第55羽
「ンー、ンンー」
ご機嫌な我が家のゴブリンが部屋の中を駆け回っている。
一体何が楽しいのだろうか? ルイは飽きることもなく、俺が座るソファーの周りを延々と走っていた。
害があるわけでもないし、見ている分には微笑ましいだけなので別に構わないんだが。
「ん? おい、ルイ。ちょっとこっち来い」
「ンー?」
ルイが立ち止まって少し首を傾げたのもほんの短い時間である。次の瞬間にはニコリと笑い、パタパタと足音を立てながら俺に突進してきた。
「ンー!」
その勢いのまま小さな身体を精一杯使ってジャンプすると、座っている俺のヒザに飛び乗り、ついでに無防備な腹へ頭突きを食らわせてくる。
「ぐぉ……」
幼児並の見た目とはいえ、そこは腐ってもモンスター。なかなかの打撃力であった。恐るべし、希少種モンスター。
「ンー、ンー」
そのままルイは俺の腹へ頭をスリスリとこすりつける。
なんだこれ? マーキングでもされてんのかな、俺?
グリグリと俺の眼下で動く小さな頭。普段ならそれにあわせて薄茶色のサラサラヘアーも揺れるのだが、今は少々普段と異なる物が眼に映る。
「そんな帽子、うちにあったっけ?」
ルイの小さな頭には、厚手の生地で作られた三角錐状の帽子が乗っかっていた。
「ンー?」
当然ルイに訊ねても答えが返ってくるわけもない。
「おーい! ティア!」
「なんですか? 先生?」
キッチンで昼食の支度をしていたアシスタント少女が顔をのぞかせる。
「これ、お前が買ったのか?」
そう言ってルイのかぶっている帽子を指さすと、少女の整った唇からは予想と異なる言葉が出る。
「いえ、買った憶えはありませんが……、あっ」
「なんか思い出したか?」
「それ、多分パルノさんの帽子ですよ。パルノさんが荷物整理している時に見た記憶があります」
ああ、あいつの帽子だったのか。
「忘れ物ではないでしょうか?」
「だよなあ。もしかするとルイがパルノにもらったのかもしれないが……、パルノ自身に聞いてみないとわからんな」
「聞いてみますね」
そう言うなりティアが自分の端末を操作して、パルノへ通信を試みる。
ちなみにティアの個人端末は左手の小指につけられている。いわゆる指輪型だ。もちろんそのままではティスプレイ表示部が小さすぎて使いにくいのだが、そこはそれ、良いところのお嬢様だけはある。ティアが使っている端末は魔力を使って立体ホログラフで表示が可能という高級品だった。
ホログラフを表示する際に多大な魔力を消費するため、平均レベルの魔力保有者では宝の持ち腐れとなってしまう高性能品だが、ティアにとってその程度の魔力消費は問題にもならない。
他意は無いのだろうが、「小さくて邪魔にならないですし、便利ですよ」と言ってのけるあたり、なんと小憎たらしい小娘であろうことなりや、まる。
「つながりませんね。オフモードにでもなっているんでしょうか?」
「パルノの住所はわかるか?」
「はい、一応ひかえてあります。もしかして届けに行かれるのですか?」
「どうせ今日は予定も無いしな」
もともとパルノの宿探しをする予定だったのだ。仕事も入っていないし、この時間から窓に行くのも億劫である。
俺はルイの頭から帽子を取り上げると、ティアから教えてもらったパルノの家へ向けて向かうことにした。
帽子を取られてルイは悲しそうに鳴いていたが、ティアが代わりに差し出したチョコレートケーキを前にすると、帽子のことなど忘れたかのように夢中でフォークを握りしめていた。あいつも大概チョロいよな……。
数分後、俺は帽子を片手に表通りを歩いていた。
ティアから教えてもらったパルノの家は、同じ街区にあるようだ。バスを使うほどの距離でもないため、俺は徒歩で向かっている。
暖かい陽気を感じながら俺は周囲を何の気無しに見て歩く。
道の脇には街路樹が植えられ、並行して一定間隔で街灯が立てられている。そのてっぺんでは都会に順応した野生の鳥が羽を休めていた。
街灯の支柱からぶら下げられた垂れ幕には『熱い季節がやってくる!』と、何のひねりもないキャッチコピーがイラストとともに描かれている。
俺の住んでいるこの町に、うだるような暑さの夏は来ない。一応四季らしき物はあるのだが、夏でも日本のようなジメジメとした暑さでは無く、カラッと乾いた暑さになる。日陰にさえ入っていればそこまでつらくは無いし、なにより寝苦しい熱帯夜とは無縁の土地柄だ。
垂れ幕のキャッチコピーにある『熱い季節』というのは、定期的に開かれる『あるイベント』のことである。日本風に言えば『大相撲春場所の季節がやってまいりました!』みたいな感じだ。
え? わかりにくい?
