第107羽
突然の爆発音。
だが、それに伴って発生すると思われた爆風や熱は感じられない。
ただテーブルの上に並べられた食器やグラスがガタガタと揺れ、響きわたる轟音が爆発地点の近さを物語っていた。
「な、何!?」
「爆発!?」
「どこで!?」
周囲の人々も急な異変にとまどっている。
爆発音は一回のみ。
同時に発生した衝撃はすぐにおさまった。幸い揺れ自体はそれほどのものでもなかったらしく、いくつかのテーブルでグラスが床に落ち、割れたのが被害と言えば被害だ。
音の大きさと揺れを考えるに、かなり近い場所で爆発が起こったのではないだろうか。
原因はわからないが、ひとまずこのレストラン内では大した被害も出ていない。爆発地点はホテルの中か、それとも近隣の建物か。
「おさまった……、ようですね」
「そうみたいだ」
アルメさんのこぼした言葉に俺も同意する。
どこで爆発したのかはわからないが、いずれにしても避難を始めた方がいいのではないだろうか。そう俺が考えた時、今度は音もなく明かりが消えた。
地上階のレストランと異なり、ここは地下にあるため窓といったものが存在しない。天井や壁、各テーブルに備えつけられた魔光照が室内を淡く照らしていたのだが、それはエネルギー源が供給されていればこそだ。自然の月明かりはもちろんのこと、室外から差し込む光などもともと存在しない。魔光照が全て消えればあっという間に暗闇へ包まれてしまう。
突然真っ暗となったレストラン内で困惑の声があがる。
「おい、どうなってんだ?」
「何も見えないぞ?」
「非常灯はどうしたんだよ?」
本来こういった事態に備えて据え付けられているはずの非常灯までもが沈黙している。なぜだ?
時間の経過と共に人々のざわめきが大きくなってくる。
それから二分ほどが経過しただろうか。
レストランの従業員が客をなだめる声が聞こえる中、いつまで経っても明かりが復旧しないことに焦れた人間がいたのだろう。
「あれ?」
「どうした?」
「いや、明かりをつけようとしたんだけど。上手くいかなくて」
魔法で明かりを灯そうとして失敗した、といった声が聞こえる。
「どんくさいやつだなあ。そんな初級の魔法に失敗するか?」
「じゃあ、お前やってみろよ」
「はいはい、しょうがねえな。ホレっ…………、あれ? 何でだ?」
暗がりの中、至るところでそんな言葉が聞こえ始める。
最初はポツリポツリと、次第に大きく、段々と深刻な口調に変わっていく。
「おい、何でだ! 魔法が使えないぞ!」
「どうして発動しないのよ!」
「こんなところに居られるか! 出口はどこだ!」
「こっちだ! さっさとここから出――――開かない! 魔力扉が開かない!」
「どけよ! 俺がやる! …………くそ! 何で開かないんだよ! 出られないじゃないか!」
「ふざけんなよ! 出せよ!」
出入口の魔力扉が開かないとわかったことで、レストラン内にいる客の混乱に拍車がかかる。
かすかな明かりもない暗闇の中、魔法が使えず出入口も開かない。それが判明するに至ってパニックに陥る人が出始めた。
「皆様! 落ち着いてください! 危険ですから席から離れないでください!」
必死に事態の収拾をはかろうとするレストランスタッフの声も、もはや耳に届かないのだろう。周囲は手探りで出口へ殺到しようとする人や、そんな人の流れにもまれて転倒する人の声であふれかえり、子供や女性の悲鳴が重なるように響きわたった。
「やめて! 押さないで!」
「きゃあ!」
「おかあさーん!」
「踏んでる! 誰か俺の足を踏んでるって!」
「どけよ! 早くここから出せ!」
「大丈夫ですか!?」
「落ち着け! 落ち着いて!」
「先生!」
「邪魔だ!」
「痛い! 痛いよ!」
