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封印の神器アラストル  作者: 彩玉
一章 樹海騒乱
15/29

15.いっぽうギルドでは

 冒険者協会・メソスチア支部の三階奥の一室。

 普段は人の出入りが全くなく、使われないことが当たり前のその部屋では、珍しく多くのギルド職員がひっきりなしに出入りをしていた。


 第三会議室。

 大規模災害《津波》発生における対策室として使われる部屋だ。

 この会議室は同階の部屋の二つ分の広さと、比較的に広く造られていた。部屋の中央には長方形の大型テーブルが設置されていて、テーブルに沿うように多数の椅子が並べられている。

 普段ならばテーブルに薄く被っていただろう埃は綺麗に拭きとられ、代わりに先ほど帰って行った王政府の役人たちから押し付けられた大量の資料が覆うように置かれていた。


「もうそろそろ時間か。サファイアさんはあの人たちの迎えに行ってくれないか」

「分かりました」


 黒縁眼鏡をかけた黒髪の、浅黒い肌の男性職員に指示され、ともに資料整理の作業を行っていたサファイアは一通り終えたあと、席を立ち部屋を出ていった。



 サファイアはエリーらと別れたあと、独りで酒を飲む気にもなれず、とりあえず話を訊きたそうにしていた受付嬢のユリアと雑談を交わしていた。が、ちょうど役人を引き連れ玄関から現れた彼女の上司――朱色のターバンを頭に巻いたアフメド主事に手伝うよう声をかけられてしまっていたのだ。

 ほかに断る理由がない上、暇をもて余していたのもあってか彼女は快く承諾し、他の職員とともに主事の指示に従い第三会議室にて資料整理をし始めたのだが、


「やっぱりあの巨人騒ぎって『津波』関連なんですか」

「さぁどうだろう。支部長ギルマスたちが帰ってくるまで判らないからね……」


 主事を含めその場にいた職員らはもっぱら噂話をしていた。もちろん手元の作業と同時平行だ。ギルド職員の多くが冒険者としても活動しているだけに、彼らの間には冒険者特有のフランクな空間を共有していた。


「ね、サファイアはどう思う? 『津波』の前兆だと思う?」


 主事の左隣にいた若い同僚が身を乗り出すように訊ねた。訊ねられたサファイアはポンポンと束ねた資料の端を整えグリップに挟みながら彼女へと視線を流し視、


「分からないわ。『津波』はまだ経験してないし」

「あ、そっか。まだこっちに来て五〇年経ってないんだっけ」

「そ。もうすぐ四〇年になるかな」


 と、サファイアは肩を竦ませる。

 ヒューマンや獣人族のような短命種族の感覚では凄い年数をさらりと言うことに驚きを隠せないが、長寿族からすれば数年程度の感覚だ。途方もなく長生きするハイエルフなどのなかには十年単位が数ヶ月に感じる者もいるという。


「四〇年か……あたし生まれてないや……」

「……なんか……言った?」

「ひぇっ! い、いいえ! なんでもございましぇん!」


 フフフ、フフフフとサファイアに恐い笑みを浮かべられ、同僚はぶるぶると必死に首を横に振り必死に否定する。

 この場にいる者すべてが完全武装した上で襲いかかっても、素手の状態で一瞬にして返り討ちにするほど実力的にかなりの差が開いていたのもあるが、何よりも仕事を代わってくれたり、融通してくれたりというのがなくなるのを同僚は危惧していた。


「そもそも私があなたとやり合うわけないでしょ。それに、そんなことで意地悪とかもしないわ」

「ハッ!? あたしの考えが悟られてる! なんで??」

「そりゃあ、君の場合は顔にすぐ出るからね。誰にだってわかるよ」


 そう呆れたように主事に言われ、えっ! そうなんですか!? とひとり驚いたような表情を見せる彼女にその場にいた職員たちは思わず笑った。

 今日起きた騒動はわざわざ資料を見ずとも、事態の深刻さは理解していたが、彼らでも依然として対岸の火事のような感覚がどうにも拭えなかった。


 そうこうしているうちに一時間ほど経った時、アフメド主事は室内の壁に掛けられた絵画と並んで立つ大きな振り子時計を見やると、そろそろ戻ってくるころか。と言い支部長たちを迎えに行くようサファイアに指示をした。


