第164羽
「嫌らしいなあ」
マッピングしながらついつい愚痴が口からこぼれてしまう。
三十九階層に降りてきた俺たちは、調査の一歩を踏み出した途端にこのフロアのトラップにからめ取られた。
「これ、どこまで続くんすかね?」
アヤに続いて二番手に位置するはずのエンジが、チラチラと後方を気にしていた。
さもありなん。なぜなら俺たちが通路を歩くのにあわせて、背後の壁が子カルガモよろしくついてくるからだ。
「一方通行の扉というのは見たことがありますが……」
ラーラも困惑が隠せずにいる。
気持ちはわかる。
一方通行の壁や扉なんてのはわりと良く聞く、ありふれた種類のトラップだ。
俺だって一応マッパーとしてそれなりに勉強はしている。
十歩進むごとに後方を確認するのは基本中の基本だし、扉を通ったあとは必ずその扉が逆方向からも戻っていけるか確認しているのだ。
だがなあ……。
「まさか通路が全部一方通行とはね」
俺の代わりにアヤが事態を端的に言い表す。
そう。
俺たちは今、常に後戻りのできない前進を強いられている。
三十九階層は長い通路と小部屋で構成される迷路のような形状をしていた。
通路の幅は三メートルほど。ときおり小部屋が見つかるのだが、部屋というよりはむしろ木の枝についた節のような感じで、行き止まりになっているわけではない。
通路の途中や小部屋で分岐はあるもののそこまで複雑な作りではなく、今までのところモンスターと遭遇することもなく、これといったトラップもなかった。
いや、トラップはある。というか常にトラップが俺たちにつきまとってくる。
俺たちが一歩進めば後ろの壁も一歩迫り、俺たちが三歩進めば壁も三歩せりよってくる。
もはや後退することはできず、俺たちは常に後ろからせき立てられるように進むしかない。
もうなんというかね。
嫌らしい。
通路が全部一方通行とか、地味に嫌らしい。
ちょっと後退して確認、とか一切できない。
どこかでちょっとマッピングをミスったり記録し忘れたら、その先全部が狂ってしまう。
マッパー泣かせにも程がある。
加えて精神的な圧迫感がすごい。
常に強制背水の陣とか、こんなん神経すり減るわ。
「これといった害があるわけじゃないんだけど。なんつうか追われてるみたいで嫌だな」
「まあ気にしても仕方ないわね。私たちが立ち止まれば動かないのだし」
アヤの言う通り、こちらが動かなければ後ろの壁も止まったままだ。
立ち止まって休息はできるのだからまだ良い。
これが俺たちの歩む速度に関係なく、ジリジリと追いかけてくる壁だったらと思うとゾッとする。
壁を後ろに背負いつつ歩くこと十時間ほど。
途中何度か休憩や仮眠をとりながら進んでいた俺たちの前に扉が現れた。
「また小部屋か」
これまでに何度も見てきた光景である。
多分扉を開いたら申し訳程度の小部屋が広がり、その向こうの壁に続く通路なり扉があるのだろう。
一応警戒のため罠の有無を調べた上でアヤが扉を開く。
「あらあら、これは……」
「どうしたアヤ?」
アヤの反応がこれまでと違うことに、疑問を抱きながら俺も扉の向こうをのぞく。
「おいおい、これは……」
思わずアヤと同じような言葉を口にする。
なぜなら扉の向こうにあったのは『続く通路も扉もない』ただの小部屋――つまりは行き止まりだったからだ。
通常ならここは行き止まりだからと引き返せばいい話だが、このフロアではそういうわけにもいかない。
なんせ引き返すための通路が一方通行だからな。
「こりゃ緊急脱出用の魔法具を使うしかないっすね」
アヤに続いて部屋へ入ったエンジが周囲を見回しながら誰にともなく言う。
「まあ、それしかないよな」
「仕方ないわね。潜りはじめてからずいぶん時間も経ったし、そろそろ一度地上に戻りましょう。魔法具を使うからみんな近くに寄って。ほら、クローディットも」
「では私はお父様のおそばへ」
最後尾のクロ子が重そうな大槌を片手で持ちながら、俺の近くへと軽い足取りで近付いてくる。
それを追うように壁が迫り、扉の位置と壁が重なったその時、部屋がガクンと揺れた。
「おやおや」
「ありゃ、何っすか?」
「降りているみたいね、部屋ごと」
目を丸くするラーラとエンジの横で、冷静にアヤが分析する。
確かにこの体重が一瞬軽くなる浮遊感はエレベーターが下に降りるときのものだ。
「この部屋丸ごとエレベーターだったのか?」
下降速度は危険を感じるほどではない。
ただ、マッパー的には結構困るな。
さっきのフロアからどれくらい下に降りているのか判断できないのだから。
どれくらい下に潜ったのだろうか。
時間にすれば一分も経たないうちに部屋全体が強い衝撃で包まれ、それを合図に揺れが止まった。
多分到着したんだろう。
どこに?
