第125羽
俺が庭へ穴を掘ろうとしたその時、ユリアちゃんのお母さんであるタニアさんが息を切らせて駆け込んできた。
「ユリアが……、ユリアがどこにもいないんです!」
必死の形相で叫ぶタニアさんの声が庭に響いた。
家の中にまで届いたのだろう。何事かとティアまでが庭に出てきてしまう。
「リビングで遊んでいたはずなのに、いつの間にかいなくなってしまって……!」
聞けば、タニアさんが晩ご飯の支度をしている間に姿が見えなくなってしまったらしい。
ひとまずタニアさんを落ち着かせて詳しい話を聞いてみる。
「朝からはずっと家の中にいたんです。それで、夕飯の買い物をするため一緒に出かけて……、帰宅してから私は支度に取りかかったんですが」
夕飯の買い物から帰ってきたところまでは、問題無かったらしい。
「でも、支度が一段落してリビングをのぞいてみたら、あの子がどこにも見当たらなくて……」
タニアさんが目を離したのは三十分ほど。
別の部屋に居るのかと、家中探し回ったが見つからない。庭や近所を見て回ったが、やはりどこにもいなかったという。
その間、家に訪問してきた人間もおらず、大きな物音もしていなかったことから、ユリアちゃんが自分で家を出てどこかへ行ってしまった可能性が大きいとタニアさんは考えたようだ。
心当たりのある遊び場や友達の家を探し回ったが、どこにも見当たらない。そこで最近入り浸るようになった俺の家にいるのでは、と駆け込んできたわけだ。
「今日ユリアちゃん来ていたか?」
「いいえ、私は会っていませんが……」
銀髪少女が申し訳なさそうに言った。
「ルイは? ユリアちゃん見たか?」
「ンー」
サラサラヘアーのゴブリンも首を横にふる。
当然俺もユリアちゃんの姿は目にしていない。
「ああ……、ここじゃないとしたら一体どこに……」
涙目でタニアさんがつぶやいた。
「心当たりは他に無いんですか?」
俺の問いにタニアさんは難しそうな表情を浮かべる。
「ユリアは……、ちょっと好奇心が、その……、人よりも強いらしくて。いろんなものに興味を持つのは良いんですが……、興味を持ったらわき目もふらずに向かっていくもので……」
どうやら心当たりが多すぎて困るという感じだった。
ユリアちゃんは、何て言うんだろうな。好奇心が強いだけなら良いけど、それに加えて人一倍の行動力も持っているような気がする。
最初に出会った森の件からもわかるもんな。普通の子供なら親元を離れてひとけのない森奥深くまで、見知らぬ他人を尾行したりはしないだろう。
興味があるものを見つけたら、周囲の状況が目に入らなくなるタイプなのかもしれない。この先、ラーラのような大人にならないことを切に願うばかりである。
「ティアは何か気が付かなかったか? ユリアちゃんが興味持ちそうなものとか。昨日家に送って行くとき、どんな話をしていたんだ?」
「送っているときですか? そうですね……、ルイとどんな遊びをしたとか、今日のおやつはおいしかったとか……。あとは、そういえば……」
「そういえば?」
「昨日もお話ししましたが、自分は嘘をついていないとしばらくグズっていましたね」
ああ、『たんていごっこのおじちゃん』の件か。ユリアちゃんは自然公園の森で追いかけていった人物が、フォルスだと言い張っていたからな。
「まさかとは思うが……、ひとりで自然公園まで行ってたりはしないよな?」
「まさか。町の入口には警邏の人間が常駐していますから、子供だけで外には出られないでしょう?」
ティアが即座にその考えを打ち消す。
「そりゃそうだけどな。警邏だっていちいち個人端末の認証をしているわけじゃないだろ? 小さな子供の身体だ。物陰に隠れてこっそり通ったり、他人の一団に潜り込んで通ることくらいは出来るんじゃないか?」
実際、町の出入りはそこまで厳しいチェックが行われるわけではない。
