそ半径六十ムール圏内が焼失した惨状を『ちょっと』と言うのには、余りにもやり過ぎているぐらいだったが、それでも彼は最適な手段を講じたと考えていた。
何故か。それはライコウが、邪魔がこの魔樹の森自体に寄生していると考えたからだ。
彼は邪魔との戦闘を通じて、寄生魔を率いたと称したあの首領の正体を、寄生魔の上位種にあたる者だと判断した。
悪魔・邪魔に区別なく、魔族は系統の種別を超えた純粋な強者に従属する傾向にあるが、同系統より生まれた強力な上位種が各一団の首領となるケースがよくあるのだ。寄生魔だけを配下としているとなれば、あの邪魔がその上位種である可能性が高い。妥当な判断だ。
また寄生魔の上位種であれば、子爵級の邪魔が巨大蔓を複数出現させ、自在に操るだけの分不相応の力を保有していた理由にも説明ができる。
強力な力に必要な膨大な魔素を確保するには、この辺りの大気中に含まれる魔素では不充分だ。ところが豊富な魔素を蓄積した魔樹、とりわけ森単位の規模であれば話は別だ。どの程度の範囲に取り憑き、どの程度糧としていたか不明だが、相当な量を賄えるのは間違いないだろう。
だがライコウが、邪魔の力の供給源を殺ぐためだけを理由に、周辺の魔樹の森を巻き込んで焼き払った訳ではなかった。そんなものは邪魔を倒せば済む話だ。
ならば、魔樹の森を焼き払った他の理由とは。それは魔樹の魔物化への懸念だ。
寄生魔の上位種には様々なタイプがあれど、そのどれにも共通する特徴がある。長い間取り憑いた生物を苗床に、自らの肉体の一部を移植、根付かせて魔物化させるクローンモドキの増産だ。
あくまでも擬き、つまりコピー個体が劣化した魔物にすぎず、オリジナルと同等の脅威にはならないが、延々と暴れ続ける怪物となれば話が違ってくるだろう。個々のモドキは当然独立した存在であるため、オリジナルを倒せば連動して共倒れ、なんてことはならない。脅威はなくならないのだ。まだ生まれたての怪物をすべて纏めて始末できなければ、その後どのような事を招くか。容易に想像できるだろう。
本当に居るかどうかは別にして、寄生魔の上位種が目前に居て、魔樹の森に取り付いている可能性が大きい以上、居るものとして排除する必要があった。
邪魔と周辺の森。その両方を排除するには強力かつ広域に適用される聖霊術を、逃走を図る仲間へも考慮して発動しなければならなかった。
その結果がこの状況なのだから、彼自身、なんとか及第点を取れたぐらいだろうと思っていた。
「さて……っと、とと」
多少息を整えた後、ライコウは静かに立ち上がった。しかし彼は直後に、フラフラとよろめき倒れかけてしまった。咄嗟に銀槍を刺し直し、身を預けるようにすがり付き支えた。
元から無理をしていたのもあるが、今さっき出せる最大級の火力の聖霊術を発動した反動で、肉体への負荷が大きくかかり限界を迎えていた。
彼としては、これ以上の無理は出来れば避けたいところだ。
「はは……仕方ない……」
ここはハクを喚び出して、ネイサンのように口に銜えて貰うか、背中に乗せてもらって移動するとしよう。そうライコウは考え、石壁を背に歩き出そうとし
ズンッ! 突然、彼の身体に強い衝撃が走った。
しかしその衝撃は妙なもので、身体の中心を何かが突き抜ける感覚と、体の中から伝わった細かく激しい振動、肉が焼けるような音が一度に同時、それも瞬間的に起きた。
その時のライコウは、自分の身体に一体何が起きたのか露ほども分からなかったが、
「……ぅぶ、ぅおごわはっ! ごほごほっ、がはっ」
数秒後、胃袋の下辺りから焼けつく激痛と、身体の奥から突き上げてくる何かに襲われた。
ライコウはその激流を抑え込むことも出来ず、食道を駆け上がった何かは、鼻と口を通って大量に吐き出された。口腔内に広がる強烈な鉄の味と臭い、そして足元にぶち撒いた真っ赤な液体から、彼はすぐに自分の血液だと理解した。
「くヒャはっ」
「っ!」
聞き慣れた笑い声を聴き、ライコウは咄嗟に飛び込むように地面を転がった。直後、腹部に風穴を空けた怪光線が彼の頭上を掠めていった。
「……お、まえ……どこに……ぐふっ……」
振り向き様に、ライコウは激痛に耐えながら声を振り絞って尋ねる。彼の視線の先には、下卑た笑みを浮かべた漆黒の異形――殺したはずの邪魔が、白煙の中で触手を侍らせて立っていた。
現れた邪魔は人の姿をしていた。だがその肉体には皮膚がなく、黒き筋肉と異様に変形した骨で出来ていた。顔はミイラの如く痩せこけ、黒翡翠の双眸は光を捕らえて逃がさないほど暗く底が見えない。
頭部や肋骨が浮き出す胸部、そして邪魔の背中から小さな触手が多数生え、うねうねと独りでに動き回っている。とりわけ背中に生えた触手は、大蛇のように太く長くそしておぞましい口がついていた。
糸を引いて開いた口の中からは、鋭く尖った無数の鉤爪たちが覗いて見える。一度噛みついたが最後、決して獲物を逃さない凶悪なかえし仕様だ。
またこの口つきの触手は六本あり、うちの二本から交互にライコウへと怪光線を撃ち放っていた。
「くっ! ぅおぼぇぇ……ごほがはっ……」
邪魔から再び光線を放たれ、ライコウは地を這うように転げ避ける。光線は無事に外れるも、息つく暇を与えず今度は体内から迫り上がる第二波が彼を襲う。迫り上がった波は、ついでとばかりに胃酸を引き連れて彼の喉や口腔を焼いた。
今回は最初のよりも多くの量を吐血した。傷口から見える限り、筋肉や内臓は焼かれているはずだが、一体どこからその大量の血液を生み出しているのか不思議に思うほど、胃袋はせっせと血液を送り出していた。
「おいおい。ソんナに動いタラもっト血ぃ吐クぞ? くヒャっ。くヒャはっ!」
血を吐き散らしながら、無様に地面を転げ回るライコウの姿を見て、邪魔は勝ち誇ったように嘲笑った。
今すぐにでも始末できるというのに、彼は全くそれをしようとしない。むしろわざと光線を外すように放っていた。できるだけ長くライコウをいたぶり、苦しむ様を眺めていたい、この絶対的優位から愉しんでいたいようだ。
「ソうソう、流石に肝ガ冷えタゼ~あレハよ。全くトンでもなイものヲ仕掛けテくレタな。咄嗟に小屋ノ下に潜り込マナかったラ、消滅しテイたトころダぜ」
思い出したように、邪魔はわざとらしくライコウの質問に遅れて応える。血と汗と土と灰にまみれる彼の悔しがる顔を見たかったのか、邪魔は彼の顔を覗きこんだ。下卑た笑みを向けている。
「しっカシ、いい線行ってタぜ? オ前、俺がこノ魔樹の原生林に寄生シテいタと思ってイたンダろう。確かに大・正・解ダが……考えが甘いナ」
底意地悪く笑む邪魔は、自らのこめかみを指した。
「俺ハこノ森に根ヲ張ってイた。もチろんソこにあル豊富ナ魔素も吸い上ゲた。だがナ、俺ハ魔樹を介しテこノ樹海が持ツ膨大な魔力ヲ手にいレテいたのサ。……俺が伯爵級に至ル為に、な」
「! 伯爵級に……だと……」
驚くライコウに、余裕に満ちた表情で邪魔は薄く笑みを浮かべた。
「くひっ。そうダ。オ前が俺を殺し損ネたお陰で、俺ハ寄生樹公かラひとツ上の存在へ、寄生樹王へト進化を果たシた。こレデもう魔樹ヲ介するこトもナい!」
芝居かかるように、邪魔は大袈裟に両腕を広げた。
「ほント、オ前にハ感謝に堪えナイぞ。死に損ナいの聖霊騎士よ。俺ノ消滅への強イ焦りが、進化への道ヲ開かせダんだかラよ~。くヒャはっ! こノ樹海ヲ手中に収めル手助けシテくれタ礼にひトつ、オ前に話ヲしテやろうジャないか」
