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封印の神器アラストル  作者: 彩玉
一章 樹海騒乱
18/29

18.金蘭の友

 支部所の正面エントランスは、窓から斜めに射し込まれた陽の光が白い床で反射し、室内を広く明るく照らし出していた。

 だが昨晩の様子とうって変わり、受付近くにいる人の数はまばらで、フロアの中で見える範囲すべてが閑散としている。あの煩く賑わっていた酒場も今では大人しい。


 いくら巨人騒ぎの影響だとはいえ、ここはメソスチア界隈で活動する冒険者たちの拠点だ。たった一晩を経て、こうも人の数が減りすぎるのは、流石にどうもおかしい。

 ここにいたはずの大勢の冒険者たちは、自身が泊まっている宿にでも引き籠っているのだろうか。それとも、朝はだいたいこんな状態なのか。


 受付を通り過ぎ、奥にある二階へと続く階段に向かうところで、ライコウは先を行くサファイアに訊ねてみた。今日は流石に人が少なすぎるんじゃないか、と。


「ああ、それはね……」サファイアは階段の手摺てすりに手をかけながら、「今朝までに大勢他所に移ったのよ」

「他所に?」ライコウは首を傾げる。

「そう。南部のアフマールとか、東のポタモスとか。あちこちね」

「そっか……ん、でもたしか……」


 確かすべての城門では、人の出入りを規制するとの発表が昨日あったばかりだ。規制が敷かれているなか、大勢の冒険者たちが、ぞろぞろと街を出ていけるのだろうか。


「そうね。北門を除く三つの大門では、一日に出入りできる人数とか商隊の規模を制限してるそうよ。開門中の時間も、いつもより短めにしてるみたい」

「だろうね。巨人が北門以外を、とりわけ反対側の南門を襲うとは思えないが、用心に越したことはないだろうし」

 彼女は頷き、「どの門でも混乱は起きていないそうだけど、いつもより混んでいるらしいわ。それにあっちは商人優先だから、冒険者その他はなかなか通らせてくれないの」

「そうなのか。ならどうやって?」


 二階に上がると、サファイアは廊下に出てすぐにとある一室を指し示した。階段のすぐ隣にある大部屋だ。開け放たれた部屋の扉には、『転移室』と表記され、部屋のなかには長机に受付と書かれた紙を貼りつけただけの簡易な受付と、部屋の中心にある円堂が目に入った。

 一階とは違い、この部屋にはまだ人が多くいた。職員に従って、冒険者たちが円堂前で順番待ちをしている。


「だからこそ、ここにある転移室で他所の支部へ向かったの。この部屋は昨日から一般冒険者向けに開放しているわ」

「ということは、あの円堂が転移装置か……」


 彼が立っている場所から見て、あの黒い円堂はこの部屋にあまり似つかわしくないように思えた。彼の()()、支部長の趣味だとは思えなかった。

 黒い円堂からは、色は異なるが見覚えのある光が漏れ出ている。空間系魔術<転移ノ陣>が放つ魔力の粒子だ。


 この魔法陣は一度でも設置してしまえば、独りでに最寄りの地脈から発動に必要な魔力を引き出し、半永久的に稼働し続ける。ただ、常時発動型なために、不用意に踏み込めば、そう遠くはないどこかに飛ばされてしまうことがあるのだ。

 そこで、そのような事故を防ぐために、円堂の脇にあるような操作盤で制御するのが一般的だ。決してこっそり宝箱に仕込むような代物ではない。


 ライコウは納得し、彼女の後を追うように再び階段を上るも、ふと思いついたように疑問を口にした。


「……でもよく許したよな」

「えっ?」とサファイアは聞き返す。

「ふつう、近々起きるかもしれない《津波》を前にして、少しでも戦える人員が欲しいだろう王政府がさ、この街から戦闘員が流出するような真似を見過ごせるはずがないだろう? いくら常備軍がいるとしても、数は多くないしな」


 この世界中のどこの国でも言えることだが、国家が抱える常備軍というのは、必要最低限を満たす程度で、あまり多くはない。それは軍事部門というのが、成果に対して余りにも費用がかかり過ぎるからだ。