「もういやだ! 早く明かりつけてくれよ!」
あたりは騒然としている。
皆が皆、一刻も早くこの状態から抜け出そうと出入口へと殺到し、押しのけられた人が転び、テーブルの上にあった料理がけたたましい音を立てて散乱する。目には見えなくても、混乱の度合いが時間とともに増していくのは音だけでも感じ取れた。
「アルメさん、そこにいる?」
「はい、ここに」
声をかけて確認すると、テーブルを挟んで正面からアルメさんの返事が聞こえる。
さすがメガネの似合いそうな知的美女。こんな状況でも混乱せず冷静な判断が出来るらしい。
「何が起こっているのかわからないけど、この状況ではむやみに動かない方が良いと思う。特に入口には近付かない方が良いだろ」
「私もそう思います。爆発の原因は気になりますが……」
今のところ直接的な被害は出ていない。この状況は、結局のところパニックになった人々が自分で引き起こしているだけだ。大人しくしていれば何の問題もない。――今のところは、だが。
しかしいったん混乱した人々を正気へ戻すには、最低限でも明かりの復旧が必要だろう。明かりが消えてからおそらく五分は経ったはず。いまだに暗闇につつまれたままの状態では事態収拾の見込みもない。
それどころか一向に好転しない状況は、人々の精神を追いつめていく。やがて出口が開かないことに業を煮やして一部の人間があちらこちらの壁を攻撃し始めた。
魔法を使うのならともかく、一般の人間が多少蹴ったりイスで殴りつけたりしたところで、建物の壁が壊れるとは思えない。ましてやここは地下のレストランだ。壁を壊すことが出来たとしても、その向こうは地中である。そんな事ですら分からないほどに正常な判断が出来なくなっているのだろう。
レストラン内の混乱はここに至って頂点を極めた。それまで入口付近を中心に起こっていたパニックがレストラン中に広がりを見せる。俺たちのテーブルもすぐそばを走り抜ける足音が通りすぎ、どこからともなく飛んでくるイスの破片が頬をかすめた。
まずいな、ここも安全じゃなくなってきた。
「アルメさん。テーブルの下に隠れよう」
「はい」
そう俺が提案し、アルメさんの口から肯定の言葉が返された直後。
「きゃあ!」
「アルメさん!?」
アルメさんの短い悲鳴が聞こえてきた。
俺はすぐさま席を立つと、テーブルのフチを手でなぞりながら移動し、アルメさんの体を引き寄せる。
アルメさんが体を一瞬強ばらせるのがわかったが、今は緊急事態なので勘弁してもらおう。さすがにこの状況でセクハラとか訴えられたりはしないだろう。……しないよな?
俺はしっかりとアルメさんの腰に腕を回して固定すると、テーブルの下へ避難しようとして――。
「おわっ、っと!」
タイミング悪く後ろから誰かに追突されてしまう。
「あ、あれ?」
まずい。追突された衝撃でよろめいた結果、テーブルの位置が分からなくなってしまった。
慌てて片手を周囲にさまよわせるが、テーブルらしき物体には触れることが出来ない。手にぶつかるのは混乱して行き交う人の体だけだった。
くそ、仕方ねえ。
俺はアルメさんの体を正面から抱き寄せると、その小さな頭を胸で抱え込み、覆いかぶさるように自分の体でガードする。
「悪い。テーブルの位置がわからなくなった。何か飛んできた時のために、頭だけは覆っておくから。ちょっと我慢して」
こうやって一緒に食事をするくらいだ。アルメさんと俺の仲は決して悪くないだろう。というか、むしろ友好的といって良いほどだ。
だがそうは言っても、恋人でもない男に抱きしめられるというのはきっと愉快なことではない。後でビンタのひとつくらい、くらうのも覚悟の上である。
まあ、アルメさんのことだ。状況を考えれば仕方がないことは理解してくれるだろう……きっと。