怪光線の攻撃を止め、満面の笑みの邪魔はさらに饒舌な口調で語り始めた。冥土の土産に話を語り聞かせてやろうという腹らしい。
「何故こノ俺が、こノ樹海に来タか分かルか? 分かル訳なイよな~。そ・レ・ハ~、あの方が計画の実行ヲ、俺に任せテ下サッたからダ!」
今でこそ邪魔この森に根を張り、ライコウらと一戦興じていたが、本来であれば今頃は配下・手駒を駆使して樹海西部のほぼ全てを彼の支配下に置いていたはずだった。西部の森を三日のうちに占領し、足掛かりとして東部を二日で、最終的に北部を含めたほぼ全域を獲るつもりだった。
来る大規模調査に備えて、巨人に迎撃の役目を与えて罠として広く樹海に配し、諸国の軍を一人残らず殺害する。そして寄生魔によってゾンビと化した軍を帰国に扮して進軍させ、各地に破壊と混乱と恐怖をもたらす。といった具合の計画だ。
それが何の因果か、彼が主の下へ戻った二日の不在のうちに計画が頓挫しかけていた。破綻しかけている、と言ってもいい。
計画の最大の妨げとなる聖霊騎士団を、実行日まで遠方へ誘き寄せ王都から排除した。だというのに手駒である巨人は死に、置いてきた配下もまた消し去られた。
それもこれも、イレギュラーであるライコウたちが知らず知らずのうちに計画の要を潰して回っていたからだ。
また最初からやり直しだ。お前のせいで、また一ツ目どもをこっちに持ち込まなければならない。と、邪魔はわざとらしく困ったふりをした。
「ま、ソれデも首の皮ひとつ繋がッタようダがナ。そレドころか、ひとツ事態が好転シタ訳だ」
事態の好転。それは伯爵級への進化を指していた。
恐怖に染まった人間の魂を食らい、樹海の魔力を取り込み溜め込んでいた邪魔は、計画の次いでだった己の進化を成し遂げてみせた。それも、ライコウに滅ぼしかけた事を切っ掛けに。
「ありがとうよ。くヒャはははははっ!」
「くっ……!」
腹の底から嗤う邪魔を睨み付け、ライコウは地面に転がるままに震える銀槍【蒼炎】の槍先を向けた。大きく震える腕をなんとか押さえつけ、切っ先に赤い魔力を収束させた。
「……〈爆炎塊・連続弾〉!」
火魔術を発動、槍先から人の頭大の炎の塊が連続して邪魔に放たれた。どれも砲弾のごとき速さで邪魔に迫るが、
「ヒャはっ! 無駄無駄」
六本の触手が炎の砲弾に食らい巻きつき、噛み砕くようにことごとく打ち消した。その際に触手の皮膚がひどく爛れるが、火傷跡は瞬時に再生した。子爵級から伯爵級への進化により強力な再生能力を手にいれたようだ。
ただの魔術ではもはや効かない。だがそれでもライコウは構わなかった。元より攻撃が目的ではない。
彼は複数起きた爆風に乗じて、歩術スキル『瞬進』で出来るだけ邪魔から距離をとろうと動く。躰を貫く激しい痛みは麻痺したのか、おかげで感覚がない。ただ大量の出血で意識は霞がかったように朦朧としかけ、ひどく重く動かしづらい躰はたっぷり血に染まる鎧下のせいでさらに重い。が、肉体強化系魔術で全身を強化し、とくに両脚を無理矢理にでも動かしていた。
そうして彼は一歩、もう一歩と十数ムール毎に跳んで行き、瞬く間に五十ムール以上空けていく。あと二、三歩跳べば木陰に飛び込めるという時、背後から怪しげな光が瞬いた。
「があっ!」
ライコウの両脚を細い光線が貫いた。貫かれた衝撃と上書きされた激痛でスキルを維持し損ねるばかりか、跳び出そうとしていた足が縺れてしまい、彼は全身を地面に叩きつける。倒れた勢い余ってか、鈍く鎧が軋む音を立てながら転っていく。
「無様ダなぁ」
邪魔はライコウを指さし、意地の悪い表情で嘲笑う。
「無様無様、無様無様無様、無様無様無様無様、無様無様無様無様ぶザまァッ!! くヒャっ! くヒャっ! くヒャはははははっ! はーっはっはっはっは!」
腹を抱えて心の底から大笑いする邪魔は、もがき苦しむライコウを真下から大蔓で勢いよく真上へ殴り飛ばし、落下する直前にすかさず真横に弾き飛ばした。
弾き飛んだライコウは、真向かいに現れた大蔓に受け止められることなく打ち返された。そうしてボールのパス回しの如く、彼はなす術もなく複数の大蔓に弄ばれていく。
「……があっ、ぐおっ、ぉごっ! がっはぁっ!」
防御姿勢をとるだけの暇を一切与えられず、無防備に全身を激しく打ち、殴られ続ける。その中で生じる大きくも鈍い打撃音に混じり、甲高い邪悪な嘲笑が辺りに響き渡った。
「無様無様! ナんとイう無様な有り様だ! ソれがこノ俺ヲ殺シ損ねた男の姿か? いイや、身ノ程知ラずのクソ野郎の末路か!」
このままでは、ライコウが死に絶えるのは時間の問題だと思われた。
しかし頑強な伝説級の鎧と、一定の衝撃を通さない術が編まれた上等な鎧下を着用していたお陰か、ライコウが受ける衝撃のうち胸部への衝撃だけは最小限のもの、ほぼ全ての肋骨にヒビが入る程度には抑えられていた。
ただ、初撃の光線によって風穴を空けられた腹部周辺では、鎧の持つ防御機構が大きく損なわれ、直接衝撃が伝わり、彼の内臓に深刻なダメージを与えていた。
「ぐっ、がっ、がぁはっ!」
太い蔓が腹や背中を激しく打ち付ける度に、ライコウの身体は悲鳴を上げ吐血する。すでに枯れた筈の血液が、打撃による更なる内臓の裂傷で、口からだけでなく穴の空いた腹からも漏れ滴っていた。
「オメーは、こノ俺を伯爵級へト押し上ゲた大事な大事ナ恩人ダ。だカラ最後の最期まデ、じックりたップりといタぶってやらナイと!」
少しでも叩いて血抜きをするかのように、邪魔は何度も何度も何度も執拗にライコウを殴り続けた。
そうしている間に、いつからか彼がピクリとも動かなくなってしまった。その動かない時間がしばらく続くとなると、
「死ンダか? 死ンダよな?」
邪魔は飽きた様子で、ゴミでも投げ捨てるかのようにライコウを放り投げた。
乱暴に放られ、ごろごろと転がったライコウは、指先がピクリとも動かず地に伏せっていた。彼の顔は血の気がなく、唇は青みが差している。持っていたはずの槍は手元にはなく、片腕は本来曲がらないはずの方向にねじ曲がり、全身は灰と泥と血に汚されていた。
「俺とシテは残念ダが、オ前の身体に宿ル聖霊の力が目障りデ、苗床としテハ全く適サナい。オ前の身体ハ糞の役にモ立たナいカスってところだ。ところデ……」
ライコウの生死を確認することなく、殺した満足感に浸り独り言をする邪魔は、おもむろに背後に侍らせていた触手の一本を動かした。その一本は地に伏せるライコウに狙いを定めると、大きく口を開いた。
「実は、俺ハ人間ノ腐臭がとっテモ大好きだ。そこデ、俺ノ進化祝いにヒトつ、今ここデ、お前ヲ蜂の巣にシテ躰一気に腐らせテやろウト思う。惨めに死体ヲ曝さズに済ム、チょッとシた慈悲デモあル。あの世デ俺に感謝シロよ?」
そう言って嗤う邪魔は、力なく地に伏すライコウへ光線を撃ち放った。光線は地面から漂う白煙に風穴を開け、ライコウの頭へ真っ直ぐに突き進んだ。
「…………っ」
今まさに、ライコウの頭に大穴が穿たれようと迫ったその時、死んでいたはずのライコウが突然光線に向かって手をかざした。
「ッ! 生キていたか!」
「〈氷壁ノ盾〉、〈霧氷〉!」
かろうじて意識を取り戻し、一部だけ話が聞こえていたライコウは、氷魔術〈氷壁ノ盾〉で庇うように氷壁を展開すると同時に、同魔術〈霧氷〉で彼を取り囲むすべての大蔓を氷付けにした。
出現した厚い氷壁は、怪光線を食い止め威力を大幅に削ぎ、彼が待避する僅かな時間を稼ぐ。その間にライコウは残った力を振り絞って、怪光線の軌道上から身体を反らし転がった。
