第105羽
「服装よし! 髪型よし! 靴よし! 口臭……なし! 準備万端おーるおっけー、ばっちこいやー!」
アルメさんとの食事当日。俺はフォルスのアドバイスを忠実に守り、身だしなみを整えて待ち合わせ場所に立っていた。
約束の時間まではあと十分。
町の中心部に近い交差点の一角で、ビルのショーウインドウに映った自分の姿を指差しチェックする。
《なにをひとりで叫んでいるんですか、大家さん?》
気合い十分となった俺の懐で個人端末の着信音が軽快に鳴る。
取り出した端末の液晶画面に表示されたのは黒地に白のシンプルなメッセージ。俺の端末に取り憑いたローザからの問いであった。
「…………。いや、ちょっとひとりで気合い入れているところに、いきなり冷静な問いかけはやめてくれるかなあ? おじさんちょっと我に返って恥ずかしくなっちゃったよ」
《おじさんと言うほど歳とってないのでは……》
よくよく考えてみれば、今日は生まれて初めてのデートである。女の子とのデートである。お食事だけとはいえデートである。浮かれるなというのが無理な話だ。
前世の記憶は少々曖昧だが、それでもハッキリとわかることがある。前世と今世、あわせてどれくらいになるのか自分でもよくわかっていないが、記憶している限り女の子とつきあった覚えが無い。
前世とあわせれば結構なおっさんとなってしまう『中の人年令』推定ギリギリ三十代の俺にとって、実は人生の一大イベントだったと気がついたのが昨日の夜。
ドキドキしすぎてあまり眠れず、「遠足前の小学生か俺は!?」とセルフ突っ込みが響きわたったのは今朝のこと。
体は青年。心はおっさん。恋愛経験は小学生並である。
「いや、なんでもねえ。それよりどうだ? 俺の格好、変なところないか?」
どうしました? と続く問いに返事をして、ローザにも身だしなみチェックをお願いする。
《うーん……、別におかしくはありませんよ。ただ、依り代にこもった状態だと大家さんがあまり視界に入らないんですよ。なんだったら外に出て直接見ましょうか?》
それはかんべんな。
俺の目には映らないとはいえ、こんな往来のど真ん中で突然幽霊ヨロシク出現されたににゃあ、面倒なことになりそうだ。
使い魔や召喚精霊と勝手に勘違いしてくれるかもしれないが、いまだに正体がよくわかっていないローザのことだ。妙な輩をひきつけないとも限らないからな。
《わかりました。大家さんに危険がおよばない限りは大人しくしておきます》
そうメッセージを残してローザが沈黙したのと、アルメさんが待ち合わせ場所へやって来たのはほぼ同時だった。
「お待たせしました。レバルトさん」
待ち合わせ場所へやって来たアルメさんは普段見慣れた窓の制服ではなく、私服と思われるスーツに身を包んでいた。仕事中は結んでいる翡翠色の髪も今は下ろされ、まっすぐ背中に伸びている。
落ち着いたダークカラーのタイトスカートからはスラリと長い足が伸び、同じ色のジャケットから白いブラウスがのぞいている。ジャケットのVラインは内側からはち切れんばかりのふくらみに押し出されて不自然な曲線を描いていた。
アルメさんは私服姿を見られて少々気恥ずかしいのか、はにかむような笑顔をこちらに向ける。いつも窓口で見せる凛とした表情はなりを潜め、クールビューティというより可憐な淑女といった表現がぴったりあてはまる。
不覚にも言葉を失ってしまった。
「ごめんなさい。少し遅れてしまって――、どうされました?」
「あ、いや、何でも!」
見とれていたなんて言えるわけもない。
不思議そうに俺の顔を見ていたアルメさんだったが、広場の時計を見て「あっ」と声をもらす。
「それではレストランに移動しましょうか。もう予約は入れてあるんです」
アルメさんに促されて俺たちはさっそく歩き始めた。
事前に聞いていたそのレストランは、待ち合わせ場所から歩いて二分もかからないところにある。
何か気の利いた会話でも出来れば良いんだが、そういうフォルスじみた事が俺に出来るわけもなく……。結局無言のままレストランへと到着した。
「へえ、こういうところって初めてだけど、意外に賑やかなんだなあ」
「あんまり堅苦しいのは好きじゃないので。このお店なら肩肘張らず気軽に食事が出来ますから」
初めて入ったそのレストランは、ホテルの地下にあった。
照明や内装が落ち着いた雰囲気をかもしだし、街中にあるファミリーレストランとは明らかに違っている。かといって厳粛な空気が漂っているわけでも無い。
