第178羽
攻撃に移ろうとしていた俺へ、横から斬撃を加えてきたのはいつの間にかフル装備で身を固めていたフォルスだ。
いつぞやのフィールズ大会で見た覚えのある装備だが、見た目は同じでも中身はまったくの別物だな。
手に持つ長剣、体を守る金属鎧に小手、すね当て、額当て……。
どれもこれもべらぼうな神力の込められた神器ばかりだった。
「兄上と戦うのは模擬戦以外だとはじめてだね」
剣を振り下ろしながらフォルスが嬉しそうな顔を見せる。
「なんでお前は嬉しそうなんだよ!」
「嬉しそうに見える?」
「笑ってんじゃねえか!」
意味のない無駄口を叩きながら俺とフォルスが剣を交える。
性格や価値観は別として、力という意味では俺の分身にも等しい弟だ。
一瞬たりとも油断など出来ない。
繰り出される斬撃をいなしながら隙を付いて反撃を試みる。
だがさすがは俺の弟、その程度の攻撃はお見通しとばかりにその上へカウンターを合わせてきた。
「可愛くねえな!」
「ハッハッハ、今さら何を」
苛つく俺とは対照的に楽しそうなフォルスが剣を振る。
しかしこれは間合いが遠い。
牽制だろうと軽く後退したところで危険を察知して俺も剣を横に振り抜く。
その剣が届くはずのなかったフォルスの剣とぶつかって甲高い音を立てた。
「地味に嫌らしいことを」
空間を歪曲させることでフォルスが剣の軌道を無理やりねじ曲げたのだ。
神力を消費するため多用は出来ないはずだが、これをされるともはや剣の間合いなど意味をなさない。
問題はフォルスがどれだけの神力を溜め込んでいるかだが……。
さすがにそれを悟らせるようなことはしないだろう。
慎重なのはフォルスの良いところだが、こういう時は面倒この上ないな。
「どうしたの兄上? こんな時に考えごと?」
「うっせえ。お前にどうやってお灸を据えようか考えてたとこだよ」
「ずいぶん余裕ぶってるけど、自分の立場をちゃんとわかってるのかな?」
「真面目一筋だった弟が突然不良ぶって粋がるのを、ちょっと困って見守る兄の立場だな」
「……もっと困らせてあげようか?」
「ぬかせ!」
さすがの俺でも半身に等しい弟を無力化するのは骨が折れる。
正面から拘束しようとしてもまず無理だろう。
ならば搦め手で行くしかない。
こちとら三十万年間ずっと世界の理不尽なきまぐれに付き合ってきたんだ。
経験の多さだけは絶対に負けない。
ここまでフォルスと剣を交えながら周囲の空間全体に罠を張ってきた。
次元の向こうへ巧妙に隠しながらだからフォルスも気付いていないだろう。
強い一撃を叩き込んで、そのまま弾かれるように後退。
後は最後のポイントに仕掛けを潜ませれば――。
「準備は万端だ。とか思ってるんでしょ兄上」
「なっ……!?」
まるで心の中を読んだかのようなフォルスの言葉に、俺はすぐさまミスを悟る。
「兄上がそういう搦め手で来ることくらい予想済みだよ」
「くそっ!」
フォルスに悟られず周到に展開していたというのは俺の勝手な思い込みだったらしい。
俺の下半身を神力で編み込まれたネットが締め付ける。
「読まれて――!」
「搦め手なら僕を出し抜ける、とか思ってたんでしょ? 残念だね、僕がどれだけ長い間兄上を見てきたと思ってるの?」
気が遠くなるほど一緒にいた俺の片割れにはすっかりお見通しだったということか。
最後の仕掛けを配置しようとしていた場所へ、俺の動きを読んでいたフォルスがすでに罠を仕込んでいたのだ。
だがこの程度ならすぐに抜けられる。
俺はフォルスに向け、連続して神力を使った術で攻撃を放つ。
ほんの数秒、こちらに近寄らせなければそれで良い。
「だからさ。忘れてない、兄上?」
何をと言葉にしようとしたところへ、宙へ浮いた俺の足もとから強烈な魔力が塊となって襲いかかる。
「ブレス!?」
フォルスのおかげですっかり存在感を失っていた上位古白竜が、計ったようなタイミングでブレスを吐いてきた。
「必中か!」
上位古白竜のブレスは放たれたが最後、標的に当たるまで時空を越えて追尾してくる。
たとえその射線に次元の狭間を生み出しても、瞬時にこの世界へと戻ってくるのだ。
避ける手段はない。
だが避けられないなら受け止めれば良いだけの話。
もちろんそんな芸当が出来るのは世界広しといえど俺とフォルスくらいだけだろうが。
