表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女の子になれる機械  作者: 半ノ木ゆか
第三話 海へ行こう
16/25

#16 朝顔の叫び

 夕焼色が病室に立ち込めている。リキッドファンデーションやチークが、サイドテーブルに取っ散らかっていた。僕はシュシュに見守られながら、息を止めて手鏡を覗き込んでいる。


 メイクブラシを置き、僕は長い溜息をついた。


「で、できた」


「かすみちゃん可愛い!」


 シュシュに肩を寄せられて、僕は思わず笑みを零した。手元に映る顔は、自分でも納得の出来栄えだ。


「おかげで、これからは一人でメイクできそうだよ。付き合ってくれてありがとう」


「愛する友達のためなら、お易い御用だよ」


 彼女は「えへん」と胸を反らした。


 その時、引戸の開く音がした。シュシュがパッと振り返る。


「朝顔ちゃんお帰りなさい」


「お家の人の反応、どうだった?」


 僕も声をかけて――手鏡を握ったまま、動けなくなった。


 鞄をかけた朝顔がいた。いつもと雰囲気が違う。ヘッドホンを付けていないし、目に光がない。こんなに暑いのに長袖を着ている。


 僕たちには目もくれず、とぼとぼとベッドまで歩く。朝顔はそのまま間仕切を閉め、引き籠ってしまった。僕とシュシュは目と目を見交した。




 その夜、僕は物音で目を覚ました。


 頭がぼんやりとしたまま、首をもたげる。病室の時計が辛うじて読めた。真夜中だった。扉は開け放たれていて、廊下の明りがほんのりと床を照らしている。


 音は朝顔のベッドから聴こえてくる。物を叩きつける音とともに、間仕切のカーテンが不規則に揺れている。時々、うなされたような声も交じった。


「朝顔ちゃん、どうしたの?」


 ベッドから降りた途端、足を滑らせた。


 顔をしかめ、お尻をさする。床に手をつくと、手汗で紙のような物がくっついた。名刺が散乱している。


 僕は思い切ってカーテンを開けた。


 突然、何かが僕の耳をかすめた。カシャンと響いて、床に転がる。それが何なのは判った瞬間、僕は胸をえぐり取られたような気持になった。月明りに照らされたそれは、朝顔のヘッドホンだったのだ。


 只事じゃないと思った。僕は彼のベッドに上り、その肩を摑んだ。シャツ越しに体温を感じる。朝顔はわめくように言った。


「女の子になっても、逃れられない!」


 僕の頭は渋滞した。


「壁を越えても何も変らなかったの。壁の向うもここと同じだった!」


 朝顔は僕の手を振り解き、雪崩落ちるようにベッドから降りた。朝顔に巻き付いたカーテンが、ぶちぶちと音を立てて外れる。廊下が慌ただしくなる。布団を押しのけ、僕は聞き返した。


「朝顔ちゃん、何言ってるの?!」


 暗闇を搔き分け、看護師たちが駈けつけた。


「朝顔さん、落ち着いて下さい」


 止めようとした看護師を、朝顔が振り払う。同僚を助け起こし、もう一人が叫んだ。


「男の人を呼んで! 私たちじゃ手に負えない!」


 静まり返った夜空の下、半分枯れたあさがおの葉が揺れている。カーテンの影で、僕はのめり込むように訊ねた。


「何か嫌なことあったの? 誰かに何かされたの? 家族、先生、それとも友達?」


 部屋の灯りが点いた。僕は目を細めた。朝顔の瞳孔がきゅうっと窄まるのが見えた。助けを求めるように僕を見詰める。何かに怯えて、震えている。


「違う。もっと大きくて……目に見えないものだよ」


 朝顔の言葉が銃弾みたいに、僕の頭を貫いた。


「大人しくしなさい!」


 大柄な男性職員が朝顔を引きずり出す。明るみに出た彼の手首には、カッターの切傷が幾つも刻まれていた。


「来ないで! あっち行って!」


 朝顔が誰もいない方向を睨みつける。看護師が振り返った。


「幻覚症状です!」


 硬くて冷たい床の上に、僕はぺたんと坐り込んでいた。僕は放心して、かぶりを振った。


「違うよ……幻なんかじゃない」


 二人がかりで押さえつけられる。それでも朝顔は叫び、足搔いた。


「離して! 私はきみに縛られない!! 俺はきみに決められない!! 俺は、私は、ひとりぼっちが嫌なだけなのに……!!」


 痛々しい声が遠离とおざかってゆく。それが廊下の先で、言葉にならない泣声に変った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