27.樹海調査(2日目)
「お嬢様にご報告いたします。本日昼近く、冒険者とおぼしき一団を発見いたしました」
樹海の最深部。月光に照らされた大岩に、ひとりの少女――黒いワンピースドレスの少女が座っていた。腰まで届く濡烏色の長髪は、優しいそよ風に揺れている。
彼女の身体は細く、華奢で、肌は生を感じられないほど白い。一見非力に見える少女だが、その華奢な身体では信じられない程の威圧的な存在感を放ち、見る者に畏怖を感じさせていた。
「そう。それで? 今日は何があったのかしら?」
そんな少女に対し、大岩の傍で跪く仮面の紳士は報告を続ける。彼が昼近くに発見した、六名の侵入者についてを。
「は。樹海西部の湿地、寄生魔の巣窟にて冒険者とおぼしき六名が侵入し、うち四名が戦闘に応じ、寄生魔の殲滅に至りました」
「ふーん。殲滅ね…………うん? 殲滅ぅ?」
髪をクルクルと指に絡め、興味がなさそうに弄んでいた少女は、自身が発した言葉の違和感に気付き、ピタリとその動きを止める。
「ねぇ。今、冒険者が殲滅した。と言ったかしら」
「は。申しました。四名の冒険者が寄生魔を討伐致しました。ですが……」
「なぁに? 何か言い足りないのなら、もったいぶらずに答えて」
と、言いよどむ男に少女は促す。
「は。正確に申せば、その四名により三割の寄生魔を討ち果たしましたが、仲間のひとりである白鎧の男が、残りすべてを聖霊術の一撃の下に殲滅に至らせました」
「冒険者が聖霊術を? そう……ふふふ」
唇をペロッと舐め、少女は可愛らしく笑った。が、彼女の笑い声は、聞く者の心を恐怖で凍てつかせるほどにひどく冷たいものだった。
「ストゥー、その話もっと詳しく聞かせて。特にその白鎧の男を。もしかしたら、この退屈な日々にさよならを言えるかもしれないわ」
「は。仰せのままに」
愉快そうに笑う少女に、ストゥーと呼ばれた男は当時見たもの、聴いたもの、感じ取ったもの全てを有り体に申し上げる。
抗瘴気のストラを巻いた者、聖霊の力を宿した者、他の者とは異彩を放つ者など。彼らの姿、振舞い、戦いぶりなどを事細かに語り聞かせていった。
「分かったわ。報告ご苦労さま」
少女は聴き終えると、月を眺め、満足そうに微笑んだ。彼女の表情は、新しい玩具を見つけたかのような、可愛らしくも残酷に満ちた微笑みだった。
「ねぇストゥー。あの街には聖霊騎士はいないはずよね? 違ったかしら」
「は。仰る通りでございます。邪魔および彼らの手の者により、聖アグリコラの聖霊騎士は皆アフマールに誘き寄せられております。加えて、近辺に滞在する聖霊騎士が、王都へ訪れたという話もありません」
「そうよね。でも、おかしいわね」
少女は艶やかな髪を撫でる。
「いない筈の聖霊騎士が少なくとも一名、冒険者たちに混じっていたなんて。その冒険者たちからも、聖霊の力を感じた……ねぇ、どう思う?」
「は。我らの目が届かぬところで何かあったと思われます。しかし、白鎧の男を除いた三人は聖霊騎士ではないと思われます。聖霊の力を宿していますが、騎士にしてはあまりに未熟。力をうまく使いこなせていないかと」
かつて過去に何度も聖霊騎士と剣を交え、彼らを間近で観察してきたストゥーが見てとった限りでは、三人の冒険者風の者たちは、聖霊の力の使い方を知らないように思えた。
個々の能力は秀でているが、得られた力をうまく引き出せていない。聖霊術を修得していない証拠だ。
それに引き替え、白鎧の男はまるで違った。彼の者の放つ力は、ただ聖霊の力を宿しただけの者とは大きく異なるものだった。聖霊騎士のとも、高位の聖職者のものとも違った。
(一部の力を解き放っただけで、遠くで観察していた俺にまで届いたあの重圧感。威圧感。あれが全て解き放たれたらどうなるのか……)
ストゥーは仮面の下で静かに口を歪ませる。
この俺が、直接つまびらかにしたい。そんな強い好奇心に駆られる思いの一方で、危険だ。お嬢様に近付ける訳にはいかない。という危機感が、その身の中で複雑に内在していた。
「ふぅん。あなたが言うなら間違いないようね。わたしは未熟者には興味がないし、どうでも良いわ。そ・ん・な・こ・と・よ・り・も……」
少女はおもむろに立ち上がる。
「私はその白鎧の男が、とぉーっても気になるの」
「お嬢様、その男が『例の者』だとお考えになられるのですか?」
「どうかしら。でも、この前の騒ぎも聖霊術による一撃だったそうじゃない? あの話の通りだったら、関係なくはないとは思うのよねぇ」
この前の騒ぎ。それは暴走した邪魔と謎の黒鎧の男による戦闘を指していた。戦いから半日ほど経った頃に、見回っていたストゥーが現場を偶然発見し、その調べを行っていた。
聖霊の力の残滓が色濃く残る現場から、それとは異なる二つの魔力の残滓を延々と辿り、行き着いた王都に人を使って情報を集めていた。騒ぎから一日半以上経っていたからか、城壁までの目撃談は得られても、街に入ってからの足取りは掴めずにいた。
「たしかに両者とも、巨大な白狼を連れていた点は一致していますが、その男が『例の話の者』だという確証はまだ……」
「確証なんてどうでもいいの。私は退屈してるの」
少女は大岩の上で小石を蹴る。蹴られた小石は近くの樹に当たり、生い茂る藪に落ちていった。
「あの話を聞いて、この私がせぇっかく赴いたというのに、何も見られないなんて。いっそこの森全て焼き払おうかしら」
「なりません。それでは邪魔と同じです。我らは……」
「分かってるわ。冗談よ。でもね……」
少女は大岩から飛び降りた。彼女は可憐に草地に降り立つと、いつの間にか少女の傍らに立つ仮面の紳士に向き直る。
「明日くらいは、私の好きにしてくれたって良いじゃない?」
◇◇
翌日の調査二日目。
昨日とは異なり、今日の集合時刻は昼の一時過ぎだった。おかげで調査隊の面子は時間ぴったりに集まっていたのだが……