俺は神器を剣から盾の形に変化させた。
神力の塊であるこの神器にもともと定まった形など無い。必要な時に必要な形を成し、最大限の力を発揮するのがコイツの良いところだ。
体をすっぽりと隠せる大きさの盾に変わった神器が、上位古白竜の放った白色ブレスを受け止める。
岩をも溶かす高熱が盾に注ぎ込まれるが、その程度ではビクともしない。
「後ろががら空きだよ!」
上位古白竜のブレスを防ぐ俺の背後にフォルスが回り込んで斬りかかってくる。
だがフォルスが俺のことをよく知っているように、俺だって弟のことは誰よりもよく知っている。
当然この機会に攻撃をしてくることくらい――。
「お見通しだ!」
すでに神力ネットでの拘束は解いた。
自由を取り戻した俺は神器の形を再び変える。
今度はエンジが好んで使う小剣の二刀流だ。
フォルスの剣撃を右手の小剣で弾き、すかさず左手の小剣で突きを繰り出す。
さすがのフォルスもこれは避けきれない。
突き出した小剣が防具に守られていないフォルスの二の腕をかすめて手傷を負わせる。
「くっ!」
いくら強靱な体を持っていても神器の攻撃を食らえば負傷は免れない。
今がチャンスともう一撃入れようとした俺の周りを、体長二メートルほどの白い猛禽が囲んだ。
「上位古白竜の眷属か!」
一体一体が神獣レベルの力を持った上位古白竜の眷属は、フォルスへの攻撃を妨げるように俺へ襲いかかってくる。
今の俺にとっては大した強さじゃないが、鬱陶しいことこの上ない。
「こんなので俺の相手が務まるとでも!」
今度は神器の形を弓へと変える。
矢をつがえないまま頭上へ向けて弓を引く。
放つのは神力をそのまま矢の形に変えたものだ。
真っ直ぐ上へ向かっていった神力の矢は、ある一点まで達すると分裂して三百六十度隙間無く広がっていく。
花火のように散った無数の矢が今度は矢じりを下に向けて雨のように降り注いだ。
次々と神力の矢に貫かれて上位古白竜の眷属が落ちていった。
だが捨て駒とはいえフォルスにとっては態勢を整えるまでの時間が稼げたのだから、それで十分なのだろう。
再度フォルスが斬りかかってくる。
俺は神器を両刃剣の形に戻すと、正面から斬撃を受け止めた。
「なんでこんな事をしでかした?」
今さらと分かっていても問いかけざるを得ない。
記憶を取り戻した俺には、フォルスの言っていた『この世界は出来損ない』という意味も理解できる。
なんせ出来損ないになってしまったのは他ならぬ俺のミスが原因だからな。
「異元結節点の作り方を人間にもたらしてまで何をしたかったんだ?」
異元結節点というのはアヤが疑似中核と呼び、シュレイダーたちが聖球と呼んでいた例の球体だ。
本来ダンジョン中核とはまったくの別物なんだが、次元の繋がりをこじ開けて膨大な魔力を引き出したり、逆に魔力を排除する力があるところへフォルスは目をつけたのだろう。
使い方次第では今回みたいな状況を生み出すことが出来るからな。
「さっきも言ったでしょ。この世界をいったんリセットして欠陥のない新しい世界を作り直すって。異元結節点の事を思い出してみたら、この世界を手っ取り早く消し去るのにちょうど良い道具になりそうだったからね」
「確かにこの世界は不完全だろうさ。だからといって滅ぼす必要がどこにある!?」
剣を打ち込みながら俺はフォルスの言い分を否定する。
「不完全で何が悪い。不完全な世界でも不完全なりに生命は育まれる。世界はそれひとつがあるだけで無限の生命を生み出してくれる。かけがえのない価値を持っているんだ。簡単に滅ぼして良いものじゃない!」
まるでこの世界は価値がないとでも言いたげなフォルスの主張に、自然と声が強くなる。
「優しいね、兄上は。こんな世界にすら慈悲をかけようだなんて、創造主にふさわしい懐の深さだ」
なぜか悲しげにも見える表情を浮かべたフォルスが、次の瞬間眼光を鋭くさせて攻撃の手を強めた。
「でもね、それは逆に言うと甘いって事だよ!」
神器と神器のつばぜり合い。
その余波で周囲の空間が歪みはじめる中、俺の背後から強い魔力の塊が近づいて来た。
「フォルスごと!?」
その正体は上位古白竜の必中ブレス。
俺を剣で押し込むフォルスもろとも巻き込んで攻撃するつもりか?
