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封印の神器アラストル  作者: 彩玉
一章 樹海騒乱
14/29

14.ウワサの宿屋にて①

 美しい白亜の支部所を後にしてからというと、エリーに先導され、背後にはハクが黙って付いてくる状態が続いていた。そのなかでライコウは、どこかお上りさんのような心持ちのまま、周囲の景色をぐるりと見回していた。


 立ち並ぶガス灯の淡い光に照らされた、段差の小さい灰色の石畳。

 通りの両側に隙間なく建ち並ぶ色とりどりの三階建て共同住宅アパート

 そのアパートの窓から漏れ、時折射し込んでくる暖かな光。

 取りこみ忘れたままの誰かさんの洗濯物。

 笑って互いに手を振り、帰宅へと足元をふらつかせる赤ら顔の男たち。

 賑やかなビアホールのテラス席で、楽しげに歓談するカップルたち。


 それらすべてが合わさった生活感溢れる景色を、ライコウには一枚の風景画のように見えていた。


「……この街は趣があるね」


 ふと、ライコウはそう一言呟いた。隣でその呟きを耳にしたエリーがくすりと笑う。

 何かおかしなことを言ったかな、と訊ねてみると彼女は小さく首を横に振り、


「いいえ。そうじゃないわ。ただ貴方が――不思議な人だな、と思って」

「不思議……」


 ライコウは首を傾げる。彼にしてみれば『不思議』な振る舞いをとった覚えなどないのだが、彼女の目にはそう映ったらしい。

 彼はそれとなくエリーの横顔をちらり見た。

 エリーは笑みを口元に浮かべてはいるが、彼女の穏やかな表情からして、別にライコウを小馬鹿にしている訳ではないようだ。彼女のとる笑みには一切の嘲笑の色がない。


「俺のどこが不思議に思えるんだい?」


 と、穏やかな口調で再度訊ねる。

 不思議と言われて別に怒っている訳ではないが、言われっぱなしというのは気分が悪い。なにより宿屋までまだ距離があるので、この際、着くまでエリーと雑談でもしていたい気分だったのだ。

 エリーはライコウの問いに対し、にこにこと笑って、「そうね……すべてかな?」と答えた。思っていたよりも抽象すぎる回答だった。


「すべて、というのは語弊があるわね。んーと、私が貴方と再会してから今の今まで貴方がとっていた言動――と、言ったほうが正確なのかな」

「言動? 具体的に言ってくれないか」


 なら一つめね、とエリーは指を一本立てる。どこかで見たようなポーズだ。


「さっき言った貴方のことば。この街に趣があるって言葉ね」

「それがどうかしたかい」

「この街――北街区ね。私、結構長くこの北街に留まっているけれど、ここに住む人、ここに訪れる人は誰も『趣があるね』なんて言わないわ。みんな生きることに手一杯で、街の風情とか景色のことなんか頭にないの。全く口にしない、と言っても構わないぐらい」

「全く?」

「全く。……かくいう私もなんだけどね」


 そういうと、彼女はライコウの傍らで楽しそうに微笑んだ。

 そんなエリーの顔にかかっていた前髪の、うちの数本の透き通る金糸たちが微風に吹かれて白い肌を撫でていく。その微かに靡く毛髪から、仄かな甘い匂いが香ってきた。


「なるほど。それで……か」ライコウは顎をさすり思案する。


 この生活感溢れる景色の中で生きる人々に、風情や味わいといったものを感じ取れない訳ではない。ただエリーの言う通り、ここに暮らす者たちは当然ながら今日生きるのに夢中で、目の前の仕事や日々の飲食に夢中で、あそこで働く可愛い気になるあの子に夢中で、愛する恋人との恋愛に夢中で、周りのことなんて見ていられない。それがごく自然の、ごく普通の営みとして稼働している。