支部長ギルマスたちはもうすぐ会合から帰ってくる。転移で来るから二階の転移室な」

「分かりました」


 サファイアは会議室を離れたあと、会議室の隣、つまり同フロア一番奥にある階段を下ると、ちょうど会議室の真下に位置する部屋にたどり着いた。閉じられた両扉には『許可なく入らないこと』と刻まれたプレートが貼り付けられている。そのプレートから視線を落とし、ぐっと取っ手を掴むと、彼女は片方の扉を押し開いた。

 転移室は会議室ほどではなくとも、こちらも広めに造られていた。とある一ヵ所を除き、調度品などもなく実に簡素シンプルな部屋だ。白一色の内装が照明に照らされて少し眩しく思える。

 サファイアは誰もいない部屋へひとり足を踏み入れた。


(まだ来てないけど、もうすぐ、かな……)


 サファイアは部屋の中央にある()()()()()()()に近づき、脇に設置された操作機を覗きこんだ。操作機の操作盤には『転送準備中……』と表記された文字が点滅していた。


 彼女の傍に建つ小さな建物はこの部屋、この建物には似つかわしくない黒い円堂だった。円堂は美しい異国のレリーフが彫られた六本の円柱と六角形のドームとで形造られており、誰の目にも場違いと映る姿をしていた。

 一階ほどではないにしろ、少し高い二階の天井ギリギリに収まっている円堂のなかには、魔法陣――〈転移ノ陣〉が大きく刻まれ、その溝の中を駆けめぐるかのように蒼白く光が迸っていた。


 サファイアはちらりと魔法陣を見やり、すぐに操作盤へと視線を戻した。

 と、手元の操作盤の表示が『準備中』から『転送開始』に切り替わる。その表示に連動して、魔法陣から蒼白い光の粒子が溢れ出し、荒れ狂うように円堂のなかを光が満たしていった。

 直後、その眩い光の中から三人の人物が現れる。


「―――ということだから。よろしく頼むよ」

「何が『よろしく頼むよ』、だ。そんな都合よく人員を確保できると思ってんのか……」


 現れたのは暢気に笑う、軍服の上からでも分かるガタイの良い男性に、同じく体格が良いが眉間にシワを寄せ、難しい表情で溜め息を漏らす男性と、彼らの後ろで黙って静かに立つ女性の三人だ。

 ごてごてと着飾った軍服に身を包んだ軍人は「まぁまぁ、こちらからも出来るだけ支援するさ」と傍らにいるフォーマルスーツの男性に言いながら円堂からでると、円堂の傍に立っていたサファイアに気づいたようで、彼女に対しにこやかに笑いかけた。


「おっ、久しぶりだね~サファイアちゃん。俺たちを迎えに来てくれたのかい」


 ええ、まぁ。と、サファイアは笑みを浮かべるも少し素っ気なく返し、


支部長ギルマス、何かあったんですか」


 と、藍色の髪をした男性――エメラルド・グラディウス支部長に声をかけた。


「いつものことさ」エメラルドは疲れたようにふたたび溜め息を吐き、「樹海の調査をこっちに押しつけてきた。だが……」

「だが、今回は軍の調査官は同行しない。共同派遣はしないって言われたの」


 と一度エメラルドが言葉を区切ったところで、しばらく黙っていた女性が代わりに話を引き継いだ。彼女は支部長エメラルドの右腕である副長を務める女傑、エリシア・クウォーツ女史だ。

 この街で英雄と謳われるエメラルドを実務面でサポート出来る数少ない人材のひとりと言われ、またヒューマンでありながらS級の実力を隠し持っていると冒険者の間では噂されている人物だ。ただ、あくまでも噂に過ぎないため、実際のところはよく分からない。彼女が戦場に立っている姿を見たものはこの街には居ないからだ。


 三人はサファイアの案内――と言っても三人とも会議室までの道を知っていたが――で転移室を出た。サファイアは事前に主事から転移室の鍵を渡されていたが、しばらくは開けたままにするように。とエメラルドに言われ鍵をかけずに離れることにした。


