第171羽
「やあレビィ、久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
一見温かい笑みを浮かべたフォルスが、街中で再会したときのように自然な口調で俺へ声をかけてくる。
だがもちろん、それを額面通りに受け止めるわけにはいかないだろう。
この場に不釣り合いなほどの軽装と武器らしい武器も持たない様子には違和感しか無い。
「フォルス君……よね?」
探るような口調でアヤが問いかけた。
アヤとしても普段のフォルスとは様子が違うことに気づいているのだろう。
そもそもこんな場所にフォルスが居ること自体、予想外も良いところだ。
「アヤさんもお元気そうで。いやあ、さすがですね。こんなに早くここまでたどり着くとは思っていませんでしたよ。……ああそうか、レビィが道を開きましたか」
ひとり納得するフォルスに、アヤの方はわけがわからないといった感じだ。
「何言ってるの、フォルス君?」
「あなたは強い。だけど強いだけだ。うかつすぎるんですよ、アヤさんは。それに引き換えそこの修道女はしっかりと現実が見えている。直感で生きる者の方が得てして虚実に惑わされないということでしょうかね?」
そう言ってフォルスが視線を向けたのは大槌を構えて警戒態勢を取っているクロ子だった。
その目は明らかに敵対者へと向ける厳しい色を帯びている。
戸惑っているのはアヤだけではない。
ラーラもエンジも、見知った人物が突然こんなダンジョンの深部へ現れたことに困惑を隠せないでいた。
緊張三割、困惑七割。
そんな状況に割り込んできたのは、先ほどまで絶体絶命のピンチに追いやられていたシュレイダーだ。
「使徒様!」
突然シュレイダーが叫ぶ。
フォルスに向けられた瞳には、当惑も警戒も見当たらない。
突然の予期せぬ乱入者の存在にもかかわらず、むしろ安堵と喜びの色を浮かべているようですらあった。
「お力添えを、使徒様! 新しき神の崇高な使命を理解しようとせぬ、この愚か者どもへ鉄槌を下すため、使徒様のお力を我らに!」
シュレイダーがフォルスを使徒と呼ぶ。
使徒? どこかで聞いた気が…………。
あっ。あれか!
ユリアちゃん救出の時に潜入した『偽りの世界』のアジト。
その中から持ち帰った日誌の中に出てきた人物だ。
日誌に出てくる『使徒様』。
そしてユリアちゃんが森で見たというフォルスらしき後ろ姿。
……パズルのピースがどんどん埋まっていく。
そしてそれを冷静に受け入れようとする自分が確かにいた。
シュレイダーはまるで祈るべき神を目の前にしたかのように、跪いてフォルスに懇願する。
「世界の再生に理解を示さぬ、古き考えに拘泥する者へ天罰を!」
「そうだね……。思ったほどの働きはしてくれなかったけど、頑張ってくれたみたいだし。良いよ、使ってあげよう」
フォルスがそう口にした瞬間、シュレイダーの体に異変が起こる。
「えっ……、あ……。ああ……アアオオオォォォ」
最初に瞳の色が失われ、続いて肌が白く染まっていった。
うずくまって小刻みに震えたかと思うと、突然その背中から一対の白い翼が生えてくる。
まるで天使のような見た目だが、元がいかついおっさんのため、あまり優雅さは感じられない。
その顔からは感情が消え、動きさえしなければ大理石を削って作った彫刻のような印象すらある。
「あ、兄貴! 他のやつらも!」
「レビさん! キツネ目男が!」
変化はシュレイダーだけにとどまらなかった。
俺たちの周辺で倒れこんでいた狂信者たちをはじめとして、バルテオットやアヤが床に埋めた狂信者たちにも同様の変化が訪れている。
彫刻天使のような外見に変わった狂信者たちは予想外の動きを見せた。
宙へ体を浮かせると、滑空するようにフォルスのもとへと集まっていく。
床へ埋まっていた連中に至っては自力で床を壊して自由を獲得する始末だ。
フォルスはまるでそれが当然といった風に、合計百体ほどの彫刻天使を従えるとシュレイダーが最初立っていた台の上へ移動する。
俺たちをぐるりと見回したフォルスは、最後に再び俺へ視線を向けて面白そうな表情を浮かべた。
「思ったより驚いてないんだね、レビィ」
「……驚いてるさ。まあ、当たって欲しくない予想が的中しちまったことに、だけどな」
「ふーん。予想してたんだ」
フォルスらしからぬ含みのある口調。