 そんなところへ、『生活の外、意識の外』について口にしたライコウが、『生活の中、意識の中』にいるエリーにさぞかし奇異に映ったのだろう。


 が、エリーは先ほどから『不思議だ』と言い表してはいるが、当然それは会ったばかりのライコウに遠慮してオブラートに包んで言った言葉であり、つまりは……


(――つまりは、俺がだといいたいと。ほほう)


 とすぐに考え至り、ライコウは目を細めじっとエリーの横顔を見つめた。

 悪気はなく、率直な感想ながら、むしろ失礼な物言いを回避したエリーに対し不快感は全くないが、ライコウは何とも言えない心持ちであった。

 そんな彼の視線と表情に気づいたのか、エリーはハッとした様子で慌てたように両手を振った。


「べ、べべべ別に悪く言うつもりはないの。本当よ? ただちょっと――」

「ただちょっと、に思えただけ。分かってるよ。誰だって自分の常識テリトリー外にいる人を――変な人に見えてしまうものさ。……けれど、ちょっと傷ついたかな」

「ご、ごめんね……」


 申し訳なさげに謝るエリーに、冗談だ、気にしていないよ。と言ってライコウは彼女に悪戯っぽく笑って見せる。そんな微笑みに安堵したのか、エリーはほっと小さく胸を撫で下ろした。


「それで? 一つ目というからには二つ目もあるんだろう? あと幾つあるんだか」

「あっ、そうだった。えっとえーっと。根拠二つめ! これで()()()()最後かな」

「今のところ?」

「そう、今のところ。これから仲良くなれば、貴方のことが色々見えてまだまだ増えそうじゃない? だから今のところ」


 と、エリーはライコウに見せるように人差し指に続き中指を更に立てる。


「今日の昼間のときのこと。なぜあんな高い薬品やアイテムを持って……っと。そうだった」


 エリーは何かを思い出したかのように話を中断し自身の腰の後ろに手を回すと、腰に着けていた牛革のポーチをまさぐり始めた。


「これ。返すの忘れてた。高いものなんでしょ?」


 彼女がポーチから取り出したのは、色鮮やかな翠が目を引く〈翡翠の勾玉の首飾りジェイディズ・ネックレス〉だった。

 ライコウが万が一のためにと、彼女にお守りアイテムとして与えた装備品だったが、ここに見せられるまですっかり記憶から抜け落ちていた。

 しかし彼が忘れていたのは無理もなかった。今日一日、目まぐるしいほど事が起きすぎたし、それより何よりもこの首飾り自体に頓着などしていなかったのだ。


 この〈翡翠の勾玉の首飾りジェイディズ・ネックレス〉は、ガス灯の淡い光の下でもきらびやかさが失われていない程の外見的美しさと、結界を発現する魔術的機能もあり、この街で高額に取引されても不思議ではない。きっと高値の値札をつけてショーウィンドウに並べられるだろう。

 しかし所有者である彼にしては、ひどくどうでも良いと思えるまでに、同一品を腐るほど持ち得ていたのだ。それはこの首飾りが()()洞窟の中でよく獲られる物であり、洞窟通いの常連の間では『ハズレ』と下に見られ、苦労して確保した宝箱から出た際には酷く落胆する景色がよく見られていたのだ。


「ああ、これ? 別にいいのに。俺にとっては大したものじゃないし。律儀だなぁ」


 そんな意識を持ってか、差し出された首飾りを受け取らずにいると、エリーは無言でライコウをビシィッ! とライコウに指さし、


「その態度……なんだかカチンとくるわね。こんな高価なものを何でもないように扱うのは貴方の勝手だけど、人が返すと言っても受け取らないなんて、失礼にもほどがあるわ……なんなの? まさか、私がネコババするまで待つつもり? 私を馬鹿にしてるの?」