「ッチ、遅ぇ……まだ終わらねえのかよ」
頬杖をつき、馬車の上から群衆を見下ろすファウストは、苛ついたように舌打ちする。北門前の広場では、相変わらず多くの衛兵が屋台に群がり、彷徨いていたが、昨日とは全く様子を異にしていた。
「軍人さんも大変だな~」
ライコウは人混みを抜けながら、精悍な顔つきをした軍人たちとすれ違う。彼らは北門の前で整然と整列する兵隊と同じ武装をし、同じライフルを担いでいた。
実は午前中からずっと、北の大門前の平原で軍事演習が行われているのだ。本当は正午に終わる予定だったが、なぜだか一時を半分過ぎた今でも行われている。どうやら演習が延びているらしい。
馬車の傍らに辿り着くと、ライコウはしかめ面のファウストに広場の屋台から買ってきたシャルバトを差し出した。
「あんまり苛ついてんなよ、おっさん。これ飲んで待ってな」
「おっ、悪いな」
ファウストは受け取ったシャルバトをひと口飲み、それから一気に飲み干した。レモン果汁のさっぱりとした口当たりのおかげか、彼の寄っていた眉間が和らいだ。
「ふぅ。……ありがとよ」
「おう」
シャルバトは、果汁に水や砂糖、薬草などを混ぜたこの地域伝統の清涼飲料だ。果汁の代わりに花の蒸留水を加えるものもあり、様々な効能をもつ健康飲料にもなるそうだ。
ファウストに渡したシャルバトには、イライラを解消する薬草が入っている。ライコウが彼に渡すために、屋台の店主にブレンドしてもらったのだ。
すっかり気分を良くし、馬車の中へ居直したファウストと入れ違いに、今度は隣に座っていたサファイアが身を乗り出してきた。
「頼んだものは?」
「はいよ」
馬車に寄りかかるライコウは、買ってきたものを入れた紙袋を彼女に手渡す。
出発予定時刻から三十分以上が過ぎ、いつまでも待たされる一行は、軽食をとったり雑談をしたりと暇をもて余していた。
「ありがと。それにしても、いつになったら終わるのかしらね」
「さぁ…………うん?」
ふと、ライコウは人混みへと視線をあげる。誰かが自身の名を呼ぶ声が聞こえた気がしたのだ。
城壁の外から聞こえる騒音に、広場で繰り広げられる笑い声や話し声など。それらがごちゃ混ぜになった騒がしい光景だったが、その人混みの向こうから、こちらへ大きく手を振る男の姿を見つけることができた。
「よう! 数日ぶりだな、ライコウ」
人混みから現れたのは、見覚えのある若い男。数日前にライコウを取り調べた衛兵だった。
「知り合い?」サファイアが尋ねる。
「まぁね。久しぶりだな。えーと……ジョークさん?」
「ジョクだジョク。人の名前を冗談みたいに伸ばすんじゃねーよ」
「悪い悪い。冗談さ。それで何か用か?」
ジョクはライコウと同じく馬車に寄りかかり、手にしていたサンドイッチを頬張った。
「……いや。たまたまお前の顔を見かけたから、ちょっと声をかけてみたんだ。ところで、今日も立派な鎧を着ているが、どこへ行くつもりだ? 樹海はまだ立ち入り禁止だろ」
「私たちは調査隊よ」
頭上からサファイアが代わりに答える。
「政府から委託された協会の樹海調査隊。知らない?」
「調査の……おー、おー」ジョクは相槌を打つ。「そういえばそんな話あったな。なんでも昨日から腕利きのトップランカーたちが樹海に立ち入った…………ってことは」
話の中身を理解したジョクは、突然サファイアとライコウを交互に見て、目を白黒する。
「お前らが……そのS、Aランカーの!?」
「俺は違うけれど、彼女はそうだ」
「へぇー! お前が壁を登った時からただ者じゃないと思ってはいたが……」
「壁?」
感心したように頷いて話すジョクに、サファイアが反応する。
「壁を登ったって、一体なんのこと?」
「ん、それは――」
「ああ、たいしたことじゃないんだ……ジョクさんは演習帰りか?」
と、彼女の疑問にジョクが答えようとしたところで、ライコウが話題を逸らそうと彼の肩に引っかけられたライフルを指差した。
「たいしたことだろう……まぁいい。その通り、俺も演習に参加した。と言っても、衛兵は全員参加だし当然なんだけれどな」
「なら少し尋ねてもいい?」
「なんだ? おっ、お前も数日ぶり。俺のこと覚えてるか?」
ジョクはサファイアの方へ見上げる。と、彼女の隣で顎を乗せ覗きこむハクを見つけ、彼は腕を伸ばし拳を嗅がせた。
「演習は何時になったら終わるの? 私達、四十分以上も待たされてるのよ……」
「それならあと十数分で終わると思うぞ。上のお偉方が新式のライフル……こいつな。これを正式に導入したらしくて。それでちょっとばかり時間がかかってるんだ」
ジョクは、肩に掛けていたボルトアクション式ライフルを二人に見せつけた。
銃床に組み込まれた七十セル未満の銃身に、あまり目立たないが弾倉が埋め込まれている。
「これまでのと何が違ったんだ?」
「装弾数が倍になった。と、連続射撃をしやすくなったな。慣れれば一分あたり二十発ぐらい撃てるが、他の部隊じゃ四十いった強者がでたらしい」
「それは凄い」
「だろ。ただ、対人サイズでこいつが有効でも、巨人相手では未知数だからな。《津波》発生時の雑兵向けだな」
ジョクの言った通り、それから十数分ほど経ってやっと演習が終了した。ぞろぞろと隊列を組んで戻ってきた部隊に合わせて馬車が動きだし、大門の下で彼らと入れ違いになった。
すれ違う兵隊たちの顔つきは、皆一様に疲弊と高揚感に満ちた表情をしていた。あまり行われない軍事演習で、多少なりとも士気が高まったようだ。
「それじゃ、俺は仕事があるからここでお別れだ」
馬車が門の表までやって来ると、一緒に乗っていたジョクが降りたった。
「ああ、また後でな」
「おう。お前たちの実力なら問題ないとは思うが、無事に生きて帰って来いよ。いくら仕事と言ったって、命あっての物種だからな」
