第167羽
「長えな」
「どこまで続くんすかね……」
「なんだか前に進んでるのか後ろに下がってるのかわからなくなってきました」
「クロ子、後ろは何も異常ないか?」
「はい、異常なしですお父様」
「なあアヤ?」
「なに?」
「これってやっぱあれだよな。ゲームとかのダンジョンによくある『無限回廊』みたいな」
「そうねえ……。確かにちょっと長すぎるわよね」
四十一階層で俺たちを待っていたのは真っ直ぐ延びた一本道だった。
階段を下りた瞬間から前方へ向けて延々と続く幅五メートルほどの通路。
曲がり角どころか緩やかなカーブすら無く、分岐も無ければ扉も無い。
その上モンスターも出てこないのだから、変化が全く感じられないのだ。
俺たちはかれこれ二十時間以上歩き続けている。
途中に休憩や仮眠を挟みながらとはいえ、一体何キロ歩いてきたことだろう。
それでも向かう先に変化は見られなかった。
あまりにも変化の無い光景が続くため、ラーラが言っていたように自分が今進んでいるのか後退しているのか、それとも立ち止まっているのかすらわからなくなってくる。
もちろん足を前に進めているから前に進んでいることは確かなんだが、脳の認識能力がぶっこわれたみたいな感じだ。
高速道路で長いトンネルを走っているような感覚と言えばわかるだろうか?
いや、前世の俺は車の免許なんて持ってなかったけどな。
ウチの兄貴が免許取り立ての頃、無理やり深夜のドライブに拉致られたことが何度かあるんだよ。
「多分ループしてるんだろうけど……。壁につけた目印とかが見当たらないんだよなあ」
「こういうのは大抵、何か条件を満たせばループを抜けられるのがセオリーっす!」
「何かって、何を満たせば良いのですか?」
自信満々に主張するエンジへラーラが冷たい目で問いかける。
「それがわかれば苦労はしないっす」
「使えないモジャ毛ですね」
「歩幅の狭さで足を引っぱってるチビっ子にだけは言われたくないっすけどねー」
「だ、誰が短足かあああ!」
「どーどー。落ち着けラーラ。仲間内でいがみ合っても良いことは無いだろ」
エンジの挑発に瞬間湯沸かし器のごとく激昂するラーラを、後ろから羽交い締めにしてなだめる。
そもそも誰も短足とは言ってない。完全にラーラの被害妄想である。
「でもラーラさんがイライラするのも仕方ないわね。この先もずっとこれが続くかと思うと、さすがにうんざりするわ」
「アヤのチートでなんとかならないのか?」
「何を期待しているのかわからないけど、そんな便利な力があればとっくの昔に使ってるわよ」
今までさんざん反則じみたチートを見せておきながら、何を言ってるんだか。
なおもエンジを威嚇し続け、俺の拘束を振りほどこうとするラーラを抑えていると、大槌を手にした自称俺の娘が至極真っ当な提案を口にする。
「一度戻りますか?」
「戻るって、この通路をか?」
「それもありですが、地上に戻るのも選択肢のひとつですよ。そろそろ甘味が足りなくなってきましたので」
うん。最後のひと言が無ければ真っ当なまま終わったんだがな。
「それ以外の選択肢はふたつです。このまま進むか、あるいは」
「あるいは?」
「壁をぶち抜くか」
「いきなり選択肢が物騒になったな、おい」
壁をぶち抜いて解決するなら誰も無限回廊的なトラップで苦労しないだろうに。
「というかダンジョンの壁ってそんな簡単にぶち抜けるもんじゃねえだろう?」
「そこはやってみなければわかりませんよ」
「うーん。そりゃお前の力が異常に強いのは知ってるけどよ……」
「失敗は成功の母と言いますし」
「失敗するの前提かよ」
無駄に疲れるクロ子との会話を切り上げて反対側へ顔を向ける。
ついでにようやく大人しくなったラーラを羽交い締めから解放してやった。
「アヤはどう思う?」
「どうって何が?」
「いや、この壁ってぶち抜けると思うか? というか、ぶち抜いたところで無限回廊から抜けられると思うか?」
「どうかしら……。壊すだけならなんとでもなると思うけど、それでこの状態が解消されるとも思えないわ」
壊すのは問題ないのかよ。
さすがというかなんというか……。
「そもそも壁の向こうが空洞になっているとは限らないでしょ?」
「それもそうだよな。空洞じゃなくて土や石がギッシリって可能性も十分あるか」
言いながら俺はすぐ側にある壁をコンコンと拳で叩く。
青果売り場に置いてあるスイカじゃあるまいし、特殊技能を持たない俺が叩いただけで壁の向こうがわかるわけじゃないが、ただなんとなくだ。
