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封印の神器アラストル  作者: 彩玉
一章 樹海騒乱
23/29

23.手合わせ

「おいネイサン。お前、どっちに賭ける?」


 ファウストは長椅子に腰を落ち着け、隣に座るネイサンに声をかけた。ネイサンを挟んだ向こう側には、神妙な面持ちのサファイアがじっと正面を見つめている。


「どっち……って。そんなことよりも、さっきの態度は何なんですか? あんなのいつものギルさんらしくないですよ!」

「あん? あれか。あれは頼まれたんだよ」

「頼まれた?」ネイサンは眉をひそめる。「頼まれたって、いったい誰に。何を?」

「決まってんだろ。あいつに、出来るだけ素っ気なくしろって言われたんだよ」


 唸るように語るファウストは視線の先――だだっ広いグラウンドにぽつんと立つ三人のうち、藍色の髪をしたひとりを指差した。



 ライコウは広い闘技場の中に立っていた。彼の目の前には、にんまり笑うエメラルドが腕を組んで立っている。

 そして他の四人――サファイア、ネイサン、ファウストら三人は観客席に座り、エリシアは立会人としてライコウたちのちょうど真ん中あたりに立っていた。


「……なんか、うまく乗せられた気がするんだが」

「ははっ、今更気づいたのか?」


 してやったり。と得意気に笑うエメラルドに、ライコウはやや呆れるも、つられて笑ってしまう。


 先刻のエメラルドの提案により、すぐにでも実行に移そうということで、とんとん拍子に話が進んでしまっていた。そして気がつけば、エリシアの先導でサウス商店ギルド会館の一室から王立闘技場に移動してしまっていた。


「まったく……」


 先ほどまでのやり取りのうち、どこからどこまでが演技だったのか。仕組まれたものだと判った今でも、ライコウには未だ見当がついていない。


(それにしても……広いな……)


 ライコウはぐるりと周囲を見渡す。八万人を収容できるという観客席には、見知った三人以外に誰もいない。だが、がらんと空席となった観客席だけでも、じゅうぶんに彼を圧倒していた。


 この王立闘技・競技場は、軍の宣伝・士気向上・鍛練促進と、市民の娯楽の場として、二代前の王が建設したという楕円形のコロシアムだ。

 現在では改修に改修を重ねて、観客席の頭上に遮光幕を張り、夏場は涼しく、冬場は暖かい風が吹き込まれるよう魔術による空調が備えられている。また、闘技場内でドラゴン級の魔物が大暴れしても、観客席に被害を全く及ぼさない頑強な魔術結界を施しているという徹底ぶりだ。


 その特別な施設をこうもあっさりと貸し切っている辺り、エメラルド個人の影響力の大きさと、用意周到な仕事ぶりに笑うしかなかった。


「これがウン百年も支部長の椅子を守る英雄さまの力か。恐れいったね」

「確かにそうですが、正確には違います」


 エメラルドに向かって言うでもなく、独り呆れたように呟くライコウに、エリシアは首を振って即座に否定した。


「これは私が手を回して用意しました」

「そそ。俺はこんな面倒なことはしないし、させないよ」

「どういうことだ?」

「俺はうちの訓練場で良いと言ったんだが、彼女が任せてくれって聞かなくてさ」


 と、肩を竦めて言うエメラルドに彼は驚く。

 すべてエメラルドの悪ふざけで仕組んだものだと思っていたが、それは会議の場までのことだったらしい。

 エリシア曰く、エメラルドの名を理由に挙げて借りはしたが、全ては彼女自身の個人的な繋がりを用いて得られたものであり、彼は直前までどこを借りたのか知らなかったというのだ。


「なぜそんなことを?」

「支部長と貴方の手合わせでは、私たちの支部の訓練場を破壊しかねませんから」

「そんな……手加減ぐらいしますよ。ただの手合わせですし」


 何を大袈裟なことを。と笑うライコウに、エリシアは再度首を横に振る。


「思いっきりやって頂かないと困ります。ギルバートの言う通り、今この場にて貴方の実力を明らかにしなければいけません。それに、せっかくエメラルドがぼこぼ…………彼はここ最近運動不足ですし、これが良い運動になるかとも思いまして」

「なぁ、エリシア。今、俺がぼこぼこになるとか言ってなかった?」

「言ってません。……そんなことよりも」


 苦笑いで尋ねるエメラルドに、毅然とした態度で否定するエリシアは後ろを振り返る。

 彼女から後方二十ムールほど離れた先には、観客席でまだかまだかと苛立つように立ち上がるファウストが「とっとと始めろー!」とか「いつまで待たせる気だー!」とひとり野次を飛ばしていた。