「分かってるよ」
ジョクの言葉に、同意するように頷く面々を尻目にライコウは答える。
「……と、そうだ」ジョクは悪戯っぽく笑う。「帰ってきた時は、この前みたいに登るなよ? 今回は誰も慈悲はくれないからな」
「うるさい。余計なことは言うな」
そう素っ気なく返すと、彼は笑って持ち場に戻っていった。
「……ねぇ」
馬車が堀にかかる橋を渡り、目的地に向けて走り出した時、何か考えていたサファイアがそっとライコウに身体を寄せてきた。
「さっき彼が言ってたこと。あれって昨日貴方が言ってたことと関係ある?」
「ンー?」
「関係あるんでしょ」
「ンー、ナンノコトデスカネー? キオク二ナイナー」
そう惚けるライコウに、彼女は目を細め、意味ありげに薄く笑みを浮かべていた。
「ふーん、そこでしらばっくれちゃうんだ。いいわ。後で調べるから」
「……調べる?」
「そう。忘れた? 私はギルドの職員なのよ? 門の詰所に問い合わせてしまえば、分かることなの」
今の北門は軍人が多く出入りしているが、元は樹海と街を行き来する冒険者が多く出入りしていた。
ゆえに、北門の通行者たちの本人確認の簡略化などの為、ギルドと門の詰所は緊密な連携を取り、いつでも連絡しあえる体制が築かれてあるそうだ。
その仕組みを利用すると言うサファイアに、ライコウはそんなに気になるのかと呆れると、彼女は悪戯っぽく笑って見せた。
「二人にしか分からないことを、二度も目の前で見せつけられれば、ね。それと今は暇だし。それに私、面白そうな話には鼻が利くのよ」
「利かせなくていいよ、そんな鼻……」
「……良いから。さっさと話して」
「え。そっちからも?」
「逃げ場はないわよ。どうせバレちゃうんだし、さっさと話してスッキリしたら?」
意外にも、向かいに大人しく座っていたカーラからも促されてしまい、ライコウは潔く諦めた。その後事情を話し、調査隊の面々、特にファウストにイジられ更に笑われたのは言うまでもない。
それから一時間以上経った。
「着いたぞ~。みんな荷物を持つんだ」
昨日と同じ御者のおやじに言われ、一行は砂地に飛び降りた。
今回、彼らが巡回する調査範囲は、砂漠に面した樹海の西中部エリアだ。観測所まで最も近い地点から森に入るために、砂漠側を通ってきたのだ。
「準備はいいな? 今日は昨日のような目に遭わないよう地天ニヌルタに祈ろう」
「ラザ、神に祈ったって出るものは出るんだ。それよりも俺達の後ろに素早く隠れるように考えとけ」
ファウストの言葉に、それもそうだとラザとカーラは頷く。戦えない二人には、いかに邪魔にならないよう護ってもらうかが最重要だった。
最初の観測所は森に入ってすぐにあった。石積の小屋は蔦や苔に覆われていたが、中の機器には何も影響はないそうだ。
いつもの警戒監視の中、作業は順調に進み、昨日と同じくこのまま何も起きないのでは。と軽口を叩き合っていたのだが……
「誰だ? 『何も起きない』とか言った奴は……」
観測所の結界の外を眺め、面倒くさそうにファウストは呟いた。彼の視線の先には、結界をぐるりと囲む多くの腐人たちの姿があった。箱型に張られた結界に近づけないのか、遠巻きにこちらの様子を窺っていた。
(妙、なんだよな……)
ライコウは呻き声をあげる腐人たちを眺め、何に疑問を抱いたのか、つい先ほどの出来事を思い返していた。
それはつい五分前のこと。ラザがいつも通り作業終了を告げた時、それに合わせたかのように腐人が現れ、腐人を関知した結界が正常に発動した。
そこで彼が不可解に感じたのは、腐人が目の前に現れたその時まで、誰の探索スキル『索敵』にも彼らの存在を探知できなかったことだった。
探索スキル『索敵』は、探知範囲に侵入されれば確実に居場所を検知できるスキルだ。その範囲の広さには個人差があるが、最低でも直径二十ムールはある。
それでも腐人の存在を掴めずにいたのは、実におかしな話だった。
彼がそのことについて考えていると、腕を組んだファウストが近寄ってきた。
「ライコウ、こいつらは寄生魔か?」
「いや。ただの腐人だ。寄生魔じゃない。見てくれ」
指差された腐人たちはどれも軽鎧を着ており、見るからに冒険者だったようだが、今は生前どんな顔つきだったか窺え知れないほどに腐り、羽虫が煩く集っていた。
「ハエが集っているだろう? 邪魔はその身から瘴気を放つんだが、ただの虫にとって瘴気は毒ガスだから近寄ることはないんだ」
「なるほどなぁ。面白いことを聞いた。なら、ここはサファイアに働いてもらおうぜ」
「分かったわ。全部焼き払えば良いのね」
ファウストの言葉を受け、隣に立っていたサファイアは意気揚々と帯をほどき、大剣【焔】に魔力を流す。灼熱に赫いた【焔】をその手に、彼女が腐人の群れに突撃し、次々と斬り倒していった。
「おーおー、バッサバッサ燃えるなぁ。任せて大正解だったな」
呑気に観戦するファウストの言う通り、彼女ひとりに群がる腐人たちは、大振りに振るわれる一太刀の下、まとめ斬られて数を大きく減らしていた。
「終わったわ。あまり手応えなかったわね」
彼女は炎剣術の術技を使うまでもなく、ものの数分で退治してみせた。腐人は斬られたと同時に焼かれていったため、彼女の足下には黒く焼けた塊があちこちに転がっていた。
「お疲れさん。さて、次の観測所はここから北西を真っ直ぐ行ったところにある。さっさと行こう」
大剣を仕舞い戻ってきたサファイアを待ち、ラザは地図を広げて一点を指し示した。
地図には観測所を示すバッテンが複数点在していた。今回のエリア内では、ここから見て遠くにある北西の観測所と、少し近い北北東の二ヵ所が記されていた。
「おい、ちょっと待て」ファウストが指をさす。「こっちの北北東の方が近いじゃねーか。こっちから行かないのか?」