 一部の国や地域を除いて、過去の世界大戦から多くをかえりみた数多あまたの国々は、外交と経済に重きを置き、平和的な協調関係を優先している。とりわけ商業でもって国を成し、東アラスチア同盟の結成を主導したメソルド王国が最たる例だった。


 だからこそ、たとえ冒険者であろうとも、十万近くの魔物の群れに対処できるのであれば、戦闘員に加えるのは当然だ。

 軍人と違い冒険者たちは自由意思だが、多額の報酬に加え、報奨金もでる討伐戦イベントに飛びつかない者はいない。腕に自信のない者や、非戦闘系の者でも、後方支援などの役割が充てられる。損より得の方が多いのだ。


「だから不思議に思うんだよ。こんなに人が減っているのに、よく何もしないなぁ、と。ふつう街から出さないだろ。

 それに数十年に一度の一攫千金イベントがあるってのに、よく出ていくよな……」


 と、言って疑問に眉をひそめる彼に、一攫千金イベントって……と彼女は苦笑いしながら、


「確かに私は大勢と言ったけれど、大勢といっても全体の三割ぐらいよ」

「三割!? 多いような……」

「待って、まだ話の続きがあるの」と制し、「その三割のうちのほとんどは()戻ってくるわ。なぜなら樹海に接する支部を拠点とする冒険者の多くは、協会を介して地元政府と契約しているのよ。『非常時には必ず政府に協力する』という限定契約をね」

「限定契約? 通常の依頼とは違うのか……」


 サファイアが説明するには、一度きりの契約や随意契約を交わす通常の依頼と異なり、『非常事態』においてのみ発効する契約があるのだそうだ。

 これは《津波》関連に限定しており、拠点登録した冒険者が拠点支部の指揮下に入ることで、地元行政から直接様々な融通サービスを受けられる仕組みらしい。これは《津波》の報酬とは別だそうだ。

 また、この契約を正当な理由なく反古ほごにすれば、『信用なし』の烙印が押され、拠点登録は抹消、行政サービスや登録していた支部の利用が出来なくなる厳しいペナルティがあるらしい。


 この契約を踏まえた上で、彼らは外出を許されたようなもので、これまでもペナルティを避けるべく必ずといって良いほど戻ってくるそうだ。


「そして残りは私も含めてここに残るわ。ここの街は他所よりも物が揃っているから、あまり離れたくないのよ」

「なるほどな~。今はそんな制度があるのか。はそんなもの無かったぞ……」

「前?」

「あ、いや……なんでもない」


 さあ、支部長のところへ行こうか。と彼女を促しながら、口を滑らしたライコウは誤魔化した。

 実は彼が知っていた以前の頃――彼が現役の冒険者をしていた頃の《津波》発生前の対応は、そんな生易しく、丁寧なものではなかった。戦える者は半ば強引に、強制的にでも参加するよう地元政府や軍から『命令』され、街から一歩も出られないよう街中に閉じ込められていた。

 当時は身の安全を考慮して、危険な城外に出さない保護目的のためだと建前を言っていたが、完全に人手を逃がさない為の強制措置だった。報酬は今のと同じく歩合制だが、特典とかサービスなんてものは全くの皆無。むしろ劣悪な対応だった気さえする。


(今の世代はだいぶ尊重されているんだな~……)


 ライコウは、もうすぐ着くというサファイアに引き続き案内され、三階へと続く階段を上りきり、更に長い廊下を歩きながら胸の内でしみじみ思っていた。

 契約という形で行動に足枷をつけているとはいえ、彼の知る過去のものと比べれば、現在のものはだいぶ自由度が高く感じられていたのだ。


 それは彼が冒険者業を引退し、現在にいたるまでの長い間に、各冒険者支部の歴代支部長たちが、各政府に改善するよう相当の働きかけを行った努力の結実だった。

 その働きかけを行ったうちの一人が今、彼らが向かう廊下の先にいた。



 ◇◇



 転移室の真上に位置する、人の多い大部屋の前を通り過ぎ、ふたりは長い廊下の行き止まりにある扉の前に行き着いた。扉には『支部長執務室』と表記された金属板が貼り付けられている。


