第111羽
なんやかんやとあり、子ネコの散歩ついでに迷子を送り届けてから三日。
ユリアちゃんのお母さんからは何度も感謝の言葉をもらった。
管理事務局の職員たちからも同じように感謝をされたが、彼らの場合ユリアちゃんに何かあれば自分たちの責任問題になっていたので、その意味で助かったというのが本音だろう。
まあ別にそれは俺たちに関係のない話だ。むしろ今回の件で子ネコに対する人々の警戒心が薄れたということこそ、俺たちにとっては大きな収穫と言える。迷子の件があってから、ちらほらとうちの庭を子ネコ目当てでのぞき込みに来る人間が出始めた。
良い傾向だ。他のネコたちはいざしらず、うちの子ネコは大人しいということが分かってもらえれば、今後の日常にも良い影響が出るだろう。
今は身内――エンジとパルノを除く――限定で可愛がられている子ネコだが、そのうち町の人たちにも愛される日が……って、いずれ野生に帰すんだけどな。
それはそれとして、町の人から可愛がられるというのは悪いことじゃない。少なくとも恐れられるよりは何倍もマシだ。
もちろんすぐにというわけにはいかないだろう。今のところ子ネコに近寄るのは俺、ティア、ラーラ、ルイ、そして迷子のところを助けたユリアちゃんくらいのものだ。エンジは相変わらずネコパンチを恐れて近寄らないし、パルノもまだ子ネコが怖いらしい。
ああ、そういえばもうひとり子ネコが平気な人物の心当たりがある。
って、この前もこんな事考えていたら――。
「お兄ちゃーん! お祭り行こー!」
玄関から甲高い呼び声が聞こえ、続いてゴキリと固い物が折れるような音が響く。
「……あ!」
なんだろう。この既視感。
「ごめーん! お兄ちゃん! ドアノブボキッてなっちゃった!」
テヘヘと舌を出しながら、ウルフカットの妹が我が家のリビングまでやってくる。
「……なあ、ニナ。この際だから言っておくけど、俺ん家の玄関はお前に壊されるために設置しているわけじゃねえんだからな!」
「あっ、子ネコちゃんここに居たんだー。今日もモッフモフだね!」
「にゃー」
だからお前は人の話を聞・け・よ!
「そーれ、モフモフー!」
「にゃあ」
お構いなしに真っ白な子ネコをこねくり回すニナ。
「れっつ、モフモフー!」
「にゃー」
「もいっかい、モフモフー!」
「にゃにゃん」
子ネコはまんざらでもない様子で、ニナとじゃれ合っている。
「だからみんなで一緒に行こうよ、お祭り!」
突然金髪のウルフカットが振り向いて言う。
お前の会話はどこからどこにつながってんのかわかんねえよ!
文脈とか関係ナシに突然言いたいこと言うのはやめてくれませんかね? 聴き手のこっちが大変なんだから。
「祭りぃ? 今週末のやつか?」
「そうそう、ティアさんやラーラさんも誘ってさ! 当然ルイちゃんも!」
夏も終わりが近付くこの季節。夏一番の大きな祭りが今週末に開催される。毎年行われるそれは、各街区の主要道路沿いに数多くの露店がひしめき、御輿やステージでの演舞なども行われる大きなイベントだ。
「そりゃまあ、別に断る理由もないけどさ。学舎の友達とか彼氏とか、一緒に行く相手はいないのか?」
「えー、だってルイちゃんやお兄ちゃんと一緒に行く方が楽しそうだもん」
妹に慕われるのも悪い気はしない。だがちょっとニナの交友関係が心配になってきた。もういい歳なんだから恋人のひとりくらいいてもおかしくないのだが、今まで浮いた話を耳にしたことがないんだよなあ。行き遅れたりしなきゃいいんだけど。
「ね、ティアさんも行こうよ、お祭りー」
人数分のお茶を淹れたティアがリビングへとやってくる。
「夏祭り、ですか……」
いつもと違い言いよどむティア。
「その……、夏祭りの日は少し用事があるので……」
そう言いながらチラリチラリと俺の様子を伺う。
うーむ……、やはりまだまだぎこちない空気があるなあ。
レストランでの誤爆以来、ティアが俺とまともに目を合わせてくれない。気まずい雰囲気のせいで、プレゼントのブローチもまだ渡せていない状態だ。
「えー、残念。ティアさんの浴衣姿見たかったのにー」
「このまえ宿で見ただろうが」
「もー。お兄ちゃん分かってない! あんなのじゃなくて、可愛い浴衣着たティアさんが見ーたーいーのー!」
「どっちにしても無茶言うな。ティアにだって都合ってもんがあるんだから」
「すみません、ニナさん」
「むぅ……。来年は一緒に行こうね、ティアさん」
「ええ、まあ……」
不承不承ながら来年の約束を取り付けようとしたニナに、ティアは珍しく曖昧な返事をする。
結局夏祭りへはニナ、ラーラ、ルイ、エンジ、俺の五人で出かけることになった。パルノは露店のアルバイトがあるらしく、クレスは同級生たちと行くということだ。
え? フォルス?