そりゃ三十九階層よりも下のフロアに決まってる。何階層目かは知らないが。
「でもこれ、どうしろと?」
四方どころか天井まで壁に囲まれた小部屋だ。出口なんてあるわけもない。
どうしたものかとつぶやく俺にクロ子が反応した。
「壁を壊しましょうか?」
「そうね。しばらく待っても変化がないようならそれも考えましょう」
クロ子の脳筋な提案にアヤが同意するが、どうやらその必要もなさそうだった。
「えーと、なんか聞こえてくるんすけど」
エンジに言われるまでもなく、全員がその音を耳にしていた。
壁の向こうから明らかに俺たちへ近付いてくる何かの足音。
間違いなく言えるのはそれが人間の歩く音ではないということ。
擬音にするとガサガサだろうか。それともズサズサだろうか。
虫の足音にも思えるが、その重々しい感じは音の主が巨大な存在であることを示していた。
近づいて来た足音が唐突に壁への衝撃音に取って代わられる。
「ひょえ!」
奇妙な悲鳴をあげてラーラが俺の後ろに逃げ込んだ。
その間もガンガンと容赦ない音を立て、何者かが俺たちの周りを囲む壁をぶん殴る。
「こちらから出ていかなくても、向こうから来てくれるみたいよ」
アヤが鞘から剣を抜きながらパーティメンバーへ言葉をかける。
当然俺たちも戦闘態勢に移行した。
部屋の壁がひび割れる。
ボロリと欠けた壁に穴が空き、その向こうから音の主が顔を現した。
巨大なひとつ目がこちらを凝視する。
「来るわよ!」
アヤの声が戦闘開始の合図となった。
それまで俺たちを囲んでいた壁がガラガラと崩れ、支えを失った小部屋の天井が崩落する。
降り注ぐ瓦礫を避けて外へ出た俺たちが見たのは魚類のようなひとつ目を持った、巨大な甲殻虫だった。
体長はパッと見た感じ六メートルくらいか。
なんか雄カブトムシっぽい感じの形状だが、特徴的なのはその巨大なひとつ目だ。ツノの付け根、頭部にある目は巨大な体であることを考慮してもアンバランスな大きさだった。
その巨大なひとつ目がギョロリとこちらへ向けられる。
「うわ、でっけえ……」
「レバルト君、下がって!」
おっと、あんぐりと口を開けている場合じゃねえな。
俺はラーラと一緒に後退しながら周囲を観察した。
灯りが壁際まで届かないため正確な広さは判断できないが、かなりの空間だということは間違いない。
俺たちの入っていた小部屋とは比べものにならない大きさのスペースだろう。
「周囲の警戒も忘れないで!」
見渡した限り巨大カブトムシは一体だけだが、灯りの届かない暗闇の中に他のカブトムシがいないとも限らないし、この場所が閉じられた空間である保証もない。
新手の出現を警戒しながら、俺たちは巨大ひとつ目カブトムシとの戦闘に突入した。
……って言っても、結局アヤとクロ子が撃退しちまうんだろうけどな。
「ちょいさー!」
クロ子が微妙なかけ声と共に大槌を振り下ろす。
敏捷性はさほどないのか、カブトムシはそれを避けることもできずまともに食らった。
しかし思った以上にカブトムシの甲殻は頑丈らしい。
クロ子の馬鹿力をもってしても、ちょっとくぼみができたくらいだ。
具体的にはバック駐車で電信柱にぶつかって車のバンパーがへこんだくらいの感じ。
「あ、これ無理っす」
エンジが早々に戦力外宣言をする。
そりゃそうだろう。
もともと打撃力がなく速度を武器に戦うスタイルのエンジに、あの固さは歯が立たない。
「あれはアヤとクロ子に任せて、俺たちは周囲の警戒と援護に徹するぞ」
「そうっすね」
「わかりました」
エンジはときおりカブトムシの牽制を行い、ラーラは灯りとアヤたちへの支援を担当する。
俺? まあ、何もできんわな。
「裂」
アヤ独特の魔法詠唱が響く。
よくわからん何かによって生み出されたよくわからん何かがアヤの手を離れ、よくわからん事象を生み出してカブトムシの甲殻を斬り裂く。
うむ、よくわからん。
「避けてっ!」
アヤの警告が飛ぶ。
「おわっ!」
距離が開いていたことに油断していた俺のもとへ、カブトムシのツノから砲弾みたいな物体が飛んでくる。
なんだよそれ、キャノン砲かよ!
慌てて避けるも、砲弾は床にぶつかるよりも早く自ら破裂する。
しかも近接信管じゃねーか!
至近距離で破裂した砲弾の衝撃が俺を襲うかと思われた瞬間、強い力同士がぶつかるような衝撃音だけが響いた。
あれ? なんも衝撃が来ねえな。
「良くやりました、月明かり!」
よろしい、と言わんばかりのクロ子が俺のとなりに視線を向けてサムズアップする。
ああ、なるほど。ローザが守ってくれたのか。
「さんきゅ、ローザ!」
《これしきのこと、お安い御用ですとも!》
いろいろ残念さのにじみ出る幽霊さんだが、今回は助かった。
「アヤたん!」
「わかってる!」
クロ子とアヤが呼吸を合わせて左右からカブトムシに飛びかかる。
「塵」
アヤの魔法によってカブトムシの甲殻がほんの一部ではあるが崩れた。
粉状に変異したクチクラが風圧で飛び、柔らかな体内があらわになる。
そこへ飛び込むのは大槌を振り上げたクロ子。
「どっせい!」
おっさんくさい掛け声と共に叩きつけられた大槌がカブトムシの体に突き刺さった。
「うぉっしゃあ!」
そのまま床へ縫い止めるかのごとき勢いでクロ子は力を込める。
致命傷を負いながらもなおもがき続けるカブトムシに、アヤの剣が迫る。
頭部についた大きなひとつ目へとその切っ先が突き立てられた。
それでもしばらくは暴れ続けていたカブトムシだが、いくら驚異的な生命力を持っていたとしても腹に大穴を空けられ、頭部を突き刺されればどうしようもない。
やがて動きも勢いをなくし、とうとうピクリとも動かなくなった。




