第122羽
「疑似……中核?」
我が家の片隅に置かれていた桜色のガラクタを見て、フォルスの口から飛び出した名称に、俺は首を傾げる。
「覚えてるかな、レビィ。ダンジョンでアヤさんとはじめて会った時のこと」
「忘れるわけないだろ。あんな目に遭って」
ダンジョンの立ち入り禁止区域から転移させられて、レジャー施設ではない本物のダンジョンをさまようことになったときの話だ。
危うくダンジョンで冷たい骸になりそうだったとき、あきれるような圧倒的強さで俺たちを救ってくれたのがアヤだった。
「じゃあ、中核の話をしたのは覚えてる? 『中核自体には大した力も価値もない』って話」
「ああ、そういえばそんな事言ってたな」
「同時に言ってたよね『同じようなものは作ろうと思えば作れる』って」
確かに中核の話をする中で、そんなことを聞いた覚えがある。
あの時は大して気にもしていなかったが、フォルスがこの流れで口にするってことは――。
「……それが疑似中核?」
という結論に至るわけだ。
「そう。現代の技術で作られた、ダンジョンの中核に似せたシロモノ。それが疑似中核と呼ばれる物らしいね」
「でも色が全然違うぞ?」
ダンジョンの中核は桜色というより紅色に近い赤だった気がする。
「だから疑似中核なんだろうね。全く同じ物とは言えない紛い物ってことだと思う」
「って事は何か? これ復元しちまうと、俺の家がダンジョンになったり……?」
復元すればキレイだろうと、安易に組み上げようとしていた俺は、自分の家がある日突然ダンジョンになった光景を想像してゾッとした。
「それはないと思うよ。単純に形を復元するだけじゃ、中核としての機能は持たないらしいし。まあ、せいぜいキレイな飾りとして使えるかという程度だろうね」
それが本当なら安心だが……。
「どうしても不安なら一度アヤさんに話を聞いてみたらどうかな?」
聞けばフォルスも、中核についてアヤからいろいろと教えてもらったらしい。
夏のフィールズ大会優勝でもらった別荘に、なんだかんだとあれからアヤは居着いているんだとか。
それにしては町で会うこともないがなあ……。
「まあ、アヤさんも忙しいからね……」
俺のつぶやきにフォルスが言葉を濁す。
「忙しいって何が――」
「れびさんちゃん! ルイちゃんどこー!?」
そこへ突然俺の裾を引っぱる小さな手。
横を見ればむくれっ面のユリアちゃんが立っていた。まさかあれからずっとかくれんぼで鬼やってたのだろうか?
「レビィ、その子は?」
「ああ、近所の子だよ。ルイの友達――みたいなもんかな」
「へえ」
そのタイミングで、視線を向けたフォルスとユリアちゃんの目があう。
「おじちゃん?」
不意にユリアちゃんの口から漏れたのは、先日までさんざん俺が浴びていた不名誉な呼び名だ。
「今度はフォルスがおじちゃんか。四歳から見れば俺たちゃ立派なおじさんってことだな、あはは」
「う……。ちょっとダメージ食らうね、これは」
フォルスの苦虫をかみつぶしたような顔なんて、そうそう見られるものじゃない。
俺が声を立てて笑っていると、ユリアちゃんが予想外の言葉を口にする。
「たんていごっこのおじちゃんだ!」
ん? 探偵ごっこのおじちゃん?
探偵ごっこ? どういうことだ?
「ユリアちゃん。探偵ごっこのおじちゃんってどういうこと?」
「たんていごっこしたときのおじちゃんなの! ゆりあね、おじちゃんおいかけたの! そしたらママがいなくなって、らーらおねえちゃんにあったの!」
ラーラに会ったって……、もしかしてラーラがユリアちゃんを森で発見したあの時のことか?
確かにあの時、ユリアちゃんは森へひとり入っていく男を探偵気分で尾行して、森の中で迷子になっていた。その時においかけた男の特徴が確か――茶髪で長身。
俺は目の前に座る優等生を見た。その髪は赤みがかった茶色、身長は俺よりも頭半分高いかなりの長身。ユリアちゃんが言っていた条件にあてはまる。
ということは何か? ユリアちゃんが森で見かけた男というのが、フォルスだとでも?