「あの娘ったら大人しそうななりして、結構大胆よ。この前なんてね――」
「えー、やだあ。それでそれで――?」
「卒業おめでとう。卒業後の進路はもう決まったの?」
「学都で就職口が見つかって、再来月からは向こうで暮らすことになったよ」
「そっかあ、この町出ちゃうのか……。さびしいな――」
「そういえば例の件どうなった?」
「例の件って?」
「ほら、独立して起業するってこのまえ言っていたじゃないか――」
うるさいほどでは無いが、周りの客に迷惑がかからない程度で皆楽しそうに会話をしていた。穏やかな中にも活気がある――、あえて言い表すならそんな感じだろう。
「うんうん。飯食うのにあれこれ気を使うのは俺も趣味じゃないし、こういうお店の方が正直ありがたいよ」
「ふふふ。それは良かったです」
仕事中には決して見せないやわらかい表情でアルメさんが微笑む。
ウェイターに案内されて座ったのは入口から離れた予約席。丸テーブルの上にはすでにふたり分の食器やグラスが配されている。
周囲にはいくつか空席があるが、いずれも予約席の札が立てられている。食前酒を待つ間にも新しい来店客の声が聞こえ、このレストランが人気のお店であることを教えてくれた。
「大人ふたりと幼児ひとりです」
「大人おひとり様とお子様がおふたりですね」
「だ、誰が子供ですか! 私はこれでもちゃんと成人しているのです!」
「こ、これは失礼いたしました。すぐにお席へご案内いたします」
「全く、失礼な話ですね」
「ンー」
静かとも言えない、うるさいとも言えない、控えめなざわめきをバックミュージックにしてコース料理が運ばれてくる。前菜を食べ終わる頃には緊張も解けて、ようやくアルメさんとの会話も弾み始めた。
話題に上ったのは海で拾ったカヌラ貝のことだ。
「え? あの貝殻、まだ買い取り値が上がっているの?」
「はい。先日レバルトさんとラーラさんが持ち込んだとき、ひとつ五百五十円でしたよね?」
ティアたちと行った海と温泉宿の二泊三日旅行。海岸で堀りに掘った桜色のカヌラ貝は思ったよりも高値で売れた。
海でアルメさんに聞いたときはひとつ五百円という話だったのに、俺たちが旅行から帰ってきた時には五百五十円にまで跳ね上がっていたのだ。おかげで売却代金も予想以上に多くなり、俺とラーラの懐は十分に暖まった。
「あれからまた上がっていまして、今日はひとつ五百八十円になっていました。しかもまだ上がりそうな気配です」
なんというか、ちょっとしたバブルだな。カヌラバブル。
うーむ……、そんなに高くなるんだったらもうしばらく手元に置いておくべきだったか?
「なんでそんなに? 確かあれって用途はほとんど無いんだよな?」
「そうなんです。前にもお話ししたように壁面塗料の染色くらいにしか用途は無いはずなんですが……。ここのところ大手の商家はおろか、国の研究機関までが直接買い取りに乗り出していますから。もしかしたら何か他の用途が見つかったのかもしれませんね」
確かに新しい用途が見つかったなら、原材料であるカヌラ貝の価値も上がるだろうが……。それにしても買い取り値が上がりすぎだろう。アルメさんの話を聞く限り、あっちでもこっちでも片っ端から買い集めているって感じだもんな。
それはそうとアルメさん。
「えーと、ちなみにその情報って俺みたいな部外者に話しちゃっても良いの?」
「週刊誌の特集記事でも取り上げられていましたし、信じる信じないは別として既知の情報ですから」
俺の心配をよそに「問題ありません」とアルメさんは言い放つ。
まあ、こんなレストランで周りの声に耳を傾けているやつもそうそう居ないだろ。聞いたところで自分に関係のある話とも限らないんだし。ほとんどが「ふーん、そう」で終わる内容だろうな。
現に俺の後ろでサラリーマンっぽい中年男性たちが会話している内容だって、たぶん俺にしてみればどうでも良い内容だ。
「つきましてはこの度のコンペでぜひとも部長のご支援を賜りたいと」
「君ぃ、私も立場があるからね。特定の会社だけを優遇するわけにはいかないんだよ」
「そこをなんとか。謝礼の方は弾ませていただきますので」
「謝礼? 何のことかね? そんな誤解を招くような発言は慎んでくれたまえ」
「ははは、申し訳ございません。少々気配りが足らなかったようで」
「そうだよ、誰がどこで聞いているか分からないんだから。気を付けてくれ。ハッハッハ」
「ははは」
「ハッハッハ」
「ンー」
「ははは」
「ハッハッハ」
…………あれ?