「こっちはほら、比較的砂漠に近いだろ? 逃げる時のことを考えて最後に回すことにした」
「あ~、なるほどな」ファウストは頷く。
「だとすると、今回は遠回りになるんですね?」
「そうだ。見ての通り、北西地点はここと三ヵ所目の間の道のりが長い。長い分だけ遭遇リスクも高まるが、仕方がない」
「なら、ひとつ僕から提案があるんですけれど」
五分ほどの話し合いを経て、一行はすぐに移動を開始した。その移動の際から、今後しばらくの間はハクを先頭に据えることとなった。
これを提案したのはネイサンだ。昨日のこともあり『耳や鼻が利き、戦闘能力が高いハクならば先頭が最適だ』とすんなり受け入れられた。
その判断が功を奏したのか、道中に狂化したリザードや赤毛猿に遭遇しても、ハクによって瞬時に倒されていた。
「うへぇ。お前の、とんでもないよな」
また新たに遭遇し、突進してきた一頭のドエディクルス――トゲのついたハンマーを尻尾に持つオオアルマジロ――を抑え、焼き殺したハクを目の当たりにし、ファウストは呻くような感嘆を漏らした。
「だろう? 俺もそう思う……よしよし」
仕留めたことを褒めて欲しいと、頭を押しつけてくるハク。そんなハクを撫でるライコウを見て、ファウストはそっと溜め息を漏らした。
「ん? なんだ?」
「いや……なんていうかな。そいつ、明らかにただの上位種じゃないだろ? ギャップだギャップ」
ただの上位種じゃない。そう言う彼の言葉はもっともだった。狂暴化した魔物を次々に瞬殺していく光景を目の当たりにすれば、誰もがそう思うだろう。
ライコウは、ハクが何者なのか知りたいか。とファウストに尋ねてみると、彼は手を横に振って断ってきた。
「言わなくていい。言わずとも、こいつが頼りになる奴だと分かれば充分だ。それに、俺は酔ったらペラっちゃうおっさんだからよ。それが元でお前に迷惑掛けたら申し訳ないからな」
昨日みたいに、酒を奢るだけとはいかんだろ。と肩を竦めて言うファウストは、再び先行するハクの後をついていった。
「やっと小屋が見えたな。ラザ、さっさと終わらせて来いよ」
「はいはい。あんたはあんたの仕事をしながら、ゆっくり休んでな」
こうして時々魔物に遭遇はしたものの、大きな戦闘には至らずに観測所へ到着した。一行はこれまで通り速やかに持ち場に散り、仕事を開始した。
◇◇
「ふふっ。いたいた」
そんな彼らから遥か遠くに立つ大樹の上で、手にした水晶玉を眺める少女の姿があった。彼女の傍らには仮面の紳士が控えている。
「さっきの腐人たちはアッサリ殺られちゃったけれど、予定調和よねぇ」
「申し訳ございません」
「あなたが謝ることではないわ。彼がぜーんぶ倒しちゃったもの」
ライコウたちを襲った寄生魔の器たちは、邪魔がせっせと拵えたものだった。しかし、ライコウの活躍によりその全てが消されてしまった。
そこで仮面の男は、仕方なく捨て置かれた腐りかけの死体を魔物化した、急拵えの腐人を用意した。少女の希望に沿わせる為だ。
「むしろ、あいつの苛立つ顔が想像できて小気味良いぐらいだわ」
と、今樹海に居ないとある邪魔の顔を思い浮かべ、少女はおかしそうに笑みを浮かべた。
薄汚い劣等種族の計画などに、彼女は毛ほどの関心を持たない。しかし、少女が関心を寄せる男によって、彼らが困った状態に至るのは、見ていてとても気分が良いと思っていた。
「ストゥー、アレの用意は?」
「出来ております」
「よろしい。ではさっきのように、彼らの仕事が終わり次第投入するのよ。いい?」
「は。仰せのままに」
仮面の男は頷き、その姿を虚空へと消した。
「さぁて。私からのもてなし、貴方たちはどう受けてくれるのかしら……ね」
可愛らしくも恐ろしい微笑みで、少女は水晶玉の中で映し出された一行の顔を――誰かと話すライコウの顔をじっと見つめていた。
◇◇
「よし、終わりだ」
約十五分の作業を経て、ラザは回収した資料をバッグに仕舞い始めた。ちょうど彼の背後にいたカーラも魔力晶石の交換を終え、一足先に小屋の表へ出ている。
「カーラ、皆に終ったと伝えてくれ」
「……分かった」
戸口に立っていたカーラの姿は消え、代わりに護衛者たちの元へ向かう彼女の足音が聞こえてきた。遠のいて行く足音を聴きながら、ザラはショルダーバッグを肩にかけ、目の前で吊るされたランプの灯を消そうとつまみを捻った。
「うおっ、うおおっ、おおおっ!」
ランプの灯りがボウッと消えた途端、ラザは大きな揺れに襲われた。横揺れとも縦揺れとも判断がつきにくいまでの、大きく激しい衝撃だった。
幸いアマダスの機器が彼に向かって飛んでくることはなかったが、よろめきながらも彼は慌てて外に飛び出した。
「っ! なあっ、だ……」
ラザの視界に飛び込んできたのは、周囲の樹々を激しく揺らし、かき分けるように現れた大きな大きな複数の人影――サイクロプスたちの姿だった。
ゆうに十ムールに届くだろうサイクロプスは、目が血走り、涎を垂らし、身体は体色と違う赤茶色の何かに染まっていた。苦しそうに吐き出される彼らの息は、牛乳が腐ったような悪臭をしている。
「おらあああ!」
しかし、彼が目にしたものは大樹のように立つ巨人の姿だけではなかった。
「ネイサン!」
「はい! 礫となって吹き荒れよ〈風霊の殻弾〉!」
次にラザの目に飛び込んできたのは、ネイサンが巨人たちに多数の砲弾を浴びせかけ、彼らが怯んだ一瞬の隙を突いてファウストとサファイアが飛び出し、猛烈で苛烈な攻撃を加えていた光景だった。
ファウストは満面の笑みで巨人の顔を殴り続け、大剣を涼しい顔で振り回すサファイアは、巨人の身体を縦横無尽に斬り込んでいく。そうして二人が攻撃を止めたとき、二体の巨人は既に息がなかった。
「なん……だってんだ……」
「ラザさん! 頭下げてください!」
「なあっ!?」
