3日目 トリオンの武器工房3 ~その爺さんは黒コートにて~
鈴音豊かな白塗りのソリ。
異常なスピードで、どんな悪路もモノともしない。
そこが例え森の中だろうと、岩棚続く崖道だろうと。
山の斜面だろうと海の上だろうと湖の底だろうと。
そんなもの、モノともせずに道なき道をひた走る。
いっそもう、空を飛べ。
それはソリ。
ソリという名の、不思議な何か。
原動力のトナカイは本当に必要なのか。
それともソリより、ソリを引くトナカイの方が凄いのか。
誰もが何故か謎に思わない。何故ならそういうモノだから。
そしてそのソリを操るのは魔境の子供ならば誰もが知る、よゐこのヒーロー。
赤いコートのお爺さん。
…に、運が良いのか悪いのか、見つかっちゃった私達。
それは今まさに非道な行いをしようと言う、その時で。
よゐこに絶対的信頼を置くお爺さんの前では、どうしてもそれに踏み切れない。
少なくともこれだけは言える。
サルファにとっては間違いなく、良運だったに違いない。
お爺さんはよゐこの味方で子供好き。
私達は皆、もう子供といえる様な年齢じゃないと思うんだけど。
それでも子供時代をよく知るお爺さんにとって、私達はいつまでも「よゐこ」らしいよ。
有難いことだね。時に苦く感じるけど、やっぱり有難いことだよ。
そんな、孫も同然に私達を見守ってくれるお爺さんの温かな瞳。
その瞳を前に、私達はお爺さんの善意も好意も、拒絶なんてできなくて。
結果。
目的地まで送ってもらうことになりました。
お爺さんの提案に、私達は一人として抗うことなどできなかったので。
いや、だってね? あの慈愛の瞳が本当に凄いんだよ。
裏も表も害意も全くないから、抵抗できる気が全くしない。
全然しつこくもないし、強く勧められた訳じゃないよ。
あくまでさり気なく、控え目なお誘いを断ることができない。
今この時だけ、私達はNOという言葉を忘れてしまっていたのです。
そして図々しいことに。
サルファまで、ちゃっかり乗り込んできたわけですよ。
アイツ…私達がお爺さんの前で強く出られないのを、良いことに。
後で殴る。
まぁちゃんがそう、ボソッと呟くのが私の耳に残りました。
とまあ、そんなわけで。
あっと言う間についてしまいましたよ、目的地。
そう、本日の目的地、トリオン爺さんの武器工房です!
驚くことに、お爺さんのソリに乗ったら5分くらいでついた。
………距離的に、歩いてあと2時間はかかりそうだったのに。
本当にお爺さんのソリはどうなっているんでしょう。
私達皆に、疑問と違和感だけが残りました。
ええぇ? と戸惑い、目を回している内に、目的地。なんだソレ。
そうして善意のお爺さんは、ポカンとする私達をソリから降ろし。
にこやかに手を振って、最早見えない遠くの彼方まで去っていったのでした。
…風の様だよ、お爺さん。
何となく釈然としない心持ちで、私達はノックを三回。
まあ、ノックと言っても、扉を素手で叩く訳じゃありません。
鍋です。
分厚い金属を加工して作られた鍋を、金槌で殴ってノックとします。
トリオン爺さんの武器工房は、防音設備がバッチリです。
この位しないと、家の中のトリオン爺さんに気付いて貰えないんですよ…。
「はーい、皆さん耳栓の用意は良いですかー。それじゃ耳塞いでー」
「リアンカちゃん! 俺の分の耳栓ないんだけど!」
「黙れ、イレギュラー。最初から頭数に入ってないアンタの分があるわけないでしょ」
「じゃ、俺はどうすれば!?」
「去れ。若しくは鼓膜を弾けさせろ」
ぎゃいぎゃい騒ぐサルファに、冷徹な瞳でまぁちゃんが宣います。
心の弱い人なら、自殺しちゃいそうな恐ろしい視線です。
でもサルファは強かった。というか、図太かった。
「あ。ハンカチの端っこ裂いて耳に詰めちゃおっと☆」
無視ですか。まぁちゃんの敵意は無視ですか。
魔王の暴言をスルーできる人なんて、生まれて初めて見たんですけど!
コイツ…ちっとも空気を読みゃしねぇ。
きっとコイツの心臓には、猪の毛皮みたいな剛毛が生えているに違いない。
がぉんがぉんと、形容しがたい音が響きわたった後。
私達の眼前で、小さな扉が勢い凄まじく開かれました。
「いってぇ何処の何奴だ! 馬鹿正直に真に受けて、あんな馬鹿みたいなノック実践した奴ぁ!?」
「されたくないなら、置いとくなよ」
「「コレを叩いて下さい」なんて張り紙ある時点で、文句は言えないんじゃね?」
「それ以前に、毎度これ叩いてるんだけど…」
「気にするな。今日はトリオン爺さんにとってノックされたくない日だったんだろう」
「ってハテノ村のガキ共か!! 良く見りゃ陛下まで! 今日は何の悪戯しに来やがった!?」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすトリオン爺さんは、どっからどう見ても機嫌が悪かった。
あー…こりゃ、今日は何か嫌なことがあったのかな?