 悪気は無かったが、どうやら癇に触ってしまったようで、彼女は眉間に皺を寄せて不快感をあらわにした。

 そこへ、「ん、どうした?」「さぁ。どうしたのかしら」……そんな、こちらを気にかける声が後ろから聞こえてきた。何人かはこちらの様子を窺うように見つめてきている。

 彼女は大声を出したわけでも、騒ぎ始めたわけでもない。が、人通りが少ないせいか路地は静か。ゆえにエリーの声はよく通ってしまい、二人が通りすぎた後方にあるビアホールのテラス席にいる客たちから、何事かと注目を集めてしまっていた。


(まずったな……)


 ここは素直に非を認めて、この場を収めるしか他にない。


「馬鹿にするなんて滅相もない! そんなつもりは全くなかったんだ。気分を害したようで本当に申し訳ない」


 このとおりだ、とエリーに頭を下げて深謝した。


(ついうっかりしていた。まったくもって彼女の言う通りだ)


 普通に考えればすぐに分かりそうなものだが、長年の特殊な田舎暮らしのせいか、世間一般での常識と故郷で培ったライコウ自身の常識との間に、大きくズレが生じてしまっていたことを自覚した。

 加えて自分の考えばかりで、相手のことを考えていなかった、と彼は内省する。それこそ、先ほどまで話していた『意識、認識の狭さ』に当てはまっていた。彼は無意識に、自身に突き刺さるブーメランを投げていたらしい。

 これは彼女の諫言を甘んじて聞き入れ、深く深く反省しなければならないだろう。でなければ自らロクでもないトラブルを招き寄せてしまう。


 そんな彼の真摯な態度に怒りが収まったのか、眉間の険は解消された。で、すぐに周囲から注目を集めてしまっていたことに気付き、エリーは少しばつが悪そうにし始めた。


「ううん。私こそごめんなさい。少し言い過ぎたわ。ちょっと感情的になっちゃった」

「そんなことはない。エリーの言う通りだった。俺が悪い。叱ってくれてありがとう」

「別にお礼なんか……」


 と言いかけて、何かに気づいたのか、ふふふっと笑った。


「そうね。ここでお礼を受け取らないとなると、私もさっきまでの貴方と同じになるわね」

「そうだ。だから」


 彼女の手から首飾りを受けとる。これはいつか売って、どこかで彼女に還元するつもりだ。


「だから今度、良かったらお詫びを兼ねたお礼をさせてくれないかな」

「それは、もしかして……デートのお誘い、みたいな?」

「そう受け取ってもらっても構わないよ。折角知り合ったんだ。今後もエリーとは友人としてもっと仲良くなっていきたいし。駄目かな?」

「ん~。そうね……考えといてあげる」


 と、エリーはにこにこと微笑んだ。そんな姿を目にしたライコウは、彼女は不機嫌な表情よりも笑顔の方がよく似合う。という感想を抱いた。今後は気をつけた方がいいだろう、とも。

 完全に機嫌を良くし、再び鼻歌を歌い始めたエリーに今度はライコウがほっと静かに胸を撫で下ろす。そして彼は彼女の見えないところで首飾りをそっと〈アイテムボックス〉に仕舞った。



 ◇◇



 道中いろいろあったが、途中脇道に入り、曲がり角の更に奥まったところまで行った先で、二人と一頭はようやく目当ての宿泊宿の前に辿り着いた。


 天晴てんせい亭―――それがこの宿屋ペンションの屋号だ。


 天晴亭の外観は周囲のと大して変わらない、白漆喰モルタルの三階建て建築だ。

 ただ、大通りどころか冒険者支部沿いの通りからも少し遠い立地から見るに、どうも隠れ家的で、宿泊客を無闇やたらに取らないよう()()()にかけているようにも思えてならない。

 店前で飾られた吊り看板――満面の笑みを浮かべた太陽をかたどっていた――の下に位置する扉を開けると、どっと室内の賑わいが溢れんばかりに流れ込んできた。

 一階はどこのペンションにもあるように、食堂となっていた。大きな丸テーブルが三つか四つ、四人一組の角テーブルが六つ。酒や料理がいっぱいに並べられたテーブルを囲むように座る客たちは、笑いながら閑談していた。右側はカウンター席となっていて、大量に並ぶ酒瓶はビアホールを思わせる。

