第101羽
その後、俺は正座したままで昼間の一件を説明させられるはめとなった。
なぜ俺だけがこんな目に……。
結局その日は子ネコをこっそりと俺の布団の中で眠らせることにした。例え森へ返すとしても、すでに日は落ちている。ネコの他にどんな獣がいるかもわからない以上、夜間に森をうろつくべきではないという結論になったからだ。
ラーラにしてみれば右にルイ、左に子ネコという欲望まみれな川の字で眠るのが最適解なのだろう。何とかして自分の部屋に子ネコを連れ込もうとしていたが、どうしても子ネコが俺から離れようとしなかった。
すでに眠っているルイと同じ布団に潜り込むか、子ネコと同じ布団に潜り込むかを真剣に悩んでいたようだが、「やはり今夜限定のモフモフを……」とか言い出したあたりで丁重に部屋から追い出しておく。
それでなくてもティアを怒らせているっていうのに……。これ以上温度が下がるような事態は可能な限り避けたいところである。
翌日、俺は朝日が昇るよりも早くティアにたたき起こされた。
子ネコを宿から連れ出すにしても他の人間に見つかると大事になってしまうため、極力人目の少ない時間帯に動き出す必要がある。
何が悲しくて旅行先でいつも以上に早起きせねばならんのか……。
空はすでに白みはじめているが、まだ直接太陽の光は届いていない。普段ならベッドの中でまどろんでいる時間だ。
「おはようございます、先生」
なのにどうしてこの銀髪娘はエプロンドレスに着替えて準備万端なんだろうね? ちゃんと眠ったのか?
「ご心配なく。休息は十分に取っています」
もはや突っ込む気力もなくなった俺は、傍らでうずくまっている子ネコを一瞥した後、ゆっくりと体を起こす。眠気まなこをこすりながらあくびをひとつ。
えーと、着替えはどこだっけ?
「どうぞ、こちらを」
ああ、悪いな。
俺は着替え一式を受け取ると、はだけた浴衣をおもむろに脱ぎ、渡されたズボンに足を通す。
「はい、どうぞ」
「うん……」
そのまま渡されるままにTシャツへそでを通して……、あれ?
「……おい、ティア」
「なんでしょうか?」
「何でここに居るんだ?」
「先生を起こしに来たんですが?」
いや、それは分かっているが……。
「お前さあ。女の子が若い男の着替えに堂々と立ち会うとか……、まずいと思わねえ?」
「アシスタントがお着替えを手伝って何か問題が?」
逆に首を傾げて問い返される。
「はあ……、もういいよ。さっさとコイツ連れて行こう」
済んだことをどうこう言っても仕方ない。俺は丸まって布団の上で眠っている子ネコを指差すと、ため息混じりに言った。
いくら早朝とはいえ、当然宿の人間は朝食の準備や掃除のために動き始めている。眠ったままの子ネコを俺の旅行カバンに何とか詰め込み、早朝散歩と言うには少々無理があるが人目を忍んで外へと出た。
同行するのはティアひとり。ぞろぞろと大勢で行く必要もないだろうし、身の安全を確保するための護衛という意味ではティアひとりがいれば十分だ。ラーラはついてくるつもりだったようだが、どうやら朝は苦手らしい。結局ルイといっしょに眠らせたまま置いてきた。あとで騒ぐかもしれないが知ったことではない。
早起き自体はまあ良いとして、宿での朝食を食べ損ねたのは残念だ。宿で食べる朝食っていつもの朝食よりもおいしく感じるんだよな。なんでだろうね?
