2日目 マルエル婆3 ~血煙温泉殺人事件(未遂)~
謎の男があらわれた!
ただし扱いは限りなく酷い。
目が合いました。
時はうららかな午後の昼下がり。
場所は乳白色の秘湯っぽい温泉。
そして私は全裸。
そんな私をガッツリ堂々と覗いていたのは、見慣れぬ青い頭の男の子。
目が合った瞬間、私の口は無意識に全力の悲鳴を上げていた。
…自分で自分の声に、耳がキンキンする。
なんでこんな、ガッツリ食い入る様に覗いていた覗き犯に気付かなかった…?
私としたことが、髪を洗うのに一所懸命で、気付けなかったようです。
乳白色に濁っていた、お湯の色がありがたい。
思わぬ小犯罪との巡り合わせに、私は慌てて身体を隠しました。
でも、とうの昔に隅々まで見られちゃったんだよね、きっと。
………泣こうかな。
全力で、泣きたい。
でも泣いても状況は変わらないし。
それに何より、この期に及んで覗き犯は何故か未だにそこにいる。
普通、こんな時は逃走するもんじゃないの…?
なんで未だに、ガッツリこっちを見ているの!?
変わらぬ状況と、食い入る様な強い視線。
身の危険を感じても、仕方ないよね。
私は岩縁に置いていたタオルをぎゅっと握ると、即座にソレを身体に巻き付ける。
あ。涙出てきた…。
泣きたいと言っておきながら、本当に涙が出るくらい、怯えている自分に吃驚だよ。
身体がぶるぶる震えている。
羞恥に? 怯えに? 恐怖に? ………それとも、怒りに?
自分でも自分の感情を持て余してる。
心の中がぐちゃぐちゃで、自分が何をしたいのかも分からないけれど。
衝動に任せてみれば、自分が何を望んでいるのかなんて、はっきり明白になった。
私は手近な中で一番大きな岩を両手で掴むと、渾身の力で持ち上げた。
あ。私って意外と力持ちだったんだ。
頭のどこか、思考の麻痺した関係ない場所で。
呑気にそう思った自分の感想。
それを他人事の様に、聞き流していた。
私の悲鳴を聞きつけてくれたのでしょう。
それから間を置かずして、皆が駆けつけてくれました。
余力を残しつつ、全力で駆けつけたと言わんばかりの勇者様とまぁちゃん。
それに少し遅れて、どことなく悠長にのんびりと副団長さん。
…副団長さんが何を考えたのか、分かる気がするけどね。
でも、乙女の悲鳴に対して走るでなく、駆け足で駆けつけるのってどうなのかな。
「ああ、もう終わっていたのか」
そんなことを、第一声に淡々と副団長さん。
「「……………」」
それに比べて、何とも曰く言いがたい顔つきで硬直している勇者様とまぁちゃん。
そんな彼等を前に、動けない私。
私ははしたなくも身体にタオル一枚を巻き付けた格好で。
荒い息づかいに、赤い顔。
岩を投げつけた姿勢のまま、身体を硬直させていた。
そして私達全員の視線を釘付けに、湯に沈んだ誰か。
ソレは私が投げつけた岩を見事に命中させた後、湯に沈んで浮かんでこない。
上手い具合に、岩が重しになってくれたお陰でしょう。
ぶくぶくと浮かんでくる泡が、まだ息があることを示している。
…チッ 息の根なんて、早々に止まれば良いものを。生命力強いな。
ただゆらゆらと、ゆらゆらと。
流れ滲む血の流れだけが、湯を赤く染めていこうとしていた。
当たり所、思った以上に良かったみたい。
また汚れるのは嫌だし。
あの赤いナニかがこっちのお湯まで侵蝕する前に、さっさと上がってしまおうかな。
覗きにかける情けはない。
それが今日、私が胸に刻んだ、たった一つの決意でした。
「つまり、身の危険を感じた故の、正当防衛と言うことで良いんだな」
「もうそれで処理しちゃって下さい。あんまり引き摺りたくないんで」
一応、これは事件(殺人未遂)だということで。
現在私は、副団長さんに事情聴取をされていました。
これで相手が魔族なら、どんな痛い目に遭わせても笑って放免されるんですけど。
魔族相手に遠慮しても、脅威の再生能力を前に馬鹿らしくなるだけなんで。