「くっ!」
直後、光線が氷柱を砕いて突き破り、ちょうど彼が横たわっていた場所に着弾した。怪光線の威力は弱まっていたが、それでも尚地面に勢いよく穴を穿ち、黒く焼き焦がした土くれを舞い上げライコウに降りかかる。
「〈裂罅〉!」
息も絶え絶えのライコウは、まるで鉄アレイの如くひどく重く感じる腕を振り上げ、聖霊術を発動すると同時に腕ごと拳を思いっきり地面に叩きつけた。
その直後、邪魔の足元に亀裂が走り、轟音とともに大規模な地割れが発生した。その地割れで出来た深い溝から鋭く尖った大岩や礫が無数に飛び出し、四方八方から次々と邪魔に襲いかかった。
「くヒャはははっ!」
だが邪魔は六本の触手から放つ怪光線を駆使してすべてを切り裂き、吹き飛ばして、迫り来る岩石や礫の雨からその身を守りきってみせた。
「あー驚イた!」邪魔は嬉しそうに嗤う。「あレだけサレて、まーだ動けルとはナ! フツーの野郎なラ死んデるぞ。オ前、本当に人間か?」
「あ……い憎と、お……れは不死身だから……な」
ひどく息が上がるライコウは、口の中に溜まった血液を吐き捨て、飛び出す岩石を容易く砕く邪魔を鋭く睨み付けた。
「不死身、ね。ソウでなクっちャあ面白くネえナ! ……ダが」
歓喜の表情が一転、邪魔の笑顔が消えた。
「オ前ハそろソろ死ヌ。俺ノ〈死光線〉で腹ヲ撃ち抜かレタ時点デ、死は確定シた。加えテの両ノ脚だ。何をシテも無駄ナんダよ」
当初邪魔は『最後の最期までいたぶる』と、そう宣言していたが、ここに来てもはや面倒臭く感じていた。
食い下がる死兵をしつこくいたぶるよりも、計画を仕切り直すべく、逃げた冒険者らを捕らえた方がずっと良いと漸く気づいたのだ。
「何を……ぐぷっ」ライコウは血泡を吹く。
「そンナ死に体ヲ殴るより、生キた人間を……オ前を置キ去りにシタ、お前ノ仲間を殺ルほうがズッと楽シイだろうシ、そっチの方が好キダ。……ここラで大人シくクタばったラどうダ?」
「そん……に死ん……欲しかったら、今度……こそ、俺を殺してみせろ!」
ライコウは裂帛の気合いで立ち上がり、風を纏わせた腕を振るって真空刃を生み出し、氷付けにした大蔓をバラバラに斬って捨てて見せた。
が、凍った株のなかから、突き破るようにして現れた新たな大蔓が再びライコウをぐるりと包囲した。
「なっ……!」
「無駄ダと言ッタだろ。くヒャはっ!」
ライコウはすかさず真空刃を放ち伐り倒すが、間髪入れずに大蔓は生え代わり続けた。いくら伐り刻んでも埒が明かない。
この森に来た時の彼であったら、大した障害ではなかっただろう。だが、今の満身創痍な彼では、じゅうぶんな程大きな障害であった。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッチ……」
ライコウは苦虫を噛んだような表情をした。頭からは大量の冷や汗をかき、無理な肉体強化によって酷使された身体はガタガタと痙攣している。
この時、彼の身体は血液を多く失っていた。その量はすでに半分近い。他人によっては既に死んでいる失血量だ。だが彼の場合はそうはならなかった。失われた分の血液の代替に、魔力を充て込んでいるからだ。もはや人間の域を大きく逸脱した離れ業だ。
彼の身体の中では、『肉体を蝕む死』と『粘り強く抗う生』のせめぎ合いが静かに起きていた。が、『生』は体力の消耗にともなって押し負けつつあり、満足に戦いに臨める状態には決してならなかった。
いっそ潔く死を選んだ方が楽になるだろうが、当のライコウの頭には端からその選択肢はなかった。彼は死なない。死ねないのである。それは彼の意志とは全く違う、精神的なものとは全く違う代物であった。
「今度ハ逃がサナい。望ミ通り殺シテやルぜ」
仁王立ちしてじっと動かない……否、立ち竦んで動けないでいるライコウの姿を目にして、これで決着だとほくそ笑む邪魔は触手を大きく広げた。今度はひとつではない。六本すべての光線を動員して消し炭にする気でいた。
上下左右に広がる触手は大きく口を開き、口の中で死の光の玉を今か今かと踊らせていた。
「――あばよ、死に損ナい」
そう邪魔――寄生樹王が言い放った直後、複数の光が瞬き、灼熱の光線が標的へ放たれた。
◇◇
放たれた灼熱の光線は真っ直ぐに空を突き進む。だがその先に、ライコウの姿はなかった。
彼ではない誰か。そこに居たのは――――。
「ぐっ! ナぜあイつラがこコに!」
邪魔の鼻先を一筋の光線が掠めた。触手が放つ妖しげな紫の光線とは異なる、聖なる純白の光線だ。光線は邪魔に当たることなく逸れていったが、周囲に漂う邪気を一部撃ち祓った。
最初の一撃に続けとばかりに、様々な魔術攻撃が地上へと、邪魔の元へと降り注いでいく。
降り注ぐ爆撃に対し邪魔は触手を足代わりに器用に躱し続け、反撃すべく一度森の中へ身を隠そうと逃げ込もうとするが、
「そうはさせるか! 痴れ者め!」
と、男の怒号が上空から響き渡った。
その怒号を機に、より一層苛烈な魔術攻撃が邪魔に加えられていった。逃亡を妨害し焼け野原の中へと留めるべく、邪魔の行く先々に豪雨のように爆撃を加え、その行動を内へ内へ誘導していく。
さらに、怒号を発した男とは別に、
『彼の者に光天の裁きを! 〈聖光の大三角〉!』
地上の爆撃音に負けじと、複数の男たちの大声が上空で響き渡る。三人の男たちは、自分が手にするだんびらを高々と掲げ、声を揃えて呪文を唱えたのだ。
詠唱後、剣身が纏う光が剣先に凝縮され、光の玉となって剣先から離れた。宙に浮く三つの光玉は、互いに線で結び光の大三角を形成すると、ゆっくり回転しながら逃げ惑う邪魔へ灼熱のレーザ光線を撃ち放った。
回転する三本の光線は、邪魔を容赦なく切り刻まんと空を焼き地上に突き刺さる。対する邪魔は、大量の蔓を絡めて防壁を作り出しなんとか逃れようとするが、光線は防壁を難なくバラバラと切り刻み、執拗に邪魔を追いかけていた。
(あれは〈聖光の大三角〉! 一体誰が……)
突然のことでよく状況が飲み込めていなかったライコウだが、邪魔に降り注ぐ魔術攻撃、とりわけ今目にした魔術によって、それらが彼がよく知る聖霊術だとすぐに理解した。
聖霊術〈聖光の大三角〉は光属性の、それも上級の攻撃聖霊術だ。
三つの光玉によって形成された三角形は、維持できるだけの魔力を術者からごっそり引き出すと、その後は自立型・追跡型魔法陣として自由に滑空しながら標的を執拗に追い回す。これは光玉に溜め込まれた魔力が切れるまで維持できる。
しかし術発動の際には必ず、術者同士が同調する必要があるために、実力・経験がともに豊富な聖霊騎士であっても中々発動することは出来ない。聖霊騎士の中でも上級者向けだ。攻撃聖霊術の中でもかなり難易度が高いが、それに相応するだけの高威力を保持していた。
ライコウはフリスビーのように回転する魔法陣から視線を外し、降り注ぐその他の攻撃を辿るように上空を見上げた。
(っ! あれは……!)
視線の先、雲ひとつ無いはずの蒼穹には、数十の大きな影が飛んでいた。鳥ではない。だが大きな翼が羽ばたいている。
頭は大きく、胴長。それでいて四肢は短く、太くどっしりしていた。そのシルエットはまさに獅子そのものだ。ただし、体表の大部分を黒耀の羽毛で覆われ、大鷲のごとき大翼が全くの別の生き物だと示していた。
(翼の黒獅子、アンズー。それに乗る――まさか!)