出入りのために資格や代金が必要というわけでもないし、あからさまに怪しい格好をしているのでなければ呼び止められることもないのだ。どちらかというと過去の慣習がそのまま形の上でだけ残っている――、言わば形骸化している状態だった。
ユリアちゃんがフォルスの件にこだわっているのだとすれば、あの森へと足を運んでいる可能性はあるだろう。
もちろん今さら森へ行ったところで、当時見かけた人間がそこにいるわけもない。だがユリアちゃんのような小さな子供にそれが理解できないとしても仕方のないことだ。
「念のため探しに行ってみよう」
俺がそう申し出ると、タニアさんが「お願いします」と何度も頭を下げる。
タニアさんはタニアさんで、もう少し範囲を広げて心当たりの場所を探し回るつもりだそうだ。
「ティア。装備一式出しておいてくれるか? 俺はラーラたちに手伝ってもらうよう声をかけるから」
「はい、わかりました」
人捜しをするなら人数は多い方が良い。ティアが使う斥候の使い魔をバラ撒くだけでもかなり広範囲を探すことは出来るが、相手は自然の森である。いくらこのチート娘でも自然公園全体を覆うほどの使い魔は作れないだろう。…………まさか作れないよな?
ティアが装備を準備している間に、俺はラーラたちに端末からメッセージを飛ばす。
ラーラとエンジからはすぐさま応諾の返信がやって来た。持つべきものは友人である。
だが意外なことにフォルスからは返信が来なかった。はて、電波の届かないところにでもいるのだろうか?
え? パルノ?
いや、パルノには声をかけていない。だってあいつの場合、パルノ自身が迷子になりそうだもんな。余計な手間が増えるだけのような気がするから、今回は連れて行くつもりがない。というか、もうすぐ日が暮れようかというこの時間に、自然公園とは言え森の奥へ行くなんて言ったら間違いなく嫌がるだろうし。
やがて準備を終えた俺たちは、ラーラたちと町の入口で待ち合わせをして自然公園へと出発する。
同行するメンバーはティア、ラーラ、エンジ、ルイ、ユキである。
ユキはともかくとして、ルイは家に置いておくべきかと思ったのだが、案の定ラーラが異を唱えた。この空色ツインテールを連れてきたのは間違いだったろうか?
出来ればフォルスにも助力を願いたかったが、あまりのんびりもしていられない。
町は少しずつ夕暮れに染まりつつあった。いくら自然公園とはいっても、ユリアちゃんがひとりで居るかもしれないのだ。日の落ちた森は例え獣がでなくても、子供にとって危険な場所であることに変わりないだろう。
仕方なく俺たちは赤く染まる空を左手に見ながら、自然公園へと向かう。
「探すって言っても結構広いっすよ、ここ。手がかりとかあるんすか?」
「これだからモジャ男は……」
「え? オレ間違ったこと言ってないっすよね!?」
しごく真っ当なエンジの問いに、ため息を返すラーラ。
なんだろう。ラーラにしてみれば、エンジの発言というだけで無条件に嘆息ものなのだろうか? さすがにエンジが哀れだった。
「ティア。例の使い魔をバラ撒いてもらおうかと思ってるんだが、大丈夫か?」
「問題ありません。ただ、あまり遠くまでは届きませんよ?」
「ああ。ラーラがユリアちゃんを発見した場所は分かっているから、その辺を中心に捜索するつもりだ」
そもそも、ユリアちゃんが確実に居るとは限らない。あくまでも俺たちは『念のため』確認に来ているのだから。
「道案内頼むぞ、ラーラ」
「どんとお任せください」
なけなしの胸を張ってツインテ魔女が誇らしげに請け負う――「さあ、ユキ。ユリアちゃんを見つけた場所へ向かうのです」と思ったら子ネコのユキに丸投げしていた。おいコラ。
ユキが鼻をスンスンとさせて周囲の匂いを嗅いでいる。
確かに猫の嗅覚は人間の何万倍も高性能だとは言うが、犬の嗅覚にはおよばない。警察犬みたいに追跡はできねえだろ。
「にゃあ!」
そんな俺の先入観があっという間に覆される。
自信ありそうにひと鳴きしたユキは、しっかりとした足取りで森の奥へ向かって歩きはじめた。
あれ? 出来るの?