「皆さんお待ちかねのようです。さっさと始めてしまいましょう。……ライコウさん」


 彼女はライコウの傍にまで近寄ると、彼にそっと小さく囁いた。


「是非、彼の苦戦する姿を見せて下さいね。貴方の守護者との戦い、楽しみにしています」


 そう言ってにこっと微笑むエリシアは、颯爽とその場から離れ観客席へと歩いていく。そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、ライコウはずっと気になっていたことを口にする。


「……この際聞くが。エメラルド、お前エリシアさんにどこまで話した?」


 未だ近くにエリシアが居るにもかかわらず、聞かれても構わないとばかりに、ライコウはある確信を持って素の口調に戻した。

 それは、出会った直後から今ここに至るまで。彼女がライコウ自身について何か知っていると匂わす言動から、今更エメラルドとの関係を隠す必要はなさそうだと判断してのことだった。


「どこまで……って何が」

「俺に関してのことだ。彼女から聞いたぞ。お前から『色々と聞きいた』ってな」

「ああ、そのことか。なに、べつに大したことは言ってないさ。『ライコウは俺が成人する前からの親友だ』と言ったぐらいだ」

「……信じたのか?」


 ライコウは多少、信じられない気持ちで彼に尋ねる。事実、エメラルドが言う通り、彼が成人する前後からの――およそ五百年以上の長い付き合いがあった。

 通常、その長い年月を過ごせるのはエルフや龍人などの長寿族のみ。外見上ではただのヒューマンに過ぎないライコウが、五百年以上の長きに渡って生きてきたなどと信じてくれる人は、彼が知る限りほんの一握りだった。


「信じたさ。もちろん、聞かされた最初の時こそ驚いていたよ。半信半疑だった、とも言えた。だがお前が()()にかかっていると言ったら、納得してくれた」

「そんな説明で信じるとは……」

「ま、この国は大陸中と言わず、他の大陸からも色んな奴が集まる商業大国だ。俺も彼女もギルドを通して色んな事情、特殊な事情を抱えた人を何人も見知っている。その中には、お前ほどじゃないが似たような奴が居るもんさ」


 エメラルドは、シャツの裾を肘まで捲り、肩をぐるぐると大きく回す。シャツの上からでも分かる筋骨隆々の太い腕も相まって、端から見ればずいぶんと威圧的な準備運動だった。


「そんなことより、そろそろ始めないか?」


 そう告げるエメラルドはフッと笑うと、身体の一部が同時に白っぽい光に覆われた。

 瞬時に掻き消えた光から現れたのは、腕・胴・脚を覆う鈍色の軽鎧と、腰に差された浅く反り返った黒鞘。収められているのは刃渡り七十はありそうな刀だ。


「その刀……」

「おっ、見てみるか?」


 エメラルドは嬉しそうに刀を引き抜く。浅く反った刀身に走る波打つ波紋が美しい。光に反射した刃の、見る者を鋭く突き刺すような煌めきの中に、氷のような冷たさを感じられた。


「これは【龍切】という。十年前、アフマール港にいた源の商人から手に入れたんだ。何でも龍鱗を歯こぼれなく切ってみせた業物らしく、極東で造られた実戦向けの刀だそうだ。良いだろう?」


 むかし極東にいたとされる侍のように、エメラルドは滑らかに【龍切】を振るう。ただ振るっているだけだというのに、刀はヒュンヒュンと見事に空間を斬り裂いていた。


「極東か……まだ刀剣を造っていたとは」

「買ったは良いが、なかなか使う機会がなくてな。お前との手合わせが無かったら、もう暫く寝かせるところだった……。それで、お前の得物はなんだ? まさかとは思うが、素手で俺に勝とうなんて言わないよな?」

「素手? 馬鹿な事を言うな。の俺でもようやく勝てたぐらいだ。今なら尚更無理な話だ」


 そう言ってライコウは肩を竦ませながら、瞬時に装備を整えた。

 エメラルドが軽鎧を着用したのに対し、彼は鎧らしいものを一切着ようとはせず、代わりに指先から前腕部を覆うガントレットのみを装備し、身の丈以上ある銀槍【炎蒼】を手にしていた。


(……ガントレットだけ、だと?)