風を操り、大きなチャクラムを作り出していたネイサンが突然叫んだ。ラザは訳もわからず屈むと、彼の頭上を雷鳴を轟かせた巨大なハクが飛び越えていき、木立から現れた巨人に襲いかかっていった。
「…………!」
彼ら『巨人に対峙する者たち』の勇姿を目にし、ラザは口を開けて呆気に取られていると、
「ラザ!」
カーラの手を引いたライコウが駆け寄ってきた。二人の背後には、上半身のない巨人が膝をついて立っていた。
「ラザ! 今から結界を張る! 彼女と一緒に小屋の傍で大人しくしているんだ!」
土まみれのカーラをラザに押し付け、ライコウはすぐさま結界を張り出した。二重に張られた半球状の結界が小屋ごと彼らを包み込んでいく。
そこで、ようやくラザは自身の『索敵』の警報が鳴っていたことに気づいた。余りの突然のことで、頭が真っ白になり音が耳に入っていなかったのだ。
「な、何が起きたんだ!」ラザは思わず叫ぶ。
「巨人どもに襲撃された。だが安心してくれ。この強化型結界〈二重五芒盾〉は俺が死なない限り決して破られることはない」
彼は余裕を感じさせるように微笑み、腰に下げていた純白の鞘に手をかけ、魔剣【乾光】を抜き取った。剣身は虹色に輝いていたが、黒っぽいオーラを纏っていた。
「そこで大人しく待っていてくれたらいい」
そう一言告げ、彼は振り向き様に剣から強烈な斬撃の渦――闇魔術スキル『闇渦』を放った。
『闇渦』は滑空するように飛び、ネイサンに襲いかかろうとしていた巨人の両の脚を滑るように斬り裂いた。脚を失った巨人は、大きな地響きをたてて背中から倒れ込んだ。
「今度は僕の番です!」
痛みに悶え、立ち上がれないまま天を仰ぎ呻く巨人に、ネイサンが風魔術〈嵐の圧縮弾〉を撃ち込んだ。大きさニムール程の風の塊は巨人の懐で破裂し、吹き荒れる風刃となって巨人の腹や胸を切り裂いていく。
「やるじゃねえか! 俺も負けてらんねーな!」
血や内臓をぶちまける巨人を横目に、ファウストは目の前の巨人と拳をぶつけ合った。
当然、彼の拳は巨人のとでは話にならないほど小さい。しかし、拳を突き合う度に確実に巨人の方が仰け反っていく。力と硬さ、威力では遥かにファウストの方が勝っていた。
「いっちょ本気でやるか!」
驚いたことに、これまでの打ち合いは魔力を乗せていない素の力によるものだった。ファウストはものの数秒で魔力を練りあげ、全身に纏わせていく。
「これに耐えたら褒めてやる。食らえ! 爆砕大拳!」
振り下ろされた甘い攻撃を躱し、ファウストは地面を強く踏み込むと、巨人の片脚に強烈な一撃を加えた。
「ギッ……!」
直後、彼の拳に圧縮されていた魔力が衝撃とともに解放され、脚の表皮はそのままに、中身の筋肉が千切れ脚の骨が粉砕された。
「ギャアアア!!」
「ハッハッハー! なんだよカルシウム不足か~?」
巨人の悲痛な絶叫を聴きファウストは嗤う。弱い弱い話にならない! と言いながら、彼はグニャリと脚が曲がり地面に倒れこんだ巨人に、悠然と近づいていく。
「ヌアアッ!」
「おっと! あっぶねえ」
近づくファウストに、蹲る巨人はすかさず拳を振るう。しかし彼にあっさり躱されてしまった。
「ハハッ! やるじゃねえか!」
嗤うファウストは片脚に魔力を纏わせ、巨人を蹴りあげる。蹴りあげられた巨人は、その鈍重な巨体を紙風船のごとく中に浮かせ、後頭部から地面に激しく叩きつけられた。
「ブォッ、ハァッ……」
首が折れ、白目を剥き、動きが鈍くなった様子を眺め、ファウストは無情にも拳を高々と掲げる。
「安らかに……死ね」
彼は巨人の頭を粉砕した。
「さて、次はあいつと遊んでやるか!」
ファウストが他の巨人の元へ駆け寄った一方で、サファイアは巨人二人を相手に奮戦していた。
「ふっ、ふっ……」
交互に繰り出される拳や蹴りを、舞踊るように大剣を振るって受け流し、流れるように灼熱のカウンターを入れていく。
四肢を中心に、火傷にもなる浅い斬り傷を負わされた巨人たちが次第に距離を取るようになると、サファイアは【焔】を顔の横で水平に持ちかえた。
「この時を待っていたわ!」
彼女は赫く剣身をそっとなぞり、纏わせていた炎を一層激しく燃え滾らせる。
「擬の太刀 噛砕・双炎虎!」
大きく斜めに振り下ろされた【焔】から、一筋の、大きな炎の斬撃が飛ぶ。その駆ける斬撃は、たちまち二頭の炎の虎に姿を変え、左右にいた巨人たちに襲い掛かった。
狂化の影響で、避けようともしなかった巨人たちはその直撃を食らい、全身を紅蓮の炎に焼かれていく。
「グ、アアア! アギャアアア!」
「ガッ、ガッ、オアアア!」
腕を大きく振るって打ち消そうとも、炎の虎はまとわり付き、地に伏して転げ回ろうとも、齧りつくように取りついた炎は決して消えることはない。
そして炎に巻かれたままの巨人たちは、次第に抵抗が鈍くなり、吸い込んだ炎によって喉や肺を焼かれて絶命した。
「十時方向からくるぞ!」
「新手ね!」
巨人を追いかけるファウストから知らせを聞き、サファイアは森の奥から新たに現れた一体の巨人に向かって駆け出していく。
が、彼女の背後から、煙のようにもう一体の巨人が姿を現した。
「ライコウ!」
「任せろ!」
彼女の声に応じ、背後に迫るもう一体をライコウが炎魔術〈爆炎塊〉を放ち吹き飛ばした。吹き飛ばされた巨人は、現れたハクに喉元を咬み千切られた。
「ナイス! ありがとう!」
「ネイサンが復帰したら、サファイアさんは俺と交代して下がってくれ!」
「分かったわ!」
突然の地揺れと同時に現れた巨人たちと戦い初めてから、気がつけば二十分近く経っていた。次々に戦う四人の体感からすればもっと長いものだが、結界内にいるラザが、手持ちの懐中時計を確認したのだから間違いないのだろう。
「ギルは……」
「おらおらおらぁ! どうした! 本当にそんなものかぁ?」