 奥の出入口からは従業員だろうか、エプロン姿の少女がひっきりなしに出入りしていて、奥から漂う美味しい香りとともに何か焼き上げるような音が聞こえてくる。おそらくそこが厨房だ。


「いらっしゃい! お兄さん一人かい?」


 玄関から見て左奥の壁沿いにある二階へと続く階段によそ見をしていると、客らの馬鹿笑いに負けないぐらいの大声で声をかけられた。エリーが小さなカウンターに置かれていたベルを鳴らしたのだ。

 声をかけ、こちらに近寄ってきたのは青い花柄のワンピースを着たふくよかな老婦人だ。薄ピンクの花柄のバンダナを頭に巻いている。


 なるほど看板のとおり、老婦人は太陽のように朗らかな笑顔をしている。食堂内の和気あいあいとした雰囲気と暖かな照明も相まって、田舎の祖母の家に遊びに行ったような気さえする。


「ただいま、女将グランマ!」


 ライコウの陰に隠れていたエリーがひょっこり現れると、あらまあ、おかえり! とまるで家族を出迎えるように彼女を抱き寄せた。種族の違いを除けば、傍から見れば完全に祖母と孫娘だ。


「ずいぶん早かったのね。サファイアちゃんとは飲みに行かなかったの?」

「うん、友達をここに紹介しようと思って」

「お友達?」女将さんは傍らに立つライコウを見て意味ありげに微笑み、「あらやだ~、珍しいこともあったものね。エリーちゃんが男の子を連れてくるなんて。なになに? 彼氏?」

「違うよ~」エリーはライコウを気にしてか困ったように笑いながら否定して、

「まだそんなんじゃないって。泊まる宿がまだないって言うから連れてきたの」

「うふふ……()()、ね」

「……あっ。ふふふ」


 からかうように指摘する女将さんと、うっかり口を滑らせてしまったエリーは互いに笑いだし、ライコウをほっぽって立ち話を始めてしまった。

 二人の()()()()()は『彼氏』を話題のキーワードにして、どこそこの誰かちゃんに彼氏ができてね、と続いた後は二転三転と会話を脱線し始めていった。

 次第に彼女たちはライコウの存在を忘れてしまったようで、お喋りに夢中になっている。こうなってしまえば世の男は御手上げだ。楽しげな会話に分けいって止める訳にも行かず、ライコウがどうしたものかと困っていると、


「おばあちゃん! そこのお兄さんが困っているじゃない! もう!」


 ダッダッダッダッダッ。

 若く甲高い声とともに、床板を踏みぬく足音がこちらへと近づいてきた。足音の主は先ほど見かけたエプロンを着た可愛らしい少女だ。女将と同じバンダナを頭に巻いている。


「おばあちゃん、お父さんが呼んでたよ」

「あらま、そう?」


 続きはまた今度ね、とエリーに言うと少女と入れ違いになるように厨房へと向かっていった。その入れ代わりにやって来た少女は、腰に手を置き呆れた眼差しでエリーを見やった。


「エリー姉おかえり。いつも言ってるけど、他にお客さんがいるときは、あんまりおばあちゃんの相手をしないでよ。仕事忘れちゃうんだから」

「あはは……ごめんね。マリア」


 膨れっ面の少女マリアを前に、エリーは両手を合わせて謝る。本来なら従業員が客側に謝りそうだが、ここでは立場が逆転していた。女将のときもそうだが、彼女らのやり取りから察するに、ただの客と従業員の関係ではない、わりと親しい間柄のようだ。

 マリアは短く溜め息を吐くと、明るい営業スマイルでライコウに向き直った。


「いらっしゃい。今日は泊まり?」ちらっとエリーを見て「……それとも食事だけ?」

「ん、泊まりで頼みたい。空いている部屋はまだあるかな」

「大丈夫。まだ二部屋空いているわ。泊まりは一泊朝夕の二食つきで30ギラー。支払いはシャムスでもシャハルでも良いわよ? うちはどれにも対応してるから。あとは……うしろの子はお兄さんの?」