「なあ、フォルス」
「何?」
「お前、町の外にある自然公園へ行ったことあるか?」
「そりゃあ、僕もこの町に来て長いからね。何度か行ったことはあるよ。それがどうしたの?」
「奥の方へは? 木がほとんど伐採されていないあたりに行ったことはあるか?」
「いや、そんな奥へは行ったことはないよ」
まあ、そうだろうな。あんな何もないところへ行こうなんて、よっぽどの物好きか俺たちみたいにワケありかのどちらかだろう。
「そうか、じゃあたまたま背格好が似てたんだろうな」
「どういうこと?」
「いや、はじめてユリアちゃんと会ったときなんだがな。森の奥へ入っていく男を追いかけて深いところまで行ったみたいなんだよ。その時追いかけていた男っていうのが茶髪で背が高かったっていうことだから」
「ああ、なるほど。それが僕に似てたってことか。まあ、茶髪で背の高い男なんて珍しくもないだろうしね」
フォルスの言う通り、茶髪の人間なんてありふれている。背の高さにしたところで、ユリアちゃんから見れば大人はみんな背が高く感じられるだろう。
「ちがうもん!」
納得しかけた俺とフォルスだったが、そこへ強烈に異を唱える四歳児の声が響きわたった。
「ほんとだもん! あのときみたおじちゃんはこのおじちゃんだもん! ゆりあうそついてないもん!」
自分の考えを否定されたことが悲しかったのか、涙目になりながらユリアちゃんが主張する。
「うーん。でもユリアちゃん、フォルスは森の奥へ行ったことがないって言ってるし――」
「ほんとだったら、ほんとなのー!」
地団駄を踏みながら半泣きになったユリアちゃんは、そのままリビングを飛び出して玄関から外へ出て行ってしまった。
「あちゃあ……。すまんティア。追いかけて家まで送って行ってやってくれるか?」
「はい、先生」
短い返事をすると、銀髪少女がエプロンドレスのまま、飛び出していったユリアちゃんを追って行った。
「なんだか、申し訳ない事をしちゃったね」
バツが悪そうにフォルスが顔をしかめる。
「まあ、気にすんな。子供の言うことだし。ちゃんとティアがフォローしてくれるさ」
あの反則じみたチート娘なら、今頃はユリアちゃんに追いついていることだろう。
それからフォルスとはお互いの近況などの話に時間を費やした。フィールズの大会へ出場するまではアヤといっしょに全国各地を飛び回っていたフォルスだが、ここのところは町に腰を落ち着けているらしい。
たわいもない話を交えながらしばらく話し込んでいたが、この後予定があると言って帰って行ったフォルスと入れ替わるように、ユリアちゃんを送り届けたティアが戻って来る。
「きちんとタニアさんのところまで送り届けてきましたよ」
「ご苦労さん。助かったよ。大変だったろ?」
「そんな事はありませんよ。ただ、道中ずっと自分は嘘をついていない。とグズっていましたけど……」
「そりゃまあ、しょうがないだろう。別に俺だってユリアちゃんが嘘をついているとは思っちゃいないさ」
ユリアちゃんは嘘をついているわけじゃない。ただ、言っていることが『正しくなかった』だけだろう。
嘘でもないが、本当でもない。ようするに勘違いだ。特に経験が不足して視野が狭い子供にはよくあることだし、それでユリアちゃんを責めるつもりなど俺にはない。
「でもフォルスが嘘をついているとは思えないしな」
短い沈黙の後に銀髪少女が口を開く。
「……そうでしょうか?」
てっきり同意の言葉が返ってくると思っていた俺は、意外な返答に戸惑う。
「いやいや、何言ってんだよ。俺と違ってティアにはその目があるだろう。フォルスが嘘をついているかどうかなんて、お見通しだろうに。それとも何か? まさかさっきのフォルスが嘘をついてたって言うのか?」
「いえ……、それはないと思うのですけど……」
珍しくティアが言いよどんだ。
「けど?」
問い返す俺の声を最後に、リビングが奇妙な空気に包まれる。
「この目に見えているフォルスさんの考えが本心からのものかどうか、いまいち自信がないんです」
「どういう意味だ? もしかして表向きはあんなイケメンチート優等生だけど、ティアの目に映る思考は結構どす黒かったりするとか?」
冗談めいた口調で茶化してみるが、ティアは難しそうな表情を浮かべたままだった。
「フォルスさんの思考は見えているんですが、よくわからないというか……。なんて言ったら良いんでしょうね……。キレイすぎる、というのが正しいんでしょうか」
「キレイすぎる?」
思考がキレイすぎるって、どういう意味だろうか? 無垢――というわけでもないだろうし、清廉潔白という感じか?
「ええ。フォルスさんの思考には他人への嫉妬やねたみ、敵意や害意、相手を見下すといった良くない感情が一切見えないんです」
「そりゃまあ、完璧チート男のことだしな。そういった悪い感情がない、真っ白な心を持っててもおかしくはないんじゃないか?」
なんせリアルチートを地で行く男だ。俺やエンジとはオツムの出来から精神構造まで全然違うのだろう。
「……さすがに皆無というのはおかしいです」
かぶりを振ってティアが否定する。
「高潔と評判の人たちですら人間である以上、少なからず負の感情は見せますよ。ただ普通の人間と違うのは、そういった悪感情をうまく制御して無理のない形で受け容れることができる、ということだけです。そういう方たちの心は総じて穏やかでわずかな気配しか感じさせません。ですがわずかとはいえ、どんな人でも微少な負の感情というのは残るものなんです」
「それがフォルスには無い、と?」
「……はい。まったく」
フォルスの思考はあまりにも模範解答過ぎて、不気味さすら感じるらしい。
もしかして、ティアが普段からフォルスに対して一線を引いたような距離を取るのは、そのせいなのか?
魔眼を持たない俺にはその奇妙さを理解することはできない。だが当たり前のように相手の思考が読めてしまうティアにとっては、何とも言えない感覚なのだろう。
「だけど不気味っていうことなら、思考が一切読めない俺だってそうじゃないのか?」
「先生の場合は顔で読めますから」
……そこまで顔に出やすいのか、俺って? むう、ちょっと納得しがたいが。
「ほら、そんなの心外だっていう顔していますよ」
ハイ正解!
しっかりと筒抜けでした!
「……まあ、考えすぎじゃないのか? フォルスの思考が良い子ちゃん過ぎたからって、それで誰かが害をこうむるわけじゃないし」
いくらチートなあの男でも、他人に読まれる前提で思考を偽装するなんて離れ業はできないだろう。そんな芸当できるやつはもはや人外の域だ。とっくに人間辞めてるっての。
そもそも魔眼のことはフォルスもラーラたちも知らないんだしな。
「はい……」
ディアはいまいちスッキリしない様子で返事をする。得心がいかないって顔だった。
だが俺としてはフォルスの言葉を疑う理由はないし、そもそも『探偵ごっこのおじちゃん』が誰だったかなんて大した話でもない。今回のことも些細な出来事程度にしか思わなかったし、さして気にもしていなかった。




