第181羽
「ティア!」
「ティアさん!」
「姐さん!」
ティアの体を一本の剣が貫いている。
これは夢か?
いや、夢であったならどれだけ救われることだろう。
アヤとの戦い以外では決して後れを取ることのなかった、あの超絶チート娘が無残にも体を貫かれているのだ。
「フォルス……てめえ!」
俺の中から自分でも驚くぐらい、低く唸るような声が吐き出される。
「ごめんね兄上」
心底申し訳なさそうな顔でフォルスが詫びを口にした。
俺は一体どんな顔をしているのだろうか。
こちらの表情を見たフォルスが若干慌てたように自己弁護をはじめる。
「あ、いや。……だって大人しくしろって言ったのにティアさんが暴れ出すんだもの。……僕、悪くないよね?」
叱られる子供のように上目づかいでこちらを見てくるが、そんなことは関係ない。
俺は謝罪を聞きたいのでも言い訳を聞きたいわけでもねえんだ。
言いたいことはそれだけか、ああそれだけで十分だな。
あっても聞くつもりはねえよ。
むしろ口を開くな。
俺の感情が爆発しそうだ。
「だからつい勢いあまって……」
つい、だと?
勢いあまってだと?
そんな理由でティアを刺したのか、お前は!
「あ、兄上?」
なおも弁解をするつもりなのか、こちらの機嫌を伺うようなフォルスにとうとう俺の怒りが抑えきれなくなった。
手に持った神器が受け止められる限界まで神力を注ぎ込み、空間を圧縮してフォルスへ瞬時に肉薄する。
「待っ――!」
口を開きかけたフォルスに渾身の力を込めた神器を叩き込む。
間違って地面にでも向けようものなら大陸が一割ほど削れてしまいかねない威力だ。
さすがのフォルスもこれだけの攻撃を食らえばただでは済まない。
瞬時に防御したようだが、それでも重力を無視して横一直線に宙を舞い、クレーターの縁部分に衝突して埋もれていった。
「アヤ、ティアの回復を!」
すぐさま俺は倒れたままのティアに駆け寄ると、アヤへ傷を癒やすよう指示を出す。
「神様……」
だがアヤは動こうとしない。
どうしてだ。
なぜ俺の指示が聞けない!?
「神器の持つ力は人間にとって強すぎます。その強大な力を身に受ければ、肉体はもちろん魂も耐えきれるものではありません。私の癒やしでは体の傷を塞ぐことはできても……魂までは……」
…………。
ああ……。
そうだ。
そうだよ……。
俺はそんなことも忘れるくらい頭に血が上っていたのか。
人が、脆弱な人の魂が神器の力をまともに食らって無事でいられるはずがなかった……。
くそおっ!
……失敗した。
またやってしまった。
また間違えてしまった。
確かにルイをフォルスの手から解放することには成功した。
傷は深いがまだ世界は修復可能な状態にとどまっている。
でもティアが……、ティアが……。
ああ……。
心が痛い……。
見えない棘で隙間なく突き刺されているように。まるでそこだけが自分ではなくなったかのように空虚な痛みが止まらない。
一番失いたくないものをなくした苦しさが、レバルトという人間の感情を激しく揺さぶる。
なのに、被害を最小限に抑えられたとホッと胸をなでおろす神としての自分が、同時に俺の中へ存在している。
そんな自分が心底憎い。
くそっ……。
くそおおお!