 ピクリと眉を動かしたエメラルドは、彼が何の変哲もないガントレットのみを装備したことに、若干の不審感を抱く。しかし、ライコウが手にする総金属造りの【炎蒼】を目にした途端、彼は完全に意識をその銀槍に切り替えた。


「ゲッ、槍かよ~! しかもまた伝説レジェンド級か」

「そうだ。お前の【龍切】は特有ユニーク級だし、ちょうどいいかと思ったんだが」


 この世界にある余多の武具は、夥多品・希少品の二種に大別されて、さらに普通ノーマル級、特有ユニーク級、伝説レジェンド級、古代エインシェント級、神話ミストラル級という五等級に分類されている。

 普通級を除くすべては希少品に属するが、中でも最も流通量・現存数が多いのが特有級、伝説級の二種類の武具だ。


 この特有級・伝説級の武具には、個々の性能面に差異はあれど、『伝説級だから上、特有級だから下』などというのはない。製作した工房や時代背景、用いられた素材によって分別されているだけに過ぎず、性能面に関しては大差はない。

 だが、一部の古代級、神話級の武具に限っては著しい格差が生じているとされていた。


「…………」

「?」


 ライコウはこの状況下において、〈アイテムボックス〉に収められた手持ちの中からベストな武器を選択したつもりだったが、何故だかエメラルドは不満気だった。


「何だ。なんか文句あるのか?」

「まぁ……なんだ。こっちは刀を出したんだ。せめてそこはショートかロングだろ」

「ああ、そういうことか……。力負けすると分かっていて、俺が同じ土俵に上がるかよ。盾を持っていないだけでも有難いと思え」


 エメラルドには、『剣には剣、槍には槍』と、勝負においてちょっとした拘りがある。もちろんその拘りは稽古などの場合のみであって、実戦では持ち出さない。あくまでも彼の“遊び”だった。

 そんなことをすぐに思い出したライコウは、やれやれと小さく首を振り、【炎蒼】を静かに構えた。


(さて、今回はどうしようか……)


 エメラルドは、世界に散る龍人族のなかでも、間違いなく指折りの実力者だ。

 龍人特有の豪腕に加え、数百年に渡って鍛え上げた剣術の技量と豊富な経験の前では、たとえ災害級カラミティの魔物であろうともいとも容易く倒される。


 今回に限らず、ライコウとエメラルドの二人は過去に何度も稽古相手として手合わせしてきた。勝敗の数は正直言って覚えていない。

 だがエメラルドの戦い方をよく知る彼としては、できれば長くは戦いたくない相手だと言えた。彼に対して何らかの策を講じ無ければ、本気を見せられた直後に敗北するだろう。


 ライコウは【炎蒼】を強く握りしめる。

 

「いつでもいいぞ」

「分かった。エリシア!」


 エメラルドの呼び掛けに応じ、観客席に立つエリシアは片腕を高々と上げる。


「手合わせを始めて頂く前に、お二人には、二つほど制約させていただきます。その二つを固く守って下さるのなら、この場において何をなさっても構いません」


 彼女の言う制約とは、次の通りだ。


 ひとつは、二十分ほどの制限時間を設けること。教会との約束の時間までには、未だじゅうぶんに余裕があるそうだが、このコロシアムを貸しきっていられるのは四十分の間だけで、長々と戦ってもらっては困るそうだ。

 そしてもうひとつは、互いに不殺であること。これはあくまでも、ファウストを始めとする護衛者三名に実力を見せる為の『腕試し』であって、決して『決闘』ではない。当然の話だ。


「……以上のことを破る、またはお二人のうちどちらかが負けを宣言する、倒された状態で十数えるうちに戦う意思を見せなかった者を敗者と致します。いいですね?」


 エリシアの同意を求める声に、エメラルドとライコウの二人は同時に頷く。


「それでは―――はじめっ!」


 彼女の降り下ろされた合図の直後、八相に構えていたエメラルドの姿が霞む。六ムールほど離れていた二人の間を、彼は一瞬にして詰めより斬りかかって来た。


「ふんっ!」

「ふっ!」


 エメラルドの上段からの一撃を、ライコウは槍を下から振り上げるように払い、これを退ける。魔力によって強化された、互いに増幅された剣圧が衝突し合い、極小規模な爆発を伴いながら、周囲に衝撃波が吹き荒れていく。


「はあっ!」


 舞い上がる塵ごと引き裂くように、鋭く繰り出されるライコウの薙ぎ・叩き・連突きを、エメラルドはことごとく打ち弾く。そしてほんの数秒のうちに、十数度の打ち合いを重ねていた。