「上手く隠し通せていたと思うんだけどね。現にほら、エンジもラーラも、アヤさんですら驚いてる」
「フォルさん……なんですか? 本当に?」
「ひどいなラーラ。僕の顔もう忘れてしまったのかい?」
「フォルス君、あなたいつから『偽りの世界』の信者だったの? そんなそぶり、全く見せてなかったのに」
「ああアヤさん。勘違いしないでね。僕は『偽りの世界』の信者でもなければ関係者でもないよ。もともと僕はあんな組織作るつもりはなかったんだ。まあ作るなとも言わなかったけど。彼らが勝手に作って勝手に大きくしただけだよ。僕はちょっとだけお手伝いをしただけ。たとえばある道具の作り方を教えてあげたりとか、ね」
「それが疑似中核か?」
もはや確認でしかない問いかけを俺はぶつける。
「そうだよ。多分レビィもそこから僕に疑いを向けるようになったんだろう?」
ちょっと違うな。
最初に俺がフォルスへ疑いの目を向けるようになったのは、パルノと一緒に引き受けた調査の仕事だ。
ゴミ処理場で発生した魔力異常を調べるうちに、地下施設を発見し、魔力至上主義者とやらと一戦交えた後でなぜかフォルスがタイミング良く現れた。
あれがきっかけだ。
フォルスはあの時『何か事故でも起こったかと思って慌てて来てみれば』と言った。
そう、事故と言ったのだ。
疑似中核の存在が魔力消失の原因となりえることはフォルスも当然知っていただろう。
だがどうして『事故』と思ったのか。
疑似中核を意図的に破壊する事で魔力消失状態を作り出すことが可能であることはわかっていたはずだ。
だったら『事故』ではなく『事件』に用いられることも十分考えられる。
にもかかわらずフォルスは何故『事件』の可能性に思い至らなかったのか。
あの地下施設では『事件』ではなく研究による『事故』の起こる可能性が高いと無意識のうちに考えていたからではないか。
そう俺の考えを説明すると、フォルスは妙に納得した表情を見せた。
「ああ、なるほど。それはちょっとうかつだった。いや、さすがレビィと褒めるべきかな」
「褒められるような事でも無いさ。なんせ俺はフォルスが何をしたいのか、何をするつもりなのかすらいまだにわかっちゃいないんだからな」
実際こうしてフォルスが現れても、結局その目的がわからない。
まさかフォルスがシュレイダーたちみたいな狂信者の仲間だとは思いたくないが、どう考えたとしても目の前の光景は良いように解釈できないだろう。
「なあフォルス。お前、一体何がしたいんだ?」
そんな俺の問いかけに、フォルスは迷うことなく明朗に答えを返してくる。
「僕はただ、世界を少しでも良くしたいと思っているだけだよ」
だが答えがあったからといって、それが俺たちに理解可能なものだとは限らない。
「そういう曖昧な言葉ではぐらかさないでくれ。俺は真剣に聞いている」
「はぐらかしてなんか無いよ。僕の本心だ」
「世界を良くすることとフォルスの行動と、何がどうつながるってんだよ」
苛立ちのせいで食ってかかるような口調になってしまう。
そんな俺にフォルスは諭すような調子で答える。
「この世界はね、レビィ。知っての通り出来損ないだ」
これまでならついぞ聞くことのなかったネガティブな言葉がフォルスの口から放たれる。
「何がどう出来損ないなんだ? 政治の腐敗か? 階級差別か? それとも歪に発展した文明か?」
「そんな些末な話じゃない。もっと根本的なところで出来損ないなんだよ」
想像以上に冷たいフォルスの声が、俺の背中に寒気をもたらす。
「人間たちは知らないだろうけどこの世界はもはや限界で、滅びに向かって落ちていくのをなんとか押し止めているだけなんだよ。出来損ないの世界はいくらつぎはぎしたところで限界がある。もう見ていられないんだ。穴の開いた器に水を注ぎ続けるような不毛さは。だから最初から作り直す。不完全な世界を歪さもろともゼロにして、今度こそあるべき姿に育てれば良い」
「何言ってんだよフォルス……。お前の言っていることは『偽りの世界』の狂信者どもと一緒じゃないか。何が違うってんだ?」
「彼らと一緒にしないで欲しいな。彼らはただ僕の考えを自分に都合良く解釈しているだけさ。僕は違う。必要なことだと判断したから世界を作り直すんだ。それがレビィのためでもある」
「どうしてそこで俺が出てくる?」
俺のため?