「惚れた女ひとり救えなくて……、なにが……何が神だ!」
頭を抱え、ヒザから崩れ落ちる。
「ンー」
そんな俺の肩に小さな手がのせられる。
ポンポンと柔らかい調子で叩いてくるそれが、誰の手なのかは言うまでもない。
「ルイ……」
俺が顔を横に向けると、そこには傷だらけになりながらも無垢な笑顔をこちらに向けてくるルイがいた。
普段は癒やされるその笑顔も今の俺には受け止めるのが辛い。
「ンー」
「すまんルイ。今は……」
「ンー」
だがこちらの気持ちなど知ってか知らずか、ルイは俺の袖を引っぱり続ける。
同時にもう一方の手で横たわったままのティアを指さしていた。
「ルイ?」
まるでもっとよく見ろと言いたそうなその仕種に、俺は改めてティアの体へ目を向ける。
「え……?」
そして気付いた。
ティアの体からかすかに感じられる、人間が持つはずのない神気の存在に。
慌ててティアの上半身を抱き上げて間近に見てみると、確かに神気としか思えない気配がその中から感じられた。
「まさか……神気?」
「え?」
「どういうことですか、お父様?」
気が付けばアヤもクロ子も、ラーラやエンジまでもがすぐそばに寄ってきている。
「ティアの中から神気が……、本当にわずかだが神力が感じられる」
「えぇ? そんなまさか?」
「……私には全然感じられませんが」
俺ですらこうしてじっくり見て、ようやく気付くほどのわずかな神気だ。
使徒であるふたりが感じ取れないのも無理はない。
「どうして……?」
なぜ人間の体から神気が感じられるのか、その疑問はとあるひらめきにより解消した。
「あっ、そうか!」
人間が、いやティアが神気を宿すようになった原因に俺は心当たりがある。
チートイとリンシャン。
あの二羽のニワトリもどきだ。
チートイはフォルスの、リンシャンは俺の神としての力を封じ込めた擬似的な生命体だった。
当然その身には見た目からは想像もつかないほど強大な神力を抱えている。
そしてその二羽はときおり玉子を産んでいた。
ならば玉子にも本体から漏れ出た神力が含まれていてもおかしくはない。
あいつらが産んだ玉子の行き先はどこだった?
そう。
朝食の食材としてティアが調理し、それを食べていたのは主に俺とティアのふたりだ。
途中からはルイもそのメンバーに加わったが、ティアと二人だけで食事をしていた期間の方が間違いなく長い。
俺はもともと神力を持っているし、ルイは世界の形代である以上、神力があろうとなかろうと影響はない。
だが人間であるティアは別だ。
膨大な魔力はあっても本来神力など持つわけがないティア。
しかし継続的にチートイとリンシャンの玉子を食べ続けていたことで、少なからぬ神力をその身に宿していたのではないだろうか。
いや、そんな考察はどうでも良い。
重要なのはティアが少なからず神力を持ち、神気を宿しているだろうということだ。
だったら…………まだティアの魂は壊れていない!?
「アヤ、すぐにティアの傷を癒やしてくれ!」
「でも、神様それは……」
「良いから早く!」
「わ、わかりました」
有無を言わせぬ俺の言葉に慌ててアヤがティアの体を癒やしていく。
問題はこの先だ。
たとえティアが神力を持ち、魂が崩壊を免れていたとしても、それはかろうじて残っているというだけの話だ。
崖っぷちギリギリに立ってつま先だけで落ちるのを耐えているようなものだろう。
だから体の傷を癒やすだけではティアの命をつなげない。
なら俺は今ここで決断しなくちゃならない。
ティアをこのまま人として看取るか、それとも……新たに俺の使徒として迎え入れるかを。
アヤのように使徒化して俺の神力を注ぎ込めば、おそらく問題なく回復することができる。
しかしそれはつまりティアに人としての一生を狂わせることにもなる。
本人の同意も無しに普通はそんなことはできない。するべきではないだろう。
だが俺はどうしてもティアを失いたくない。
ため息をつきながらも俺を見放さない面倒見の良さや、冷たい目を向けてきながらも最後には笑って許してくれる懐の深さ、魔眼の呪いを抱えながらもその重圧に折れることのない頑張り屋なところ。
平然とした顔で膨大な魔力を放ち、剣を持たせれば当然のように一流の腕前。
ときたま妙に押しが強く、可愛らしい嫉妬で周囲の温度をしばしば下げ、俺を先生と敬いながらもぞんざいな扱いを隠しもしない。
俺にとってはその何もかもが愛しい存在だ。
ティアが俺に好意を寄せていることくらい、とうの昔に気づいていたさ。
それでも俺がその気になれなかったのは、家柄がどうとか年の差がどうとかそんな話じゃない。
単純に深層心理で人間と自分が相容れない存在だとわかっていたからなのだろう。
だけどよ……。
家柄?