手を翳し、できた影からアンズーの群れを見つめるライコウは、続々と攻撃を続ける搭乗者たちの正体に気づいた。
「ライコウ! 今助けに来たわ!」
「!」
そこへ聞き覚えのある女性の声が、突然ライコウの頭上から響いた。彼の頭上、滞空するアンズーの背に跨がるは、紅蓮の鎧に風にたなびく藍色の長髪。同色の目元の鱗と、それは紛れもなくサファイアその人だった。
彼女は大剣【焔】を肩に担ぎ、高さ十五ムールもの高さをものともせず彼の元へと飛び降りた。
「はあああっ! 八重蛇斬!」
八閃――交差した八つの剣筋が走る。サファイアはライコウの傍らに着地するや否や、燃える大剣を自在に振り回して取り囲む蔓を斬り倒した。大蔓の断面を焼き焦がし、斬撃から放たれた炎のが樹皮を蛇のように絡みつき燃え広がる。炎熱は斬り倒された地上の蔓だけでなく、地中深くに伸びる方さえ焼き尽くしていった。
「ふぅ。大丈夫だった?」
そうにこやかに微笑むサファイアは、後ろの方へ振り返った。この時まで、彼女はまだライコウが無事でいたと思い込んでいた。
しかし彼は、彼女が想像していた姿とは程遠い格好で立っていた。
「サ……ァイア……」
「なっ! ライコウ!」
ぷつんと力が抜け、膝から崩れ落ちるように倒れ込むライコウをサファイアは慌て抱き留めた。
「嘘……うそうそ、これは……!」
腕の中で息を浅くするライコウの顔や躰を前にして、目を丸くしたサファイアはみるみると顔色が青ざめていく。
鼻から口から頭からと、ライコウの顔は乾いた血の上を重ね塗るように真新しい血にまみれていた。血と泥に汚された白の鎧は三ヶ所を派手に穿たれ、赤黒く焼け縮んだ皮膚と肉を開口部から覗かせていた。彼が息をする度に、わずかだが鎧下が鎧と擦れる音が聞こえていた。鎧下が血に濡れているからか、どこか水っぽい音がしている。右手の指は数本だけへし折れ反り返り、左腕は肘から下が力なくぶら下がり、百八十度ねじれていた。
この壮絶なる姿を見て、とてもとても『大丈夫』などとは誰の口でも言い難い。
「ぽ、回復薬! ……では効きそうもないわよね……」
彼女は慌て回復薬を取り出すも、はたと瓶の蓋を取る手を止めた。こんな時だからこそ素人が余計な真似はしない方が良いと、そう思い留まったからだ。
サファイアには医術の心得はない。応急処置の経験はあるが、せいぜいは戦闘による切り傷、骨折の手当て程度だ。致命傷に至るような傷など、それも腹や脚に空いた大穴をどうにかする事はとても出来るはずもない。
焦る気持ちを押さえ込み、サファイアは顔を上げて助けを求める声を上げた。彼女は心強い味方を連れて来ていた。
「ダニエル副団長! 早く、早く来てください!」
「ああ! 今行く!」
サファイアの声に応じ、近くに降り立ったアンズーから一人の騎士が駆け寄ってきた。彼女を背後に乗せていた、アンズーを操っていた茶髪の騎士だ。そんな彼の他にも続々と、森近くにアンズーが多数舞い降りて騎士達を降ろしている。
彼らが鎧の上に着る青地のタバードには、白い唐草紋様が編み込まれ、胸には大きく『水流と麦』の紋章が、背中には聖霊教会の紋章がそれぞれ金糸で刺繍されていた。
「や……はり、アグ……ラの騎士……んか……!」
「喋らないで。じっとして」
「サファイア、そのまま彼をゆっくり寝かせよう。救護四班! 四班班長はどこだ!」
ダニエル副団長の指示にサファイアは頷き、彼女の元に走って来た女性騎士とともに、副団長が先に敷いておいたシートの上にライコウをゆっくりと地面に座らせた。すぐそばでは、副団長が周囲で慌ただしく動く騎士たちの中から救護班の者を呼びだしていた。
「救護四班班長ここに!」
「後は任せる。絶対に彼を死なせるなよ!」
「は!」
ライコウを背後から支えるサファイアに代わって救護班の騎士たち――兜と肩当てに赤十字の飾り付けがなされている――が彼を支え処置にあたった。
救護の騎士はすみやかに処置にかかるべく、先ずライコウが着る鎧の引き剥がしに取りかかり始めた。邪魔な鎧を剥がさなければ、応急処置もままならない。鎧の各所を留めるベルトを切り落とし、慣れた手つきで肩当や胸当、腰当、草摺、膝当といった具合に同時進行で分担しながらどんどん外されていった。
「行くぞ、サファイア」
「……はい」
彼ら救護班に任せ、副団長とサファイアはすぐにその場から離れた。班による救護処置の邪魔にならないようにする為もあるが、二人には二人の大事な仕事があったのだ。
「配置完了!」
サファイアらがライコウの傍にいた間、同じく地上に降り立っていた他の騎士たちは、速やかに行動を開始していた。
十名の騎士たちが、邪魔に対する一次防衛陣として後方の者から庇うように横隊形に大盾を構えている一方で、
「第八防御陣形、方陣展開!」
残る六名の騎士たちは、速やかにライコウらを中心にした円陣を大きく等間隔を空けて作りあげ、手にしたショートソードを地面に突き刺した。彼らは直立する己が剣を、聖霊教会のシンボルであり光天のシンボルでもある太陽十字に見立て、祈りを捧げた。
『大主よ、我らに六聖天の加護を授けたまえ! 〈三重六芒盾〉!』
救護班三名が残り、副団長ら二人が離れるのを確認すると、騎士たちはすぐに結界を発動した。
術の発動直後、六名の騎士を頂点に六芒星の魔法陣が地面に大きく浮かび上がり、ドーム構造の強靭な結界が大きく三重に張り巡らされた。
「ト、トリヘクサ……?」
大盾を構える騎士の後ろに控えるサファイアは、後ろ髪引かれるように背後の方へ振り返り、遠くで横たわるライコウを隔離する結界の発動を見つめていた。
そんな彼女は、声をピタリと揃えた六名の騎士たちの詠唱を騒音のなかでも聞き取り、思わずとばかりに復唱する。なんとなく、最近似た言葉を聴いた気がしたからだ。
「〈三重六芒盾〉だ」同じく控える副団長が答える。「それもあれは六属性からなる退魔用結界だ。今はまだ、あの野郎が放つ怪光線を当てられても充分耐えうるだろう」
聖霊術〈三重六芒盾〉は、不浄を祓う退魔の特性が高められた、魔族が行使するあらゆる魔力・魔術を拒絶する上級結界術だ。ライコウが二日前、腐人に扮した寄生魔の集団に発動した〈六芒盾〉の発展系にあたる。
そして六属性の加護――光・闇・火・土・風・水の聖天の加護――を各々ひとつ、その身に宿した騎士たちが発動することによって、本来以上の強力な結界を構築することができる。しかし、
「『今はまだ』……て、何か含みがある言い方するんですね」
「まぁな。魔術系への耐久性はかなり高いんだが、物理攻撃へ耐衝性は大したものではないんだ。それに、いくら術式が優れても、どこまで結界を高水準のまま維持出来るかは術者次第だ。エルフや魔人ならまだしも、如何せんヒューマンと獣人ばかり。あまり高望みは出来ない」
全ての防御系魔術に言えたことだが、いかに優れた性能を持つ術であろうとも、それをじゅうぶんに引き出し行使できるかは術者の魔力、技量次第だ。如何に優れた聖霊騎士であろうとも、持ちうる魔力量には限度がある。それがヒューマン・獣人なら尚更考慮しなければならない。
「だからこそ、俺たちがいる。少しでも強度を維持するために、その手助けをするために、俺たちが出来るだけ躰を張って大蔓から守るんだ」
そう言うダニエル副団長は腰に下げただんびらを引き抜き、顔の近くで構えた。
「来ます!」
大盾の騎士を合図に、一同に緊張が走る。彼らの前方からは樹の幹より太い大蔓が複数、大盾を突き飛ばさんばかりに高速で迫ってきていた。
「うおおおおおお、らああああ!!!」
騎士の一人が地面を踏み抜き、衝突の直前に防御スキル『反射』を発動。大盾が受けた大きな衝撃に耐えながら、裂帛の気合いで盾を突き上げた。
