第43羽
またもや警邏隊の事情聴取を受けるはめになった俺達は、被害届を受理してもらった後に詰め所を後にした。
だが実際のところ、流れ者に縄をかけるのは相当難しいことらしい。
日本と違って逃げる先はいくらでもあるため、現場で取り押さえない限り、後日の捜査で行方を突き止めるというのは厳しいようだ。
「うちも人手不足だからねえ」
死人が出てれば話は別だけど、と露ほども意欲が感じられない年配の隊員には腹の底からムカついた。
ティアが止めなければ詰め所の中で騒ぎ立てて、逆に一晩ごやっかいになっていたかもしれない。
事件から二日が経過しても、警邏隊からは何の連絡もない。
学都の警邏隊からもだ。
ええい、二日前の事件は仕方ないにしても、学都の事件は実行犯捕まえてんだろうに……。
未だに何も連絡がないってのはどういうこった!?
「なにをブツブツとぼやいてるんですか、先生?」
ソファーに座って独り言をつぶやいていた俺に、お茶を入れた銀髪アシスタントが呆れ顔でやってくる。
「そりゃぼやきたくもなるさ。大金ぶんどられてニコニコしてたら、頭の中身を疑われること請け合いだろうが」
「そのわりにはずいぶんあっさりと彼の要求をのんだように見えましたが?」
「じゃあ何か? ルイの身よりも金を優先した方が良かったってのか?」
「まさか。先生がルイよりもお金を選ぶような方なら、今頃私はここにいませんよ。ただ、普通ならもう少しくらいはためらいがあるのではないか、と思いまして……」
言葉を返すティアの眼差しはやわらかい。
「そりゃ、二百万円持って行かれたのは痛いぞ。でもまあ、どうせ本の印税がまた入ってくるだろうし、手持ちの金に固執して危険を冒すこともなかっただろ?」
ティーカップにお茶を注いでいたティアの手がピタリと止まる。視線を俺に向けた彼女は、道端でオーパーツでも見つけたかのような目をしていた。
「先生……、まさかとは思いますが勘違い――」
「ンー!」
言いかけた銀髪少女のスカートに向けて、サラサラヘアーのくりくり坊主が突撃してくる。
庭で遊んでいたはずだが、お茶菓子の香りに誘われてやってきたのだろう。さすがモンスター。
その鋭敏な感覚をどうしてもっと有効活用できないんだろうな、こやつは?
「まあ! ルイったら泥だらけじゃない!? そんな汚い手ではおやつをあげませんよ! ほら、手を洗いに行きましょう」
見ればルイの体は土埃と泥でまみれている。
たぶんチートイとリンシャン相手に戯れていたのだろう。
やつら流の戯れは妙に情熱的だからな。
やがて風呂場からルイの声が響いてきた。
どうやらあまりの汚さに、手だけではなく全身をティアに洗われているみたいだ。
あの声は喜んでるのか?
いや、違うな。どっかで聞いた声だが……、どこだっけ?
「すみません、先生。お待たせしました」
「ンー!」
シャワーを浴びて小綺麗になったルイを連れ、ティアが戻ってくる。
「お茶も入れ直しますね」
「あ、そうか!」
思い出した!
「え……、どうしました、先生?」
「あ、いや……、何でもない。ただの独り言だ」
俺が慌てて取り繕うと、怪訝な表情を浮かべたままのティアがダイニングへと戻っていく。
そうそう、思い出した。
さっきの聞こえたルイの声。
帰りの列車内でハーレイにぶん投げられた時の叫び声と同じだったんだ。
体を洗われる時にいきなり冷水でもかけられたんだろうな。
「そういえば……」
あの時、ぶん投げられる前にハーレイが何か言ってたみたいだけど。
「なあ、ルイ」
「ンー?」
つぶらな黒い瞳が俺の視線を正面から受け止める。
「お前、ハーレイにぶん投げられる前に何かヤツから言われただろ? あれ、何言われたんだ?」
「ンー」
「って、お前に聞いても無駄だったよな」
「何が無駄なんですか?」
ちょうどダイニングから戻ってきたティアが俺の言葉を拾って聞き返してくる。
「あー、帰りの列車でハーレイがルイに何か言ってたろ? 放り投げる前に。あれ、何言ってたんだろうなって」
「ああ、あれですか」
「そう、あれ。ティアはあの時ヤツが何言ってたか聞こえたか?」
「いえ、何も聞こえませんでしたけど……」
「けど? 何か見えたのか?」
ティアの目は相手を見ていればその意思が見える。
強い意志であればあるほど明確に。そうで無い場合はおぼろげに。
しばしためらった後、銀髪少女は口を開いた。
「………………いえ、多分気のせいか、見間違いでしょう」
「なんだよ、何が見えたんだ?」
「先生が気になさるほどの事ではありません。捕まえるのに役立つようなことでもないですし」
いやいや、気になるだろうが。
そういう思わせぶりなのやめてくんないかね?