ところが今回、相手が幸か不幸か人間だったので。
放っておけないと仰る副団長さんは、律儀に調書を作成することにしたそうです。
…その方が、後で言い逃れを封じ、責任追及をしやすくなるとのことです。
慰謝料とか請求しやすいと耳打ちしてくれた副団長さんは、完全に女の味方です。
怒り猛るまぁちゃんに関しては、本人が既に制裁済みということで納得させたました。
…私はこの上まぁちゃんが何かしてくれても、大いに歓迎しますけど。
それでも収まらないものがあったのでしょうか。
それとも単純に危険だと感じたのか、逃がさぬ為か。
勇者様によって引き上げられ、三人がかりで捕獲された覗き魔。
ソレは今、すぐ側の頑丈そうな木から、鉄の鎖で吊されています。
まぁちゃんが嬉々として、吊してくれました。
ついでに5、6本くらい肋骨を折ってくれても、私は困らないよ。
今日の私は、人生で最高に特定人物に対して冷たい態度が取れそうです。
新しい自分を、こんな事で見つけたくは無かったなぁ…。
副団長さんの事情聴取も終わりを迎え、私達は吊した男を囲んで自然と円陣状態。
何をするのかって?
決まっているじゃないですか。吊し上げですよ。既に吊してますけど。
この辺じゃ見ない顔ですし、気を失ってるせいで未だに身元が判然としません。
取り敢えず慰謝料を請求するにしても、突き出すにしても。
この男からも色々と話を聞く必要があるでしょう。
正直言えば、私は話したくなんてないんですけどね。
むしろ話を聞く以前に、記憶を失うまで殴りたくて仕方ないんですけど。
それをやると、折角勇者様が魔法で塞いでくれた傷が開きそうだけど、知ったことですか。
あ、そうそう。
勇者様、簡単な魔法なら使えるんだって。
今日初めて、知りました。
私を人殺しにしたくないと言って、覗き魔の傷を急場ですけど魔法で塞いでくれました。
…別にわざわざ魔法を掛けなくても良いのにと思ったのは、うん、内緒です。
今まで何をするにも、剣一本でやってる印象だったんだけど。
前々から才能腐らせてそーだなーとは思ってたけど、ちゃんと才能に気付いてたのかな?
完璧に使い方を知らないと思っていた分、平然と使う姿に驚きました。
そんな徹頭徹尾、剣士の装備で、魔法の備えなんて全然してないのに。
魔法使いには見えないね、と言うと勇者様は苦笑しました。
「魔法使いと言えるほど、使える訳じゃない。本当に簡単な初級魔法が2、3使えるだけだ」
「え。だけど勇者様、使えない人には見えないし。頑張れば中級くらいは使えそうだよ?」
「え?」
「ああ、俺でも分かるぜ。お前、そんな幾つも加護貰っといて使えねぇってこたないだろ」
「え? え? …え???」
「光属性の魔法なんか、相性良さそうだ。見るからに」
「そーだな。今の回復魔法も、力が溢れ気味だったし?」
私の言葉に、次々同意を示すまぁちゃんと副団長さん。
ちなみに回復魔法は、光や水といった、生命に関わる魔法に分類されます。
結構使える人、限られるんですよね。適正がなければ絶対に使えません。
そんな魔法が初級でも使えるんですから、頑張れば可能性が広がりそうなんですけど。
どうやら今まで剣の技ばかり磨いていた勇者様は、自分の可能性に気付いていない様子。
魔法、もっと頑張ればもっと強くなれそうなのに。
今の勇者様は魔法の適正を無駄にしている状態で、素質だけの眠った剣士様。
これは…本人の努力次第で魔法剣士になれそうなのに、分かっていませんね。
魔法の得意な魔族が闊歩するこの魔境と違って、人間の国は魔法が遅れてるって話だし。
勇者様が自身の資質に気付いていなかったり、魔法に関する知識に疎かったりしても、もしかしたらそれが人間の標準なのかも。実際、人間で魔法を使える人、少ないらしいし。
「勇者の資質は、無駄に眠らせておくのも惜しいな。今の回復魔法を見るに」
「いや、本当に俺が使えるのは初級だけなんだが…買いかぶり過ぎだ」