えーとな……、じゃあ『今年も甲子園の季節がやってまいりました!』って感じだろうか。これならわかるか? そうか。
俺も見るのは好きなんだけどなあ、あれ。自分で参加するのはマジ勘弁だけどな。学校の授業でやったときはさんざんだったよ。っていうか魔力がない俺にやらせんなっての! 無謀にも程があるわ!
ひとり脳内でヒートアップしていると、突然俺の端末から着信音が流れ始める。
「ん? ティアか?」
誰にともなくつぶやいて、胸元にぶら下げた端末を手に取った。
「へ?」
てっきりティアからの連絡かと思えば、端末のディスプレイ部分に表示されているのは真っ暗な画面。
なんだろう? つい最近見た記憶があるような、ないような……。
思わず歩みを止めた俺。それを見計らったかのように、真っ黒な画面へ白い文字が浮かび上がる。
《決めました、大家さん!》
『大家さん』の呼び方で瞬時に思い出した俺は、冷静に言葉を返す。
「『何を』だ?」
《名前です! 名前! ずぅーっと考えてたんですから!》
パルノの宿探しでバタバタしていて意識の外になっていたが、そういえば俺の端末には自称『幽霊ではない』女が取り憑いているんだったっけ。今の今まで忘れてたわ。
「んで? 一応聞いておこうか、名前」
《はい、私の名前は――》
そこまで表示された後、ディスプレイの文字がいったん全消去され、間を置かずに新しい文字が浮かび上がる。
《ローザ・マーティス・シュリア・クローディット・カノーペ・グラウト・エリオノール・レレント・パトリエッタ・フェンダー・ストリーナ・キャンベラ・オーレン・ピア・ドロール・メイリンスター・バッツ・キョーコ・ゼクルア・ヴァイオレット・シルディエ・ジュンナ・レシエンタ・ナーナ・トエリ・フォンセ・ヒロミ・サクリティス・エンロール・コーダー・》
そこで画面が埋まり、再び文字が消去された後で続きが表示された。
《ディッセル・ホーフル・タカマサ・シュタインドルフ・ポーラ・マベーリア・エネン・カイゼル・レオナルド・ナナリー・シエスタ・ロンドガル・ボリス・ウェイン・ライルト・ジュン・イオナ・タンメリア・マジェスナ・レバルト、です》
「長ぇーよ!」
何だよそれ人の名前か!? 人名というより学校の卒業名簿じゃねえか! 点呼とってんじゃねえんだぞ!
一画面に収まりきらないって、馬鹿じゃねえの!?
テストの時、名前書くだけで二、三問解く時間無くなるだろ! というより名前欄に絶対入りきらないよね!