「はああっ!」

「ぐっ!」


 火花散り、荒れ狂う粉塵の中、エメラルドの右からの渾身の斬り払いによって、ライコウは闘技場中央へ弾き飛ばされた。

 が、弾き飛んだ彼は空中で身を翻して着地、笑みを崩さないエメラルドに【炎蒼】の穂先を向け、左上段に構える。


「ふ……相変わらずの馬鹿力だよ、お前は……」

「はははっ。この程度で音を上げる気か? コウ」

「そんな訳ないだろ。ただ、対人がかな~り久しぶりなだけ……さっ!」


 ライコウは開けられた十五ムールもの間合いを、歩術スキル『瞬進インスタント』で一気に詰めた。彼は流れるように間髪入れず三突きを繰り出し続け、エメラルドの動きを徐々に封じていく。


「ふぬぁあっ!」


 後退しながら刀を盾に辛うじて流し、防ぎ続けていたエメラルドは、身体の右脇に逸れた【炎蒼】を強引に地面に叩きつけ、その際に巻き上げられた土煙に紛れ、忽然とその姿を消した。


「(どこだ……)……っ!」


 神経を研ぎ澄ましていたライコウは、瞬時に身体を反転、彼が現れるであろう背後へと【炎蒼】を凪ぎ払う。直後、金属が打ち合う高い音と、手に伝わる大きな振動が彼の腕を伝って身体の中を駆け抜ける。


「おっと。よく分かったな」

「はん。これぐらい誰だって分かるわ」


 キチキチと甲高い音を響かせながら、槍と刀が震え凌ぎ合う。本気を出さずとも、互いに全力を出していた。顔合わせと言えども、相手のギリギリを責める。手抜かりなどしない。


「るああっ!」

「くっ!」


 エメラルドは【龍切】で受け止めた槍を押し払い、懐に飛び込み斜め下段から斬り上げる。対するライコウは咄嗟に柄で防御、間合いを空けるべく斬撃を左右に躱して隙を突くように薙ぎ払う。

 間一髪屈んで避けてみせたエメラルドは、藍色の髪を数本削いでいった【炎蒼】に構わず前に出る。地面を這うように走り、目の前の両脚を斬り落とそうと刀を横一線に薙ぎ払う。


「おお、危ねっ!」

「ちっ……」


 胴から脚へ、彼が狙いを変えたと直感したライコウは、歩術スキルで空高く跳躍し回避した。


「はあああっ!」


 彼は自身の落下に合わせて、舌打ちするエメラルドの頭上目がけて【炎蒼】を振り下ろし、全体重を乗せて叩き込む。


「ぐ……!」

「潰れろっ!」


 脳天に穂先が斬り込まれる直前、エメラルドは刀を掲げ、斬撃を受け止めた。が、より一層強く力を込められた槍に圧されていく。ついには彼の両足が地面にめり込み、大地は蜘蛛の巣状に亀裂が走った。


「この程度で……潰れはしない!」


 エメラルドは気合いを入れ、ライコウごと強引に跳ね返した。


「おらあっ!」

「っ!」


 ほんの一瞬。防ぎ切った! と思ってしまった彼の隙を突き、ライコウは槍術スキル『回転薙ぎ』を発動、着地と同時に【炎蒼】を振り払い、槍の柄をエメラルドの胴にめり込ませ、観客席目がけて弾き飛ばした。