「……ようやく会えるのか。楽しみだな」


 と言うライコウの言葉に、サファイアは笑みを浮かべ静かに扉をノックした。


「はーい。誰だ?」


 扉越しにくぐもった声が聞こえる。太い、知った男の声だ。


「サファイアです。ライコウさんをお連れしました」

「おう。入ってくれ」


 支部長の言葉を受け、彼女はライコウを部屋に通すよう扉を押し開き、中へ入るよう促した。

 部屋に通された彼が目にしたものは、高級そうな家具や調度品が品よく配置されたクラシカルな内装だった。


 床に敷かれたアラベスク紋様の大きな絨毯に、ひじ掛け椅子とソファに囲まれた黒檀のテーブル。壁に掛けられた風景画や、様々な本がギッシリ詰まった本棚が目に入った。

 そして、その部屋の正面奥。書類が乱雑に積み重なった仕事机デスクの向こうで、路地に面する南側の窓を背にして立つポロシャツを着た男が、彼に向かってにこやかに笑いかけた。


「君が、ライコウ君だね? ()()()()()()。私がこの支部を預かるエメラルド・グラディウスだ」

「はじめまして。俺はライコウ。ライコウ・クラッカートと言います。御会いできて光栄です」


 ふたりは同時に差し出された手を握りしめ、固く握手しながら微笑み合う。すると、エメラルドはライコウ越しにサファイアに視線を向けて、


「そうだ。……サファイア」

「はい。なんでしょうか」

「今ちょうど紅茶を切らしていてね。申し訳ないが取ってきてくれないか?」

「はい。分かりました」


 と、エメラルドは彼女にそう用事を言いつけて、ライコウとふたりで、今入ってきたばかりの扉から出ていく彼女の後ろ姿を見送った。

 部屋から離れていく彼女の足音が無くなるのを待ってから、エメラルドはライコウに向き直る。彼は万人に向ける愛想笑いから、特別親しい者に向ける親しみの込もった微笑みに変わった。


「さて……まさかこんな時に、こんなところで再び会えるとはな。()()……」

「ああ。とても驚いたよ、エメラルド。久しぶりに会えて嬉しいよ」

「俺もだ」


 ふたりは嬉しそうに互いの肩を抱き合い、背中をパンパンと叩いた。まるで長年遠く離れ離れとなっていた、全く会えずにいた兄弟に再会したかのような、そんな親密ぶりを見せていた。


「コウとはいつぶりだったか?」

「そうだな……新国王の即位式典のとき以来じゃないかな」


 言われてエメラルドは自身の記憶を遡り、ああ! あの時か、と思い出したようで、


「知ってるか? あの後、が無くなったんだぜ……」

「知ってるよ。もうも前の話だろ。まさか俺たちが出席したあの式典の三十年後に国が倒れて、隣国に吸収されるとはな……」

「諸行無常って、ああいうことを言うのかって思ったぞ……」


 そんな昔話を交えた雑談をしながら、ライコウは促されるがままにソファに座ると、エメラルドはテーブルを挟んで向こう側のひじ掛け椅子に座った。


「で?」エメラルドはやや驚いたように訊ねる。「……お前なんで苗字変わってるんだ? 偽名か」

「はあ? なんでだよ。偽名なわけないだろ……」


 想定していた質問とは異なるエメラルドからの予想外の質問に、ライコウは明からさまに呆れる。


「ふつう、何でこんなところにいるんだ? とか訊くだろ。まったく、相変わらず変なところに気づくなおまえは」

「いやいやいや。変なところに気づくのは、お前の方だろ……」


 と言いながら、エメラルドは腰を落ち着けるべく座り直す。


「そりゃあ、色々訊きたいことはあるさ。だがお前がクラッカートなんて名乗るからよ、会ったとき一瞬他人の空似かと」

「俺は養子に入ったんだよ。『クラッカート家』はその養子先だ」

「養子だ? なんでお前が……」

「色々あるんだよ。色々とな」


 エメラルドはどうも腑に落ちないといった表情をしていたが、ライコウはそこで切り上げるように話題を変える。


「だいたい、俺だってお前に訊きたいことはある」

「なんだよ」

「サファイアさんのことだ。……いつ娘なんて出来たんだ。俺に知らせないなんて……水臭いぞ……」


 ライコウが一番気になっていたことは、多くいる友人知人の中でも、数少ない親友の一人であるエメラルドに、娘が出来ていたことを自身に報せてくれなかったことだった。だいたい、娘が出来たということは、結婚をしていることになる。彼は結婚すら知らず、当然式に呼ばれもしなかった。

