第59羽
【白氷銀華】
それは花の名前である。
草木はなんの理由もなく花を咲かせるわけじゃない。花を咲かせるにはそれなりの理由がある。
もっとも一般的なのは受粉のためだろうか。花の蜜を吸いに来る虫の足へと花粉を付着させ、虫を介しておしべからめしべへ花粉を届けるというわけだ。
そのため花が咲く季節というのは、基本的に昆虫や動植物が活発に動く時期でもある。逆に雪が降り積もる冬に咲く花というのは珍しい。
白氷銀華はそんな珍しい花のひとつだ。
広葉樹が葉を散らし、大地が雪に覆われる。そんなモノクロな季節に白氷銀華は花を咲かせる。
一面に続く真っ白な雪原の中、自らを過度に主張するわけでもなく、ただひっそりと、しかし気高く咲き誇る銀色の花。それが白氷銀華だ。
群生はせず一輪咲きであることや、未だ人の手による栽培が成功せず、その存在が野生種のみに限られていることから、【誇り高き雪の女王】とも呼ばれている。
花言葉は【気高さ】【自主性】【不屈】、あとは……えーと、なんだっけ?
まあいいか。
ティアがダンジョンへ潜るようになってから結構な日数が経っている。
目的はあんたも知っての通り、ダンジョンの攻略や賞品集めじゃあない。そう、魔力を使い切るためだ。
だから使う魔法がとにかく大規模で派手なんだよ。魔力を余分に消費するため、不必要なほど大げさな魔法へわざわざ改変してから使っているみたいだ。
できる限り人が少ない場所を選んではいるのだが、立ち入りが自由である以上は完全に避けるのは無理だ。時折ティアの無双中に他のパーティが遭遇してしまうことだってある。
そこで目の前に広がるのが、派手な魔法を使い、たったひとりでモンスターを瞬殺している銀髪少女。抜群のインパクトと言えよう。
床や壁面を巻き込んで、モンスターもろともあたり一面が凍ったダンジョンの一角。備え付けのスピーカーですら氷に包まれ、音をたてる物がなくなった静寂の空間。その中で凛としてたたずむティアの姿を見て誰かが【白氷銀華】と呼び始めた。
その異名と共に、ティアの存在はあっという間に広がっていく。あることないこと尾びれがついて。
曰く「隣国のお姫様がお忍びで遊びに来ている」(惜しい。良いところのお嬢という意味ではちょいとかすってるんだが)
曰く「メイドとして自分が仕えるにふさわしい主人を探している」(なんでメイド? エプロンドレス着たまま戦ってるからか?)
曰く「幼い頃に呪いをかけられ、それ以来常に孤独を強いられている」(うーむ……。魔眼のことを考えるとあながち否定はできないが……)
曰く「実は領主の隠し子で、亡き母のため父親へ復讐すべく腕を磨いている」(どっから来たんだ、そんな裏設定!?)
曰く「運命の出会いを求めてダンジョンで自分にふさわしい男性が現れるのを待っている」(それ、単にお前らの願望だよね!)
等々。
噂なんて無責任なもんだよな、と頭ではわかっているが……。本当のことを知っている立場からすれば、失笑するほかない。
ちなみにもっとも支持されているのは最後の『運命の出会いを求めて説』である。男ってホント馬鹿だよねー。
そんな馬鹿男のひとりが、今ここに姿を見せる。
「なんという神のお導き! こんなところで【白氷銀華】に会えるとは!」
ちっ、よりによってこいつかよ。
視界の端で、ティアが顔をしかめているのが見えた。
声の主である男は仲間を引き連れたまま歩み寄ってくると、俺など眼中にないと言わんばかりにティアへと賛辞を送る。
「ああ、その麗しき立ち姿。神々しくも清廉なる輝きの銀髪。艶やかでありながら可憐な青き瞳!」
何言ってんの、こいつ? っていうか、それ何語?