「「「そんなこと無い」」」
「3人揃って即答か!?」
「自覚してないのは勇者のみ、か。本当に、無駄に惜しいな」
「そこらへん踏まえて、マルエル婆に相談してみたらどーかな」
「ああ、きっと良いアドバイスを貰えるだろう」
「適正判断、マルエル婆は得意だからなー」
マルエル婆、難点の多い美形や、特殊な美形が好きって変人だけど…
勇者様なら、きっとお眼鏡にかなうでしょ。
むしろかなわない筈がない。
勇者様には言っていないけど、私達は確かな確信を抱いていました。
話が脱線しましたが。
私達は気を失った変質者を起こす為、遠慮はしませんでした。
今この場に、変態の仲間は誰もいません。優しさは0です。
だから、ええ。だから。
「とうっ」
私達は順番に、覗き魔が起きるまでビンタして回りました。
「ぶふっ ちょっ ま…っ」
訂正。覗き魔が目を覚ましても、ビンタで一巡させました。
ちなみに順番は私→勇者様→副団長さん→まぁちゃんという、単純に腕力差によるものです。
…まぁちゃんのビンタは、それはそれは………その、ビンタとは思えない音がしました。
えーと……………爆音?
それを食らって意識を再び飛ばしながらも、生きてた覗き魔は単純に凄いと思いました。
勿論、勇者様の回復魔法が再び緊急出動したのは言うまでもありません。
覗きに容赦は要らないのです。
それでもまぁちゃんは…ちょっと、やりすぎだと思いました。
「名前は猿腐蛙、住所不定無職、78歳、…と」
「おいおーい、悪意を込めて歪めないでよー」
へんにゃりとしまりのない顔で、吊されたまま覗き魔が笑う。
この状況で笑うなんて、どんな鉄の心臓?
その軽薄っぷりに、呆れてしまいます。
へらへらした男の顔にうんざりしながら、私達は互いに頷きあいました。
「軽いな」
「チャラいな」
「とんだ風船男だわ」
「軽佻浮薄極まりない」
「ソレって全部、おんなじ意味じゃないかーい?」
「その位は分かる頭があるのか。良かったな」
「うっわぁ。俺いま、かつて無い悪意に晒されてるー?」
「自業自得だ!」
あまりの反省の見え無さに、私の殺意が煙を上げて燃え上がりそうです。
そんな私にバチコーン☆と片目を瞑ってみせるコイツを、海に沈めて良いですか?
私の隠さない殺意に、勇者様だけがハラハラと心配そうでした。
「もっかい言うよー? 俺の名はサルファ! 軽業師の18さい☆」
「軽業師って何様だ。性犯罪者の間違いだろ」
「性犯罪の為に、軽業をどんな悪用したと言うんだ」
「調書には正直に答えて貰わねば、困るな。性犯罪者め」
「名前だけは信じてあげればどうだ? サルファ・!と言うらしいぞ」
「それは家名か? それとも一括りで名前なのか?」
「あっれ、なんだろー………俺ちょっと泣きそーかも?」
「「「泣くな。見苦しい」」」
「ちょっとちょっと~! チェンジ! チェンジを要請するよ! この人達、俺に厳しすぎ!」
「そんな権利は貴様にはない」
「素直に私刑執行を受けろ。きっちり昇天させてやっから」
「え? あっれ、俺の行く末ってリンチで決定?」
「何故そこで、びっくりした顔をする」
「何となく、空気で察せられねーもんか?」
「明らかに、吊し上げを食らっておいて悠長な男だな」
「本気でチェンジ希望したいんだけど…」
「「「却下」」」
物凄い怒濤の勢いで覗き魔を吊し上げる3人の勢いに、若干気を呑まれて入っていけない。
いつの間にか私は、置いてきぼりになってしまった様です。
いやね、ほら。
私、きっちり覗き魔を湯に沈めることに成功したじゃないですか。
それで少しだけすっきりしてたのは否めないんですよ。
………全裸を見られたこと、許せるわけはありませんが。
でも少しだけ、鬱憤は晴らせてたみたいで。
まぁちゃん達の怒りと勢いに、乗り切れなかったんです。
遅れてきたあの人達に、鬱憤を晴らせる機会はありませんでしたからね…。
私も怒ってますけどね?