突っ込みどころが多すぎて、いくつか日本人っぽい名前が混じってるのや、最後に俺の名前が入ってるところまで突っ込みが届かねぇ。
往来で突然大声を上げてしまったため、周囲の通行人からは冷たい視線が向けられる。心なしか道行く人が俺を避けて歩いている気がした。
そりゃそうだ。この端末を見ているのは俺だけだし、そもそも表示されている文字が会話の片割れだとは誰も思うまい。普通に考えれば道のど真ん中で届いたメールに大声で突っ込みを入れる変人である。
俺は声を抑えて端末へと訊ねる。
「何でそんな長い名前になる?」
返事は当然端末のディスプレイに文字として現れた。
《私がこれまでお世話になってきた方々の名前をいただきました》
「全員分?」
《はい、全員分》
それであんな名簿読み上げみたいな名前になったのか。しかも――。
「俺の名前が最後にくっついてるのはそういうわけか?」
《はい、大家さんには今現在お世話になってますので》
「なるほど……、とりあえず俺の名前はつけないで良い」
《ええ! そんな!》
「あと、やっぱり長すぎだ。フルネーム記憶する自信もないし、俺は最初のローザってのだけで呼ぶからな」
《せっかく考えたのですけど……》
なにやら不満そうな文章が浮かんでいたが、スルーしておいた。
自称ローザ(以下省略)の不満がつらつらと並べられる端末を意識の外に閉め出し、俺は何事もなかったかのように鼻歌交じりで目的地へと向かった。
この切り替えの早さが俺の良いところだと自負している。もっとも、履歴書の特技欄に書けるような内容じゃないから、仕事探す役には立たないんだけどな。
「ここ……、か?」
ティアに教えてもらったパルノの家はこの住所で間違い無い。
目の前には集合住宅の高い建物がある。多分十階建てくらいだろう。数えるのが面倒だから細かく数えたりはしないけど。
「ふーん、普通だな」
さすがに常駐警備員やオートロックはついていないようだが、パッと見たところごくありふれた賃貸マンションに見える。奴隷だからって別に安アパートに住んでいるわけではないらしい。
「確か五○七号室だったよな」
郵便受けを見ると、五○七号室のところへは『リーナ』と書いてあった。
間違えたかと思って一○一号室から最上階の九○八号室まで全部名前を確認してみたが、どこにも『パルノ』とは書いていない。
あれ? 建物間違えてないよな?
と、そこまで考えたところで気がついた。五○七号室の『リーナ』という名前だけがつい最近書かれたように新しい。
そうか、例の友人ってやつか。おそらくこのリーナの母親というのが今朝までこの町にいたのだろうから、考えてみれば確かに郵便受けの名前が『パルノ』じゃあまずいよな。
「ま、行ってみればわかるか。間違いだったら笑ってごまかそう」
俺は軽くため息をつくと、五階へ向けて階段を登り始める。
九階建てなのにエレベーター無いのかって?
……あるよ。
……………………魔力反応式のヤツが。
もういいだろ? 皆まで言わせるなよ。
同行者がいれば、俺だってエレベーターで移動したいさ。
くそっ、どうしてそろいもそろって魔力反応式のボタンなんだよ! 物理式ボタン使おうってヤツはいねえのかよ! そりゃ魔力反応式の方が単純な構造だから生産コストも安いし、耐久性も優れてるってのはわかるけどさ!
エレベーターの開発者と製造業者に心の中で罵声を浴びせながら階段を登る。
そして到着した五○七号室。
表札にはやはり『リーナ』の名前。
その下に呼び出しのボタン。
ボタンを押す。
反応無し。
くそお! 魔力反応式め!
「パルノー! いるかー!?」
仕方なく声をあげて、ドアをノックする。
しばらくたって、ドアの向こうからパタパタとスリッパの音が聞こえてきた。
さらに数秒が過ぎ、ドア越しのくぐもった声が聞こえてくる。
「ええ!? レ、レバルトさん!?」
ドアのロックが解除され、ゆっくりと開いた。
やはりこの部屋で間違い無かったようだ。ドアの向こうから現れたのは桃色ショートカットの奴隷少女。思いもよらぬ突然の訪問者に、もともと丸っこい目をさらに丸くしていた。
「ど、どうしたんですか? いきなり?」
「これ、お前のだろ?」
そう言ってルイがかぶっていた帽子を差し出す。
「え? あ、そうです! 私のです!」
「うちに忘れていっただろ。端末もつながらなかったからわざわざ持ってきてやったんだぞ」
「す、すみません」
「まあそれは良い。それより友達の母親というのはもう帰ったのか?」
もちろん帰ったからこそパルノが部屋に戻っているわけだが。
「は、はい。おかげさまでなんとかごまかせたようです。多分今頃友達も見送りに行ってるんだと――」
パルノがそこまで言いかけたとき、突如俺達の会話に割り込む声が横から聞こえてきた。
「あなたたち! 人の部屋でなにやってるの!」