「この広い世界で奇跡とも言える出会いは、言わば運命! きっとこれは神の思し召しに間違いありません!」
いやいや、神様だってそこまで暇じゃねえだろ。むしろこの出会いが神様の采配だとしたらとんだボンクラだよ、その神様とやらは。
え? 何? 言い過ぎ? すまんすまん。
「ティアルトリスさん。よろしければこの後ご一緒にお食事でもいかがで――」
「お断りします」
ご大層な言葉を並べたところで、結局ただのナンパだよね、それ。
それはそうと断るの早えな、ティア。いや、別にこんなやつの誘いを受ける必要なんてないんだが、かぶせ気味に拒否するのはどうなんだろう。せめて最後までセリフ言わせてやれよ。
「なぜですか!? ティアルトリスさん!」
「見ず知らずの方にファーストネームを呼ばれる覚えはございません」
「見ず知らずだなんて……。私ですよ、バルテオット・ルオ・ミーズです。先週街でお会いしたじゃないですか」
「記憶にございません」
機械的な微笑みを浮かべる銀髪少女が政治家みたいなことを言い出した。
「では是非ともこれを機会に覚えていただけると嬉しいです。私のことは『バルト』と呼んでください」
「関係各所との協議を踏まえ、可能な範囲において善処する方向で考えさせていただきます」
ティアはなおも政治家みたいな言い回しを続ける。
「ではさっそく親睦を深めるために食事――」
「お断りします」
早えよ! クイズ番組の早押し問題か!
まあ、こんな男はその程度の扱いで十分だと俺も思うけどな。
このバルテオットという男。俺も別に知らない相手というわけじゃない。嫌いだがな。
実はフォルスやラーラと同じ、学生時代のクラスメイトだったのだ。当時も嫌いだったがな。
元貴族の家柄を鼻にかけるだけでもムカツクのはもちろん、事あるごとに魔力の無い俺へ突っかかってきていた。嫌って当然だな。
魔力が無い特異体質のおかげで、学生時代に嘲笑、冷笑、侮蔑、憐憫――そういったものを向けられるのはよくあることだった。むしろフォルス達のように対等の関係を築こうとしてくれた人間の方が珍しい。だから多少指を差されて笑われるくらいならいちいち気にしていなかったんだよ。時間の無駄だからな。
だがそんな中で一番俺をコケにしてくれたのがこの男である。公衆の面前で何度恥をかかされたことか。その度にぶん殴ってやりたい衝動を押さえ込まなくてはならなかった。
まあたとえ魔力が無い俺が殴りかかったところで、平均以上の魔力をもっているバルテオットに一撃入れられるとは思えないし、それ以上にヤツは旧貴族の人間だ。
確かに貴族制度が廃止されて既に何世代も経っている。だから法の上では対等の立場と言えるだろう。だが『腐っても鯛』『旧でも貴人』である。貴族の特権がなくなったとしても、その財力や権力、社会的地位までが全てなくなったわけではない。
ヤツらにとっては俺のような一般市民など、吹けば飛ぶような存在でしかないのだ。俺ひとりならともかく、家族にまで迷惑がかかってしまうのは避けたかった。
幸いなことに、向こうが実力行使に移りそうなほど状況が緊迫したときは、フォルスが間に入って場を収めてくれたので大事に至ったことはない。だから卒業するまで何とか無事やり過ごすことが出来た。手が出せない分、嫌みや皮肉は山のように浴びせられたけどな。
卒業したとき『二度と会いたくない』と思ったもんだが、やはり同じ町に住んでいる以上、ニアミスすることだってある。つい先週もティアと買い物に出かけた先で出くわしてしまったのだ。それがそもそもの不幸だった。
バルテオットはティアをいたく気に入ったらしく、前回も強烈なアプローチをかけてきたのだが……。まさかこんなところでも出くわすとは思わなかった。
「時間がありませんので、これで失礼します。先生、早く行きましょう」
早々に話を切り上げて立ち去ろうと、ティアが俺に声をかける。
「ふん。なんだ、居たのか『残念レビィ』」
初めて気がついたかのような口ぶりでバルテオットが俺に目を向ける。
これだ。
俺がヤツを嫌う理由はいくつかある。そのひとつが相手によってあからさまに変わるこの態度だ。
バルテオットはある意味単純な男である。
ヤツにとって世の中の人間は『気に入った人間』と『気に入らない人間』、『価値のある人間』と『無価値な人間』にハッキリと分けられているようだ。加えて相手が『男』と『女』の場合でもすみやかに対応が変化する。
さしずめヤツにとってフォルスは『気に入らないが価値のある人間』、俺は『気に入らないし価値もない人間』なんだろう。おまけに男だからその扱いは推して知るべしである。
具体的にはこんな感じだ。
「――でもトイレの水は魔力反応式のボタンで流れるよな?」
「それがどーしたの?」
「『残念レビィ』は魔力が無いだろ? そうするとボタンが反応してくれまっせーん」
「あっ、そっかー」
「ここで問題。『残念レビィ』はどうやってトイレの水を流すでしょーか?」
「えー? わかんなぁい」
「蛇口からバケツで水を汲んできて、エッサ、ホイサ、エッサ、ホイサと頑張って流すんですぅ!」
「あははー、なにそれー? ちょーうけるー!」
「もしくは流さずにそのまま放置してるのかもだぜぇ!」
「やだー! ふけつー!」
人をダシにして女子との会話に花を咲かせるんじゃねえ! おまけに根も葉もないデマを流すな! 見てきたわけでもねえのにコミカルな動きを付け加えて捏造すんな! 魔力反応式ボタンが使えなくても、メンテナンス用の物理式ボタンが裏の方にちゃんと付いてんだよ!
