第120羽
「なんだこれは?」
ダンディ様が思わず声をもらした。どうもリンシャンの羽を使った鑑定結果が予想外のものだったらしい。
「模様ってどう見るんですか?」
「なんだこれは!?」
質問の答えは返ってこない。というか、ダンディ様は真っ青に染まった紙を凝視して、こちらの声など聞こえていないかのようだ。
「おじ様、ペットボトルの中身が……」
ティアの声に、青い液体が入っていたペットボトルへ視線をやった俺は異変に気づく。
「あれ? 色が……」
ペットボトルに入っていた青い液体は、その色をすべて失い透明無色の液体となっていた。
それに気づいたダンディ様はすさまじい勢いでペットボトルをつかみ取り、透明となった中身を見て叫んだ。
「なんだこれはっ!?」
知らねえよ。こっちが聞きたいくらいだっての。
それからしばらくの間、ダンディ様はウンウンと唸り、頭を抱えて何やら考え込みはじめた。
やがて考えがまとまったのか、トレスト翁はリンシャンたちを指さしながら俺に向かって問いかける――というかもはや『問い詰める』と言った方がぴったりの口調だった。
「なんだあれは!」
知らねえよ。それを調べたんじゃないのかよ。
「こんな結果はついぞ見たことがないぞ! なぜ模様が出ない!? 魔力鑑定液がすべて紙へ移るなど聞いたこともない!」
興奮するダンディ様を落ち着かせて話を聞くところによれば、通常は色が青く染まるのは紙の半分にも満たないらしい。三つの皿から均等に魔力鑑定液が吸い込まれるため、それらを比較することで魔力や生命力の強さが判別できるのだとか。
ところがその三皿ともにキレイさっぱり魔力鑑定液がなくなってしまったのだ。おまけに本来なら、鑑定に無関係のはずだったペットボトルの中身までもが影響を受けてしまっている。
「何かの間違いか? いや、しかし手順は問題なかったはず。だとしたら、こやつらの魔力や生命力が桁外れに強いということか……? それにしても一面青とは一体……?」
その後もダンディ様は頭を抱えていたが結論は出なかった。残ったのは『なんだかわかんないが、すごそう』というふわふわとしたイメージだけ。
結局リンシャンたちの正体を探るヒントは何も得られず、得体の知れなさにより一層拍車をかけただけだった。
しばらくしてようやく落ち着いたトレスト翁をリビングに連れ戻し、ティアが入れ直したお茶を飲みながら一息つく。
「残念だ。あんな興味深い研究対象を目の当たりにしながら、観察する時間もないとは……。かように心引く対象に囲まれてレバルト君がうらやましい、いや妬ましい」
どうやらダンディ様にとって、俺の家は限りなく楽園へ近い場所に感じられるらしい。
……爺さん、あんたやっぱりラーラの親戚かなんかじゃねえのか?
だがこのダンディ様、欲望まっしぐらの空色ツインテールとはひと味違っていた。
「この紙だが」
そう言って先ほど真っ青に――むしろ黒っぽく――染まった一枚の紙をテーブルへ置く。
「最初は単に染まったのかと思ったが、よく見るとうっすらと模様が確認できる」
ダンディ様の指がなぞるところへ目をこらせば、確かに模様らしき物が見えるような気がした。
「模様で種族が判別できるんでしたっけ? これ、何の模様なんですか?」
「うむ……、一応鳥類を鑑定したときに出る模様のようだが……」
俺の問いに答えるトレスト翁は歯切れが悪い。
「だが?」
「それにしては妙な形だ」
「おじ様、妙な形とはどういうことです?」
銀髪少女が口を挟む。
「うむ。形がキレイすぎる」
「それっておかしな事なんですか?」
俺も疑問をぶつけた。
「鳥としては理想的な模様だ。だが逆に考えると、アレが鳥として理想的な存在だと思うかね?」
さすがにそれはない。あんなコロコロしてろくに飛びもせず、日向ぼっこばっかりしているようなのが理想的な存在だなどと言ったら、全世界の鳥へ対する侮辱にも等しいだろう。
「なにやら後からとってつけたような模様……。作られた形……。入れ物……。もしかするとあの姿は本来の形ではないのかもしれぬ。何か別の存在を無理やり鳥の形に押し込んだような……。いや、それはさすがに考えすぎか」