彼が発動した『反射』と突き上げた盾の絶妙な角度のお陰で、大蔓はサファイアらの頭上を突き抜け大きく上空へと仰け反った。
「はああああっ!」
そこへ、待ってましたとばかりにサファイアが大剣を振り上げる。
大剣は伸びる大蔓を一閃したかと思えば、直後に斬り取られた蔓が暴風のごとく、目にも留まらぬ速さでバラバラにされた。その切断面はすべて黒々と焼け焦げていた。
「はははっ! さすが英雄の娘。やるな!」
その様子を横目に、ダニエル副団長は嬉しそうに大きく顔を歪ませる。彼の何かに火がついたようだ。力強く握られた両手剣によく練られた高い魔力を注ぎ込まれていく。
魔力と聖霊力の出力・質がまだ不安定なサファイアと違い、ダニエルの躰から溢れでる力はいずれも高く、段違いであった。
「ふん!」
サファイアに負けじと、ダニエルは襲いくる数本の大蔓を一刀の下に斬り伏せた。左右に斬り裂かれたすべての大蔓は、彼を避けるように通り過ぎ、端が地面に触れる前に微塵に爆砕した。
「ヒューッ! さっすが俺たちの副団長!」
「さすが副団長、お見事な腕前。惚れ惚れします」
「さすが剣術バカなだけはある!」
「うるせえ! お前たちは目の前の蔓の動きに注意していろ! それとさっき『剣術バカ』言った奴は覚悟しろ。終わったらたっぷり可愛がってやる!」
からかうように褒め称える部下に、ダニエル副団長は怒声を飛ばす。だが彼の様子からは怒りの感情は感じられない。むしろ薄く笑ってすらいる。
「副団長! 私は可愛がられるよりも、馬兎亭でディナーを奢ってくれると嬉しいです!」
「エフィ、お前か! 人に『剣術バカ』と言う奴に誰がディナーを奢るか誰が」
「えー、私は副団長を褒め称えたつもりで言ったのにぃ~」
それから続々と大蔓が迫るなか、副団長を含めた騎士たちは互いに軽口を叩き合っていた。余裕かと言えばそうでもないが、油断なく前方を睨みながらそれでも会話を続けている。
戦闘による緊張感とは真逆の空気感が併存する目の前の光景に、サファイアは思わず度肝を抜かれるも、構わず自分の仕事に集中した。
「そうだ。サファイアさーん!」
「はああっ! ……どうかしましたか?」
一向に私語を慎まない大盾の騎士の一人、エフィと呼ばれていた女性騎士が、ちょうど大蔓を切り捨てたサファイアに声をかけてきた。
「キツくなったら、いつでも副団長に振って下さいね! 副団長はキツくなればなるほど、嬉々として戦っちゃう変態なんで」
「変態は余計だが、そうすることだ。志願とは言え君は私が連れてきたのだ。その責任はきっちり取らせて貰うよ」
副団長とサファイアの二人は、絶え間なく大蔓を斬り伏せていく。
二人と彼ら大盾小隊が負う任務とは、大蔓による物理的な攻撃から結界を護り、ライコウへの一通りの治療が完了するまでの時間稼ぎだ。瀕死状態のライコウが一命を取り戻し、この場を離脱するまで彼らが邪魔との矢面に立ち守り続ける。
騎士団の中でも最も腕が立つダニエルと、団が保護した調査隊の中で、ほぼ無傷かつ剣士のサファイアがこの任に選ばれた。ダニエルの他にも手練れは大勢居はするが、その者たちは全員総長以下各隊長の指揮の下、上空からの援護攻撃を加えていた。
「分かりました。その時が来たら、遠慮なくそうさせて頂きます……はあっ!」
サファイアは捻れた大蔓を斬り払うと、前方奥で立ち込める煙幕、邪魔が居るであろう激しい爆撃の渦中へと視線を送った。
「…………」
その爆煙が絶えず起きるなか、邪魔は暗闇のなかでじっと動かず機会を伺っていた。
邪魔は騎士団による執拗な集中砲火に辟易し、森への逃走を早々に諦めると、身体を覆い隠す蔓の外殻を作り上げ硬質化、聖霊術による爆撃を凌いでいた。
しかし防戦一方という訳ではない。外殻に開閉する銃眼を幾つか設けておき、その開口部から上空へと怪光線を発射し反撃を行っていた。その姿はまるで球状のトーチカのよう。爆撃に耐え、損傷しても再生し続ける厄介な外殻と、不規則に放たれる六本の怪光線を前に空の騎士団は手を焼かされていた。
だがその反撃の効果は今一つ。巧みな操舵で自在に飛ぶアンズー隊を撃ち落とすのは容易ではなく、あくまでも牽制の意味合いが強かった。
「くソッ! 埒ガ明かネえ……野郎ッ! チッとは当たレ!」
怒りをぶつけるように声を荒げる。以前より好戦さが増した邪魔は、この膠着状態に強い苛立ちを感じていた。
せっかく得られた新しい力で、騎士団相手に思う存分暴れてみたい。だというのにその騎士団が自らを押し込めるように攻撃し、有効な反撃を許さない。現状の打開策を思い付くまで、邪魔には機を待つしか他に選択肢は無かった。
「くソッ! あイツら……」
光をも吸い込む黒耀の瞳が、地上に一列に並ぶ大盾とその奥にある結界を捉えた。その大盾隊からも、時折だが魔術攻撃を受けていた。
上空からの奇襲に気を取られた邪魔だが、逃亡の最中で地上での動き――何者かが結界を張った――を視界に捉えて以降、片手間ながら攻撃していた。早々に潰してしまいたい存在であっても、上空からの妨害と地上での抵抗に遭い中々上手くは立ちいかない。この焦れったさにも、邪魔の苛立ちに更なる拍車をかけていた。
「あン?」
ふと、邪魔は視界の中に、地面に長い何かが落ちているのを見つけた。
「あレハ確か、俺ノ……」
それは触手。〈聖光の大三角〉の光線により切り落とされた口のついた触手だ。切り落とされた直後に、その断面から新しく触手が生え代わり、今では六本全て揃っている。
「…………」
もはや不要となった肉片をじっと見つめると、
「そうダ。くヒャはっ! 良いこト思いツいタ」
そう邪魔は歓喜に顔を歪ませた。
◇◇
「驚いたな。失血分を魔力で補っているのか。だがこのままにして良い訳がない……輸血早く」
「はい」
大盾隊と副団長らが攻撃に対処し始めた頃。結界内にてライコウの手当てにあたる救護班の面々は、手慣れた手つきで淡々と処置をこなしていた。
ライコウの処置に携わる三人は、百人いる聖霊騎士団の中でも、前線医療を担う二十人からなる医療救護班に所属する者たちだ。
各隊につき四人一班、小班長である医官と衛生兵三人の構成で配置されている。外科医療の技術や知識に加え、魔道医術――魔術を用いて患者の魔力に作用し肉体・生体機能の治療を行う医療技術――も行える超絶エリートだ。騎士でもある為、もちろん前線でも戦える腕前をもつ。
彼らが身につける救急バッグには、応急処置に必要な応急キットや手術器具、魔道医術に必要不可欠な魔法陣シートなどが入っている。
特にこの魔法陣シートは、前線医療において重要なアイテムだ。地脈を動力とした魔法陣が、シートの上に寝かせた負傷者の魔力を増幅させ、生体機能の保持を行うのだ。必要な機材が用意できない環境においては、このシート一枚によって代用できた。
現に今、シャツが縦に切られ上半身裸となったライコウは、このシートの上で寝かされていた。彼に用いられた魔法陣シートには、生体機能の保持をベースに、損傷した生体箇所の回復の促進作用と細菌感染を防ぐ特殊な浄化作用が発動されていた。
「ライコウさん、今、針刺しますからねー」
「ああ……」
まだ意識を保っているライコウは、いくつかの質問に答えた後、気道確保管を口に差し込まれ、血液を綺麗に拭き取られ、両足を少し高くして横たわっている。傷口には止血剤ガーゼが十何枚も重ねられ漏れ出した血液を吸っていた。
ガーゼによる止血以前に、怪光線による熱凝固作用によって焼け跡からの流血は多くない。ただし、その後の執拗な殴打由来か、皮下出血の跡が主に上半身に見られ、特に腹部内の臓器損傷による出血がひどかった。
また顔面蒼白で皮膚が冷たく、時折の意識の混濁と頻脈が見られた。呼吸も速い。早急な輸血が必要とされた。