 宿に着いて以降、一言も(念話で)発することなく大人しく座っていたハクは、自身のことを言われたのに気付き、マリアの方を向いて愛想よく尻尾を振った。

 が、それまでずっとしていたかのように、すぐに厨房やテーブルばかりに視線を走らせる。やはり食べ物に気をとられてのことだったか。

 ライコウはそうだと答えると、マリアは契約獣は一体につき10ギラーとる規則なんだけど構わないかと訊ねてきた。すこし高いような気もしたが、規則ならば仕方ない。風呂の為なら仕方ない。


「ああ、構わないよ」

「なら決まりね。ここに几帳して」


 カウンターに置かれた宿帳に名を几帳している傍らで、マリアはカウンター越しにエリーに顔を近づけ何やら話していた。はっきりとは聞き取れなかったが、おおよその内容は『彼と一体どんな関係か』に集約されていた。

 祖母に似てのことなのか、それとも女性はそういう話が好きなのか。会話に事欠かない彼女たちの目を盗み、几帳し終わったライコウは他に知り合いが居ないかページをめくる。


(……ん、エリー・アオ・クランクス……はエリーのことか。他は……ない、か~……)


 エリーと思われる名前以外に、ライコウの知り合いの名前はひとつも見当たらなかった。

 宿帳の表紙にはNo.29と書いてあるため、この宿帳だけでは過去に知り合いが泊まっていたかどうか判断がつかない。だからといって、泊まっていたからなんだという話だが。

 書類や台帳のたぐいがあったらつい目を通したくなってしまうのは、職業病とも言うべき悪癖だろうか。ついついページをめくってしまう。


「終わったよ」

「あっ、はいはい。えーっと、ライコウ・クラッカートさん……ね。それで何日泊まる?」

「ん~……実はあまり決めていないんだ。行き当たりばったりな予定でね」

「なら、先にまとめて払っちゃって、足りない分は追加で払うスタイルをお薦めするわ。チェックアウトしたとき代金の残額を払い戻すし。ただし料金未払いのまま部屋に戻って来なかったら、こっちで荷物を処分しちゃうけど」

「いいね。じゃあ、それで。とりあえず……」


 マリアの勧める提案を受け入れ、ライコウは払いを済ますべく財布を取り出した。分厚い財布の中をペラペラとめくり、目当てのギラー紙幣を取り出そうとしたところで、彼はふと視線を上げると、マリアがあまり浮かない表情をしているのが目に入った。


「…………もしかして、紙幣これ使えない感じ?」

「え? あ、ううん。使えるわ。使えるけれど、そういう訳じゃないのよね……」

「ライコウは知らないかもだけれど、ここら辺じゃまだ紙幣に対して抵抗感が残ってるのよ。お金はやっぱり金か銀じゃなきゃ~って」


 ライコウが取り出した10ギラー紙幣に、微妙な視線を送るマリアに代わって、エリーが事情を説明してくれた。


 以前より、国内外の商業組合から強い要望を受けていた王政府は、ギラー金貨と兌換できるギラー紙幣をつい三年前に導入したばかりだそうだ。

 政府に陳情していた大金を動かす商人にとって、重く嵩張り、知らぬ間に摩耗して価値を落とす硬貨よりも、比較的軽く持ち運びのしやすい紙幣の方が断然良く思えるのだろう。

 商人の間では為替は昔からあったが、某大国が自国の通貨を大規模に金貨を紙幣に切り替えてしまって以降、大口の金融・商取引以外の場――町の商店から子どものおこづかいまで――でも広く使える『紙幣』に高い関心が集まっていたそうだ。