ダンディ様の考えでは鳥の形は仮の姿、もしくは別の存在を内包しているのではないか、とのことだった。紙が真っ青に染まってしまったのは『別の存在』の力が強すぎるから、とも考えられるらしい。
「しょせんは仮説に過ぎぬよ。断定するには情報が足りぬ。もっとよく調べればわかることも多いであろうが……」
なにせ時間がない。もともとダンディ様が俺の家に寄ったのは『仕事のついで』である。「残念だ」とか「もっと時間があれば」などと何度も口にしていたが、いくらぼやいても時間は増えたりしない。
本来の仕事もスケジュールに余裕があるわけではないらしく、日が傾きはじめた頃にダンディ様が「そろそろお暇せねば」と名残惜しそうに言った。
見送りに出た玄関先で、ダンディ様がティアに声をかける。
「魔眼の制御訓練は続けておるのか? ベヌールのヤツが気にしておったが」
「はい。週に二度ほどはダンジョンで。完全にはほど遠いですけど、意識しておけば強い思考以外を遮断できるようになりました」
魔眼制御のため、教授の指導ではじめた例の訓練は現在も続いていた。
その度に俺もダンジョンへ付き合わされている。だがティアが無双した後の宝箱から得る景品が、今となっては貴重な我が家の収入源になっているというのは……、嬉しいやら情けないやら。
「そうか、それは良かった」
「教授にも改めてお礼に伺いたいと思います」
「いらんいらん。あんまりヤツをおだてないでくれ。第一、年がら年中あちこちを飛び回っておるからな。いつも学都にいるとは限らんぞ。まったく、今もどこにいるのやら」
あきれたような口調でダンディ様がぼやいた。
「それはそうと、ティアルトリス。今日は家に帰るのか?」
「はい。いつも夕食をご一緒してから帰っていますので」
ダンディ様はこの町に滞在中、ティアの実家に宿泊するらしい。ここでティアと別れても、結局後から屋敷で顔をあわせる事になるのだろう。
「そうか。ならば後ほど屋敷で会うとしよう。……あまりディッセルを心配させるでないぞ」
しばしの間を置いて、ダンディ様が聞き慣れない名を口にする。
「なぜそこでお父様の名が出てくるのですか?」
初めて聞く名前は、どうやらティアのお父上らしい。
「自分の娘が男のところへ通い妻なんぞしておったら、普通の親は気が気でないものだからな」
何を言い出すんだか、このダンディ様は……。
「だ、だ、誰が通い妻ですかー!?」
珍しく声を荒げる銀髪アシスタント。ダンディ様にかかっては、孤高の花を異名に持つチート少女も形無しである。
「おっと、もうこんな時間か! ティアルトリス、ではまた後でな! レバルト君もまた会おう!」
顔を真っ赤にして弁明するティアを後に、がっはっはと豪快に笑いながらダンディ様は町へと消えていった。
「まったくもう、おじ様ったら……」
「しかしまあ……。かき乱すだけかき乱して行った、って感じだな。あの爺さん」
自由人っていう表現がぴったりの人だろう。もしかしてラーラも歳くったらあんな感じになるんだろうか?
「昔からああいう方でしたので」
「ずいぶん忙しそうだけど、何の仕事でこっちへ来たんだろうな?」
ダンディ様はルイとユキだけでなく、庭のチートイとリンシャンにも興味津々だった。しかし本来の用事というのがどうしても時間をずらせないものらしく、渋々といった感じで観察するのを諦めたような感じだ。時間さえ許すなら、うちへ居着いて観察に没頭しそうな雰囲気があった。
「きっと講演とか会議とか、何かの研究会に招待されたとかでしょう」
「講演? あの爺さん、そんなえらい人なのか?」
「ええ。おじ様はあれでも生物学の権威として、それなりに名が知られているんですよ」
へえ、確かにタダのインテリにしては物知りだなとは思ったが、意外に有名な人物だったらしい。
そんな人が『正体不明』と言ってはばからない、うちのチートイとリンシャンって一体何者なんだろう?
ルイだって未だによくわからないところがあるし、今回ちゃんと大人しくしていてくれたローザにしても、何者なのかよくわかっていない。
なんか、俺の家って怪しげな生き物が集まる電波でも出ているんじゃなかろうか。