話はここまでとばかりにティアは顔をそらしてお茶の用意を始める。
そうですか、教えてくれる気はないのな?
さいですか。さいでっか。そうでっか。
「ンー! ンンー、ンーンー!」
俺のとなりでは希少種ゴブリンが身振り手振りを加えて何やら伝えようとしている……。
うん、ありがとうよ。
でもさっぱり伝わらんからな、ルイ。
懸命に何かを伝えようとするルイにティアと二人でほっこりしていたら、来客を告げる玄関の呼び鈴が鳴った。
何も言わずともすぐにティアが玄関へと向かってくれる。
はて? 誰だろうか?
特に来客の予定は無いはずだが。
玄関の方から家の中へ招き入れるティアの声がかすかに聞こえた。
エンジ――は絶対違う。
やつなら呼び鈴なんぞ押すこともなく勝手に入り込むだろう。
「兄貴ー! オレっすー! オレオレ!」とか潜水艦のアクティブソナーばりに周囲へ音を反響させながら。
ラーラ――も違うだろう。
あいつだったら呼び鈴くらいは押すかもしれないが、家の中に入るなり「ルイー! ルイは居ますかぁー!? レビさんは居ても居なくても良いですが、ルイはどこですかー!?」とか家主の存在を完全スルーした失礼千万な叫びを響きわたらせるに違いない。
事件について警邏隊が報告に来たのか?
――いや、だったらティアがいきなり家に招き入れるのもおかしな話だろう。
ティアのことだから玄関先で話を聞いてすませる気がする。
もしかしてフォルスが町に帰って来たのか?
それならありえる。
まあ、一番可能性が高いのは俺の妹や弟が訪ねてきた、ってところだろうな。
「やあやあ、どーもどーも。突然訪ねてきてごめんねホントごめん最初は明日連絡してから訪ねようと思ったんだけどたまたま他のライターさんと打ち合わせする用事があって近くまで来ちゃったんだよここまできたらもうついでだよね明日また足のばすのも面倒だなっていやべつにレバルト君に会いにくるのが面倒とかって事じゃなくて単純に会社からここまで来るのが大変だって意味だよ誤解しないでね。だってこのへん町の端っこってわけじゃないのにバス停遠いじゃない車で来られれば問題ないんだけど例によって駐車場ないから無理だしでもあんまり車走ってないからかな静かで良いところだよね執筆活動するにはぴったりじゃないもしかしてそこまで考えてこの家選んだのだったら結構レバルト君もあなどれないよね。それはそうと授賞式はどうだったかな僕も担当者として出席したかったんだけど部長が出張の許可くれなくて『自腹でいくなら有給休暇使っても良いよ』とかなにそれふざけんな腹パン食らいたいのかよって感じだけどまさかホントに上司を腹パンするわけにもいかないしストレスたまるよねー物悲しきはサラリーマンってことかな会社のお金で仕事としていくからこそ良いんじゃないかとか本音は言えないしおっと口滑っちゃったけどこれオフレコで頼むよ最近トラブル続きで同僚からは『トラブルヤムりん』なんて変なあだ名付けられてるくらいだからあんまり騒動起こしたくないんだよねってだったら口滑らすなとかいわれるんだけどねそうそうトラブルと言えば学都からの帰りに大変な目にあったんだって?」
姿を見せるなりガトリング砲も顔負けの弾を口から吐き出すその男は、グレーのスーツに身を包んでいた。
年のせいか、腹まわりが胸囲を確実に上回っていそうな体型である。
あっけにとられた俺は、アホの子みたいに口を開きっぱなしで言葉を失う。
「…………………………」
え……? あ……、はい……?