「逃がさないよ!」
それが狙いだったのか、フォルスは俺の行動を阻害するように圧力をかけてくる。
もともと上位古白竜の必中ブレスは回避不可能だが、防ぐことは可能なのだ。
だが先ほどその必中ブレスを防いだ神器は今、フォルスの神器とつばぜり合いの真っ最中。
俺の背中は無防備な状態のまま上位古白竜のブレスを浴びることになるだろう。
とはいえ俺とて腐っても創造主。
「それくらいで――!」
出し惜しんできた神力をここぞとばかりに使い、俺はその場で新たな神器を作り出す。
正八角形の大きな盾が俺の背を包み込むように出現した。
間を置かず上位古白竜のブレスが俺とフォルスに命中する。
確かに馬鹿げた威力のブレスだが、放った相手が悪い。
生み出されたばかりの神器は傷ひとつつかず俺を守り抜いた。
それは結果として俺の正面にいたフォルスをも守ることにつながってしまうが……。
「そんなに神力消費して大丈夫なの?」
イケメンボイスで弟がとぼけたことをほざいた。
どうせ俺がこうして防ぐことは織り込み済みだったのだろう。
フォルスが上位古白竜のブレスを避けようともしなかったのはそのためだ。
神器で防げない状態を作りだして俺に神力を浪費させるのが本来の目的というわけだ。
だがな、フォルス。
あんまりお兄ちゃんを舐めないでもらおうか。
「俺がただブレスを防ぐためだけにこれを作ったとでも?」
その瞬間、俺の背中でブレスを防いだばかりの新たな神器が形を変えはじめる。
正八角形の頂点から白く細長い棒状の神力が生え、またたく間に広い範囲へと伸びていく。
白い棒は途中で左右に枝分かれし、分かれていった枝が他の枝と絡み合ってカゴのような形を作り出す。
「封印具か!」
その意図を悟ったフォルスが叫ぶ。
正解だ。
防ぐだけなら過去に作った神器を召喚すればいいだけの話。
わざわざ貴重な神力を大量に費やしてまで新たな神器を作りだしたのは、対上位古白竜に特化した封印具とするためだ。
ブレスの防御はそのついででしかない。
「一気にけりをつけさせてもらう!」
封印の妨害をしようとするフォルスに、今度は俺がその動きを妨げるため斬りかかる。
どうせ時間は大してかからない。
俺がフォルスを抑えている間に、封印具となった神器が上位古白竜をカゴで包み込む。
カゴがさらにその隙間を小さな枝で埋めていくと、相変わらず毒々しい様相を見せる空に浮かんだ白い繭のような姿に変わっていく。
「千年くらいは大人しくしてろ」
別に殺す必要は無いし、ぶっちゃけ今この場所で俺の邪魔をしないのならそれで良い。
とりあえずご退場いただくために、最低限の神力で作った封印が千年という長さになる。
実際のところは千年も封印する必要など無く、設定期間は一年間や一ヶ月間でも構わない。
だがそこまで短い期間を指定して封印すると逆に細々しすぎて加減が面倒になるというのが現実だ。
小さな神力で、しかも容易に作れる封印というのが千年くらいというだけの話で、別に上位古白竜へ恨みがあるわけじゃ無い。
この辺は人生百年にも満たない人間との感覚が違いすぎるのだから仕方ないだろう。
上位古白竜を包んだまま、白い繭が消え去っていく。
その光景に目を取られ、一瞬隙を見せたフォルスを思いっきり蹴って地上へ叩き落とした。