何を言ってんだフォルスは。
話に追いつけない俺の問いかけなど無かったかのように、フォルスは説明にもなっていない言葉を吐き出し続ける。
「僕だって最初から作り直そうと考えていたわけじゃない。全部を作り直すのはさすがに大変だからね。今あるものに手を加えるなり改良するなりしてなんとかなるならそれでも良かったさ。でも結局そんな小細工でどうにかなる状況じゃなくなった」
深刻そうな声と共にわざとらしく肩をすくめると、「でもね」とフォルスは表情を明るくする。
「このままじゃまずいと考えていたときに、レビィのおかげでチャンスが来た」
チャンス?
俺のおかげ?
ますますわけがわからねえ。
俺のためで俺のおかげで……。
いやいや、チートと無縁で生きてきた、魔力ゼロのこんな底辺転生者に何をお前は求めてるんだ?
「ほら、そうやって意味がわからないって顔をレビィがしているからこそ、僕は秘密裡に事を進められたんだよ」
フォルスはひとり訳知り顔だ。
意味不明なのは相変わらずだが、なぜか俺は動揺してしまった。
やっちまった感が胸の奥からにじみ出してくる。
どうしてだ?
「今なら邪魔が入らないと考えていろいろ手を尽くした。もちろんレビィを悲しませたくないから最初はこの世界を何とかする方向で考えたよ。けどダメだった。どれもこれも失敗続きでどうにもならない。やっぱりもうこの世界に見切りを付けるしかないと思い始めたとき、アヤさんがヒントをくれたんだ」
「私?」
突然名前を出されたアヤが驚く。
「ダンジョン中核の特性なんて、ちょっと盲点だったよ。似たようなモノを作る材料や手順はわかっていたし、上手く活用すれば魔力を暴走させられる。その時かな、僕がこの世界を諦めたのは。今のうちにと魔力を暴走させるために疑似中核――」
フォルスの視線が一瞬周囲の彫刻天使に向けられた。
「彼らは聖球と呼んでいたけど、その作り方をあちこちにリークした。時には資金提供をしたり、敵対組織から守ったり、その中で一番熱心に研究を進めてくれたのが彼ら『偽りの世界』だよ。複数の疑似中核を連結して、破壊する事無く魔力暴走を広範囲に発生させることができるようになったおかげで、こうして世界中を過剰魔力で包むことができた。彼らを上手いことその気にさせて、世界中で大量の疑似中核を作らせれば、あとはもう簡単さ。起動するだけなら僕ひとり居ればできるんだから」
それは明確な告白、いや自白だった。
全世界中で起こっている魔力異常を引き起こしたのが自分であり、しかも計画的だったと明言している。
目の前に居るのは本当にフォルスなのだろうか?
フォルスの形をした他人だったりしないか。
もしかしたら誰かがフォルスを騙っているんじゃないだろうか。
それともこれがフォルスの本性で、俺はずっと長い間騙され続けていたのだろうか……。
「だからさ、兄上。邪魔しないでくれるかな? もうこの世界は諦めた方が良いよ」
2020/11/21 誤字修正 再開した → 再会した
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