っと……落ち着け俺。
こういうときはまず深呼吸だ。
すーはー。
すーはー。
すーはーはー。
よーし、次は現状確認。
ここはどこ? ――俺の家ですとも。
この人はだあれ? ――共悠出版のヤムさんだね。
なんでこの人ここに居るの? ――知らんがな、そんなん。本人に訊け。
おっと、ずいぶん冷たい答えが返ってきたぜ。
まあしょせんは出席者俺俺俺議長俺の脳内会議だ。
俺にわからないものは俺にだってわからない。
何を言ってるのか自分でもちょっと分からなくなってきた。
まあいい、確かに本人に訊くのが一番だろう。
オーケー、マイブラザー。状況は把握した。
俺のおつむは平常運転。ノープロブレムだ。
「え、……ええ」
言葉を返すまでにわずかばかりの沈黙を挟んでしまったのは、この際大目に見て欲しい。
「実は物取り……というか強盗に襲われまして」
あれは強盗と言うのだろうか? 脅迫? いや恐喝かな?
「おかげで預金を全部持って行かれちゃいましたよ」
「そうなんだそれは災難だったねせっかく授賞式っていうめでたい席の帰り道だったのにお祝いムード台無しになっちゃったね災難と言えば今朝食べようとしたパンにカビが生えててやんなっちゃたよおととい買ったばかりだったのにもうカビが生えちゃったんだよあれもしかしたらパン屋が古い商品を売りつけたんじゃないかと疑ってるんだけど素人にはその日焼いたパンと前日焼いたパンの違いなんて見分けられないからどうしようもないよねそこはパン屋さんの道徳心を信じるしかないんだろうけどやっぱり商売は信用が第一だね。もちろん信用だけじゃあ腹はふくれないってのも真実だろうけど一度失った信用を取りもどすのは難しいものね僕だってあのパン屋には二度と行くつもりないしこうやって気がつかない間に客をひとりひとり失っていくんだろうな僕らも他人事じゃないから気をつけないといけないね。まあレバルト君も大変だったろうけどむしろ物書きにとっては格好のネタじゃないか前作と同じように今回の事件を元にひとつ書いて見たらどうだいもちろん前作みたいな話題性がないからどかんと売れることもないだろうけど預金すっからかんになっちゃったんでしょだったら早々に次の収入源得ないとまずいんじゃないの?」
「そりゃ確かにヤムさんの言う通りですけど、しばらくはそこまで慌てなくても大丈夫でしょう。重版の予定があるんなら、しばらくはその印税で食いつなぐこともできますし」
「ん? 印税? レバルト君何か勘違いしてない?」
ヤムさんが首を傾げて訊いてくる。
メタボなおっさんがそんな仕種したところで可愛くも何もないんだけど。
「え? 勘違いですか? 重版の予定あるんですよね?」
「うん、あるよ?」
「じゃあその分の印税がもらえるんでしょ?」
「うんにゃ、あげないよ?」
「へ?」
盛大に混乱する俺の後ろで、ため息と共に銀髪少女の小さなつぶやきが聞こえてくる。
「だから勘違いだと……」
「え? ちょっとヤムさん、どういうことですか?」
「レバルト君、契約書読んでないんでしょ?」
う……、確かにさらっと斜め読みしかしてない。
細かい話はティアに任せとけば大丈夫とか、あぐらをかいていたのは認めよう。
「今手元に契約書がないからハッキリとは言えないけど、部数にかかわらず印税は一括支払いだから、うちの会社。追加で印税を支払うことはないはずだよ。レバルト君だけ特別な契約内容になってれば話は別だけどそんなの聞いた憶えもないし」
「なっ……!?」
俺は言葉を失った。
と言うことは何ですか?
俺の財布はすっからかん。
入ってくる予定のお金はひっとしてゼロ円ってこと!?
え?
ええ?
ええぇーーー!?
それ、とっても……、まずい……よね?
まさかまさかの文無しアンド収入ゼロという衝撃の事実に、俺の思考が停止する。
視界が色を失い、俺ひとりを残して時間が止まったような錯覚を抱く。
目の前には苦笑するヤムさん。
ひざの上には無邪気な笑顔で俺の顔をのぞき込むルイ。
そして背後からはこれまでになく深い深ぁーいため息が部屋中に響きわたった。
◇◇◇(終)第二章 思いもよらぬ幸運にはもれなく厄介事がついてくる ―――― 第三章へ続く
2022/08/07 誤字修正 受賞式 → 授賞式