もしかして、私と同じくらいに皆も怒ってたのかな?
未だかつて見たことのないくらい、彼等は辛口で厳しい姿を見せていました。
私だったら、きっともう泣いて謝ってるよ。
だってみんな、それぞれ顔が凄いから…その、迫力が、半端無い。
絶世の、凄まじい美形二人が冷たく怒り、目つき鋭い副団長さんがギロリと睨む。
…彼等を前に、軽い態度を崩さない笑顔は、性犯罪者の癖にちょっと凄いと思った。
「取り敢えず、謝罪をさせよう」
勇者様が言いました。
それにまぁちゃんや副団長さんも同意を示します。
「ああ。先ずはそれだな。地べたに額擦りつけさせるか」
「それではこの鎖を外すか?」
「いや、逃亡するかもしれねーし。木から下ろすだけで、自由は与えなくて良ーだろ」
「では、この鎖は自分が握っておくことにしよう」
とんとん話が纏まり、全てをまぁちゃん達に任せて傍観体勢に入っていた私に焦点が。
あ。目が合った。
やることがないので手近な切り株に腰掛けていたんですけど…。
まぁちゃん達の厚い障壁に阻まれ、今まで私と覗き魔の間は隔てられてたんですが。
うわー…全然嬉しくない。覗きがこっちを、なんでか食い入る様に凝視してきます。
それがまた、先程の覗き高位真っ最中の熱い視線を連想させるんですよね。
ぞわっと。それはもう、ぞわっと。
寒気と共に、言い知れぬ危機感が背筋を駆け抜けました。
「みんな、謝罪は良いから、埋めてくれないかな。逆さに」
「それは普通に窒息するな」
「だって、覗き魔の目が怖い…」
「「!?」」
まぁちゃんと、副団長さんがハッと息を呑み、痛ましそうに此方を見てきます。
え。なに?
なんでそんなに、大袈裟な反応が返ってくるの?
「り、リアンカが…リアンカが、本気で怯えている?」
「え、え、え…? それがどうしたの、まぁちゃん」
「あの、暴走する魔獣の群れを前に平然としていた、お前が?」
「それは側にまぁちゃんがいたから、怯える必要もなかっただけだよ?」
「血に狂った魔族が制裁される現場を見ても、顔を顰めるだけだったリアンカが…」
「いやだって。制裁って言っても殺される訳じゃないって、副団長さんも知ってるでしょ」
「玉座を吹っ飛ばされた俺の両親を前に、笑ってごめんなさいしてた、お前が…」
「子供の悪戯って怖いよねー」
「というかリアンカ、そんなことをしたのか!?」
「若気の至りです」
勇者様が頭を抱えました。
でも、まぁちゃん。それに副団長さん。
貴方達のその、動揺した瞳は一体、どういう意味なんでしょーか…?
「ふぅん? ねぇねぇ君、リアンカちゃんってゆーの?」
おろおろする男達を前にどうしたものかと思っていたら、覗き魔に話しかけれました。
「気安く話しかけないでくれない? 変態」
「うっわ、手厳しーね」
覗きを前に、手厳しくならない乙女がいると思っているのでしょうか?
もしかしたらいるかもしれませんけれど、私はそんな慈悲深くありませんよ。
怒りを隠さずにいられるほど、内気でもないつもりです。
今だってほら、こんなに露骨にピリピリ殺気を放出しているというのに。
覗き魔は空気を読めないのか、敢えて読んでいないだけなのか。
そのどっちなのかは知りません。
でも、コイツの取った行動は、空気を気にしないにも程がありました。
呑気にへらっと笑いまして。
コイツは私を真っ直ぐ見つめたまま、自分の置かれた状況も弁えずに言ったのです。
「リアンカちゃん、可愛いよね! ね、ね、俺とデートしない?」
「…はぁ?」
一同、唖然としてしまったことは、言うに及ばないかも知れません。