襲撃時に倒された結界の柱の向こうで、ファウストは一体の巨人の両脚を砕き、もう一体の巨人を殴り飛ばしていた。
満面の笑みである。とても楽しそうだった。しばらくは彼の交代の必要はないと言って良さそうだ。
「残るは……」
これまでの戦況は、やや混戦気味になりながらも互いにサポートし合い、それぞれが交代することで善戦を維持していた。
特に、戦う三人の姿を様子見て、ライコウが前に出たりサポートに走り回ったりと、戦況に応じて立ち位置を柔軟に変えていたことが大きく影響していた。
前衛、後衛のどちらにも成れる万能タイプで、且つ体力魔力ともに三人を上回っていたからこそ出来る変わり身だった。
今は魔力の補充を図るネイサンに代わって後衛を務めている。
「そこかッ!」
ライコウは『索敵』で得られた残る巨人たちの位置を睨み、小屋の背後に現れた巨人に向け〈アイテムボックス〉から取り出した魔槍【翠玉尖】を投げつけた。
投げられた【翠玉尖】は風を纏って勢いを増し、吸い込まれるように巨人の眼球を貫通、眼底を突き破ってそのまま脳にまで達した。そこへ間髪入れずに、ライコウは【翠玉尖】を触媒に風魔術スキル『風突』を発動、巨人の頭部を弾け飛ばした。
「ぎゃひっ! 汚い!」
飛び散った肉塊が結界にぶつかり、近くにいたネイサンの頭にその一部がついた。彼は顔をしかめ、肉を素早く取り除く。
「ぶふっ……」
「ちょ、なに笑ってるんですか」
「あ~悪い悪い。ところでネイサン、今ので何体目だか分かるか?」
「え? 仕留めた数ですよね? えーっと……今ので十二体目ですね」
「十二体目……ハクは四体仕留めたのか」
ライコウは新たに銀槍【炎蒼】を取りだし、炎を纏わせる。
「ネイサン。動けるか?」
「ええ、大丈夫です」
ネイサンは頷き、すっくと立ち上がった。ライコウから受け取っていた中魔力補填剤を飲んだことで、彼の魔力はじゅうぶんに回復したようだ。
「よし、これをサファイアさんに渡してくれ。彼女が回復したらギルにこっちを。任せた」
ネイサンに〈アイテムボックス〉から取り出した数本の薬品を預け、ライコウはサファイアがいる方向へ走り出した。
◇◇
「ふふふ。うふふふふ。あははははは!」
遥か離れた大樹の上で、はしゃぐように細足をばたつかせ、黒のワンピースドレスの少女は笑っていた。心の底から楽しんでいる。そう思わせるほどに大笑いしていた。
「なかなかやるわね! あの状況で、ここまで戦えるなんてまったく思わなかったわ。ふふ、なんて最高の見世物なのかしら!」
「お気に召したでしょうか。お嬢様」
いつの間にか控えていた仮面の男が、少女に淹れたての紅茶を用意していた。彼の近くで紅茶セットが浮いている。
「ええ、とっても! ねぇストゥー。サイクロプスは残り何体いるのかしら?」
「お嬢様、今彼らが相手をしているのが最後です。このあたりに居たものはもうおりません」
「そうなの? ざ~んねん」
少女は皿に並べられたクッキーを掴み、小さな口の中へと放り込んだ。
「……まぁ良いわ。ここで彼らを死なせてしまったら、私が思いついた最後のサプライズが台無しになるものね」
彼女はライコウが巨人に大穴を穿ち、ハクがその首を噛み砕く光景を眺めながら、再びクッキーの皿に手を伸ばした。
「そうだ……彼らには私を愉しませた褒美として、次のサプライズまで身の安全を保障してあげる……というのはどうかしら。どう思う?」
「慈悲深き良いお考えでございます」
「ふふふ。そうでしょ? ならそのようにして。お願いね?」
「は。仰せのままに」
終始畏まる仮面の男からカップを受け取り、少女は小さな唇をそっとつけて紅茶を飲み込んだ。
「ん。美味しい。さすが私の執事ね」
「ありがとうございます」
「ふふふ」
上機嫌な少女は引き続き水晶玉を覗きこむ。水晶玉には、戦闘をひとしきり終え、逃げるようにその場から立ち去る一行の姿が映しだされていた。
◇◇
最後の観測所までの道中は、魔物の姿どころか気配もなく、先程までの喧騒が嘘だったかのように静まり返っていた。
「ふぅ~。良い汗かいたぜ」
ハクの後ろを歩くファウストは、汗を拭い、飲み干した中回復薬が入っていた青い瓶の底を覗きこんだ。
「これがビールだったら最高だったんだがな~」
「そうね……」
「お、どうした? なんだかやけに大人しいじゃねえか。疲れたのか?」
「ええ、少し」
戦闘による高揚感が引き始め、サファイアの身体には徐々に疲れが押し寄せてきていた。ファウストと同じく中回復薬を摂取していたが、それとは別の、脱力感にも似た感覚を感じていた。
「そうか。ま……しばらくは戦うことはないだろうし、じっくり息を整えとけ」
「そうね……え?」
そんな二人の後方、ラザとカーラの更に後ろにてライコウとネイサンは肩を並べて歩いていた。
「ライコウさん。さっきのことで、ひとつ気になっていたことがあるんですが」
ネイサンは周囲を警戒しながら、ライコウの方に顔を近づけた。
「なんだ? 『気になったこと』って」
「はい。あの、ああも巨人が次々と現れるなんて、おかしくないですか? 実は僕たち、待ち伏せされていたんじゃないでしょうか」
当初、現れた巨人の数は八体だった。しかしその後も巨人たちはとめどなく姿を現し、最終的には倍以上の二十体にまで膨らんでいた。
偶然巨人に遭遇し、偶然ほかの巨人を呼び寄せたにしては、あまりにも不自然すぎた数だった。
「あり得るな」ライコウは大きく頷いた。「あのタイミングを図ったような襲撃は、ぜんぜん人為的なものだったと、今にしては思えるよ」
「やっぱり。そうですよね」
「ただし、『待ち伏せる』と言っても少し意味合いが違うな。腐人が現れた時にも同じ疑問を感じていたが、あの戦いのなかで答えを得られたよ」
「答え? 何ですか?」
眉をひそめるネイサンに、ライコウは告げる。