何となく叩いただけなんだが突然――。
カタン。
と音がした。
「なんか音したっすね」
エンジも聞こえたということは、俺の聞き間違いでは無かったらしい。
「レビさんレビさん、今何かしましたか?」
「何かって言っても……、こう壁を叩いただけなんだが」
再び俺が拳で何度か壁を叩こうとすると、その拳がスッと壁に吸い込まれた。
いや、本当に吸い込まれたわけじゃ無い。
壁が奥に向かって扉のように開いた分、俺の拳が空振りして何も無い空間を素通りしただけだ。
「あ……」
複数の口から言葉にならない声がもれる。
あっけにとられる俺たちの目の前で壁が音もなく開いた。
「こんなところに隠し部屋かよ」
開けた視界の先に見えたのは、このフロアに下りてきて初めて見つけた通路では無い空間。小学校にある体育館くらいの広間だった。
ただ、やたらと天井が高い。手持ちの魔光照ではハッキリと全体を照らせないほどの高さがあるようだ。
「ピンポイントで隠し部屋見つけるとか。さすが兄貴、神っすね!」
エンジの安っぽい賛辞をスルーし、アヤを先頭に広間へと入っていく。
「広いわね」
「パッと見た感じ何もありませんが……」
ラーラの言う通り、特に目をひくようなものは見当たらなかった。
新たな通路が続いているわけでも無く、扉があるわけでもない。
他のフロアでこの広間を見つけたなら「何も無い」ですませるところだが、今回ばかりは事情が違う。
延々続く一本道しか無いフロアで見つけた初めての広間だ。
何も無いと考える方が無理だろう。
「また隠し扉があるんすかね?」
「そうかも知れないわね。二手に分かれて探し――っ上から!」
「お父様!」
突然アヤが叫んだのと、クロ子が俺の腕を引っぱって投げ飛ばしたのはほぼ同時。
俺の体はピンポン球のように吹っ飛び、床に転がりながらしこたま背中を打ちつけた。
痛ぇな、おい!
咳き込みながらクロ子に視線を向けると、そこへ広間の天井から何か大きなものが高速で落下してきた。
「なんだありゃ!?」
上から落ちてきた物体を目にして、すっとんきょうな声が出る。
それは言うなれば宙に浮く巨大な脳髄。
ホルマリン漬けにでもなっていそうな脳髄と、それにぶら下がった脊髄らしき紐状の組み合わせは端的に言って気持ち悪い。
脳髄の前面にはふたつの目玉がついていて、それが俺たちひとりひとりを睨め回す
「モンスター、ですよね?」
ラーラの疑問に答える声は無い。答える必要を誰も感じていないからだ。
脳髄が宙に浮いたまま動きはじめる。
「来るわよ!」
アヤの警告に一瞬遅れて脳髄モンスターがぐるりと回転した。
見た目とは裏腹にモーターのような機械的な音を立てて回りつつ、目玉から光線を発射する。
もちろんこちらのチート組も黙っちゃいない。
アヤが剣を抜き、クロ子が大槌を振り上げて飛びかかった。
狙い過たず命中したアヤの剣を弾くのは、脳髄の周囲を三百六十度覆う赤茶けた色の膜。
続いて打ち下ろされたクロ子の大槌をも防ぎきるそれは、まるで宇宙戦争物の映画に出てくるバリアのように見えた。
「見た目生々しいくせに、手札の方は妙にサイバーだな」
クロ子が体勢を整えるため一歩後ろに下がる。
入れ替わるようにしてエンジが飛び込み、アヤとふたりで脳髄を挟み込んだ。
「雷」「断」「滅」
先に動き出したアヤが瞬時に魔法を三連続で叩き込む。
上方から雷の形をした槍が、横から空間を断絶する刃が、そして正面から収縮する黒い球体が脳髄に向けて放たれる。
さすがのバリアも馬鹿げた威力の三連撃には耐えきれなかったらしい。
甲高い音を響かせながらガラスのように砕け散った。
それは今まさにエンジの双剣が脳髄に届こうかという一瞬のことである。
「神タイミングっす!」
左右の剣をエンジが振るう。
バリアの守りを失った脳髄が傷を負い、刻まれた痛みに脳髄が警告音を発する。
悲鳴まで機械っぽいんだなという、自分でも呆れ返るような感想が脳裏に浮かび、それをすぐさま振り払った。
この機を逃すわけにはいかないのだ。
「今だ、ラーラ!」
「アイシクルエッジ!」
促されるまでも無く、ラーラが氷の魔法を脳髄に向けて放つ。
俺も負けじとポーチから取り出した火炎球を投げつけた。
それまでバリアによってことごとく弾かれていた攻撃が脳髄に届く。
脳髄の一部が氷結し、火炎球のぶつかった箇所が焼け焦げていた。
「いける。いけるぞ!」
あのバリアさえ無ければ俺たちでもダメージを与えられるらしい。
