女王と竜姫
「ティアラさん……あの様子だと本気です」
「ティアラの前であんなこと言ったら、そりゃーああなるわよ」
「ミント女王……大丈夫なのか? こうなるとどうしようもないぞ……」
『良いですかー⁉ それでは! 決勝戦スタート!』
「――お、おい。始まったぞ!」
レインは少し前のめりの体勢で試合を見る。
元気なサキュバスの掛け声によって、遂に決勝戦は始まってしまった。
ティアラもミントもお互いに引くことをしなかった。こうなったら、できるだけお互いに無事で試合が終わることを祈るしかない。
「リリア、アルナ。もしもの時は、二人でティアラを止めてほしい」
「了解です、レインさん!」
「わかった」
レインは一応リリアとアルナに指示を出しておく。
試合が始まってしまった今、流石に多くの観客の前で中断させることはできない。
二人が動くのは、明らかに勝敗が付いていてもティアラが攻撃を辞めなかった時。
この二人なら、ティアラを無理やり引き剥がすこともできるはずだ。
「――では行くぞ」
そんなことを言っていたら、ティアラは防御のことなど考えずに歩いて距離を詰める。
あっという間にお互いの手の届く距離――いわゆる間合いに入った。
この間合いに入った時のティアラは、言ってしまえばほとんど無敵だ。
それこそアルナやリリアなどの実力者でないと、反撃はおろか防御すら間に合わない。
ミントの実力は分からないが、ティアラの得意な距離感で戦うのはどう考えても無謀と言える。レインはヒヤヒヤしながら彼女たちが動き出すのを見守っていた。
「はぁ!」
ティアラは、レインでも目で追えるような大振りのパンチを繰り出す。
ある程度の実力――この闘技場で決勝に上がれるくらいの力があれば、間違いなく避けられるスピードの攻撃だ。ティアラは恐らくこのパンチを当てる気はない。威嚇という意味での一発目であろう。
ミントがこの一撃のパワーを見れば、降参してくれる可能性もある。挑発に乗っていたように見えたが、ちゃんとレインの忠告は頭に入れてくれているようだ。
「手加減しなくていいって言ったのに」
「――なっ」
ティアラの身体がふわりと浮く。
そして、地面にヒビが入るほど勢いよく叩きつけられた。
さっきまで自分が攻撃していたはずなのに、ミントが防御の構えを取っていたはずなのに。いつの間にか攻守が逆転してしまっている。
ティアラ本人も何が起こったのか、叩きつけられた今でも理解できていなかった。
ただ、観客席から一部始終を見ていたレインたちはすぐに理解する。
ミントはティアラの攻撃を受け流し、その勢いを逆に利用して地面に叩きつけたのだ。ティアラの攻撃の勢いが殺されていないからこそ、軽く受け流したように見えても地面にヒビが入るくらいの力になっている。
これは一朝一夕で身に付けられるような技術ではない。ミントは簡単そうに決めていたが、その陰には相当な量の修行があったはずだ。
ティアラは技とその質に驚きながら立ち上がる。
……あれだけ派手に攻撃を受けておいて、全くダメージを負っていないのは流石の耐久力だ。
「なかなかやるな。見たことがない技術なのだ」
「エルフの王族に代々伝わる特別な柔術だよ。認知度はかなり低いと言えるね」
「なるほど、そういう柔術があるのか。力の差を利用するとは、エルフらしい技と言えるな」
ティアラは感心するように技を受けた感覚を思い出していた。
今まで戦ってきた数千の敵の中でも、このような戦い方をする者は片手で数えられる程度の人数しかいない。
質の高さだけで言うと、ミントはトップに君臨するかもしれないほどの器用さだ。これなら戦闘に向いてないエルフ族が勝ち上がってきた事実にも納得できる。
「ボクみたいなエルフは、竜人族の持つような天性の力を持っていないからね。努力で技術を習得するしか自衛する術がないのさ」
「素晴らしい心がけだ。自分の力に驕って修行をしない竜人に聞かせてやりたいな」
確かにエルフと竜人族には埋められない肉体強度の差というものがある。エルフがいくら身体を鍛えたところで、戦闘特化の竜人族と力比べをしたら絶対に勝てない。これは種族が違うため仕方のないことだ。
しかし、そんなハンデを覆す力がミントにはあった。
ティアラは拍手をしそうな勢いでミントを称賛する。普段は変わり者の王女だが、戦いに関しての考え方は共感するものがある。
意外と自分とミントは似ているのかもしれない。
ただ、それと勝敗は関係ない。ティアラはレインのためにも勝たないといけないのだ。
「ミント女王……凄いですね。ティアラさんに負けていません」
「あんなに強かったのか……知らなかった」
さっきまでヒヤヒヤしていたレイン。今はもうそんな気持ちなど消えて、どっちが勝つのか見届けている状態だ。
試合が始まる前はティアラの圧勝だと思っていた。
だが、さっきの技を見せられたら、ミントの勝利もありえないことではなくなる。
もちろん力ではティアラが勝っているのだが、流れは今ミントの方にある。
何か流れを変えるような策がティアラにあればいいのだが……。
「とにかく竜姫にも通用することが分かって安心したよ」
「クク、これにも対応できるか?」
ティアラはミントの目の前でクルっと半回転する。
背中を見せたということは回し蹴り――いや違う。