 弾き飛ばされたエメラルドは、抵抗することもなく直線的に十数ムールも飛び、さらに数ムール跳ねるように転がって大きな音を立てて壁に激突した。



 ◇◇



「うわああ……」

「ヒューッ! 良いね~。なんだか俺も混ざりたくなってきた!」

「…………」

「父さん……ライコウ……」


 眼前にて行われている激闘に、観客席で見つめる四人の反応は様々だった。


 ネイサンは手に汗握って熱中し、ファウストははしゃぐように興奮し、エリシアはじっと見守るように静観し。

 そしてサファイアは、同じ剣を握り戦う者として目の前の戦いに心躍らせながらも、同時に二人の手加減なしの戦いに心配するなど、胸中では複雑な思いを抱いていた。


「ライコウさんって、調教師テイマーだとか、魔道士だと言うからてっきり僕と同じかと思ってましたけれど、全然違いますね!」


 目にも留まらぬ速さで槍を自在に操り、エメラルドと攻防を繰り広げる姿に、しばし熱中していたネイサンは考えを改める。

 ネイサンの目には、ライコウは後方支援型の魔術士というよりも、完全に接近戦闘型の槍使いだと映っていた。


「確かにな……おっと!」


 先程まで、エメラルドに弾き飛ばされていたはずのライコウが、意趣返しとばかりにエメラルドをうち飛ばす光景にファウストは目をみはる。

 人形のように飛んでいくエメラルドの姿に、静観を決め込んでいた流石のエリシアも、前のめりに身を乗り出していた。


「すごい。これがあの人たちの本気ですか」

「いいえネイサン。これは小手試しよ」

「エリシアの言う通りだ。ライコウの方はどうだか知らんが、支部長ギルマスの方は違う。ありゃ完全に遊んでらあ」


 ネイサンの感嘆に、それは違うと二人は異口同音に否定する。ネイサンを除く三人の目には、エメラルドがまだ本気を出していないと強く確信していた。


「どうしてそう言えるんですか?」


 サファイアは、この場で唯一気づいていないであろうネイサンに語りかける。


「……父はまだを見せていないのよ」

「技? ……あっ」


 何か思い出したネイサンに彼女は頷く。


「そう。私の家に代々続く剣術。グラディウス式を、ね」

「それじゃあ、支部長はサファイアさんと同じ炎熱系の技を使うんですね?」

「ううん。私と父は扱う属性が違うわ。それに、グラディウス式は属性によって流派が異なるの」


 彼女やエメラルドが体得しているグラディウス式戦闘術は、火・水・土・風の四大属性、剣か格闘かによって流派が最大八つに分かれる特殊な流派だった。

 ゆえに、ひとつにグラディウス式と言っても、彼らが見せる型や技はどれも様々で、熟練者ともなれば型にはまらない独自のテクニックを身につける為、より一層複雑化している。他所の流派からは千差万別流とも言われていた。


「知っている通り、私は炎熱系、つまりグラディウス流炎剣術。そして父は――――」


 と、彼女がエメラルドの取る剣術にいい及んだところで、事態が一変する。彼ら三人の周りに、五月にしては肌寒い冷気が漂い始めたのだ。


「あれ! 見てください!」


 ネイサンが指差す先には、いつの間にか立ち上がり、身体についた土埃を払うエメラルドの姿があった。彼の持つ刀からは、刀身に沿って発生した大量の水蒸気が地面を覆うように這っている。


「万凍術……」

「えっ?」


 ボソリと呟いたファウストに、ネイサンは思わず聞き返す。


「技を出す気だ。やっこさん、氷漬けにされるぞ~!」

「ええっ、氷漬け……ぶふっ!?」


 俄然面白くなってきた! と微笑むファウストの言葉を聞いて驚くネイサンに、大きく吹き乱れた冷気が直撃する。

 冷気の発生源であるエメラルドが、【龍切】を軽く振って衝撃波を散らしていたのだ。遠目でも分かるぐらいに彼の足下には霜が降りていた。


「さ、寒い……」

「はっはっはっ。だらしないな!」


 両腕を擦って寒がるネイサンに、ファウストは意地悪く笑う。そして彼は、対するライコウがどんな反応をしているかと視線を移した。


「ん? なんだ?」


 ファウストの目には、じっと槍を構えたまま動かずにいるライコウが、妙に揺れているように見えた。彼を含めた周囲の光景が、ゆらゆらと歪み揺れている。


「これは……」

「ギル」

「なんだ? エリシア」


 不意に声をかけられたファウストは、視線だけを残してエリシアに意識を向ける。前の座席に座る彼女は、彼の方に振り返って微笑んでいた。


「さっきの賭け、私も混ぜて貰ってもいいかしら」



 ◇◇



 観客席側の壁に激突した後、何事もなかったようにエメラルドは立ち上がった。

 一見、彼は派手に弾き飛ばされていた。が、彼は身体への衝撃を最小限に留める“ある行動”を取ったおかげで、身体のどこにも怪我はなく、大して痛みを感じることもなかった。


「あいつ……直前にを出しやがったな……」


 打たれた脇腹を擦ることもなく、ピンピンしている彼の姿を見てライコウは悔しげに呟く。

 彼の放った渾身の『回転薙ぎ』の威力は、今のエメラルドほどともなれば、痛みで身動きしづらくなる程度のものだ。しかし、常人が受ければ躰がくの字にひしゃげての即死、良くて内臓破裂の重体を負うほどの重い一撃だった。


 そんな彼の攻撃をほぼ無効化して見せたのは、エメラルド個人の能力『鱗化』によるものだった。

 鱗化とは、皮膚を超硬質な龍鱗に変質する龍人特有の特殊な能力のことだ。その能力は龍人の中でも『角あり』によく見られるが、ごくまれにエメラルドのような『角なし』でも発現できる者がいた。