あいつもなんか忙しいらしくてな。何の用事かは教えてくれなかったが、彼女とでも一緒に行くんじゃないのか。
…………あれ? フォルスって彼女いるよな? 聞いたこともないけど、まさかあのイケメンチートが独り者とは思えないし。
夏祭り当日。
集合場所は俺の家になっている。祭り自体は昼過ぎから行われているが、夜空に映える花火を見たいということで、夕暮れを待って集合ということにした。
日中軽く見て回ったが、やはり夜の盛り上がりに比べると少しおとなしめの印象を受けた。一日中祭りに参加するのは体力的に辛いし、だったら花火が上がる夜に――というのは誰もが考えることらしい。
「あー! ラーラさん可愛いー!」
「ニナさんの浴衣も可愛いですね。よく冷えたスイカみたいです」
ラーラの浴衣姿を見てニナがはしゃいでいる。お返しとばかりにラーラもニナの浴衣を褒めているのだが…………、よく冷えたスイカってなんだよ。それ褒め言葉か?
ニナの浴衣は鮮やかな赤地に銀の刺繍、帯は薄桃色だ。赤い色を見て真っ先にスイカを思い浮かべるあたり、ラーラは露店の食べ歩きを前にお腹ペコペコなのかも知れない。
一方のラーラは白を基調として水色とピンクの花柄が入った浴衣だ。帯の薄黄色とあわせてパステルチックな色合いが、ラーラの空色ツインテールを引き立てる。
俺の浴衣は紺地に白のタータンチェック、エンジの浴衣は灰色ベースのマルチストライプだ。女物に比べると男用の浴衣って地味だよな。別に派手な浴衣を着たいわけじゃないが。
ルイは子供用の浴衣を着せてある。いったいどこから持ってきたのか――おそらく実家だろうが――ティアが黒無地の浴衣を用意してくれた。ちなみに着付けもティアにやってもらった。浴衣の着付けとか俺知らないし。
「じゃあ、戸締まりよろしくな」
「はい、お任せください」
ティアに後を任せ、俺たちは薄暗くなり始めた空の下をぞろぞろと出発する。
せっかくの夏祭りだからティアも一緒に行ければよかったのだが、用事があると言って断られたのだから仕方ない。今もなお微妙な空気が流れていることを考えると、この方が良かったのかも知れないが……。
普段であれば買い物客や家路につく人々が歩いている路地も、今日はやけに静かだ。その分、煌々と明かりが照らされたメイン街路の方からは賑やかな声が聞こえてくる。人の分布が恐ろしいほど偏っている証拠だろう。
街路に近付くにつれ、行き交う人が増えてゆく。
「ルイ、勝手にあちこち行っちゃダメだぞ」
「ンー」
「ご心配なく、レビさん。ルイはこの私がしっかり守りますので」
そういうお前も迷子になりそうなんだけどな。主に身長的な要因で。
「別々に迷子よりは一緒に迷子の方が探す手間も省けるっす」
「もしかして私にケンカを売っているんでしょうかねえ。そこの黒綿菓子は?」
「誰が黒綿菓子っすか!?」
「その黒モジャが黒綿菓子以外の何に見えるというのです! そんな綿菓子は水に濡れてさっさと溶けてしまえば良いのです!」
いつものごとく始まるラーラとエンジの言い合い。
「にっしっし! エンジさん、髪溶けちゃったらおツルちゃんになっちゃいますね」
加えてニナがいらんチャチャを入れ始める。
「み、味方がいないっす!」
「ほら、ラーラもエンジもそれくらいにしとけよ。ニナも変なチャチャ入れるんじゃねえ」
よく考えてみればこのメンバー、トラブルメーカーとやっかい児しか居ねえよ。こいつら俺ひとりでまとめなきゃならんのか? 勘弁してくれ。なんか初っ端から頭痛くなってきた。
「お兄ちゃん! ほら、あそこ! かき氷あるよ! かき氷!」
メイン街路に入った途端、立ち並ぶ露店からさっそく目当ての品を見つけ、妹が騒ぎ始める。
「ンー!」
「まずはかき氷ですか……、王道ですね!」
シロップの甘い香りに引き寄せられ、ルイとラーラが目を輝かせる。
「そんなあわてて飛びつかなくっても……、一通り露店まわってからでも良いんじゃないか?」
「何を言っているのですか、レビさん! 思い立ったが吉日という言葉もあるでしょう! 据え膳食わぬは男の恥ですよ!」