異世界のネコは地球の猫とは違うのか? 確かに似てはいても、大きさからして完全に別種の生物だろうけどさ。それとも地球の家猫も匂いを追跡したりできるのだろうか?
「さすがユキですね!」
困惑する俺を置き去りにして、ラーラは我がことのように満足した表情を浮かべユキを追いかける。その横には手をつないだルイ。
「ネコってすごいんすねー」
純粋にエンジがユキの能力に感心して後をついていく。
「どうしました、先生? 早く私たちも行きましょう」
ティアまでがごく自然にその状況を受け容れていた。
え? 俺がおかしいの?
よくわからないが、つっ立っていても仕方がないのでラーラたちの後を追い始める。
迷いなく歩みを進めては時折鼻をひくつかせて匂いを確認し、森の中をズンズン進んでいくユキ。
俺たち一行がそんなユキの先導で森の中を歩くこと二十分ほど。
それまで間断なく続いていた枝葉が消え、森の中にポッカリと開いたスペースが現れた。
頭上を見れば、すっかり日が沈んで暗くなった空が目に入る。星明かりはさすがにわずかしか届かないが、ティアが魔法の光を浮かべてくれているおかげで視界は確保できていた。
「ここですここです」
開けた場所にたどりつき、ラーラが周囲を見回して言う。
「ここでユリアちゃんを見つけたのか?」
確か聞いた話では、『開けた草地』に倒れていたと言うことだったが。
「そうです。この場所にユリアちゃんが――こんなふうに」
と、自らユリアちゃんが倒れていたという場所に身を横たえるラーラ。
だからそういう実演はいらないからさ。
「眠っているだけだったので、とりあえず連れ去るのが先決と思い、レビさんに丸投げするべくユキの背中に乗せて運んだのです」
「いや、いろいろおかしいけどな。『連れ去る』とか、完全に表現が人攫いだし、俺に『丸投げする』とかサラッと言ってんじゃねえよ」
そう指摘する俺に向け、ラーラが冷たい視線を送ってくる。
「いろいろおかしいのはレビさんの方です。なんですか、その歩く動物園状態は? なんとねたましい」
ツッコミを入れたらツッコミで返されてしまった。よりによってラーラから。
そりゃラーラの言わんとするところはわかる。俺だって、自分の事じゃなけりゃあ絶対ツッコミ入れてるわ。
「ホーッ、ホーッ」
俺の左耳至近距離からフクロウの鳴き声が聞こえた。
足もとにはキツネらしきフサフサ尻尾の動物がまとわりつき、腕の中には白ウサギが眠り、頭の上にはモモンガっぽい齧歯類がしがみついている。
おいお前、そんなところにいたらフクロウに補食されちまうぞ。
「何かまた増えてないっすか?」
「さっき上空からこのフクロウが俺の肩当てに着地してきた」
硬化処理をしたレザーアーマーの肩当ては滑ってしまうのか、さっきからフクロウが何度もずり落ちそうになっては必死でつかみ直している。
そこまでして俺の肩に留まる意味があるのか問い詰めたいところだが、さすがにフクロウ相手では会話が通じるとも思えない。
どうしてこんな状況になったのか。俺は森に入ってからの事を思い起こす。
森を歩きはじめてしばらく経った頃、まず最初に俺の元へ現れたのは白ウサギだった。いったいどこからやって来たのか、突然現れては俺たちの後を追ってきたのだ。
本来ウサギというのは臆病な生き物だと思っていたが、この白ウサギはそんな事を感じさせない。ちょこまかと俺の後ろをついてきては足もとにまとわりつくので試しに抱き上げてみたところ、腕の中で無防備にも眠りはじめてしまった。
さすがに眠ったウサギを放り出すのも可哀想なので、そのまま抱いて歩いていると、今度は頭の上にモモンガらしき齧歯類が落ちてきた。
いきなりだったのでビックリしたが、正体が害のない小動物とわかり、これまた好きなようにさせた。そのうちどこかへ逃げるだろうと思ったが、俺の頭にしがみついてそのまま離れようとしない。
次にやって来たのは中型犬ほどの大きさがあるキツネらしき動物。フサフサの尻尾がキュートなそいつは、気が付くといつの間にか足もとにすり寄ってきていた。
で、最後に上空から着地してきたフクロウだ。
意味が分からん?