 龍人の鱗は魔鋼並みの硬質度だ。それを全身に纏えば天然の鎧と言えた。エメラルドは短時間の変質という制約の下でも、自在に発現することが出来た。


「上手く距離を開けられたようだな……」


 エメラルドはぐるりと探すように視線を巡らせ、ある姿を捉える。それは、彼に向かって両手を見せるエリシアの姿だった。


「もう半分か……そろそろ始めるとしよう」


 彼は周囲に漂う土埃を振り払うと、手にしていた刀【龍切】に魔力を注ぎ込む。【龍切】はエメラルドの魔力を受け、刀身の冷たい輝きを一瞬強くしたかと思うと、静かに表面が凍りつき始め、水蒸気に混じり冷気を放出し始めた。


(始まったか……)

 

 ライコウは、目の前で起きた異変に警戒するように目を細める。

 今までは言わばウォーミングアップ。今から互いの持つ技をぶつけ合う、本番が始まるのだ。


「すぅー……ふぅー……」


 ライコウは穏やかに呼吸を整えると、エメラルドの動作ひとつひとつに意識を集中させる。彼の扱うグラディウス式は、特別気が抜けない剣術だった。


 グラディウス式戦闘術は他流派と同様に、魔術を発動する為に必要な詠唱を、刀剣を用いた型に置き換える『略式化』と、魔術・物理の双方の攻撃を一つのものにした『魔刃一体』を体現している。

 だが、グラディウス式では型のみならず、何気ない動作ひとつ、呼吸ひとつまでを型に組み込んだスタイルを採用していた。


 また、エメラルドは水の状態変化、とりわけ凍結化を自在に操るグラディウス流万凍術の使い手である。彼の動きひとつでも見逃せば、たちまち身体のどこかが凍結し始める。文字通りの命取りになるのだ。

 

 依然として刀を振るい、広範囲に振り撒いていたせいか、冷気は二十ムール以上離れているライコウの元にまで流れ、彼は程よい涼しさを感じていた。今の季節は夏ほど暑くないにしろ、闘技場に注ぐ陽光は強く熱い。

 その点だけを考えれば、今のエメラルドは人間冷房機と言えただろう。しかし、彼の行動には理由あってのものだった。


「少し冷えてきたな。こっちも用意するか」


 ライコウは手にする銀槍【炎蒼】に魔力を流し込む。すると、まるで導火線に火がつくように、銀槍を螺旋に刻む溝に赤い光が迸った。その光が穂先にまで到達するや否や、銀槍がメラメラと青い炎に包まれる。

 名に冠する【炎蒼】の通り、銀槍は炎熱系の能力を持った槍だった。 


「エメラルド、終わったか?」


 エメラルドの周囲が目に見える形で凍結し始め、刀の発する冷気がじゅうぶんに浸透した時。準備の終了を見計らっていたライコウは、ここぞとばかりに呼び掛けた。


「おう、終わった。待たせてすまんな」

「構わないさ。お前のお陰でじゅうぶんに涼めたからな」


 むしろ涼しくなければこの槍は扱えない。と、ライコウは燃え盛る【炎蒼】を見せつけるように振るう。エメラルドと対極的に、彼の周囲は熱で陽炎現象が引き起こされていた。

 【炎蒼】が纏う炎は魔力によるもので、触れても火傷こそしないが、伴う熱は本物とちっとも違わない。暑いなかで振るうには、躊躇するぐらいの高温を帯びている。


「暑そうだな」

「暑い。だからとっと終わらせよう」


 そう言いながらも、ライコウはより一層火力を強くする。でなければ、足元に忍び寄る凍てつく冷気が、彼の革靴を中身ごと凍らせかねなかったからだ。

 何気ない会話の傍らでも、彼らの攻防は既に始まっていた。


「だな」


 エメラルドは笑って【龍切】を構える。

 彼は身体の中心に沿うように刀を真っ直ぐ立て、そのままゆっくりと前に倒し、地面に垂直に刺さるよう刀を固定した。


(くる……)