 彼は別に怒っている訳ではない。少なくとも百年以上経っているのだ、今さら怒るのはおかしな話だ。それよりも今は寂しさが先に立っていた。なぜ報せてくれなかったのか、という疑問もだ。


 ライコウは多少からかい気味に、わざと機嫌を損ねたように眉をひそめるのに対し、エメラルドは申し訳なさそうにしながらも、反論する態度を取った。


「……申し訳ないとは思っている。だが別に故意に知らせなかった訳ではなかったんだ。そこは誤解しないでくれ。俺は結婚する時も、娘が生まれた時も、お前が働く研究所宛に手紙を出したんだ」

「手紙? どういうことだ……」


 思いもよらない言葉に彼は首を傾げる。彼の覚えている限り、故郷に居着いてからは手紙など一度も受け取ってはいなかったのだ。


「それはいつといつの時だ? もしかしたら……」

「いや、記憶違いじゃないさ。手紙は送り返されてきたんだ」


 ちょっと待ってくれ。と言うと、エメラルドは自身の仕事机デスクに戻り、がさがさと引き出しを漁り何かを持って彼に差し出してきた。白い封筒だ。


「見てくれ。ここに消印が押されている」


 手渡された二つの封筒には、確かに消印が押されていた。聖暦一七八五年五月と、同暦一七八七年三月。今から二三〇年前と二二八年前の消印だ。


「……お前、結婚してすぐに作ったのか」

「うるせえ。我慢出来なかったんだよ。……そんなことより分かっただろう? 俺は嘘はついてない」

「ああ。別に疑ってないさ。それに、これで手紙が俺の元に届かなかった理由も分かった」

「? どういうことだ?」


 エメラルドは眉をひそめて彼に訊ねる。対するライコウは、呆れたように首を振りながらこう断言した。


「うちんとこの王家の嫌がらせだよ」


 ライコウは押されていた消印の年月日を一目見て気がついた。昔起きたトラブルの時期にちょうど重なっていたのだ。


 今からおよそ二四〇年前、彼が勤める魔道研究所とファヌム政府は――正確には彼の上司である大先生と、当時の国王の間には大きな確執があった。

 当時は現在のように権力が限定されたものではなく、絶対王政に近いものがあった。そんな背景の中で、研究所が抱える数多の技術について、王政府がすべて差し出すよう『命じた』のだが、大先生はこれを一蹴したのだ。


『いけ好かない小僧ごときが、この私に命令するとはいい度胸ね。良いわ。教えてあげる。ただし、あなた自らが地べたにひざまずいて、私の爪先にキスをするのが条件よ。ふふ、この私に口付け出来る幸運に感謝なさい』


 と、当時の国王宛に立体映像で映し出せる特殊な手紙を送って寄越したのだ。しかも、技術が盗まれないよう自壊する手紙だった。いち魔導師に虚仮にされ、嘲笑うかのように拒絶の演出をされては誰しもが怒るだろう。当然ながら国王はひどく激怒した。

 だが、王には何も出来なかった。例え強権的に国民を従わせるだけの権力・軍事力を持ってしても、彼女には敵わず、何人たりとも彼女を傷つけることは出来なかった。それは今現在も、そして未来永劫手出しできないだろう。


「それで、当時の無知で傲慢なアホどもの出した苦肉の策が……」

「嫌がらせか」


 ライコウは溜め息混じりに頷く。「そうだ。馬鹿な話さ」


 当時、大先生を直接痛みつけること苦しめることが出来なかった王政府は、苦肉の策として研究所の敷地をぐるりと軍が包囲する“封鎖”を行った。物理的に人の流れや物資を断ち切れば、いずれ彼女が音を上げると思ったのだ。