「軍の調査官を派遣しないって……どういうことでしょうか。今回の騒動は『津波』と関係ないと?」


 サファイアは階段を上りながら先ほど聞かされた決定事項に関し疑問を口にする。その疑問に真っ先に答えたのは軍人の男性だった。


「いや、この巨人の騒ぎが『津波』と関係ないとは断言できない。そもそも、よくは分かってないんだな、これが」

「そんなのでよく将官が務まりますね」

「今日のサファイアちゃんはいつになく厳しいね~」


 と、茶化すように言い、男は自信ありげに胸を張りだした。


「この俺、カイザック・ブラウンが直に動かずとも、優秀な部下たちがだいたいやってくれるのだよ」

「……こんなのが陸軍大将とは先が思いやられるな」


 ふふん、どうだ。と鼻を鳴らし自慢気に威張るカイザックにエメラルドは呆れた顔をした。

 が、それでも長年に渡り王に代わり軍の指揮を執り続けるだけの才はあり、その浅黒い肌に刻まれた皺の数だけの武功は挙げていただけに、かなりの経験も重ねている。今年で五十七になるカイザック・ブラウンは間違いなく優秀な武官といえた。


「で、話の続きはというと……会議のなかでな」


 エメラルドら四人は第三会議室に辿り着くと、すぐさま会議に入った。


 支部長らが王宮にて参加した緊急対策会合――冒険者協会の各支部長、傭兵ギルド・ストラグル社の担当者、王政府の高級官僚、陸軍の将官、商王会議の主要メンバーに、元首である現国王イフサーン・カティス・メソルドという錚々たる面子のなかで決められた機密事項を、同席するカイザックの解説を交え、会議のなかでおおまかに伝えていく。

 そうして二時間ほど経ったあと、支部長らが出した方針に従い、順次それぞれの仕事を進めていくことに決定すると会議は解散となった。


 皆早々に会議室を出ていくなか、席を立ったサファイアを副長が呼び止めた。


「なんでしょうか」

「別に大したことじゃないわ」エリシア女史はにこりと笑い、「ちょっとギルマス――貴女のお父さんと食事に行って欲しいのよ」

「父と、ですか?」サファイアは不思議そうに小首を傾げる。


 実はメソスチア支部の支部長ギルドマスター、エメラルド・グラディウスは、サファイア・グラディウスの実父なのだった。当然彼も龍人であり、鮮やかな翠色の()に覆われた手の甲が何よりも物語っていた。

 サファイアはこの支部に勤めて四〇年近くなるが、エメラルドは娘のおよそ5倍の年数をギルドマスターとして勤めていた。

 それだけに、着任中のも含め数々の活躍や功績を挙げているため、市民から、特にこの国の大半を占めるヒューマン族から《生ける伝説》と英雄視され、民衆から高い人気を得ていた。もちろん王族、軍部などからも長きに渡って厚い信任を得ている。

 だからこそ、この立派な外観の建物や芸術品のような転移装置などを王政府から充てられ、贈られているのだが……


「別に構いませんけど」不思議そうな口調のまま、「なにかあったんですか?」

「えーとね、今日は朝から他に会合があって」


 エリシア女史は父エメラルドへの視線を遮るように立ち、話を続ける。


「長引いてやっと終わった後にこの騒ぎに追われてしまって昼食をとっていないのよ。あの人はその程度で倒れるようなヤワな身体じゃないけど」

「ですね」

「でもこれからこき――もっと働いてもらうために、すこし息抜きをしてもらおうと思って」


 明らかに『こき使う』と言いかけていたが、そこは敢えて突っ込まずサファイアは聞き流すことにした。副長のにこやかな笑顔が怖かったから、とは口が裂けても言えない。表立って感じさせない威圧感がヒシヒシと直接肌から感じとっていたのだ。