 ライコウはいつでも動けるよう、【炎蒼】を中段よりやや上に構え、脚を肩幅以上に広げ腰を下ろした。


「では行くぞ」

「…………」


 彼の一言を合図に、二人は互いに互いを刺すように睨み合う。鋭く張りつめた緊張が、遠くから彼らを見つめる四人にもしっかり伝わっていた。

 今にも第二戦の戦端が開かれる。そう誰もが感じるなか、エメラルドが思わぬことを口にした。


「ところで聞いたんだが……」

「……?」

「お前、サファイアを口説いたそうだな」

「は……」


 は? と。ライコウが思わず集中を解きかけたその時。エメラルドから嵐のような暴風が吹き荒れライコウを襲った。

 触れた全てを凍り尽くしてやる。そう思わせる吹雪から更に彼に追い討ちをかけるように、【龍切】を振り上げた地点から、猛烈な勢いで生まれた氷柱がライコウをぐるりと囲み押し潰した。


 ここまでかかった時間はたった三十秒。二十ムールという距離が空かなければ、更に短時間でライコウを仕留めただろう。

 逃れる暇すら与えなかった攻撃を前に、観客席にいた四人は息を飲む。勝敗は決した。誰もがそう感じていた。だが……


「おいおい。誰が誰を口説いたって?」


 雪が満遍なく被った、青く半透明の巨大な氷柱が内側から爆散する。とその直後に、氷の粉塵を突き破って現れた巨大な炎の塊が、エメラルドに向かって複数襲いかかってきた。

 氷柱に押し潰されていた筈のライコウが、意趣返しとばかりに火魔術〈炎爆塊フレアランプ〉を放ったのだ。しかし、迫り来る複数の〈炎爆塊〉を、エメラルドの極寒の冷気を纏う【龍切】の一振りによってことごとく打ち消される。


「惚けるな。あの子の手をとって、『美しい』と囁いたそうじゃないか。……殺す」

「待て待て! 確かに言ったが誤解だ! そんなんじゃない!」


 本気だ。そう思わせてしまうエメラルドの容赦のない氷雪の猛攻に、ライコウは【炎蒼】を目一杯振るってこれを凌ぎ続ける。


「問答無用!」

「ちっ……仕方ない!」


 ライコウは四方八方から襲い来る氷塵の斬撃から逃れるべく、漂う氷礫の中を駆け抜ける。

 頭上より現れた斬撃を叩き斬り、彼の背後を狙って地面から突き出した氷柱を薙ぎ払ったところで、風魔術〈竜嵐トロンベ〉を発動、尚も執拗に襲いかかる氷雪を、彼を中心に発生した竜巻によって一挙に吹き飛ばした。


「人の話を聞かない親バカには灸を据えてやる!」

「言ったな? やれるものならやってみろ。ま、どうやろうとも、今の俺には敵わないだろうがな!」


 そう言って刀を振るうエメラルドに合わせて、再び四方八方から斬撃が飛ぶ。だがライコウは槍を回転してこれをすべて斬り砕いて見せた。


「頭に乗るのもほどほどにしておけよ」


 彼は目の前で【炎蒼】を高速回転する。燃える槍の回転によって高温の熱風が生まれたところで、ライコウは火・風混合魔術〈火炎ファイア扇風渦トルネード〉を発動、迫る斬撃や氷柱の全てを飲み込み、炎の扇風がエメラルドに向けて突き進んだ。


「面白い! だがそれだけか?」


 エメラルドは〈火炎・扇風渦〉を迎え打つべく上段に構える。【龍切】の刀身は蒼白く輝き、周囲に漂う氷礫をその身に収束させていく。


 彼は、ここに至るまで一度もその場から動こうとはしなかった。それはこのコロシアム内に充満する冷気を変幻自在に操れることで、敵がどんなに離れていようとも、必ず攻撃を加えられるからだ。