「作業後すぐに襲撃してきた巨人や腐人たちは……恐らくすべて召喚されたものなんだよ」
先の戦いにおいて、ライコウは探索スキル『索敵』の不可解な反応と、不可思議な巨人の出現を確認していた。
サイクロプス・ディグは、基本的に地上あるいは地中を移動する。
そして彼の『索敵』は、どちらの手段を取ろうとも必ず反応し、また岩陰・木陰に身を潜めようとも必ず見つけ出せていた。
それが先の戦いでは、巨人たちはなんの前触れもなく現れた。遠方から移動してきたのでもなく、あらかじめ隠れていた訳でもいない。何もないところから、突然巨人の反応が降って湧いたのだ。
探索スキル『索敵』に掛かることなく、何もないところから突然姿を現す。これが出来るのは変装スキル『隠匿』を用いるか、召喚魔術以外に該当する方法はなかった。
巨人は狩猟の技術を心得ようとも、魔術スキルを習得できるほど知能は高くない。また『隠匿』は発動者自身にのみ適用され、他者にこれを適用させることはできないスキルだ。よって、この『隠匿』を用いた可能性は限り無く低い。
「だから召喚……ですか?」
「ああそうだ。召喚ならば『索敵』に行動を探られることも、直前まで気取られることもない。それにあの戦いのなか、煙のように巨人が現れた光景を何回か見たんだ」
「僕は見ていませんので何とも。ただ、それを抜きにしても現状考えられる中では、とても可能性が高いですね」
後で二人にも訊いてみましょう。と言いながら、
「ですが、あれほどの数を自在に召喚するなんて、邪魔に可能なんですか?」
「最上位の邪魔ならあり得るが、今はそんな者はいないから無理だろうな。しかし……」
ライコウは途端に顔つきを変えた。彼のそんな様子を見て、ネイサンは唾を飲み込んだ。
「しかし悪魔族、なかでも上位に含まれる者なら可能だ。悪魔は魔人族を上回る魔術の使い手。その上位者の彼らなら、巨人を複数同時に召喚する程度造作もない」
悪魔族は魔術にかなり長じていた。それは彼らが超常の力をもつ、超常の存在だからだ。魔法や魔術といった技術が生まれる遥か以前より、その力を行使していた彼らにかかれば、魔術など赤子の手を捻るより簡単なものだった。
そんな悪魔の中でも、上位に位置する者――伯爵クラス以上の悪魔は、複数の召喚に耐えうるだけの魔力をじゅうぶんに持ち得ている上、連続して召喚する高度な操作を行える高い知性を備えていた。
「複数召喚を可能にするなんて、にわかには……」
「相手は超常的な種族……魔族だ。人間の常識を当てはめるものではないよ」
魔術を学んだ者ならば、二体以上の同時召喚がいかに術者の身体に過負荷を与えるか、最悪どんな事態を招くのか。その危険性を容易に想像できた。
だからこそ、ネイサンにはそれを可能とする上位の悪魔族に戦慄した。
「ということはこの森に、いる……んですねよね」
「ああ。だが、いるだけならまだ良いさ」
ライコウは天を見上げる。天井を覆う茂みの隙間から真っ青な空が見え隠れしていた。
「最悪なのは、俺達がそいつからすでに目をつけられていたってことだ」
本日最後となる観測所は、樹海の外苑から一キロも離れていない場所にあった。この近さならば容易に森から脱することが出来るだろう。
ただし、敵が森から出ないとは限らないので気休めにしかならないが。
「……その話は本当なの?」
「本当というか、あくまでも仮説ですよ。これまでの状況から導き出しただけです」
「でも、彼がそうだと言ったんでしょう? なら間違いないわ。この後も襲撃が来る」
ラザたちが作業に取り掛かっている間、サファイア人はネイサンから『上位の悪魔族に目をつけられた』話を聞いていた。
彼女もまた、巨人が煙の如く突然姿を現した光景を目撃していた。だからこそ、その話をすんなり受け入れることができた。
「はい。僕もそう思います」
「なら、気を引き締めなければいけないわね」
「ああ、でも、ライコウさんは『たとえ襲撃があると分かっていても、あまり緊張することはないよ。いつも通りにしていればいいんだ』って言ってましたよ」
ネイサンは、ライコウの口調を真似ながら言われたことを話した。変に動くと、相手に気付かれるかもしれない。ともライコウは言ったのだ。
「ネイサン、結構似てるわよ。それ」
「へへっ、そうですか?」
彼は反対側に立っているライコウをちらり見た。彼はファウストと何か談笑をしている。
「……バレてないですよね」
「後で本人の前でやってみたら?」
悪戯っぽく笑って提案する彼女に、ネイサンはブンブンと首を振っていた。
作業が終了し、一行は駆け足気味に速やかに森を脱した。幸い砂漠への道中には、瘴気が漂うほかに魔物の類いはなく、足止めされることはなかった。
「「はぁ~……」」
森を一気に抜けて外苑に出ると、一行は一斉に大きく息を吐いた。作業の終了に伴った度重なる襲撃で、今回も何かあるのではと、一同は緊張しきりだったのだ。
「無事に森から出れたし、もう大丈夫なんだろ?」
滲み出た冷や汗を拭い、ラザは半ば安心した顔をしている。しかしライコウは首を振った。
「まだ安心するのは早いさ。ここから馬車のいる地点まで距離がある。それまでに襲われないという保障はないし、油断するには早い」
「心配性だな……だが、こいつの言う通りだ。気ィを引き締めて行こうぜ」
ファウストの言葉に一同は頷き、馬車のいる方向へ歩き出す……が。
ビィー…ビィー…ビィービィー…
『索敵』の警報が鳴り、一行に緊張が走る。
「巨人か!」ファウストは小鼻を膨らませる。
「いや、どうだろう」
ライコウは視界に入る『索敵』の情報に注視する。
大きな反応だ。敵の数は一体、百ムール以上離れた地点にいる。動きはかなりゆっくりだが、真っ直ぐこちらへ向かっているようだ。
(……巨人じゃない?)