ヤツにとって『気に入らない価値のない男』とは女の子を笑わせるためのネタ程度に過ぎないのだ。
まあ、そんな性格で周囲から好かれるわけもない。旧貴族だけに表立って反目する人間はほとんど居なかったが、大半の人間からは嫌われるか、あるいは一歩引いて関わり合いにならないよう敬遠されていた。ヤツが気を惹こうと懸命になっていた女子達にしても、一部を除いては愛想笑いだけ返して深入りを避けていたようだ。……逆を言えばヤツに迎合するクソ女が少数とはいえ居たってことなんだけどな。
正直顔も見たくないし、まして会話なんぞまっぴらごめんだ。
「悪い悪い。影が薄くて気がつかなかったよ。魔力が無いヤツは存在感も薄いんだなあ、さすが残念レビィ」
「えー、魔力ないってホント? 信じらんないー」
「ちょー、悲惨ー」
「マジかよ。俺なら人生絶望して死んじまうわ」
バルテオットの嫌みに続いて、後ろにひかえるパーティメンバー達が各々勝手なことを口にしはじめる。学生時代に見たことのある顔は無かったが、どうやら中身の方は当時の取り巻きと似たようなメンタリティの人間ばかりらしい。
パーティメンバーの冷笑は腹が立つが、バルテオットの嫌みなどいちいち相手にしても時間の無駄。さっさと場所を移動するのが――って。おいティア、お前目が据わってないか?
心なしか肌寒く感じるんだが? 気温下がってないか?
あれっ? おーい。ティアさんやー?
……えーと、何かまずそうな雰囲気なのでさっさと引き上げることにしよう。
「おいティア、行くぞ」
「……はい、先生」
返事まで若干間が空いたな、おい。何考えてた?
渋々と言った風にバルテオット達から視線を外すと、ティアはダンジョンの奥へ向かおうとする。
「あ、ティアルトリスさん。待ってくださいよ」
せっかく人が黙って立ち去ろうとしてるのに、ヤツがそこへ待ったをかけた。くそ、余計な事しかしねえな、こいつ。
「いくら腕に覚えがあると言っても、ひとりでは何かと不自由でしょう? あなたなら我々のパーティに歓迎しますよ?」
「結構です」
「どうして断るのですか?」
またも冷たい微笑を保ったまま即答するティアへ、理解できないといった風にバルテオットが訊ねる。
「何ひとつ不自由もしておりませんし、不満もありません。そもそもいつ私がひとりだと言いましたか? 私のとなりに居る人物が見えないのだとしたら、あなたの両目に入っているのはガラス玉か何かでしょうか?」
「そいつはただの荷物持ちでしょう?」
バルテオットがアゴで俺を指し示す。
いや、まあ確かに荷物持ちだよ。自分でもそう思うさ。思うけど、お前に言われると腹が立つ。
「本心からそうお考えなのでしたら、この先私があなたとご一緒する機会はおそらく永遠に来ないでしょう。では、失礼します」
そっけなく言い捨てたティアが歩き始める。俺は慌ててその後を追いかけた。
「いつでもお待ちしてますからね! そんなのとはさっさと縁を切った方がいいですよ!」
そんな俺達の後ろで、バルテオットの声が響いている。まったく、最後まで失礼なヤツだな。
2024/01/29 誤用修正 例え → たとえ