 藪は不用意につつかないほうが身のためだ。


「分かりました。では私から誘えばいいんですね?」

「ええ、お願いね。終わったら執務室に戻るよう言っといてね」


 そうエリシア女史はウィンクしながら伝えると、彼女たちの横を通りすぎたアフメド主事を掴まえてなにやら会話しながら会議室を出ていった。


 サファイアは会議室を見渡した。未だ帰らない職員のなかに、カイザックとエメラルドが立ち話をしていたのを見つけ、近づいていった。


「ひとりでもいい。お前の部下か、腕の立つ奴を貸してくれよ」

「そうだな……、自由に動かせる奴のなかから見繕うとするよ。だがあまり期待しないでくれ」


 と、カイザックはエメラルドの肩を叩き部屋を出ていった。

 サファイアはいつになく難しい顔をしたエメラルドに声をかけ、今から一緒に夕飯を食べに行かない? と訊ねると、


「おう、そうだな。そういえば、ペコペコだった」


 愛娘からの夕食の誘いに意識を切り替えたのか、先ほどまでの難しい顔が和らぎ、エメラルドは思い出したように笑顔で頷いた。



 ◇◇


 サファイアとエメラルドの父娘おやこふたりは、支部に近い行きつけのレストラン《兎馬亭》で食事をとっていた。

 向かい合うように座るふたりのテーブルには、鶏肉や牛肉、羊のミンチの串焼き(カバヴ)、トマトベースのマメ煮込み、トマトとナス煮込み、サラダ、上からターメリックライスをぶちまけた牛のカバヴトマト添えといったように、主にローストした肉と煮込み料理の品などが多く並べられていた。

 《兎馬亭》は地元料理だけではなく、このアラスチア地方一帯の料理も提供している。冒険者や地元民にも評判の店だ。

 エメラルドは山のように積まれた薄焼きパン(ナン)を手に取り、焼きトマトとカバヴを挟むと口一杯に頬張った。よく味わうように咀嚼したあと、紅茶と一緒にごくりと飲み込んでからの開口一番はというと、


「~~~まい! やはり飯は肉に限るな!」


 である。この店ではよくある光景だ。そんなカバヴサンドをモリモリ食べる父に、サファイアは少し眉間を寄せながら、


「父さん、肉ばっかり食べないでよね。もっと野菜も食べて」


 と注意し、エメラルドの皿にサラダをよそう。こちらも幅広い客層をもつこの店ではよくある光景だった。


「はいはい、分かってるよ。……最近母さんに似てきたな……」と小さく呟き、チラリと娘のほうを見やって、

「だいたい、おまえだってサラダを食べてないじゃないか」

「良いのよ、わたしは。わたしはまだ若いし、何より冒険者業で身体を動かしているんだから。父さんはずっとデスクワークばかりでしょう? 身体、鈍ってるんじゃないの?」

「うぐっ……! なんも言えねえ……」


 不満を口にするものの、娘に痛いところをつかれぐぅの音も出ないエメラルドは、多く盛られたサラダをカバヴサンドに詰めこみ、黙々と胃袋に納めていく。

 わたしは大丈夫、とは言うものの、サファイアもここのところ肉料理ばかり食べている。いま彼女が口に運んでいる食べ物も、トマトベースの牛煮込みだ。テーブルの上にはもちろん野菜料理もあるが、あまり手をつけてはいない。

 結局のところ、親子揃って肉系が好きな似た者同士だった。そんな似た者親子は、互いにあーだこーだ言いながらも、愉しく雑談を交え食事を進めていった。




「いつ見てもいい食べっぷりで、こちらとしても作り甲斐がありますよ」


 テーブルいっぱいに並べられた料理を綺麗に平らげたグラディウス親子は、にこにこ笑って去っていった店主がサービスで提供したデザートを食べていた。

 サファイアは舌の上でとけるアイスを味わうと、満足そうに紅茶を飲む父に会議室で気になっていたことを訊ねてみた。


「………ねえ、さっきブラウンさんに訊いてたことなんだけど」

「ん?」エメラルドはサファイアに視線を向ける。

「そんなに厳しいものなの?」


 サファイアが訊ねているのは、樹海の調査員のことだ。

 調査員とは、樹海での騒ぎや異変が起きた際に『津波』に関連するものかを調査する者たちを指す。彼らは主に軍属の調査官と冒険者協会の職員からなり、彼らとは別に護衛要員がついている。この護衛要員は軍と協会の両方で出しあい、3:2の割合で軍が多く出していた。


 樹海の調査は長年、メソルドも含む樹海に接する諸国からなる《東アラスチア同盟》の要請で中立な立場である冒険者協会との合同で実施しており、各都市の支部長と各国政府とで細かな協議を行い、実施していた。樹海が余りにも広大なために、各国合同の調査というのは難しい。