「ライコウさん、聞こえますかー」
「あ、ああ……」
女性騎士が目を見て何度も声をかけながら、輸血作業を行っていた。輸血の血液型はライコウが首に下げていた認識票を元にしている。認識票は軍人か否かに関わらず、街の外で活動する者は皆必ず所有していた。
「あの怪光線に貫かれたようだが……おかしい。壊死が早い」
大きく開いた創傷部を覗き込み、医療用手袋をはめて鉗子で止血作業を進める班長は、不審そうに眉をひそめた。
彼が見た限りでは腹部大動脈や下大静脈、肝臓は無事に免れていた。しかし胃や大腸の一部など、胃袋の周辺に密集する多くの臓器が焼け、大きく損傷していた。
加えて、焼けただれた患部とは別に壊死が始まっていた。目に見えるほどの早いペースで、だ。
「それは!」
呼吸をする度に強い痛みを感じるとのことで、骨折箇所に手を当て聖霊術〈治癒〉を発動し、ちょうど治療を済ませた若い騎士が声を上げた。彼の視線の先には、創傷部周辺の更に外側にまで緩やかに壊死が進む異様な症状があった。
「どうした? フロント」
「ちょっと見せて下さい……」
若い騎士フロントは班長の向かいに座り、じっくり観察すると、彼は顔をしかめて今度は女性騎士が担当する脚部へ移動し創傷箇所を観察した。
彼の目には、一滴の墨を垂らしたかのような、染み渡るように腐蝕が広がる症状が映っていた。
「間違いない……大変です班長、この壊死は〈蝕呪〉という呪詛、呪いの効果によるものですよ!」
「なっ、呪いだと!」
班長は顔色を一変する。彼は外科医師としての知識はあれど、呪いの類いに関しては門外漢だった。その点ではこの若い騎士フロントの方が詳しい。何せ彼は、呪詛をメインに扱う騎士団の邪法対策官にも就いていたのだ。言わばフロントは呪いの専門家だ。
「それで〈蝕呪〉とはどんな呪詛なんだ。どうすればいい」
フロントは顔を寄せ、声を落とし、厳しい顔つきで説明する。
「〈蝕呪〉とは万物を腐蝕する死の呪いです」
「死の、呪い……?」
「はい。人体であれば、この呪いは短時間のうちにあらゆる体細胞を壊死に至らしめ、確実に死に追いやります。解呪の方法は…………ありません」
沈痛な面持ちで答えたフロントに、班長と女性騎士は顔を見合わせる。互いに当惑に満ちた表情をしていた。
「ない? 進行を遅らせることも出来ないのか?」
「早期になら可能ですが、経過の具合から見ても必要な条件である十分以内をとうに過ぎていますし、症状が三ヵ所に渡っています。両の脚は、切断すれば僅かでも助かるチャンスは残されていたでしょうが……」
フロントは一度言葉を切り目を伏せた。
脚と違って腹部の創傷はどうしようもない。延命しようにも、生き永らえるのは僅かの時間のみ。死ぬまでの間、余計な痛みと苦しみを与えることになる。こうなってはもうどうしようもない。
「彼の場合、神の奇跡でも起こらない限り……」
「そんな……班長、どうしましょう……」
「…………」
額を寄せあう三人の間で、長く重苦しい沈黙が流れた。その沈黙の間、外部から風を切る轟音や爆撃音といった激しく争う騒音が聞こえてくる。その為か、彼らの会話は周囲の騎士たちの耳には届かずにいた。
「ふは、ははは……」
沈黙を破るように、ひとりの笑い声が聞こえてきた。弱々しく乾いた笑いをする者は、彼ら三人の中心に横たわり、一身にその視線を集めていた。
「はははは……」
ライコウはおかしそうに笑っていた。その表情を見た彼らは、彼が話を聞きとってしまい、助からないと知って気が触れてしまったのかと思っていた。
(神の奇跡でもない限り――、か。そうだった)
しかしライコウは決して、気狂いで笑っていたのではない。三人の会話を聴いていた彼は、怪光線に仕込まれた邪魔の悪質な隠し玉に呆れて笑い、フロントが発した言葉の一節に対して笑っていた。
ライコウは力むように右腕に渾身の力を込めて、おもむろに口に咥えていた気道チューブを取り払った。
「おい、何を……!」
「っはぁ……少……し……話すのに、邪魔なんで……ね」
弱々しくも、しかしはっきりと喋るライコウの声は不思議とよく通り、外の大騒音の中でも班長たちの耳に届いていた。
「話、だと?」
「そうだ……」
ライコウは班長を目を見つめながら頷くと、すぐに彼の向かいに座るフロントへと視線を移した。
「今……〈蝕呪〉、と言ったな。それは間違いないのか?」
先ほどとは打って変わり、冷静な表情でものを尋ねる彼にフロントは少し面食らう。はっきりと告げるべきか逡巡する彼は、ライコウから「今更遅い」と言われてしまい、正直にこくりと頷いた。
「俺は騎士団の邪法対策官として、過去に何人もの犠牲者を世界各地で見てきました。……誓って、間違いないと言えます」
「すると、だ……」
ライコウは考えを巡らす。フロントから視線を外し、空を見上げる彼の視界には、結界の表層を覆う半透明の幾何学紋様が蠢いていた。絶えず動き回る紋様は、それが高度な魔術で組まれた上級結界であると知らしめていた。
「常人なら長くても三十分の命。俺の身体なら……あと十分か十五分は持ってくれるだろう。じゅうぶんだ」
「何がじゅうぶんだって?」
「この事態を解決に導く為に必要な時間だ。なぁに、いますぐやれば十分とかからないさ……俺はこの通り、死に体の身の上だ。だから君らにひとつ、俺に協力して貰いたいんだ」
穏やかに笑む表情から一転、真剣な顔つきで頼みたいと言うライコウに三人はどうしたものかと見合わせた。
「君は〈蝕呪〉を知っているようだが……」
額を手に、険しい表情をした班長は尋ねる。
「フロントの話を聞いていたのなら、分かってるはずだろう。〈蝕呪〉を止められる手段はない。君は……君は助からない。それこそ、今ここで神の奇跡でも起きない限り―――」
「その『神の奇跡』とやらを、俺が今、起こしてやろうと言ってるんだ」
班長の言葉を遮ったライコウは、薄く微笑む。ある程度癒えたとはいえ、全身に壮絶な痛みを感じている者とは思えないほどの余裕さを三人に感じ取らせていた。
「普段は滅多に人前には見せないし、見せたくもないんだが、今はそうも言ってられない。あの増長した邪魔を倒しうるのは、今のところ俺だけのようだし」
「何を言って……」
班長は訳がわからないと眉をひそめる。が、ライコウに言葉の真意を尋ねる間もなく、突然大きな地揺れが地響きと共に引き起こされた。
結界を張り維持する騎士六人は、結界が解けないよう剣に身体を寄せしっかり固定する。一方の医療班の三人は、動かさないようライコウの身体をしっかり押さえていた。
が、長く感じられた縦揺れはすぐに収まった。班長はこの場に居る騎士たちに目配せし、素早く安否確認をとった。結界内にいる騎士は全員無事、張られている結界も健在だ。
「大丈夫か!」
そこへ大盾隊の方向から一人、身体を低くした騎士が急ぐように近づいてきた。
「ああ、大丈夫だ! そっちはどうだ? 怪我人は出たか?」
「いいや、今のところ問題ない」
彼は副団長から安否確認と、応急処置の進捗状況の報告を受けるよう命じられたそうだ。そこで班長は女性騎士と場所を代わり、状況報告をしようと結界越しに彼に近寄ったが……。
「ぐっ!」
「おあっ!」
瞬間、結界に大きな衝撃が走った。班長は驚きの声を上げ尻餅をついた程度だが、結界外にいた騎士は衝撃波で吹き飛ばされてしまった。幸い、彼はすぐに起き上がり、その場から隊の元へと引き返していったが、結界が受けた衝撃は大きなものだった。
「何が……!」
「光線だ。奴が撃ってきたんだ」
班長の近くにいた結界の騎士が指し示す。
「いよいよ本格的に地上戦が始まったようだ」
騎士の言う通り、結界に衝撃を与えたのは邪魔が放つ死の怪光線であった。