 だが、全くの無意味だった。それは彼らが軍に囲ませた施設が何なのか、少しでも脳みそに血液と栄養を送れば、すぐにでも気づけることだった。


「転移がホイホイ使える施設の回りを封鎖するなんて、当時の同僚から聞かされたときは、国家総出の盛大なコントでもしているのかと思ったさ。だが頭の悪い連中は大真面目だった。大真面目で四十年も続けやがった」

「げぇっ! 本当かよ」

「ははは。本当だよ。その間、暇を持て余した俺たちと包囲軍は妙な……いや、当然の結果か」


 当時を完全に思い出したのか、彼はとてもおかしそうに笑った。


「何だよ。もったいつけるなよ」

「ま……色々あって、新しい国王が就いて一件落着したんだよ……そう睨むな。今度酒の席で聞かせてやるよ」


 エメラルドは如何にも不満そうにしながらも、絶対だぞ。と、いつ叶うか分からない二人で飲みに行く約束を取り付けた。


「しかし。相変わらずとんでもない話だよな。国王を虚仮にするなんてな」

「……身分や生まれなんて無意味なんだよ。知っているだろう? あの人の前では、微生物だろうが昆虫だろうが魔物だろうが幼子だろうが老人だろうが国王だろうが、皆すべて等しいんだ。全ての命に対して上も下もない」

「ああそうだった。そういえばそうだった。すっかり忘れていたよ……」


 大きな窓から射し込む光を、何気なく眺めていたエメラルドは、そっとライコウに視線を戻した。彼の瞳にはどこか憂う感情が浮かんでいた。


「……なあ。いつまでお前はあの()の下に居るつもりなんだ? いい加減……」


 何かを言おうとするエメラルドに、彼は右手を出して制した。みなまで言うな。という表情をしている。


「ずいぶん前に言っただろう。()()は俺がここにいる存在理由のひとつだ。宿命なんだよ。……だいたい、他に離れられない理由が俺にもあるしさ」


 そう自嘲気味に笑う彼に、エメラルドはそうだったな。とひと言言って押し黙った。


『…………』


 二人の間に、この二人にしか分からない、言い知れない何かが沈黙とともに流れていた。

 が、そういえば。とライコウは何かを思い出したらしく、どこか気まずくなってしまっていた空気を打ち破る。


「……報せが無かったのは、妨害があったせいだというのは分かった。だがなんで八十年前の式典で会ったあの時に、話してくれなかったんだ?」


 と、尋ねた。話していれば、今までの長話をその時に済ませていたはずだったのだ。


 そんな素朴な問いかけに、エメラルドは気まずそうに視線を逸らし、游がしていたが、『こら、こっちを向け』と言わんばかりのライコウのガン見に根負けして、彼は手を合わせ素早く頭を下げた。


「すまん! あの時はすっかり忘れていたんだ」

「……だろうと思ったよ」


 ふたりは互いの顔を見やって、おかしそうに大笑いした。



 ◇◇



「にしても……」


 この部屋に招かれて、かれこれ十五分以上経っていた。久々の再会とあってか、昔話を交えた雑談に花を咲かせていたが、紅茶を取りに出てったはずのサファイアが一向に戻って来なかったのだ。


「ああ。遅いな。あの子が遅れるようなことは無いんだが……」


 ライコウがポツリと発した言葉から、エメラルドも同様にいぶかしむも、彼は違う違うと手をひらひら振って否定した。


「それもあるけれど、そういうことじゃなくてさ」

「なんだ?」

「……どうしたらあんな美女がお前から生まれるんだ? クッソ似てねえぞ」


 それを聞いたエメラルドは、口に含んでいた紅茶を吹き出し、音を立てて椅子からずっ転けた。


「んなっ! な、なんてこと言うんだ! 似てるじゃないか!」

「どこが?」ライコウはからかうように笑い、「髪の色か? 確かにまんまだな」

「髪の色だけじゃない! 他にも色々あるだろ! お前の目は節穴か!」


 立ち上がって憤慨するエメラルドの顔を見上げながら、ライコウはふんぞり返るように足を組む。


「色々? 顔つきとかあまり似てなかったような」

「お前はどこを見ていたんだ。俺と目つきが似てるじゃないか。これは俺の妻にも言われたことだぞ」

「そうか?」ライコウは腕を組み、「うーん、気付かなかったな。だいたい、昨日今日しか出会ってない女性をジロジロ見る訳にもいかないだろ」


 そう言われてどこか納得した部分もあったのか、エメラルドのボルテージはすっかり鎮火した。が、元々彼も冗談半分だと分かっていたようで、最初から本気で憤慨していた訳ではなかった。