 当然、調査区分は区切られ、ここメソルドは砂漠に接する樹海の西側一帯を担っていた。


 これらの取り決めにより、今回の樹海での騒動もこれまで同様に踏襲されるものだと思われていたが、会合で一部の者から『軍は出さない』と突っぱねられてしまったのだ。

 これに抗議したのは支部長はもちろん、長年密に連携していた将官たちだ。


「会議でも言ったが、カイザックを含めた俺たちとトラスト氏がどうにか軍を出すよう取り付けはしたが、それでも俺たちが()()出すことは変わらない」


 エメラルドは会合でのやり取りを思い出したのか、大きく息を吐いた。


「まぁ、それはそれでいい。俺たち冒険者は所詮は何でも屋だ。冒険者協会もその斡旋所に過ぎない。ここいらでは軍の下請けだがな」

「……どうしてだか、本当に知らないの?」


 会議では職員から、なぜそんな事態になったのかと質問が飛んでいたが、エメラルドらは分からないと答えていたのを思いだし、再度訊ねてみた。あの場では答えられない事情が、今なら、腹心のひとりである娘ならば話してくれるかも知れないと思ってのことだった。

 エメラルドは声を落とすこともせず、欠伸を噛み殺しながら、


「知らない。知らないが、見当はつく」もう一度紅茶を飲む。

「大方、俺を嫌う連中と、ビジネスチャンスを掴みたい連中の差し金だろう」


 エメラルドは民衆から《生ける伝説》と言われる他に、王家より《都市守護者ポリウーコス》の称号を賜っている。これは幾度となく発生した『津波』に際し、ギルドマスター就任以前から都市防衛に貢献したからこその褒賞のひとつだった。

 が、こうもひとりの人物を持ち上げ続けていると気に入らないと妬み、嫌う者は必ずと言っていいほど出てくる。その大抵が彼の足を引っ張ろうと画策するのだが、エメラルド自身は相手にはしていなかった。それは彼の友人や側近らのおかげではあるが、何よりも『彼らはいつか死ぬ』からだ。龍人とヒューマンでは寿命が違いすぎる。


「そんなことよりも、だ」


 エメラルドは残りの紅茶を飲み干した。


「巨人に対応できる実力者が充分に確保できていないのが一番の問題だ」


 エメラルドが頭を抱えている案件は、軍が同行できないということよりも、調査員を派遣する以上、彼らを守る護衛要員が不足していることだった。


 ギルドでは不測の事態に備え、常時対応できるように調査員は決まった職員から、護衛者を上級冒険者――具体的にはB~Aランカーから充てている。

 だが、今回の場合はいつものようにはいかない。巨人の出現が数体程度ならばA1ランクパーティでも対応できるが、少なくとも数十体の巨人が出現しているとなれば話は別。軍の支援もない以上、とてもではないが、Aランカーだけでは無理があるからだ。

 そこで出番となるのが、エメラルドのような“破格”のSランカーなのだが……


「現状、俺を含めてこの国にいるSランカーは5人。手元には少なくとも2人欲しいところだが……」

「厳しい、のね」


 サファイアの言葉に、エメラルドは苦々しげに頷く。


「5人のうちの2人は東のポタモスにいて借りられない。あっちの支部長も参ってたさ。で、こっちには2人いるが1人は病気で寝込んでる。俺は当然動けない。どうしたもんかな」

「わたしじゃ……ダメかな」


 とサファイアは立候補をしてみた。

 当然ながら彼女はSランカーではなかったが、S“級”ランカーというA1ランクでも限りなくSに近い人物たちのなかに彼女はいたのだ。実力はエメラルドには及ばないが、それでもじゅうぶんに強い。

 ランクは腕っぷしだけではないため、サファイアは万年Aランカーだった。が、実質的には冒険者の頂点にいた。

 ならばSランクとは。というと、色々とずば抜けていて話にならない。いわゆる特別枠(special)なのだ。


 エメラルドは娘の提案に、もちろん加えるつもりだ。と答え、


「おまえともう1人のS級ふたりと、Sランクひとり。調査員は2人にするつもりだ。あとひとり、あとひとりだけSがいればいいんだが……」


 腕を組み、頭を抱える父の姿を眺めながら、サファイアも自分でもどうにか出来ないかと知り合いや友人たちの顔を思い浮かべていた。が、次々に消していった。どの人物も資格者には相応しなかった。なにより荷が重すぎる。


