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女の子になれる機械  作者: 半ノ木ゆか
第二話 可愛い服でおでかけ
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#6 スカートってドキドキするよね

 試着室に入ると、脇に小さな籠があった。白い和紙みたいなものがたくさん重なって入っている。籠には「フェイスカバー」と書いてあった。何に使うんだろう。


「かすみちゃん、着方わかる?」


 カーテン越しに答えた。


「たぶん着られる!」


 ぷち、ぷち。シャツの釦を外し、ハンガーに掛ける。壁に姿見が嵌めてあったけど、恥しくてまともに見られなかった。つやつやしたブラウスに袖を通すと、肩にぴったりと合った。男の子の体だったら、きっと少しきつかっただろう。


 スカートに足を通す。ひらひらのフリルがふくらはぎに触れて、くすぐったい。スカートがせり上がってくるにつれて、僕の鼓動は速くなった。おでこが熱くなる。


 カーテンをそろりと開けて、顔を覗かせる。


「どうかな……?」


 裾を摘んで見せると、シュシュは両手で口を隠し、目を輝かせた。


「かすみちゃん可愛い!」


「ほら、見て」と、試着室内の鏡を指差す。僕は振り返った。心臓がきゅっと縮まったような気がした。


 髪の長い痩せた女の子が、まっさらな服を着て立っていた。


 ドキドキする胸に触れ、僕はその場で踊るように回ってみた。真っ白なスカートの裾がふわりと広がる。鏡の中の僕が耳を赤くしている。


「なんか、かすみちゃんじゃないみたい」


 シュシュが眉根を下げ、気恥しそうに言った。


 鼻に違和感を覚えた。なぜだかムズムズする。シュシュがぽけっとして、僕の顔を覗き込む。


 何気なく触れる。見ると、指先が真っ赤に染まっていた。僕はあわあわした。シュシュが体を二つに折って笑う。


「かすみちゃん、大丈夫?」


 笑いを堪えながらも、ポケットティッシュを差し出してくれた。


 やっと血が止まった。服に付かなくてホッとしたけど、脚がスースーして落ち着かない。俯きながら僕は言った。


「女の子の服を着るのって、やっぱり……ドキドキするね」


 シュシュが微笑む。


「そうだね。ドキドキするよね」


 僕たちは見つめ合って、同時に噴き出した。


「僕、この服にするよ」


「その色でいい?」


 シュシュがハンガーラックに触れながら言う。空色やベージュなど、僕の着ているものの色違いが並んでいる。


「よくわかんないから、今着てるのにする」


「じゃあわたし、店員さん呼んでくるね」


 店員に「着て帰りますか」と訊かれたので、僕は頷いた。


 スマホを開き、残高を確める。お小遣いはたっぷりある。だけど、いざ支払う時になって、僕はレジに表示された金額に目が飛び出そうになった。


「わあ、0がいっぱい」


 高校生には痛い出費だ。


「わたしが払うよ。カードで」


「か、卡!?」


 シュシュが何喰わぬ顔で、クレジットで支払った。


「シュシュちゃんって幾つなの?」


 唇に人差指を添え、お茶目に笑う。


「ひみつ!」


 駅前広場の銅像の近くに、僕とシュシュは腰掛けていた。彼女は涼しげな淡い色のワンピースに身を包んでいる。


「アイス食べたかったな」


 道路の向うを眺めて言った。店の前には長蛇の列が見える。洋服の紙袋を弄びながら、僕は返した。


「また来たらみんなで食べようね」


 ふと思い出し、問いかける。


「シュシュちゃんは、性別に五種類あるって知ってる?」


 彼女が目をぱちくりさせる。


「種類って、女性とか男性とか?」


「体の性別とか、心の性別とか」


 彼女が指折り数える。


「身体的性と、性自認と、性指向と……あれ? 五つもあったかな」


 街路樹の影を伝って、三人でのんびりと歩いた。青空がちかちかして、眩しい。朝顔は深紅のスカートを穿いていた。コルクのヒールサンダルが長い脚によく合っている。


「私、こういう服着るの夢だったんだ」


 満ち足りた表情で、彼女は自分の体を見た。彼女の表情が、一瞬曇る。


「お母さん、私が制服着て立つと『背が高くて恰好いい』って褒めるんだよ。私だって、可愛いスカートを穿いてみたい時もあるのに」


「わかるよ、その気持」と、シュシュが神妙な顔で頷く。


「好きな髪型にできて好きな服を着られる暮しが、どんなに幸せか。わたしは誰よりも知ってるよ」


 その時、視線を感じた。


 そわそわしながら相手を探す。もう一度目が合った時、僕は固まってしまった。僕を見つめていたのは、ショーウィンドウに映った僕自身だった。


 今にも折れちゃいそうな細い脚に、喉仏のない細い頸。夏の風に髪を揺らして、ビー玉みたいな瞳を僕に向けている。姿が変っているから、自分だと気付かなかった。


 シュシュに買ってもらった服は、確かに女の子の僕に合っていた。もし、今見ているのが知らない子だったら、素直に「可愛いな」と思う筈だ。


 だけど、これが自分自身だと思うと――味わったことのない不安が僕の背中を這って登った。試着室を出た直後は、ドキドキがまさっていて気付かなかった。女の子になって、お洒落ができて、底抜けに嬉しい筈なのに。


 焦点をずらすと、ショーウィンドウの中が見えた。僕はシュシュと朝顔のことを忘れて、一歩踏み出した。


 ガラスの向う。花柄のカーペットに木製のトルソーが三体並んでいる。僕の目に留ったのは、端っこの目立たない一体だった。


 そのトルソーが着ていたのは、薄青色のワンピースだった。雨上りの空みたいな澄んだ色をしている。半袖で、丈は膝が隠れるくらい。裾にはフリルがあしらわれ、胸元には白いリボンが一つ留まっている。スポットライトに照されて、落ち着いた雰囲気をまとっていた。


 衝立の隙間から店内が見えた。床と同じ、濃い色の木製のレジカウンターが、暖色の照明の下に佇んでいる。


「かすみ、どうしたの」


 朝顔とシュシュがこちらを振り返っている。僕は後ろ髪を引かれながら、二人に追いついた。

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