「む……確かにそうだな。いくらコウでも、俺の愛娘をジロジロ見られていい心地しないしな。……お前、手ぇ、出すなよ? 殺すぞ?」

「出さねえよ! どこに親友の娘に欲情する奴がいるか!」


 確かにサファイアは美しく魅力的な女性だ。

 が、彼女が親友エメラルドの娘だと判明した以上、彼女をひとりの女性として見ることはないよう考えを改めようとしていた。

 ライコウにとっても、エメラルドの娘は自分の娘も同じ。とは行かないまでも、努めてそのように意識しようとは考えていた。


「いやぁ、お前にはがあるからな……」


 そう言ってからかうように笑うエメラルドに、ライコウはむっとした。


「前科とはなんだ、前科とは。との交際に何も問題はなかったじゃないか。それにずいぶんと前に別れたし、彼女はもう結婚してだいぶ経つだろうが。お前がいちばん良く知ってるだろ」

「未練は?」

「ある訳ねーよ、そんなもん」


 脱線した話を戻そうと、ライコウは努めて強く咳払いする。


「まったく。……そんな態度で、あの子に恋人を紹介されたらどうするんだ。あの年頃ならいるだろ」

「サファイアに恋人? 殺す」

「駄目だろ」

「なら決闘して殺す。生きて還ってこれたら許……うーん。殺そ」

「いやいや、そこは『許す』だろ!」


 と、『殺す』一点張るエメラルドに、ライコウは笑いながらツッコミを入れる。

 腕っぷしの強い龍人の中でも、彼ほどの実力者と真剣勝負をして、生きて還って来られる人間などほとんど居ない。つまり、彼が婿候補に示す選択肢は、デッド・オア・デッドなのだ。


(父親というのは、どこもこんな感じなのだろうか。まったくタチが悪いな……)


 と、目の前でブンブンと腕を回し、力を誇示するかのように振るう親友の姿を、ライコウは呆れたように眺めていた。



「……遅いな……」

「まったくだ」


 さらに十分が経った。サファイアの姿はここには無い。

 いい加減に探しに行くべきだろうか? とライコウが考えていたところで、書類で埋まる仕事机デスクから真新しい菓子箱を発掘したエメラルドが戻ってきた。


「そういや今更だが、何でこんなところにいるんだ?」

「本当に、本当に今更だな。まぁいい。そんなことよりも聞いてくれ。実はここまで色々あったんだ……」


 ライコウは一昨日あった出来事、洞窟からハクに出会ったことまでを話した。もちろんハクの正体も明かしている。べつに隠すような間柄ではないし、エメラルド自体、他人にベラベラ言いふらすような軽薄な男ではなかった。


 エメラルドは彼から聞かされた話を聴いて、やや驚きながらも呆れつつ、


白金狼プラチナウルフだって? まったくお前は相変わらずとんでもない奴を手懐けようとするな。前に火蜥蜴サラマンダーを飼おうとして、全身を焼かれたのを忘れたのか……」


 エメラルドに指摘されて、ライコウは今更ながらに思い出し、ぶるりと身体を震わせた。


 その昔、旅の途中で遭遇した全長五ムールの火蜥蜴サラマンダー飼魔契約(テイミング)したのだが、ライコウは思うように扱えきれずに全身を焼かれてしまったことがあるのだ。