いや、それ両方とも使い方おかしいから。あと、据え膳食わぬうんぬんは女の子が言うセリフじゃないって。
「ラーラさん、何味にする?」
フィールズの大会や海への旅行以来、すっかり仲の良くなったニナがラーラへ問いかける。
「そうですね。私はスイートプラム味にします」
「じゃあ、ニナはトロピカルグレープ味にしよっと!」
ラーラは甘みの中にもかすかな酸味のある果実由来の赤いシロップ、ニナはブドウに似た果実から作られたシロップを選ぶ。
「ルイはどれにしますか?」
「ンー!」
言葉を話せないルイは、露店に並べられたサンプルの中から青いシロップのかかったかき氷を指差す。
「ルイはソーダ味ですね」
「オレは――」
「モジャ男には聞いていません」
口を開きかけたエンジに機先を制してトゲを放つラーラ。相変わらずエンジの扱いがひどい。例によって口論を始めた二人をよそに、俺は黙って自分のかき氷を注文する。
「あいよ、かき氷五つね!」
注文を受けた露店のおばちゃんは、元気に返事をするとかき氷を作り始める。
地球ではブロック状の氷を削ってかき氷を作るが、この世界におけるかき氷は作り方が少々異なる。
露店の中には氷も機械も見当たらない。見えるのはポリタンクに入った水とかき氷用のカップやスプーン、そしてシロップが入った容器、あとはプラスチックでできたタライのような器くらいのものだ。
おばちゃんはポリタンクから水をタライに注ぐと、おもむろに詠唱を始める。
タライに注がれた水が少しずつ凍っていき、同時に表面が細かくひび割れていく。割れた氷はさらに細かい粒へと変わって、一分ほど経った頃にはタライの上に細かい雪のようなかき氷が現れていた。
水をその場で必要量だけ凍らせて魔法で細かい粒に変える、この世界ではこれが一般的なかき氷の作り方だ。
この方法なら暑い夏でも氷の保冷に気を使わなくてすむし、結果的に持ち運ぶ荷物の量も減らせる。さらに必要なとき必要な氷だけを使うため、地球のように氷があまる心配も無いというわけだ。
ちなみに水が無くても魔法で氷を生み出すことは可能だが、あらかじめ準備した水を凍らせる方が消費魔力は少なくすむらしい。
デメリットとしては、作る量や氷の質が作り手の能力に大きく左右されることだろう。繁盛しすぎると魔力切れで早々に店をたたむ露店も出てくる。
「はいよ、ひとつ四百円ね」
シロップがかけられたかき氷を受け取って、俺たちはぶらりと歩き始める。
スプーンでかき氷をひとくち。
うん、おいしい。ティアが作るのに比べれば、ちょっと氷の砕き方が荒いかもしれないが。
ご存知の通り、うちの銀髪アシスタントは氷魔法が得意だ。暑い日はおやつ代わりにかき氷を作ってくれるんだが、これがまたすごくてな。
ティアの作るかき氷は二層構造になっている。上層は綿雪のように舌の上で溶けて消えていくきめ細かい氷の粉。シロップをかけて溶けないように、最初から一定の比率でシロップを凍らせた氷が混ざっている。下層は氷の冷たさと食感を楽しめるやや粗めの粒だ。しかもそのひと粒ひと粒がキレイな球体となっており、舌触りが抜群に良い。
まあ、あのチート娘を基準にするのは露店のおばちゃんに悪いだろう。露店で買ったこのかき氷だって十分おいしいことに違いはない。
いい歳した大人が冷たい氷をかきこんで頭をキーンとさせるのも格好悪いので、ひとくちずつゆっくりと堪能する――のだが、どうやら今日の同行者とは価値観が異なっているらしい。
ときおり頭を抱えながらも早々にかき氷を完食したメンバーが、自分の欲求にしたがってあちこちへ目を向け始める。
「お兄ちゃん! 焼きそば! あそこ焼きそば売ってるよ! ジューっておいしそう!」
「レビさんレビさん、綿菓子です。綿菓子が私を呼んでいます」
「あ、射的あるっすよ兄貴! オレ、射的打つの全然得意なんっすよ!」
「ンー!」
えーい、お前ら! バラバラに動くんじゃねえ! 引率するこっちの身にもなれっての!
2016/10/04 修正 大きな影響と言える → 大きな収穫と言える