俺だって意味がわからんよ。
こいつら森に住む野生動物だろうに、どうして人間の前に堂々と姿を現しているんだろうか?
ウサギにいたっては人の腕に包まれて完全に眠っている始末である。ユキにも同じ事が言えるが、お前らの野生は一体どこ行った?
しかも俺にばかりつきまとうのはなぜだ? 何か俺の身体から、動物にだけ効き目のある妙なフェロモンでも出てるのか?
「野生なのに人を怖がらないんでしょうか?」
「兄貴の動物に好かれる体質は、野生動物相手でも神っすね」
「ぐぅ……、なぜレビさんばかり」
不思議がるティア、体質で片付けてしまうエンジ、そしてほぞをかむラーラ。
別に俺が望んだわけじゃないんだけどな。
「とにかく、この場所を中心に捜索しよう。ラーラはユキと組んで西側を探してくれ。エンジは俺と組んで東側だ。ティアはこの場所に留まって使い魔をバラ撒いてくれるか?」
「はい、先生。何か見つかったら使い魔を連絡に送ります」
「了解っす」
「モフモフを抱いたレビさんは、その状態で捜索に行くつもりですか?」
批判めいた口調のラーラがジト目を俺に向ける。その瞳に浮かぶのは『そのモフモフをよこせ』という欲望まみれの主張である。
「何でしたら私の方で預かってもいいのですよ?」
いや、それ単にお前がモフモフ堪能したいだけだろ。
ラーラの言うことは軽くスルーするにしても、確かにこの状態では動きづらい。せめて腕に抱いたウサギだけでも、と足もとに下ろしてティアへ声をかける。
「こいつのこと、気にかけてやってくれるか?」
「ええ、それくらいなら。……あ、でもついて行きたいみたいですよ?」
そっと地面に下ろした白ウサギは、すぐさま起き上がり俺の足もとにすがりつく。
どうなってんだ、これ? すぐそばでまとわりついてるキツネっぽいやつも、獲物が目の前に居るにもかかわらず、見向きもしないし。
「困ったな……」
正直頭を抱えたくなった。しがみついているモモンガっぽいのが居なければ、確実に頭を抱えていただろう。
俺はしゃがみ込み、白ウサギと視線をあわせて口にする。
「あのな、俺は今から人捜ししなきゃならんのだ。お前を抱いていくわけにはいかんから、さっさと巣穴に戻ったらどうだ?」
俺の言葉に白ウサギが首を傾げる。
「ま、もし小さな人間の女の子を見かけたら教えてくれや。って、ウサギに言っても通じるわけないよな。ははは」
自分でも無茶を言っている自覚があったので笑っていると、突然白ウサギが森へ向かって走りはじめた。
次いで頭の上に乗っていたモモンガっぽい齧歯類がウサギと反対方向へ、足もとにまとわりついていたキツネらしきモフモフが別の方向へ走って消えていく。
最後にフクロウがバサバサと羽ばたいて上空へと飛んでいった。
「へ? 突然なんだ……?」
俺はその様子を呆けた顔で見ているだけだった。