不機嫌そうに鼻を鳴らす爺さんは、いかにも忌々しそうで。
先程までにこやかな好々爺と接していた分、同じ爺なのにと、その差異が酷かった。
ツッコミどころも満載に。
私達の前に躍り出た小柄な影。
私の胸までしかない身長に、ガッシリとした体格のお爺さん。
トリオン爺さんの異相は、勇者様を驚かせる様なもので。
具体的に言うと、さっき私達をトナカイのソリで送ってくれたお爺さんに瓜二つ。
赤いコートの、よゐこの味方。穏やかで太っ腹なお爺さん。
それと全く同じ顔をしていながら、見るからに偏屈で頑固そうな、目の前の老人。
肩に羽織った黒いコートを、マントの様に翻す。
そのコートは、よゐこのヒーローと色違いながら同一のデザイン。
それを羽織る瓜二つの爺さんは、よゐこのヒーローと双子という関係にあった。
そんな彼を、私達は敬意を込めてよゐこのダークヒーローと呼んでいる。
まあ、そんな呼び方したところで、中身は普通に職人堅気なだけのお爺さんなんだけど。
外見だけ。
本当に、外見だけは。
双子のお兄さんと顔が同じなだけに、色違いで『真逆』という印象を与えてくれる。
ダークヒーローと呼ばれながら全くダークじゃない爺さん。
散々私達に怒鳴り散らした彼は、それでも最終的には私達を家に招き入れてくれた。
何だかんだで、トリオン爺さんって気さくで親切なんだよねー…
怒りっぽいけど面倒見の良い爺さんが、ぶっきらぼうに接してくる。
不機嫌そうな顔はそのままに、ちゃんとお茶だって出してくれたよ。
ドクダミ茶を。
お茶請けに爺さん手製のクレープ(台所を漁って強奪)を食べながら、一服ついた私達。
何か好き勝手してないかって?
え…私達、いつも此処じゃ、こんなもんなんだけど。
勝手知ったる他人の家って言うし。
ほら、トリオン爺さんも既に悟りきった諦め顔だから。
え? 諦めてる時点で駄目だろうって?
そんなことないよね、と私は自分で自分に言い聞かせてみた。
「それで、てめぇら何しに来た?」
まったり寛ぐ私達を前にして、徐にトリオン爺さんが切り出す。
その手に握った、マグカップがとっても可愛らしい。
なんでトリオン爺さん愛用のマグカップ、うさぎちゃん柄なの…!?
トリオン爺さんの真面目な顔よりも、そっちの方が気になった。
それは私だけじゃないみたいで、神妙にしているふりで他の人もチラチラ視線を送ってる。
うん。やっぱり気になるよね。
「何をしにって、武器工房なんだから武器を都合して欲しかったに決まってるでしょ」
内心でそんなことを思いつつも、素知らぬ顔で切り返す私。
対してトリオン爺さんは、私の言葉に怪訝顔だ。
「ああ!? 武器だぁ? リアンカ、てめぇにゃ必要ねぇだろ。使わねぇんじゃから」
「私じゃないよー。ちゃんと戦う、武器を必要とする他の人!」
「トラスんとこの倅にゃ、この前都合してやったばっかりじゃねぇか」
「その節は世話になった。お陰で重宝している」
「副団長さんでもないってば!」
話が脱線しかけたかと慌てるけれど、今度は打って変わって爺さんはのんびりするばかり。
これは…自分の職責の話だと知って、機嫌直したね? 余裕が出てきたね?
「リアンカは必要なし、トラスの倅はもうある。となりゃ、儂は必要なかろ」
ぷっかぁーと煙管をふかす、その仕草が腹立たしい。
苦笑するまぁちゃんが、退屈そうに手を挙げて自分を示す。
「爺さん、爺さん。俺は?」
「陛下はそもそも儂の武器なんぞ必要なかろう。既に王家に伝わる立派なものをお持ちじゃ」
「あの剣、ちょっと俺の手には合わねぇんだけど」
「っほほぅ!?」
あ、爺さんの目が、きらりん☆光った。
心持ち身を乗り出して、まぁちゃんに詰め寄りそうになる。
「そういう話なら、今なら格安で調整を請け負うても! いやむしろ無料で!」
途端に食いついたよ、この爺さん!
爺さんが悪い癖を出すって分かってる癖に、なんでまぁちゃんも刺激するかなぁ…
爺さんは今までの余裕もかなぐり捨て、さっきの不機嫌も次元の彼方に投げ捨てて。
まるで玩具を欲しがる駄々っ子みたいに、まぁちゃんに怒濤の勢いで言いつのる。
「何でも良いから、是非とも陛下の剣を触らせてくれい! 伝説と共にある、古代の術師ファニファールの作じゃ! 歴史ある、この世の至宝じゃ!! 触るだけでもっ」
「爺さん、爺さん落ち着け! 正気に戻れ! あと、絶対ぇに爺さんにだけは触らせねぇから!」
「けち!!」
「いい年した爺がほっぺ膨らませてぶうたれんな!!」
爺さんは子供の様に駄々をこね。
家宝を狙われたまぁちゃんは、万が一を恐れて本気で爺さんの要求をはね除けて。
…まあ、渡したが最後、何されるかわかんない勢いだし、迂闊に渡せないよね。
この爺さんならやる。本物を偽物と取っ替えてコレクションにするくらいは、やる。
ソレが感じ取れるからこそ、まぁちゃんは油断を自分に許さない。
少なくとも、この武器工房にいる間は。
そうしてぶうたれる爺さんを必死に宥め。
私達が本題に入れたのは、15分ほど経った後だった。