はんっ、こちとら神様だ。元貴族の大富豪どころか王族皇族だって俺にとっては有象無象も同様じゃないか。
年の差?
ハハハッ。三十万歳超えてる俺にとっちゃあ、五歳や十歳程度誤差にもならん。
俺にとってはティアが大事だから、そばにいて欲しいから、あの笑顔を見ていたいから、そんだけ理由があれば十分だろうが。
「神様。その……傷が塞がりました」
「ああ、ありがとう」
物言いたげなアヤに礼を言うと、俺はティアの上半身を抱き寄せる。
「レビさん、何を?」
ラーラが何か言っているが、構わず無視する。
すでに神気を宿し、神力を内包することで下地ができているティアを使徒にするのは難しいことではない。
使徒が使徒たるゆえんは身にまとう神気であり、その体内に持つ神力だ。
そして使徒は神から下賜される神力を蓄えることで活動のエネルギーとしている。
人間でいうところの水や食べ物のようなものだ。
使徒はその口を介して神力を受け取っている。
アヤならば俺の手に口づけをし、クロ子の場合は俺が神力をこめた菓子を食べることで。
だから当然ティアにもその口を介して神力を受け取ってもらう必要があるのだが、なんせ今の彼女は意識がないため自発的に受け取るということができない。
ならばどうするか。
答えは簡単。こちらから強引に送り込んでやるだけだ。
俺はゆっくりと顔を近づける。
まぶたを閉じたままのティアは、たとえ表情がなくても美しい。
「え、ちょ、兄貴!?」
「え? え? えええぇー!?」
エンジとラーラが騒いでいるが気にしない。
俺とティアの唇がゆっくりと距離を縮めていく。
意識不明の時にこんな事をしたと知ったらティアは激怒するだろうか?
まあいいや。その時はティアの気が済むまでビンタでもなんでも食らってやろう。
今の俺ならティアのフルスイングにも問題なく耐えられる。
互いの間にあった隙間がとうとうゼロになった。
柔らかい感触が伝わってくる。
妙にバクバクと動く心臓がうるさいほどだ。
たかがキス。されどキス。
心が満たされるような充足感を体中で感じながらも、俺は口から直接ティアへ神力を注ぎ込んだ。
時間にすればほんの数秒。
だがそんなわずかな時間で注がれた神力はアヤやクロ子に与えた量よりもはるかに多い。
神力を注ぎ終えた俺は唇を離し、ティアの上半身を優しく抱きかかえる。
ティアの体を神力が駆け巡っているのを感じる。
爪の先から髪の毛の先まで。
血管を流れる赤血球から細胞の中に浮かぶミトコンドリアまで。
染み渡った神力がティアの体へ活力を与える。
脈が力強くなり、頬も血色が良くなり、あふれ出る神力がその体を淡く輝かせた。
「なんか光ってるんすけど」
「うん、光ってるな……」
エンジの指摘にぼんやりしながら答える。
……なんで光ってるんだろう?
おかしいな。アヤの時は光ったりしなかったぞ?
「ん……、先生……?」
そうこうしているうちにティアが目を覚ました。とりあえず考えるのはあとで良い。
「大丈夫か、ティア? 痛いところとか苦しいところはないか?」
「……いえ、大丈夫です。なんだか体がすごく軽くて。力がみなぎってくるというか……」
ゆっくりと立ち上がるティアの頭上に天使の輪がクッキリと現れる。
体から蒸気のようにあふれた神力が形作る使徒の証だ。
……ずいぶん濃いな。アヤやクロ子と比べても。
輪郭までハッキリ見えるような輪の形は俺も初めて見たぞ。




