第8章 第5話 Special Medical Word - World of Red▼◇
「これでいいかな」
ロイと一旦別れて家に帰った私は、送別会に着ていく服を選ぶのに時間を費やしていた。
この若草色の服、薄くてひらひらして、一目ぼれしてカラバシュの人のお店で買ったやつ。
ふわふわっとしてて好きなんだよね。でも派手かな?
どうしよう、今日の主役は蒼と白の神様たちだしな。
色も神様のお召し物とかぶらないほうがいいんだし。
「もうちょっと控えめな服がいい、っかな。どう思うカイ?」
迷ってしまって別の服を胸にあて、考えてみる。
ここには鏡がないから妹のカイに聞く。
妹のカイも面倒くさそうに付き合ってくれている。
ごめんね、私、優柔不断で。
「もーお姉ちゃん今日は珍しく浮かれちゃってどうしたの? それより早くー出店行かないとー」
浮かれてなんかないよ。
むしろ、落ち込む瀬戸際なんだ。
「どれでもいいじゃん、それいいじゃんそれにしよ、似合ってるよー」
自分なりの一張羅でとっくに支度を済ませたカイは、私の支度が捗らないので面倒くさそうにそう言った。
「そうだね、これに決めたよ」
私はカイの意見を聞いて、納得して頷いた。
少し改まった感じの、詰襟のぴっちりした黄色系の服。
私、あまり身体にぴったりした服着るの恥ずかしくて着なかったんだけど、今日ぐらい好きなものを着たい。
なんて思って、三つ編みにした髪を、服に合わせて首より上におだんごにしてまとめた。
「待って、なにそれ」
カイはそう言って、私を指して笑った。
この髪型ね、地球では変ではなかったと思うけど、こっちでは変かな。
地球とは感覚が違うんだな。
そう思って、恥ずかしくなって髪を指で梳いた。
すると、三つ編みが解けて波打った。
「あ、いいよ姉ちゃんその髪型なら。なんていうか、新しい! おしゃれ!」
よく分からない基準で、カイが太鼓判をおしてくれた。
外に出ると、もうすっかり暗くなって家々から続々と皆が出てきていた。
私とカイは水上参道をのんびり歩いて、送別会会場につく。
神殿前広場には人々が集まりはじめていた。
出店からはおいしそうな料理のにおいが漂ってくる。
店の前には既に行列もできはじめている。世界各国の料理が集まるこういう大規模な会を楽しみにしている人も多い。
モンジャの皆は、新規参入の地域であるタコヤキとカラバシュの郷土料理がどんなものか気になっているみたいで、タコヤキとカラバシュの出店のあたりには、食いしん坊の民たちの行列ができている。
よく見ると知った顔ばかりで、それを見た私はちょっと気まずい。
でもやっぱりモンジャ民なんだな、と私は微笑ましく思う。
人口が増えても相変わらずモンジャ民は食にはうるさくて、食欲以外では大らかで欲がなくて、ずっとそうなんだろうと思う。
香ばしいにおいにつられて出店を回ると、これまでにアガルタ世界ではなかった油で揚げるという調理法の、三角形をした揚げ物の郷土料理が好評だった。
行列に並び、カイとひとつ買って半分こにする。
中を割ってみると、アツアツの美味しい肉と野菜の具が出てきたので、二人で一緒にほおばる。
「ほれ、ほいひいね」
カイははふはふ言いながら、目を輝かせて食べていた。
家族全員分、あと5個買って帰ると言って聞かなかったけど、油で揚げたものは冷めないほうがいいと思うよ、となだめた。
「また買いにこよう?」
カイは嬉しそうに言った。
私は、そうだね、と頷いた。
食べ終わって、カイは友達を見つけて私と分かれた。
私もぶらぶら出店を見回っていると、神殿前広場をそぞろ歩いていた人たちが自然と左右にはけて道をあける。
視線の集まる先にいたのは、女の子二人組。キララちゃんたちだ。
キララちゃんは、コハクちゃんと一緒に出店を見て回っているみたいだった。