気のせいか?
途中で聞き覚えのある鳴き声が混じっていたような気がしたんだが。
「レバルトさん? 急にあたりを見回して、どうかしたんですか?」
「……あ、いや。何でもない」
しかし、いざ聞いてみると結構危ない話をしているもんなんだな。優遇とか謝礼とか、こんな場所で密談みたいなことしてやがる。
「そういえばさ」
「何ですか?」
ワインで口を潤していたアルメさんがグラスを置いて話を促す。
「今さらだけど、窓の職員がこうやって特定の利用者と食事ってまずいのかな? なんかこう……、特別な便宜をはかるように裏で――みたいな見られ方しない?」
「そうですね……」
アルメさんはしばらく天井を見つめるように視線をそらし、少し考えて口を開いた。
「あまり好ましくないのは確かですが、便宜をはからなければ問題無いでしょう? というかレバルトさんの場合すでにかなり便宜をはかっていますから」
「え? それってどういう事?」
「レバルトさんには魔力が無くても出来る仕事を優先的に回すよう、上司からも言われていますので」
初めて知る衝撃の事実。
まさかのすでに特別扱い。
「そうでもしないとレバルトさんに紹介する仕事が確保できませんから。それに――」
少しバツが悪そうに苦笑してアルメさんが言う。
「毎回窓口で騒ぎ立てられてはたまらないと、うちの所長もうんざりした様子で『さっさと仕事紹介してお引き取り願え』と――」
ちょ! おい! 責任者あああああ!
まさかのクレーマー扱いかよ!
ふざけんなよ! 次行ったとき憶えとけ!
「まあ、そういった事情はさておき」
そんな俺の内心もつゆ知らず、アルメさんが続けて言う。
「今回はこちらがお代を持つのですから、賄賂もなにもありませんよ。逆だったらまずいですけど」
それを聞いて俺も納得した。そりゃそうだ。今回の食事でアルメさんが利益を享受するわけじゃないんだから、賄賂の意味がないわな。
ただ、もうひとつ気になることがある。
「お代うんぬんは別として、こうやって窓の外で職員と利用者が個人的な交流を持つのは大丈夫なのか?」
利用者と過度に親しくなると、職場で何か言われたりしないのかな? ちょっと心配だ。
「会社の上司だってさすがにそこまでは口を出せませんよ。プライベートな話ですし」
ただなあ。どんな組織にだって融通の利かない堅物っているもんだしなあ。
あ、これは俺の実体験じゃなくて、前世の兄貴経由で聞いた話だけどな。
「確かにちょっと融通の利かない人もいるにはいますが……。たぶん大丈夫でしょう」
「まあ、アルメさんがそう言うなら――」
「私たち職員にだって恋愛の自由はありますから。何かうるさく言われたら、私とレバルトさんがお付き合いしているとでも返しておけば良いんです」
唐突にアルメさんがトンデモない事を言いだした。
「え? お、お付き合いって……俺とアルメさんが?」
「あ、例えばの話ですよ! 例えばの!」
自分の発言で今さらながら赤面するアルメさん。普段のクールビューティが見る影も無く、耳を真っ赤にして否定する仕種が新鮮である。
「ひゃっ!?」
その瞬間、レストラン内の空気が一瞬凍ったように感じられた。夏とは思えないほどのひんやりした風が俺の背中を撫でていく。
他の客も突然の冷気にとまどい、レストラン内で軽いざわめきが起こっていた。
「ねえ、ちょっと寒くない?」
「あれ? なんか冷房効きすぎだろ、これ」
「何だろ? 突然寒くなった気がするけど……」
冷房が効きすぎたのだろうか? さっきまではちょうど良い室温だったのに。
「おーい、空調の温度少し上げておいて」
レストランスタッフが慌てて空調の温度を調整するよう、奥へと消えていった。