ティアラが攻撃に使ったのは、脚ではなく尻尾だ。竜人族が持っている大きくて力強い尻尾。ティアラレベルの存在が、遠心力を加えて思いっ切り振れば、巨大な岩でも簡単に砕け散ってしまうほどの威力が出る。
当たれば当然無事では済まない。それに、いくらミントといえども、尻尾での攻撃を受け流した経験はないはずだ。
「――はっ!」
そんな初めて目にする攻撃も、ミントは直感的に受け流した。
しかも、ただ自分の身を守るだけではない。攻撃の向きを真下に変えたのだ。
何もしなければそのまま振りぬかれて空を斬るはずだったが、下に方向を変えたことで地面を勢いよく叩くことになる。
岩をも破壊する威力で地面を叩いたのだから、どうなるかは自明の理。
闘技場のど真ん中で、爆発でもしたかのような爆音が鳴った。爆音と共に、ここにいる全員の身体が一瞬だけ浮く。
「いっつつ……尻尾が千切れるかと思ったのだ……」
「あんなに強く振るからだよ」
闘技場の地面全体にヒビが入る。さっきティアラが叩きつけられて入ったヒビが可愛く思えるくらいの大惨事だ。
肝心のティアラは、自分の尻尾を撫でながら痛みを堪えている。反応を見るに意外と痛そうだ。
人間で言うと、壁を思いっ切り殴った時のような痛みだろうか。自分の身体の一部をあれだけの勢いで叩きつけたのなら、ああなってしまうのも仕方がないと思えた。
「もう分かったのだ。普通に攻撃したらロクなことにならぬ」
「そういうことさ。次はどうするつもり?」
「なに、同じことをしてやるのだ。見よう見まねであるが」
カウンターに懲りたティアラは、なんとミントと全く同じ構えを取る。
体の向き、手の出し方、目線まで全て一緒。ミントはふざけているのかと思ったが、ティアラの目を見ると本気であることが分かった。
ミントが長年修行して身に付けた柔術を、出会ったばかりのティアラが再現しようとしている。
これはなかなか……かなり無謀と言ってもいい。柔術は見よう見まねで習得できるほど単純なものではない。
日々練習を繰り返し、長い年月をかけて、身体が無意識で動くようになってから初めて実戦で使えるレベルになるのだ。元々才能があったミントでさえ、完璧に使えるようになるまで軽く十年以上必要とした。
仕組みすらまともに理解できていないはずの段階では、真似事すらできるわけがない。
ミントはその厳しさを分からせるつもりで、構えているティアラに向かって回し蹴りを繰り出す。
「――え」
次の瞬間。
ミントが見たのは大きくひび割れている地面であった。
ドンと耳に入る音。背中がかなり痛い。ちょっと頭も打ってしまった。そのせいか意識がボーっとして何も考えられなくなる。
今見ている景色は眩しい空。自分は大の字になって寝ているのか。
何やら周りのワーワーする声がうるさい。立ち上がろうとしても、身体が怠くて立ち上がれない。自分が今何をしているのか、それすらも忘れそうだ。
少しぼやけている視界に赤い髪が入る。それが馬乗りになった。
この人……重いなぁ。何を食ったらこんな――あれ?
『ミント女王!』
誰の声? これは……レイン? レインの声がする。
どうして馬乗りに。誰。というかここ、どこ。おかしい。何か変。
ミントの頭の中に様々なものが浮かぶ。
………………。
…………。
……。
そして――。
「――はっ⁉」
ミントの意識はようやく醒めた。
頭を打ってしまったことで放心していたが、今自分は闘技場にいるのだった。
ティアラが自分の真似事をして、その挑発に乗って、投げられた?
とにかくそんなことはどうでもいい。早く立ち上がらないと。
ミントはガバッと起きようとしたが、当然ティアラに押さえつけられる。
「ぐっ……」
凄い力。これが竜人族の怪力か。分かり切っていたことだが、エルフの身体能力じゃとてもとても対抗できない。
ここから逆転できる方法は……正直なところゼロ。
鍛錬してきた柔術も、こんな密着した状態だったら使い物にならなかった。
「勝負あり、だ」
ティアラは拳を振り上げる。紛れもない死の予感。振り下ろすまでの時間がとても長く感じられた。
これが竜姫か。やはりその称号に偽りはない。
ミントは怯むように目を閉じる。
「…………?」
どれだけ待っても攻撃がこない。もしかしてここは死後の世界? その割には観客の声がうるさい気がするが……。
ミントは恐る恐る目を開けた。
「あ」
目の前にはティアラの拳がピタッと止まっている。
あと数センチ止めるのが遅かったら、自分の顔はペシャンコになっていただろう。
冷や汗がミントの頬を伝う。慈悲をかけてもらって助かった。
「何か言うことはあるか?」
「ギ、ギブアップ……?」
ミントがその一言を言った瞬間に、銅鑼がボーンと力強く鳴った。
これが試合終了の合図。観客の声もその音に反応するように一層大きくなる。そして昼間なのにも拘わらず花火が何個も上がった。
試合中もかなりうるさかったが、今はその比にならないくらいにうるさい。レインたちも何か言っているようだが、残念ながらティアラの耳には届いてこなかった。
とにかく試合が終わったので、寝転がっているミントに手を貸して起こす。さっきの攻撃の影響か、ミントは立ち上がって数秒はフラフラと安定しない様子だ。
『第百十二回、闘技大会の優勝者はティアラ様ー! 両者に盛大な拍手をお送りください!』