二人が歩いていると美人だから目立つし、キララちゃんはどこの国でも並ならぬ敬意を払われている。しかも、よく似てて姉妹みたい。
特に、キララちゃんとコハクちゃんは髪の毛の色こそ金髪と桃色で違うけど、顔立ちはそっくりだ。
性格は全然違って、そこがまた面白い。
「メグ」
キララちゃんが私に手を振って近づいてきてくれた。
「キララちゃん、コハクちゃん!」
「うん? 今日は装いがいつもと違うな、髪型も」
あ、キララちゃん気付いてくれたんだ。
私たちは仲良くなって最近では皆をちゃん付けで呼んでいる。
キララちゃんが堅苦しい口調で話さなくていいって言ってくれたから、はじめは慣れなかったけど段々としっくりくるようになった。
「へ、変かな」
変に気合が入ってるって、思われてるのかな。
「いや、華やかで結構。何か心境の変化でもあったのか?」
キララちゃん、私のこと……ううん、皆のことをよく見てくれている。
この子は、生まれながらの女王様だから口調はちょっと勇ましくて勝ち気だけど、本当は優しくて気配りできる人なんだっていつも思う。
「困ったことがあれば何でも言うがいい。国は違うが、私個人の力で最大限力になろう」
頼もしいな、ありがとう。
キララちゃんは相変わらず女王様なんだけど、グランダは議会制になって王様も任期つきになったから肩肘張らなくて今は前より穏やかになっている。
お付きの人も……あ、あの店の物陰にいるか、警備ご苦労様です。
隠れながら尾行している数人だけにして、各地に赴いて庶民生活にもすっかり馴染んでしまったよ。
服も前はこう、王族! って感じだったんだけど、今は飾りすぎない服装で洗練されている。
私はどんどんあか抜けて自分らしく素敵になっていくキララちゃんと、この一年はざっくばらんな話をしたり、食事をしたり遊んだりして刺激になった。
「あのー。メグさん! これ、お別れのしるしです。お口に合うか分からないけど」
コハクちゃんが、少し照れた様子で私に何か差し出した。
「え、いいの!? 嬉しい!」
「数は家族分、入っています。日持ちしないので、すぐ食べてくださいね」
水玉模様のきれいな紙に包んだお菓子。
果物以外の甘いお菓子なんてとってもとっても貴重だから、私は大喜びだ。カイも、家族の皆も食べたいって言うに違いないね。
家族ぶん用意してくれているだなんて嬉しい。
「メグさんと仲良くなれてよかったです」
コハクちゃんの言葉に、私もぐっとくる。
「コハクちゃんが向こうに戻っても、友達でいようね」
切なくなってくるな。もう会えないだなんて。
「そうだな」
キララちゃんも頷いて私とコハクちゃんの手を握った。私たちは変わらない友情を確かめ合う。
「ずっと友達でいよう」
私は自分の部屋に、私がこの世界で親しくしてきた知人、親友に宛てた手紙を残している。
キララちゃん、ネストのミシカちゃんに宛てた手紙もある。
これまでの感謝の気持ちと、ロイが主導となって緩やかに始まるであろう工業革命に、グランダ議会も商工会も、ネスト民も全面的に協力してほしいとしたためている。
資金と、人手と、そして施設設備において、モンジャだけでどうにかなる問題ではないから。
大規模水力発電所の建設は山岳地帯と草原がほとんどの面積を占めるモンジャの立地ではできなくて、ネストが適している。
グランダはネストに繋がる主要都市だから、世界中に電気を届けるための送電網を作るにはどうしてもグランダを経由しないといけない。
機械化にはグランダの金属加工技術を持った職人の協力が必要だ、ネストのガラス職人も。
それ以前に、皆の協力と理解、そしてアガルタ世界の融和が必要だ。
これから、この世界の皆は何を見るんだろう。
アガルタ世界の人たち、友達、家族が幸せで、何者にも脅かされない世界になってほしいと切に願う。