「ラーラ、チャンスだ! 俺たちがただの荷物持ちじゃない事を教えてやるぞ!」
「もちろんです!」
怯んだ脳髄へ飛び込むのは大槌を振り上げたクロ子。
どこにそんな力が潜んでいるのか、大槌を持ったままのクロ子は小柄な体格からは考えられない跳躍を見せ、重力を味方につけたまま渾身の一撃を放つ。
だがそれはほんの少し遅かったようだ。
わずかに早く回復した脳髄のバリアが再び攻撃をはね返す。
ちっ、あと数秒タイミングが早ければ。
「アヤたん、もう一回!」
「わかってるわよ!」
珍しく苛立ちを見せたクロ子がアヤにリクエストする。
この戦闘に限って言えば、クロ子の攻撃は全てバリアに阻まれているからな。フラストレーションが溜まっているのかもしれない。
脳髄にどれほどの知性があるのかはわからないが、どうもアヤを最も危険な相手と判断したらしい。
二つの目玉がアヤに向き、完全にロックオンしていた。
目玉から光線が放たれ、それをアヤが回避したタイミングで脳髄の周囲に十個ほどの球体が出現する。
次の瞬間、球体それぞれから目玉と同じような光線がアヤに向かって発射された。
「ああ、もう鬱陶しい!」
いくつかの光線をかわしながら、同時にシールドのような魔法を使って脳髄の攻撃をやり過ごそうとするアヤ。
十分余裕そうに見えるのだが、絶え間なく放たれる光線に防御を強いられ続けている。
その背後からクロ子やエンジも攻撃を仕掛けるが、バリアを破壊できない以上、脳髄にとって脅威でもなんでもないのだろう。
「月明かりもサボってないで攻撃しなさい!」
《主様の守りが優先です。それくらいならあなたたちでなんとでもなるでしょう? めんどいし》
「あとでぶん殴ります!」
クロ子が状況を打破しようとローザに注文をつけるが、そっけないというか無責任というか……他人事のような返答に、クロ子が常ならぬ物騒な言葉を残して吶喊していった。
言うに事欠いて『めんどい』はねえだろう、ローザ。
戦いは思いのほか長丁場になってきた。
アヤが守勢になってしまうことでバリアを破壊できず、結果として攻め手の無い俺たち。
一方で脳髄の方もアヤの守りを崩すことができないため状況に変化がないままだ。
ときおり流れ弾のように脳髄の光線が俺やラーラの方にやってくる。
俺に直撃しそうだった光線がローザの守りに弾かれて拡散し、細かい衝撃となって周囲の床を吹き飛ばす。
「ラーラ!」
直撃はしなかったものの、余波を受けて軽いラーラの体が吹き飛ばされた。
「大丈夫か!」
慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫です……。こんなところでやられるわけにはいきません」
「ああ。でも無理はするなよ」
幸いすり傷以外にこれといった怪我はしていないようだ。
引き起こそうと手を差し出すと、俺の手を取りながらラーラはわけのわからない事を口にしはじめた。
「無理は無理とて押し通してこそ栄光につながる道あり。私はまだ今月の新作を食べていないのです!」
「は? 新作?」
この状況で何言ってんだ、このツインテールは?
「私、この戦いが終わったら賢人堂のスペシャルモンブランを絶対食べに行くのです!」
「やめろよそういうセリフ! フラグ立っちまうじゃねえか!」
どう考えても食欲を喚起しそうにない脳髄モンスターに指をさし、俺は受け入れがたい推測を口にする。
「っていうかまさかお前、アレを見てモンブラン連想したんじゃねえよな!?」
おいこら、なんで目をそらす!
それ俺の言ってることを肯定してるのも同然だからな。
はあ……。
このスイーツな魔女っ子はグロテスクな脳髄モンスターまでも脳内で甘味に変換してしまうのか。ある意味すげえな、尊敬するわ。
ため息を隠しもせず、俺はポーチから傷薬を取り出す。
蓋を開けてクリーム状の傷薬を指に取ると、ラーラが飛ばされたときに負ったと思われるすり傷や打撲の箇所に塗ってやった。
戦況は、と様子を窺えば特に俺たちが戦線離脱しても問題はなさそうだった。
アヤたちも単調な脳髄の攻撃パターンに慣れてきたのか、戦いの様子にも余裕が感じられるようになっている。
守勢に追い込まれていたアヤが機を見て魔法を連続して放ち、再び脳髄のバリアが消失。
今度はその機を逃さずクロ子が大槌を叩き込んだ。
バリアを失った脳髄にクロ子会心の一撃を防ぐ防御力など無かった。
思いっきり床に叩きつけられた脳髄は、立体映信なら確実にモザイクがかけられるであろう醜悪な光景を残して動かなくなった。