俺はアルメさんの頭と背中に両手を回し、体全体で可能な限り覆い隠す。
抱きしめた体は思いのほか細く、それでいて女性的なやわらかさを密着した肌から感じさせた。でも決してこれはセクハラではない。下心などないのだ。
胸元に抱えたアルメさんの頭からは長い髪が背中へと流れ、抱え込むために添えた俺の手へ滑るような感触を伝えてくる。離れているときは感じなかった、かすかな香りが俺の鼻腔をくすぐる。しかし断じてこれはセクハラではない。下心ではないのだ。
ときおり俺の体に小さな破片がぶつかってきた。幸い大した痛みもないのだが、つい抱きかかえる腕に力が入ってしまう。知らず知らずのうちに強く抱きしめすぎてしまったのだろう、アルメさんが声にならない声で苦悶した。
「あ……、すまん。力入れすぎた」
俺はあわてて腕から力を抜く。しっかりと抱き留めていた時に押しつけられていたやわらかい特大マシュマロがふたつ、その圧力を減じた。ぺちゃんこに潰れていたマシュマロたちが、強い圧迫から解放されてやや本来の形を取りもどす。
それはもうすばらしい感触でした。マシュマロ万歳。だが誓ってこれはセクハラではない。下心は無いはず……、たぶん。
そんな状態が何分続いただろうか?
混乱おさまらぬレストラン内に突然明かりが灯る。どうやらようやく魔光照が復旧したらしい。
明るくなったことでそれまでの喧騒が多少なりともおさまってきた。とはいえ泣き叫ぶ子供や女性の声は響いたままだし、様々な怒号もまだ飛び交っている。
あたりを見渡せば、それはもう酷いモノだった。食器や料理はあたり一帯に散乱し、あちこちに壊れたイスや汚れたテーブルクロスが落ちている。割れたグラスで切ってしまったのか、腕から血を流す人やうずくまって足をおさえる人がいて、中には気を失っている女性もいた。
俺の正面には比較的被害の少ないテーブルがある。よく見ればそれは俺とアルメさんが座っていた席だと気がつく。テーブルまでの距離はほんの一メートルちょっと。腕を伸ばしても届かないが、見えてさえいれば目と鼻の先だ。
くそぉ、わかってりゃテーブルの下に逃げ込めたんだが……。本当に真っ暗だったからなあ。
そんな事を考えながら見ていると、テーブルクロスが揺れて下に潜っていた人が出てくる。
「レバルトさん。ご無事でしたか?」
「ああ、アルメさんこそ無事で何よりだ」
テーブルの下から出てきたアルメさんは、翡翠色の髪を指でなでつけながら少し疲れた様子で聞いてくる。見たところ怪我はなさそうだ。よかった。がんばって護った甲斐があったよ――――――あれ?
え?
何でアルメさんがテーブルの下から出てくるんだ?
はて?
いったいいつの間にアルメさんは瞬間移動の魔法を唱えたのだろう?
騒動の最中よりも、むしろ今ごろになって俺のおつむは混乱を訴えはじめた。
俺の目にはテーブルの傍らに立つアルメさんの姿がはっきりと映っている。一方で俺の両腕はしっかりと抱きしめる人間の存在を知覚している。やわらかいマシュマロの感覚もバッチリとだ。
どういうことだ? アルメさんはそこにいる。じゃあ、俺の両腕で抱き留めているのは一体誰?
俺は恐る恐る頭を下に向け、胸元へと視線を移す。
まず眼に映ったのはその髪色。当然ながらアルメさんの翡翠色ではない。そこにあるのは透き通るほどの銀色であった。
自分でも頬がひきつるのを感じ、嫌な予感が脳裏を駆け巡る。
俺はゆっくりと両腕からその人物を解放すると、一歩下がってうつむきかげんなその顔をのぞき込んだ。
「ティ…………、ティア?」
そこにいたのはゆでダコのごとく耳まで真っ赤に染め、俺と視線をあわせようとしない銀髪チートアシスタントだった。