「約束だね」
今だけでも、心穏やかに過ごしていたい。
この世界の全ての出会いを、向こうの世界に戻っても忘れないように。
ネストの出店のあたりに足を向けると、ミシカちゃんたち、ネストの女の人たちが踊りの練習をしていた。皆でお揃いの衣装で一糸乱れず。どの子も額に汗をうかべて、熱心でかわいいなぁ。あまりに真剣に踊っているものだから、暫く声をかけられずに離れたところから見守っていた。するとミシカちゃんが気付いてくれた。
「あ、メグちゃん。見てたの? きゃー」
「久しぶり、ミシカちゃん元気にしていた?」
ネストはモンジャから距離があって、ミシカちゃんにはなかなか会えなかった。
それでも、ミシカちゃんはよく私に手紙をくれるんだ。
お城の御家人のクワトロさんが、赤い神様の神殿に毎朝お祈りに来るものだから、そのついでに私に手渡してくれたり。
そんなわけで、私たちの友情と交流は続いている。
「あれから元気にしてた?」
練習を終えて休憩に入ったミシカちゃんと話し込む。
「うん、私は変わりなく、相変わらずだよ。あ、そうそう」
ミシカちゃんは、何かを思い出したように手をぽんと打った。
「聞いてよメグちゃん。ネストの牧場でね、白シツジが生まれたんだ!」
「えー!? 白いの? 見たいー!」
「びっくりでしょ! その子の子供、水色シツジになるかな。それとも、白と青のまだら模様になるかな」
ミシカちゃんは色々と妄想しているみたいで、ほくほく顔だ。
私も動物好きだから、話が合う。
シツジの飼育の方法についても色々と教わったり。
ミシカちゃんの情報は、モンジャでも助かっている。
「どうだろうね、楽しみだね」
水色シツジは出ないとおもうけど、まだらシツジは出ると思う。
「それからラウルさんとお姉ちゃんね、うまくいっているみたい」
そうなんだ! それは朗報だ。
グランディア以来、モンジャ集落のラウルさんはミシカちゃんのお姉さんと付き合っている。
ラウルさんかっこいいよね、とミシカちゃんが言う。
そうだね、私もそう思うよ。
よかったね、と素直に祝福したい。
私はミシカちゃんが元気そうで、安心した。
神様たちの送別の宴は、暗くなってから大々的に行われた。
まずは赤い神様のご挨拶があって、白と蒼の神様のご挨拶へと続いた。
二柱のありがたいお言葉に、皆は感無量。
別れが惜しくて、どうしてよいかわからなくて、咽び泣いている人もいた。
その後は各地の民たちが歌や踊りの披露をはじめた。
あれだけ練習していたというミシカちゃんは緊張のあまり振りがとんでしまって残念そうだった。
一生懸命にやってたのは伝わったから、神様たちは喜んでいたよ。
モンジャの若い男の人たちは、神様たちへの奉納の演武をやった。
ロイは端のほうでやっていたけど、やっぱりロイが完成度や技のきれなんかで群を抜いて上手くて、皆で跳躍しても信じられない高さを飛んで、体操も一番高度な技をやって、結局一番目立ってた。ロイは普通の人間じゃないんだなって、私でなくても誰もが認めている。
それは、神通力があってもなくてもだ。
モンジャだけでなくいろんな国の女の子たちから、黄色い歓声が飛んでいた。
最後に、私たちも簡単な振り付けの踊りを皆で輪になって踊った。
赤い神様なんてとても気に入ったみたいで、率先して踊ってた。真ん中に櫓があって周りに出店があって、櫓を囲んで回りながら踊るこの懐かしい感じを見ていると、地球の世界では真夏の風物詩だったなと思い出す。
地球に帰ったら、お姉ちゃんと夏祭りに行こうかな。
そんなことを、とりとめもなく思った。
会場では踊りが終わって、宴もたけなわ。
キララちゃんたちやモンジャの友達たちにお酒をすすめられたけど、私はいつもどおり神様たちや皆にお別れの挨拶をしたかったから、飲み過ぎないように気をつけていた。