(巨人に対応できる人、か……)


 いつの間にか置かれていたのか、その冷たくなった紅茶のお代わりをぼーっと見つめていると、突然電流が身体のなかを迸ったように、ある人物を思い出した。


(確証はないけど……話をしてみるぐらいなら)


 今日知り合ったばかりで素性も実力も知らない。だけど。だけど、話だけならアリかも知れない。ダメならダメでいいし。


 サファイアは一度は逡巡するも、可能性があるならと気持ちを固めると意を決して話をしてみることにした。


「お父さん」

「ん?」


 この一連の話題を出した時のように、エメラルドは同じくお代わりの紅茶を飲みながら彼女に視線だけを向けた。


「エリーってハイエルフの子のことなんだけど」

「おう、エリーちゃんね。そういえば報告の資料にもあったな。不幸中の幸いってやつだな」

「そう。それで助けてくれた人が見つかって。ライコウって人だったんだけど……」

「…………ライコウ?」


 ふんふんと聴いていたエメラルドが思わずビクリと大きく反応した。途端にサファイアへの視線が強くなる。

 そんな父の予想外の反応に驚き、どうしたの? と訊ねた。こんな様子は今まで見たことはなかった。


「あ、いや。いい。続けてくれ。その『ライコウ』

ってやつが助けた男だったのか?」

「うん。そうだけど。……どうしたの?」


 と、様子が変になった父にふたたび訊ねるも答えない。

 綺麗に剃りあげられた顎を擦り、そうか。そうか。と呟くばかり。サファイアには何故そんな態度をとるのかまったく分からない。

 じろり。と、そんな風に視線をサファイアの顔に移すと、ひとつ質問をしてきた。


「その『ライコウ』は外見は二〇代の白人で、金髪金目のヒューマンの男じゃなかったか?」

「だいたいそうよ。ただ、金髪じゃなくて茶髪だったけど。……本当にどうしたの?」

「ん? いや、なんでもないんだ。ただ、父さんの友達にそんな奴が居てね」

「お父さんの友達?」


 いやに態度が変わったのを不信に思い、眉がつり上がる。

 母などからも聴いて父の交友関係をある程度知っていたが、『ライコウ』の名を持つヒューマンは居なかったはずだ。と記憶を探った結果がこれだ。或いは母も知らない友人なのか?


「ああ。といってもだいぶ前だからね。ただのヒューマンなら死んでるさ」

「そうなんだ……」サファイアは依然として様子がおかしい父を見つめる。

「な、なんだ」そんな娘の疑うような視線にたじろぐ。

「……お父さん、なんか隠してない?」

「隠してない、隠してないぞ。やましいことはないからな」

「ふーん。ならいいけど別に」


 やましいことはないのは本当らしいが、何か隠しているのは間違いなかった。途中まで瞳孔が開き、瞬きの回数が増えていたのを見逃さなかった。

 エメラルドはひとつ咳払いをすると、早速こう切り出してきた。


「なあ。サファイア。そのライコウという男を明日連れてきてくれないか」

「明日?」いきなりの提案に驚くも、それもそうかと思い直し「たぶん大丈夫だと思うけど」

「よし! 決まりだ」


 そう満面の笑みで告げるとエメラルドは立ち上がった。ひとつ大きな問題が解決できる。そんな期待に満ちているかのような顔をしていた。

 サファイアとしても、紹介する気で名前を出してみたが、予想外の反応と切り返しで、正直困惑していた。自分が話を持ち込んだ筈なのに、なんだか自分の知らないところで話が決まってしまったような、もやもやとした気持ち。

 ともあれ、閉塞感を打開できるのならば、と彼女は今抱いた感情を振り払った。


 ふたりは会計をして(もちろんエメラルドのおごり)店を出た。道沿いの商店はほとんど閉まり明かりがなく、街灯の明かりだけが煌々と輝いていた。


「ん~気分がいいな。このまま部屋に帰るか♪」

「お父さんは自分の部屋(執務室)に戻るのよ」

「えっ」


 娘の言葉に、父の笑顔が固まる。


「エリシアさんの厳命」

「えええええええ~~~~~~……………」


 《都市守護者(ポリウーコス)》エメラルド・グラディウスの情けない落胆の叫びが、闇夜に木霊し溶けていった。

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