地上にうずたかく積もった瓦礫へとフォルスが激突する。
破片が四方八方へと飛散し、ちょっとしたクレーターみたいな窪みが生まれたが、この程度の衝撃でダメージを負うほどあの弟はやわじゃない。
「他はだいたい片付いたか」
素早く眼下を見回すと、アヤとクロ子の活躍によりほとんどの神獣は討伐されていた。
ローザたちのおかげでラーラとエンジも無事らしい。
フォルスを追って俺も地上へゆっくり降りていく。
俺が地に足をつけるまでに、フォルスが瓦礫の中から立ち上がってきた。
「まいったな……、やっぱり兄上は手強いね」
頭を掻きながら整った顔の眉を寄せるフォルス。
どことなく嬉しそうな気配が感じられるのは気のせいだろうか。
「そろそろ観念したらどうだ?」
「観念? 観念してどうするっていうのさ、優しい兄上は?」
「この世界は崩壊させない。過剰にあふれた魔力を回収して世界のほころびも繕う。当然お前にも手伝ってもらう。いや、償いとしてやらせる」
失われた命は元に戻せないが、今ならまだ大勢を助けられる。
ティアだって魔力異常が解消しさえすれば目を覚ますだろうし、パルノの足も一時的に変化しているだけだろうから元に戻す方法はある。
世界を歪めるためにではなく世界を正すために神力を使う。
本来のあるべき姿だ。
「兄上……、それじゃあこれまでと何も変わらないじゃないか。不完全な世界を歪なまま続けさせて、ことあるごとに手を施して……、結局根本的な解決にならないからまた同じ事を繰り返す。そうやって何年無駄な時間を費やした? その結果何を得た? 結局兄上がその身をすり減らしただけで、何ひとつ変わっちゃいない」
「それで構わないだろ。変わらないことが良いことだと言うつもりはないけど、悪い方へ変わるよりは今のままの方が良いに決まってる」
「延々とその尻拭いをやることになっても、それでも今のままが良いと?」
「失うよりは何倍も良い」
「誰もその苦労を分かってないんだよ?」
「褒めてもらいたくてやってることじゃない」
「兄上って、もしかしてマゾ?」
「誰がマゾだ、誰が。人聞きの悪いことを言うんじゃねえ」
生きとし生けるものの創造主が実はマゾでしたとか、ゴシップ好きのワイドショーもドン引き確実の衝撃だよ。
今の会話、他のヤツらには聞こえてねえだろうな。
「とにかくだ。この場には哀れなお前の信者たちもいないし、呼び出した神獣はあらかた片付いた。切り札の上位古白竜も退場済みだ。二十年のブランクはあっても、お前を道連れにすることくらいは今の俺にも出来るんだぞ」
時間はかかるだろうが、しばらくの間俺がいなくなってもアヤたちは世界を元に戻そうと手を尽くしてくれるだろう。
だが今のフォルスには自分自身しかいない。
この千年でフォルスがどれくらいの神力を溜め込んだのかは分からないが、引き分けにまで持ち込みさえすれば俺の勝ちみたいなもんだ。
「切り札?」
短いフォルスのセリフに不穏なものを感じ取って俺の肌が粟立つ。
「確かに上位古白竜は僕の持ってた中でも一番強力な手札だった。それは認めるよ。でもね――」
この期に及んで余裕を崩さないフォルスが、指をパチンと鳴らす。
その背後に四度現れる空間のねじれ。そこから現れた人間の姿に俺は絶句する。
「本当の切り札ってのはこういうことを言うんだよ」