大盾隊と激しくことを構える邪魔から、大蔓と共に紫色の怪光線が十数飛んできていた。大盾隊は入れ代わり立ち代わり陣形を変え、怪光線をやり過ごし、反撃を加えていく。吹き荒れる爆風と轟く地響きが戦闘の激しさを物語る。
邪魔が外した怪光線のほとんど全ては、隊から十数ムール後方にあるこの結界に衝突していたが、さすがは上級退魔結界。ゴン、ゴン、ズンズン、ズンと鈍い衝撃音を立てていくだけで全くびくともしない。この程度の威力ならば、当分は大丈夫そうだと思われた。
だが安心したのも束の間、彼らの周囲がふいに暗くなった。
「あ、あれは……! 見てみてください!」
「……!」
驚きの声をあげた女性騎士が、震えるように上空の方向を指さした。その指された先を目にして、その場にいた騎士たち思わず大きく息を飲んだ。
彼らの視線の先、空高く舞い上がる土煙に、大きすぎる影がぼんやりと映っていた。雲が日差しを遮ったのかと思えばそうではない。影は縦に太く長く、左右に揺れるように動いていた。地響きと連動する気味の悪い何か。次第に土煙が晴れ、その影の正体が姿を現した。
「なんということだ……」
班長は五割の驚愕と四割の困惑、一割の焦燥を込めた声で、今自身が目にしているものを評する。彼が目にしたのは……。
「あれは……オルム……か?」
オルム。太く長い寸胴の肉体を持ち、凶悪な口以外に全ての要素がない地下に棲むドラゴン。その伝説上に語られる怪物に酷似した巨体が今、魔樹の森の中から姿を現していた。
その肉体はまるで巨木サイズの芋虫だ。最低でも直径十ムール、全長五十ムールはあるだろう。巨体はごつごつと分厚い漆黒の皮膚に覆われ、全身の筋肉を使って鈍重な身体を上下左右ぶるぶると揺らしている。
そして芋虫の頭部にあたる部分には、長く深く五つに引き裂かれて出来た巨大すぎる口が、花のつぼみのように固く閉じられていた。
「――――!」
そのつぼみが、大きな軋み音を轟かせた。怪物は上空へ退避した騎士団を、空に浮かぶ雲と空間ごと平らげようと目一杯口を開かせたのである。
だが届くはずもない巨大な口は、代わりに騎士団が放った聖霊術の攻撃を食わされ、苦しそうに鈍重な音を立てて素早く口を閉じた。その素早く閉じた口からの衝撃波が、災害級の暴風となって樹海の上を吹き荒れていく。
「なんなのよ、あれ……!」
今度はライコウの傍らに座る女性騎士が、途方にくれたような声をあげ、怪物を凝視していた。見つめているのは彼女だけではない。ライコウを除く結界内のすべての騎士たちが、その巨体に呆気をとられ、目を奪われていた。
「頼む、お願いだ……聞いてくれ」
「!」
驚愕の光景に騎士たちが固まるなか、ライコウは同じく固まっていた女性騎士の右腕を掴んだ。腕を掴まれた彼女は、ハッと我に返り、すぐにライコウの方に振り返った。
「分かるだろう? このままでは全滅になる。みんなあの怪物と邪魔に殺されてしまう。だが今、俺の言う通り協力してくれれば、必ずその事態を回避できる」
「貴方に何ができるっていうの」
「信じられないだろうし、気狂いでもしたかと思うだろうが、俺は『神の奇跡』を起こせる。この場に居る全ての人間を救う、『神の奇跡』を」
「神の奇跡を……?」
案の定、女性騎士の顔には、とても信じられないと出ていた。向かいに座るフロントも同様だ。
だがライコウは二人に訴え続ける。もはや余命いくばくもないライコウには、目の前にいる二人だけが頼りだった。
「頼む。騙されたと思って、俺の言うことやることを信じてくれ。俺にも、君たちにも、あまり時間が残されていないんだ……」
そう言ってライコウは、弱々しく両手を伸ばして二人の手を掴んだ。
「皆の命は今、君たち二人にかかっているんだ」
「「…………!」」
二人の騎士は互いに顔を見合せる。数秒間見つめあった後、意を決したように揃ってライコウへと視線を移した。
「分かった。俺達は何をどうすればいい」
「簡単だ。今すぐ俺を――――」
ライコウは自身の心臓に視線を導くように胸に手を置き、にやりと笑った。人差し指と中指で、自分の心臓に突き立てる仕草をしている。
「――――殺してくれ」
◇◇
「いイね! くヒャっははははは――――!」
邪魔は己の手で生み出した怪物――魔樹の森で暴れ回るオルム――を見上げ、大笑いしていた。
「あんノ切レ端で、あ~んなイカしたノが出来るとはナァ~~! もッと早クに造れバ良かったゼ」
森の中で暴れる巨大オルムは、正確にはオルムではなかった。真の正体は邪魔の触手、先ほどまで地面に捨てられていた触手の切れ端だった。
邪魔はその切れ端に、切れ端が耐えられるギリギリまで大量の魔力を注ぎ込み魔物化してみせた。元が邪魔の肉体の一部だったからか、他の生物を魔物化させるのとは訳が違う、強力無比な魔物を造り出すことに成功した。
だが、まさか思いつきで作った魔物が、こうも劇的に戦況を変えてくれるとは、創造主である邪魔ですら全く想像だにしていなかった。せいぜいは上空からの攻撃を乱す、騎士団の目を邪魔から反らす囮役ぐらいのつもりでいたのである。
それが今では、囮どころか騎士団を上空に押し込めていた。お陰で邪魔を押さえつけていた爆撃は完全に立ち消えとなり、身動きが取りやすくなっていた。予想外の好結果を得られたのだ。
喜び勇んだ邪魔は、すぐにでももう何体か巨大オルムを造り出そうと試みた。しかし、
「あんな化け物を、また造らせてたまるか!」
そんな怒声の直後、邪魔の目の前で暴れるように成長していた小オルムが三つに切り刻まれた。放たれた風魔術によって殺されたのだ。邪魔の目の前には、同じく殺された小オルムの死体が散乱していた。
「ウルせえ! 邪魔をすルな人間め! 目障りダ!!」
オルム増産のため、邪魔は六本のうちの半分の触手を自ら切り落としていた。そのせいでそれまで激しかった攻撃の手を緩めてしまい、邪魔はその緩みを副団長に突かれて折角の試作オルムをすべて殺されてしまった。
上機嫌が一転して怒りに変わった邪魔は、未だしぶとく生き残る地上の大盾隊へ、大蔓と共に怒りの光線〈死光線〉を撃ち放った。放たれた〈死光線〉は蔓に先んじて隊の元に辿り着くも、騎士たちは大盾が発動した防壁でもって受け流し、逆に火・氷の魔術による反撃をしてきた。
「ッチ! ヤメだやメだ! 殺ス!」
邪魔はオルム増産の試みを一端止め、苛立ちで増幅された殺意を大盾隊へ向けた。
まず二十本近い大蔓を、大盾隊の周辺に出現・展開して騎士たちを封じ込め、大蔓ごと六本の〈死光線〉で撃ち殺す。
そのように考えた邪魔はすぐに大蔓を展開したが、
『はあああっ!』
大盾の影に潜む副団長とサファイアが、驚く速さで大蔓に対し立ち回り、邪魔の目論見を斬って捨ててみせたのだ。それどころか、二人は自分自身を付け狙う〈死光線〉を間一髪躱してみせ、隙を見て渾身の一撃を放った。
「擬ノ太刀 大火津波!」
一方は横一閃に薙ぎ払われた斬撃が、炎の大津波と化して、
「ベンダバール流擬剣東亜式 窮奇!」
一方は上段から振り下げられた斬撃が暴風を生み出し、暴風が多数からなる遠い異国の魔獣の姿と化して、怒濤の勢いで邪魔の元へ押し寄せる。
そうして二人の二つの一撃が、邪魔の目の前で接触し交わると、目映い大爆発を引き起こした。大爆発は大きな地響きとともに、大地を抉り大蔓を薙ぎ倒す衝撃波を生み出し、隊の元へ怒涛の勢いで押し迫ってきた。
「ぬぐうううう! とんでもねぇ威力だ! さすがにこれで、奴も大人しくなってくれるよな……?」
「ぅくっ! あんな強烈な一撃が二つ、いっぺんに爆発したんだ。死なないとしても、身体の半分ぐらいは吹き飛んだだろ……!」