反応は『索敵』の鑑定範囲内にいるが、種族名の表示はない。つまり、彼がこれまで遭遇したことのない、未知の魔物であると意味していた。
「俺の『索敵』では、巨人ではない何かだと出てるんだが、サファイアさんの方は何か分かったか?」
「えっ、もう?」サファイアが驚く。「私のはまだ鑑定範囲に届いていないから……それにしても貴方のって広いのね。やっぱり魔力が多いから?」
探索スキル『索敵』の感知範囲には、個人差があるが魔力量に比例して広くなる傾向にある。この中ではライコウが最も索敵範囲が広く、次いで龍人であるサファイア、魔術士であるネイサンが後から続いた。対して最も狭かったのはカーラだった。
「そんなところだ。他の皆はどうだ?」
と、他の四人にも尋ねるも、皆一様に届いていないとのことだった。そこで鑑定範囲に入り次第、何でもいいから報告し合うことが決まり、一行は駆け足で外苑を南に下った。
「……こうして黙々と移動していると、嫌でも聞こえてきますね」
小さいが、森の奥の方から樹々が強引に倒される音が聞こえてくる。かなり強引にこちらへ迫って来ているようだ。
「この森の樹木は太い幹ばかりだ。それをなぎ倒せるってことは、かなりの大物に違いねえだろうな」
「今日は何て日だ……」
「ははっ! ラザお前、何情けない声上げてんだ。魔物と戦ってるのは俺たちだぞ」
「分かってるさ。感謝しきれん」
「感謝だ? そんな暇があったらもっとペースを上げろよ、オラ」
それからしばらく走り続け、ようやく一行は二騎の騎士を連れた馬車の元に辿り着いた。森にいるあの魔物の反応は、いつの間にかピタリとその動きを止めている。不気味なほどに微動だにしない。
「つ、ついた~……! もう動けないです……」
辿り着くやいなや、ネイサンは倒れ込むように座り込んだ。他の面々も同様に息が上がり、特に板金鎧を着ていたサファイアとライコウは汗だくになっていた。
「あんたら、今日は一体どうしたってんだ?」
「ちょ、ちょっとな……疲れた……」
馬車の車輪に寄りかかり、そう力なく答えるラザに御者や騎士たちは首を傾げながら、一行が馬車に乗り込むのを手伝った。
「ほら、そこに水の入った樽がある。自由に飲んでくれていい」
「おやじさん、今すぐにでも馬車を動かしてくれないか? 頼む」
「ああ、分かった。もちろんだとも」
ライコウに真剣な顔つきで言われ、御者はすぐに馬車を動かした。馬車は次第にスピードを上げていき、彼らがいた場所からどんどん遠のいていく。
「ライコウさん。あの魔物は?」
「動かない。もうちょっとで索敵外だ」
あの魔物の反応がライコウの索敵範囲外に脱すると聞き、一行は大きく息を吐いた。
「これでもう大丈夫だよな。これで心置きなく……」
休める。そうラザが口にだそうとした時、事態が一変した。
VGIIIGYAAAAAA――――!!!
樹海の中から、この世のものとは思えない大絶叫が轟いた。そしてその大絶叫を皮切りに、太鼓を激しく打ち鳴らすような地響きが、外苑を沿って移動する馬車たちを襲う。
「ななな、なんだあ!?」
御者は慌てて手綱を操る。馬たちが驚いて暴れかけたのだ。
「来たか! おやじさん、もっとスピードを、もっと飛ばしてくれないか?」
御者に速度を上げるよう促し、ライコウはファウスト、サファイアとともに馬車の後部へと移る。彼らの視線の先には、土煙を上げる喧騒の森が広がっていた。
「結局誰の『索敵』にも分からず終いだったがよ……」
「ええ、これで分かるわね……」
樹々をいとも容易く薙ぎ倒し、地響きを轟かしながら闊歩する魔物。そんな化け物が、森を突き破るようにその姿を現した――――。
「っ! で、でかいな……おい」
その化け物の正体は、小山の如く大きいイノシシだった。その体高はおよそ二十ムールに届くだろう巨体だ。
しかも最悪なことに、巨人と同様に目が血走り、涎を垂らしていた……。
「あれは山巌大猪! なぜ災害級がここに……!」
解析スキル『鑑定』から得られた種族名を目にして、ネイサンは顔が真っ青になった。
(巨人だったらなんとか相手にできたけれど、あれは絶対に無理だ。あれは絶対に相手にしてはいけない魔物だ――……)
「あ……あの……」
と、冷や汗を垂らすネイサンは周囲を見渡した。御者のおやじも、護衛の騎士たちも、馬を走らせながら姿を現した山巌大猪に釘付けとなっている。
「「…………」」
他の面々も同様だ。ライコウら三人は、武器に手をかけながら険しい顔つきで山巌大猪を見つめ、ラザとカーラの二人にいたっては『生きた心地がしない』と顔に書いてある。
ただ唯一、ハクだけが嬉しそうに尻尾を振っていた。好物を見るような目をしている。
「ど、どうしましょう……」
「『どうしましょう』って……ありゃあ、駄目だろ。あんなのが突っ込んできたら、幾らなんでもひとたまりもねえ」
「全くだ。今は分が悪い。ここはアイツが動かずに居てくれることを願うしかないな……」
遠ざかる一行を、一点に見つめてくる山巌大猪。山巌大猪は猛牛の如く前足を掻き、今にでもこちらへ飛び出して来そうな雰囲気を漂わせていた。
「とてもそうには見えないわね……」
「…………」
威圧する大猪を睨み付けながら、ライコウはどう動くべきか思案していたが、
「おっ? おっ? アイツ、森の方へ引っ込んで行くぜ? 戻れ、戻れ戻れ」
ファウストの言う通り、山巌大猪は踵を返している。あまりの巨体でうまく戻れないのか、周囲の樹々を巻き込むように薙ぎ倒していたが、次第にその巨体を樹海の奥へと暗ましていった。
「ふぃ~。今のは、ち~と肝が冷えたぜ」
「全くよね。私達、運がいいのかも……」
「ああ……」
ずるずるずると。脱力したように座り込む二人を尻目に、ライコウは山巌大猪が引き返した森をじっと見つめ続ける。と、
(あれは……!)
ライコウは大猪が後にした場所に姿を表す人影を見た。彼はすかさず強化スキル『望遠』を発動し、その人影を捉えた。
(男……いや、あれは……)
彼が見たのは仮面の男。燕尾服を着た仮面の紳士だった。男はライコウに向けて丁寧に一礼すると、煙のようにその姿を暗ましていった。
長くてすみません!