 独り稽古をしているかのように、剣をただ振るうだけでも、遠隔地の敵の前で水蒸気が収束、大きな斬撃となって襲いかかる。

 場の支配・掌握を主眼に置くグラディウス流万凍術の真髄とも言える姿だった。


 そんな万凍術の使い手エメラルド・グラディウスは、自ら一歩また一歩と、三十ムールもの直線距離を翔る炎の渦へ悠然と歩み寄った。


「ふん!」


 炎が残り五ムール迫ったところで彼は立ち止まり、渦を割くように力強く【龍切】を振り下ろした。直後、あれほど燃え盛っていた炎が一瞬にして凍結した。

 炎を氷に変えながら、炎の渦を辿るように急速に凍結していく。この炎が魔力が形を変えて生まれ出たものではなかったら、到底見られなかった現象だった。


「まだまだ!」


 炎が氷に呑まれていく。そんな驚きの光景を目にしながらも、ライコウはまだ諦めようとはしなかった。

 彼は〈火炎・扇風渦〉を発動し続ける傍ら、さらに最上級火魔術〈紫炎塊ヘルランプ〉を背後に複数展開する。


 火魔術〈紫炎塊〉は、同魔術〈火炎弾ファイアボール〉の系統の中でも最上級に位置していた。先に出した〈炎爆塊〉の三段階上だ。


「あ、あれは〈紫炎塊ヘルランプ〉!」


 この〈紫炎塊〉の出現に焦ったのは、水蒸気を蒸発させまいと自身の近くに掻き集めていたエメラルドではなく、観客席に座っていたネイサンだった。

 〈紫炎塊〉の灼熱の光によるものと違った、嫌な冷や汗を吹き出しながら、目の前のことに呆気にとられるファウストやサファイアの腕を掴み揺さぶる。


「大変です! 大変ですよ!」

「落ち着けよネイサン。何が大変なんだ」

「あの〈紫炎塊〉が大変なんです!」


 ネイサンは必死に複数個宙に浮かぶ紫の塊を指差した。

 色は紫と暗く、決して眩しくはないというのに、遠く離れた四人の肌を間近でジリジリ炙っているように錯覚してしまうほど熱く燃え盛っていた。


「以前に一度だけ見たんですが……あれは上位火魔術、火炎塊ランプの系統の中でも最も危険な魔術なんです。もしひとつでもあの氷塊に接触したら……コロシアムが吹き飛ぶかもしれない!」

「えっ!」

「それが複数だなんて。それに……たぶん特有ユニーク伝説レジェンドの武器……に魔力を注ぎながら、複数の上位魔術を略式で何度も発動して、尚且つ同時に行使するなんて。とても人間業じゃないですよ。何なんですかあの人……」


 困惑にも似たネイサンの感嘆に、話を聞いていた三人はライコウの方へとみやる。

 相変わらず槍を回転させ続けたままで、とても彼の表情が読み取れる光景ではなかった。それでも、心なしか彼にはまだ余力が残されているように見えた。


「……って戸惑ってるところじゃなかった! 副長! あの人たちを止めて下さい!」

「あと二分待って」

「そんな流暢に時計を確認しないで下さい!」


 懐から出した懐中時計を眺めるエリシアを、ネイサンは肩を掴んで強く揺さぶる。普段、彼女に臆した態度をとっていた彼とは思えない行動に、サファイアはようやく深刻な事態なのだと実感した。


「副長、やはり……」

「あっ」

「え……」


 彼女もエリシアに進言しようとした矢先、闘技場内で一際大きな爆発が起きた。

 ライコウが全ての〈紫炎塊〉を放ち、これをエメラルドが氷の斬撃で打ち消す。これまでの攻防と同じ流れの中で、立て続けに四回もの大爆発が起きたのだ。


 だが、ネイサンが言うほどの被害は引き起こされることはなかった。

 それは、コロシアム内に張られた上級結界によって衝撃が抑え込まれただけではなく、爆発直前にライコウが複数発動した〈竜嵐〉によって衝撃を上空へ逃がしたのが大きかった。


「やられた!」


 嵐のごとき上昇気流が止み、視界が晴れたことで、エメラルドはライコウが『何を狙っていたのか』に気付き地団駄を踏む。

 彼が目にしたのは、手合わせをする以前と同じ、カラリとした光景だった。


「まだ終了の合図はされていないぞ」

「っ!」


 間一髪、前に飛び込むようにして背後からの攻撃を躱したエメラルドは、地面を転がりながら、にんまり笑うライコウの姿を捉える。

 どうやら、エメラルドでさえ身動きできなかった嵐のなかを彼は難なく移動していたようだ。


「参ったな……いつの間にいたんだ」


 そう言って地べたに座るエメラルドは、呆れたように笑った。


「まだやるか?」

「いや」


 小さく首を振るエメラルドは、観客席へと顔を向ける。視線の先には、観客席からグラウンドへと降りる四人の姿が確認できる。


「なんだ、もう時間切れか」

「どうやらそのようだ。今回の手合わせは『分け』ってことで」

「……まったく、仕方ないな」


 ふっと。疲れたように笑うライコウは、差し出された手をとり彼を引っぱり上げた。

 そして二人は、久々に行った手合わせの余韻に浸りながら、四人の元へ歩いていく。


「そういや、さっきの話なんだが……」

「許さん」

「いやいや違うから。あれは同じく武術を体得した先人、先輩として褒めただけだから」

「許さん」

「他意は全く、まったく無いから」

「ゆるさーん」


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