そんな事をこぼすと、ティアが手提げカバンから何やら包みを取り出してくる。
「この辺でしたら人目もありませんし、朝食にしましょうか。サンドイッチを作ってきました」
テキパキと地面の上にシートを広げ、カバンから水筒やら何やらを出して準備し始めるアシスタント。隙の無さは相変わらずだ。
「えーと。それってやっぱり……」
「はい、朝方に厨房をお借りして作っておきました」
だよなー。
すみません、厨房のみなさん。うちのアシスタントがまたご迷惑をおかけしました。
連日の申し訳なさに、俺が宿の方へ向けて頭を下げていると、子ネコがカバンの中からもぞもぞとはい出てくる。食べ物の匂いに誘われたのかもしれない。
「にゃあ」
フンフンと鼻をヒクつかせて子ネコが包みへと近寄っていく。
よく考えてみればコイツも昨日の晩から何も食べていないんだよな。というか前回の食事がいつなのか俺にはわからないし。別に朝食を分けてやるくらいかまわないんだが。
「うにゃん」
どうやら食べ物の存在に確信が持てたらしく、子ネコがサンドイッチが入っているであろう包みへ鼻を突っ込みかけたところで「止まりなさい!」と鋭い声が発せられる。
声の主はもちろんティアだ。
突然の声にビクリと肩を跳ね上げる俺と子ネコ。体を硬直させたままの俺をよそに、ティアはゆっくりと子ネコに歩み寄ると、その前にしゃがみ込む。
「そのサンドイッチは私が先生のために作った朝食です。もう一度言います。先生のために作ったものです。あなたに与えるため作ったわけではありません」
ティアの迫力に押されたのか、子ネコは尻尾を足の間にはさんで震えていた。
情けねえな、野生の猛獣だろお前。
「今回は大目に見ますが、……次はありませんよ」
普段聞かないような低い声でティアが念を押す。
あ、子ネコがあおむけになって腹を見せた。完全に服従するつもりだな。
うん、賢明な判断だと思う。
むしろ野生の本能でティアを敵に回すことの危険性に気がついたのだろう。もしかしたらあの銀髪娘、何て言うかこう……魔力的なプレッシャーっぽいものが体からにじみ出ているのかもな。俺には見えないが。
子ネコの完全服従姿勢を見て軽くうなずいたティアは、子ネコの腹をひとなでするとカバンの中から別の包みを取り出す。
「あなたの食事はこちらです」
そう言って開いた包みの中身を子ネコへ差し出す。
「それは?」
「ササミを湯通ししたものですよ」
どうやら子ネコの食事は別途用意していたらしい。
「わざわざ別に作ったのか?」
「作ったと言うほどの物ではありません。本当に湯通ししただけですから」
ティアが言うには、人間が食べる料理は調味料が利きすぎていて野生の獣には害になるかもしれないから、という配慮らしい。確かに地球でも家猫にタマネギとかは毒らしいからな。この世界でもそういった問題があるかもしれない。
そんな事を考えつつ、ティアお手製のサンドイッチをつまむ。
子ネコはすでにササミへ夢中だ。ティアの合図を待って食いつく様は、もはや野生のネコと言うより飼い慣らされたペットである。
「どうぞ、お茶です」
「ああ、ありがと」
こうしているとまるでピクニックみたいだな。たまにはこうやって野外でのんびりした食事も良いものだ。
もっとも、のんびりしていられるのは襲いかかってくる野生動物が出てこないからだけど。もともとこのあたりは危険が少ないところなのか、それともティアや子ネコを恐れて近付いてこないからかはわからないが。
「さて、食うもん食ったし、行くか?」
「はい」
「にゃん」
腹ごしらえをすませた俺たちは、再び森の中を進んでいく。目的地の場所は……、まあ、なんとなく分かっている。これでもダンジョンに潜るときにはマッピングを担当しているのだ。方向感覚や距離感覚には自信があるし、昨日来るときもそれなりに周囲の風景や目印を確認しながら来ていた。
先ほどまでは少々荷物が重かったが、今は子ネコも自分の足で歩いているため、俺のカバンも軽くなっている。
ときおり脇道へ逸れそうになる子ネコを引き戻しつつ、俺たちは目的の洞穴へと歩いて行った。ちなみに子ネコを引き戻すのはティアの役目だ。ティアが「勝手に離れない!」と強めの口調で言った途端、子ネコはそそくさと戻ってきてあおむけに転がった。完璧に上下関係ができあがったらしい。
「あれがその洞穴ですか?」
洞穴の前に到着し、改めてティアが確認の意味で問いかけてくる。
「ああ、昨日も話したけど、奥には親ネコもいた」
「親ネコはもう息を引き取ったという話でしたが」
「目の前で死んだのを見たからそれは間違いない。……って、おい」
住み慣れたねぐらへ戻ってきたからだろう。子ネコがトコトコと洞穴の中へと入っていく。
「良いじゃありませんか。むしろこのまま野に帰ってくれた方が問題も片付きます」
そりゃ確かにそうなんだが……。
「しかし、昨日の夜みたいに後から追いかけてこられたら意味がないぞ?」
「そうですね……」
口に手をあててティアが考えるそぶりを見せた。
「では、洞穴の入口を見通せる場所でしばらく観察してみましょう。このまま野に帰ればそれで良し、また先生の後を追うようなら何か手を講じるということで」
「それでいくか。んじゃ、ここから風下のどこかへ――」
そこまで言いかけたところで人の声が聞こえてきた。
2016/7/24 誤字修正 ついてくるつもり立った → ついてくるつもりだった