 全身が大火傷に遭わされ、赤黒くデロデロに爛れた皮膚と焦げた衣服が貼り付いてしまい、味わいたくもない激痛を味わった。

 彼はそれ以降、過剰なまでに回復薬ポーションを多く持ち歩くようになったのだ。


「ううう。あれか……忘れていたのによくも……」

「はっはっはっはっ。ざまぁみろ」

「笑い事じゃない。だいたい、ハクはあんな火トカゲとは違って知性があるし、手がかからない上に可愛いし。とてもいい子なんだぞ」


 ハクの姿を思い浮かべ、思わず笑みが零れる彼の顔を見て、分かったぞ。とでも言うようにエメラルドはニヤリと笑う。


「ははーん……ペットを溺愛する馬鹿な飼い主よろしく、お前も子どもみたいに思い始めてんだろ?」

「んー。どうだろうな……まだ日が浅いし」


 エメラルドに言われて、ライコウは改めてハクについて考える。契約を結んだ時は旅の相棒として見ていたが、今後はその考え捉え方が変わっていくのかも知れないと内心思っていた。


「……それはいいとして、話を戻すぞ」


 ライコウはテーブルに置かれた菓子箱から、地元産のクッキーを手に取る。十セル近いクッキーはケーキのように柔らかく、ココナッツのペーストが入っていて甘い。


「俺たちはこっちに来ようと移動していたんだが、途中で樹海の異変に気づいたんだ」

「おっ、その話は報告にあったぞ。巨人から冒険者二人を助けたんだってな」


 ライコウは頷く。「そこで、エメラルド。お前だからこそ話したい話があるんだ。実は――」

「おっと、その話はサファイアが来てからだ」


 神妙な面持ちで話をしようとするライコウを、エメラルドは制するように右手を突き出した。突然のことに困惑する彼をよそに、エメラルドはその理由を話す。


「……実は、お前を呼んだのはその樹海に関してのことなんだ」

「うん? 分かってる。だからこそ俺は――……」

「まぁ待て待て」エメラルドは小さく手を振り、「話は聞いているだろうが、実はお前に樹海調査に同行して貰いたいんだ。――サファイアたちと一緒に、調査員の護衛として」

「はあ?」


 ライコウは何を言っているんだ。とばかりに大きく声を張り上げる。


(あんな危険な森に、こいつや俺ならともかく、他の冒険者を潜り込ませるなんて、正気の沙汰じゃない!)


 眉間を寄せ、睨み付けるように見つめてくるライコウの様子に、彼はひどく驚いたような表情をしていた。

 無理もない。両者にはひとつだけ大きな違い――重要な情報の有無があるのだ。


「な、何か駄目な理由でもあるのか? 今お前に断られたら、俺はすごく困るんだが……」

「……ダメダメだ。お前は事の重大さを全く分かっちゃいない」


 ため息をつきながら首を振るライコウの姿に、エメラルドは大きな不安を感じ取っていた。今この男の口から、物凄く厄介な言葉を聞かせられるのではないか、と。

 だがエメラルドは訊ねる。たとえ聴いて後悔しようとも、聴かずに後悔しないためにも。これは二百年勤める支部長(ギルドマスター)としての責務、義務感だった。


「……どういう……ことだ?」


 恐る恐る訊ねるエメラルドの顔を、ライコウはしっかりと見据えて告げる。


「あの樹海には今……魔族、とりわけ邪魔デーモンがいるんだ」


 そう告げた後、ふたりの間には長い長い沈黙が続いた。彼らのいる部屋では、クッキーを咀嚼する音と、振り子時計の立てる音、彼らの静かな息づかい以外に音はなく、静寂に包まれていた。

 と、そこへコンコンと扉を小突く音に続き、ガチャリとドアノブを回す音がした。この部屋の長い静寂を打ち破ったのは、遅れてやって来たサファイアだった。


「――遅れてしまってごめんなさい。同僚の子たちに捕まっちゃって。今すぐお茶を淹れる……どうしたの?」


 彼女が目にしたのは、黙々とクッキーを食べるライコウと、顔を両手で覆い、じっと動かないでいるエメラルドの姿だった。

 長年ここの職員として勤めてきたが、今までに見たこともない様子を見せる父エメラルドの姿に、サファイアは困惑するばかりだった。が、彼女に気づいたライコウが苦笑いしながら手招きする。


「遅かったね。実はサファイアさんにも話したいことがあるんだ」




サファイアを捕まえた同僚の子は、これまでに出たギルドの女の子たちです。

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