 その某国のように市民一般層にまで浸透すれば、その便利さから大きな経済効果が期待される。伴って、新たなビジネスチャンスも得られるかもしれない、と。


 しかし、千年以上の永きに渡って、貴金属でできた通貨を用い慣れ親しんだ者らにとっては、この革新的な紙幣に飛び付けず、抵抗感を抱く者たちも一定数いた。

 大陸の西と東をつなぎ、南部の港からも物と金が集まる大陸有数の商業国であるメソルドが、金と兌換出来ないとは思えないが、今後、万が一にもないとは言い切れない。そんな不安を抱く者たちも少なからずいた。


「頭ではコインより紙の方が扱い安いし、良いって分かるんだけれど、なんだかこう、ね」

「あー、思い出した。昔、俺の地元でも頑なに『銀貨を使い続ける。ノーペーパー!』って態度を変えなかった奴らがいたな。俺はそいつらを貴金属主義者って呼んでたけれど」


 取り出しかけていたギラー紙幣を仕舞い、代わりにギラー金貨を数枚取り出しマリアに渡した。


「はい。二十五日分、ね。でも、私はその人たちほどじゃないわ。ただ、慣れてないだけ」


 にこりと笑むマリアは代金を受け取ると、宿帳の項目――ライコウがサインした隣のマスに、確認をとった従業員名とライコウが二十五日の宿泊する情報を書き込んでいく。

 さささっと記入した後、マリアはカウンター下から引き出しを引き、札のついた複数の鍵のうちからひとつを引っ張り出した。


「じゃあこれがライコウさんの部屋の鍵。二階の二〇五号室よ。あと、部屋を空けるときは一声かけてね。鍵と貴重品を預かるから」

「分かった。ひとつ訊きたいことがあるんだがいいかな?」

「何かしら。……宿()()()()()()なら、答えるわ」


 営業スマイルは崩さないが、腕を軽く組み、少し警戒しているように見える彼女の態度に、ライコウは瞬きした。


(……『宿泊について』だけやたら強調された気がするな……)


 マリアはきれいだ。美女という訳でも、美少女というほどでもないが、かわいい街娘と言った方がしっくりくるだろう。

 十代らしく、彼女の顔立ちには未だに少女としてのあどけなさが残っているが、その童顔に似合わない内側から衣服を大きく押し上げる躰の一部分と、快活に笑顔を振りまく姿はじゅうぶん魅力的だ。

 おそらくだが、宿泊客のなかには、彼女に対して個人的な質問をする輩が結構いるのだろう。それならば、質問をしようとする男客に対して少し引いた態度をするのは頷ける。

 それならばと、ナンパ客に間違われないよう、ライコウは努めて自然に彼女に視線を合わせ続ける。


「ありがとう。この宿には浴室がついていると聞いたんだが、料金は宿代と一緒なのか?」

「ええ、もちろん。お風呂はあまり大きくはないけれど、ちゃんとついてるわよ。湯浴みは大衆浴場で済ませるから利用しないっていうなら値引くけど」

「いや、いいんだ。もうひとつ質問いいか?」

「どうぞ」

「タオルや洗髪剤(シャンプー)とかは売ってくれるのかな」

「いいえ、別に買い求める必要はないわ。それも宿代に入ってるの。だいたい全部で10ギラーで足りるわね」


 いちいち別売にしないで宿代に全部入れたほうが楽でしょう? とも言った彼女の答えは合理的だ。湯浴みグッズ一式を持っていない者からすると色々と手間が省けて大助かりだ。


 ライコウはマリアから鍵を受けとると早速部屋に向かうことにした。着替えついでに部屋の確認――特に浴室の確認をしようとの考えのことだ。

 一方エリーはというと、満面の笑みのマリアに腕をがっちり掴まれているのでこの場に留まることになるのだろう。また後で、と彼女らに別れを告げてハクを連れて階段を上っていった。





 

ギラー紙幣には、1G・10G・20G・50G・100Gと六種類発行され、金貨には同様に50Gまで鋳造されている。

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