爆発の直前に亀甲隊形へと陣形を変え、十人合同の風避けの魔術と大盾の防壁、互いに腕を組みアンカーのように突き刺した彼らの足により、強烈な衝撃波をなんとか凌ぎきる騎士たちは、大盾越しに聞こえてくる轟く衝撃音に顔をしかめる。
これほどまでの爆風をもってすれば、あの伯爵級でも只では済まされない。過去に同級の邪魔と戦闘経験がある彼らは、副団長たちが確実に致命傷を与えたと思っていた。
が、今回は相手が悪かった。
「っ! がああああ!」
「! ケイン!!」
衝撃波が終息した直後、何の前触れもなく騎士の一人が宙に舞った。ケインと呼ばれた騎士が驚きと当惑に満ちた表情で、後方へと飛んでいく間にも、同様に次々と騎士たちが空に浮き宙を舞っていく。
これまでにない強力な威力を持つ怪光線が、彼らが構える大盾の足元に着弾し、その衝撃で地面から引き剥がすように吹き飛ばしていたのだ。
「キヒィヒヒィ! クヒャハハハ!」
立て続けに鳴り響く爆発音の中で、一人の異形の嗤う声が遠くから響いてくる。吹き飛んだはずの邪魔――寄生樹王である。邪魔の前には、朽ちたトーチカの残骸が風に煽られ辺りに散乱していた。
上機嫌に嗤う邪魔は、さっきのお返しとばかりに大盾隊に猛攻を加える。鬱積していた力を解放したからか、邪魔の声に変調をもたらし、全身が細い蔓に覆われるなど若干の変化を見せていた。
「アノ程度デ、コノ俺様ガ、クタバッタ~トカ思ッテイタンナラ大間違イダゾ!」
「後退っ! 二次防衛線である結界まで後退だ! 急げ急げ急げ!」
このままでは、部隊が、部下が持たない。
非常にゆっくりと、まるで時間の流れが遅く感じられた中で、部下たちが吹き飛ばされる光景を目にした副団長は弾けるように声高に叫んだ。
「残った者で三班に分ける! ディック、お前は俺と一緒にこい! サファイアもだ!」
と同時に、後退する間、少しでも被害を減らすために副団長は残った六人を速やかに半々に分け、二つの班を左右に別れるように後退させ、それぞれに道中の負傷者の回収を命じた。
「俺たちはしばらく、奴を引き付ける―――」
彼は高い身体能力を持つ龍人サファイア、ベテラン騎士のディックと共に、敵の攻撃を集める殿を務める気でいた。
高い耐魔力性を持つ紅鱗鎧を着たサファイアには大盾の維持に専念させ、ダニエルは邪魔の注意を引き付ける聖霊術による反撃を、ディックはその両方をこなす二人のサポーター役だ。地上に降りた隊の中で最も力量のある三人だからこそ、この役を務められるだろうと踏んでの人選だった。
「済まないが、ほんのしばらくの間だけ俺に付き合ってくれないか」
「それ、今更訊くには遅いですよ」
「ハハハ! 全くだ。ま、それでも俺は副団長の命令通りに動くまで」
一段と当たりが強くなった攻撃の中、三枚の大盾を繋ぐベルトを握り締めるサファイアが、呆れたように答えた。その彼女の言葉に、彼女の隣にいたディックが快活に笑う。
ダニエルは確かにそうだ。と苦笑いしつつ、弾幕の向こう側にいる邪魔へと睨むように見つめた。
(しばらく、しばらくの間だけだ。これ以後は速やかに撤退する他にない……)
負傷者救出の為に、頼りにしていた本隊は封じられてしまった。背後にある、たった十数ムール先の結界内にいる医療班と連絡を取り合うことは、困難となっている。
(判断を誤ったのか――……)
二人へ指示を出す傍らで、副団長は後悔の念をその心のうちに抱いていた。そんな心の隙を突くように、彼の背後蛇のようにうねる一本の大きな影が忍び寄った。明らかに人影を突き破るように伸びる影を見れば気づくだろうが、窮地にたたされたいまの彼には気づく余裕も冷静さもすっかり抜けてしまっていた。
「ふせろぉ!」「危ないっ!」
影を見て慌て叫ぶ二人の声に気付き、副団長は剣を抜き様に背後を振り返った。
「くそがっ!」
彼が振り返った先にあったのは、その身をしならせた高く高くそびえ立つ大蔓。大蔓はその身に受ける光線の弾幕に構わずギチギチと不気味な音を響かせて、ダニエルもろとも三人を叩き殺そうと横凪ぎに迫っていた。
「くっ――ぐぬぁあっ!」
剣身が大きくたわみ刃から火花が散る。間一髪。ダニエルはすかさず剣を振るい、軌道をわずかにずらして強烈なる打撃からその身を運よく逃がしてみせた。おかげで彼の上半身は消えることなく未だ健在である。
が、さすがに大きな衝撃をモロに受けて無事だとはいかない。衝撃を直接受け流した愛剣は一瞬にして削り取られ、また同時に彼の両手が砕かれた。洗練された武骨な武芸者の手は、見るも無惨なぐしゃぐしゃの肉塊に成り下がってしまった。
中途半端にミンチにされた手の痛みは想像を絶する。しかし脳内がドーパミンに溢れ、完全に興奮状態に陥ったダニエルは気にも留めていない。おのれの手を一見しても全く現実味感が沸かず、せいぜいやたら熱さを感じていた程度だ。
ダニエルは後ろの二人に半ば振り返り「先に下がれ」と言いかけて、途端に言葉を失う。彼の視界の端に捉えた大蔓の影は、予想を超えた異様な速度で迫ってきていのた。
――まずい。まずい。まず……い。
脳内で思わず叫んだ感情を言い終わるよりも先に、ぐわんとくねらした大蔓がまたも襲いかかって来ていた。今度は衝撃を受け流せる剣がない。大盾はあるが、ひしゃげた指でよしんば掴みとったところで間に合わない。結界もまたしかりだ。
万事休す。
目を大きく見開いたまま、迫り来る大蔓を見つめていたダニエル副団長は、死を覚悟した……が。
「〈裂罅〉」
突如として足元が大きく揺れ、大地が縦に横にと強引に引き裂かれた。直後、その引き裂かれた深い隙間から吐き出されるように鮮やかな炎が噴出した。
地揺れで狙いが逸れてしまい、その身を地割れに打ち付けた大蔓は激しく噴き荒れる炎に呑まれ瞬く間に灰となった。大蔓を薪木に炎は人の身の丈の三倍の高さまで燃え上がると、無数の怪光線の前に立ちはだかり、弾幕を完全に遮断した。
「な、何が――……!」
突然噴き出した炎に煽られ、尻餅をついたダニエルは驚愕に満ちた言葉を口にした。だが不思議と、彼はその炎に恐怖を感じることはなかった。
「こ、これって……!」
ディックと共に、ダニエルを庇うように側に寄るサファイアは、彼ら三人だけではなく、地上にいる全ての人間達を囲い混んだ炎の幕を目にして、直感的に何かを感じ取った。
「まさか、あの時の――!」
噴き出された恐ろしく美しい炎の赫きは、彼女の身体の内に宿るものと大きく共鳴し、強く生きる活力と心休まる暖かな安堵感、そして如何なる強敵を焼き払う勇気を与えてくれていた。
それは正しく、彼女が儀式によって得られた炎天の加護の力そのものだった。
「一体、何が起きたの……?」
突然起きた天変地異に、サファイアは当惑する。それは彼女の隣にいた二人の男たちも同様だが、彼らは炎から感じる『力』に大きな"神聖さ"を感じ取っていた。
「こ、これは神の奇跡なのか……?」
「神の奇跡? 確かにそうとも言えるが、違うとも言えるな」
ディックが思わず口走った問いに、突然『声』が答えた。『声』は、激しく噴く炎の向こう側から聞こえて来ていた。
「だ、誰だそこにいるのは!」
「怯えることはない。俺は人間だよ」
「この声――……まさか」
広く激しく燃える大火の中から、ひとりの男がゆっくりと姿を現した。その者の姿は、サファイアがよく知る、金色の瞳をした若く背の高い男だ。
彼の躰には古傷らしき痕はあれど、光線に貫かれて出来た筈の焼けた創傷はなく、肉体を蝕んでいた壊死もない。それどころか、元からそんなものはなかったように綺麗さっぱりと消えていた。
彼は三人の前に立ち、少し考えるように下顎を擦ると、何か思い付いたように微笑んだ。
「これは反撃さ。最後の最後の、俺の反撃だ」
遅れてすみません!
まだ続きます、すみません!