挨拶は早いほうがいいかなと、白い女神様に、私から進んでお別れを告げに行った。
ネストの皆に囲まれて一人ずつに応対しておられた女神様。
私の顔を見ると、神様たちの控え室に連れて行ってくださった。
扉を静かに閉めると
『いよいよ、その時がきたのですね』
私の心を慰撫するような優しいお声で、女神様は仰った。
女神様のお声は、私のささくれた心にしみいって、癒しの波動を伝えてくる。
そのようです、お世話になりました。と私は頭を下げてお辞儀をした。
「でも前とは違って、悲しいばかりではないんです」
ここにいる人たちとの別れは辛いけれど。
それでも、お姉ちゃんや桔平くんと会えるのなら、向こうで途方に暮れている場合ではない。
やりたいこともある。
『そう……それでしたら、わたしも安心してお別れすることができます』
「はい」
私、蒼い神様と白い女神様には、お花とお手紙を持ってきたんだ。
何度差し上げたか分からないけど、私の感謝の気持ちを一番素直に表せるかなと思って。女神様は受け取ってくださった。
そして、形と香りを楽しんでくださる。
女神様のために、白くてよい香りのする花を集めてきたんだ。
それでも、女神様の「真っ白」な美しさと尊さにはかなわない。このお方が、コハクちゃんのいる世界を造っておられる、そう思うと自然と膝を折りたい気分になる。
向こうの世界に、女神様ほど美しい存在はいないだろうな、となんとなく思った。
『ありがとう、いい匂いだこと。帰ったら朽ちないよう加工してわたしの神殿に飾っておきます』
それは光栄だ。私も嬉しい、コハクちゃんも見てくれたら嬉しい。
『あなたはこの世界でよく頑張りましたね』
頑張ったのかな、私は。
ここで得た全ての出会いと積み重ねた年月には、意味があったと思う。
それでも、私がここにきた事には意味があったんだろうか。私がいなかった間も、向こうでは時間が流れて……
「向こうの世界では、私はどうなっているんでしょう」
取り戻せるんだろうか。
息苦しくて、不安で胸がはち切れそうになっていると、女神様は私の手を握ってくださって慈しみに満ちた眼差しで
『ゆっくりしていいんです。あせらなくていいんです。あなたは何も失っていませんし、何も変わりませんよ』
ここ、アガルタ世界はあなたの心の休息所ですからね、と諭してくださった。
女神様が仰ったそのお言葉が、嬉しくて。温かくて。見えない無数の傷を癒してくれたようで。
心から、救われた気がした。
今日何度目か、私は意図せず零れ落ちた涙を、子供の頃みたいに服の裾でぬぐった。
女神様はそんな私を、そっと祝福してくださり、私を抱きしめながら、私の耳元で囁いた。
『あなたが初めてなのよ。アガルタ世界から生還できるめどのたった人間は』
女神様の掠れたお声は、ひどく寂しそうに聞こえた。
「えっ……」
私は言葉に詰まる。
『わたしの世界にいる人々も早くそうしてあげたいのだけど、わたしも蒼い神様を含めて、アガルタ世界の神々の誰一柱としてできていないわ。向こうの世界で帰りを待つ人がいるのに還してあげられない……これはわたしたちにとって、心から辛いことなの』
白い女神様も蒼い神様も、赤い神様のもとでその方法を学ぶためにこの世界にいらしたのだと仰った。この世界は世界中の神様たちから注目されている先進医療特区に指定されていて、アガルタ世界からの生還に大きな期待が集まっているんだって。
『でも残念ながら、赤い神様だからあなたのことを、そして他の人たちのことを癒して元の世界に還してあげられるということが分かっただけなの。あとのノウハウは後からの分析や推測にすぎなくて……』
元の世界に戻って彼のようにできるかは、まだわからない。
でも、一年間の学びの中で彼から得たことを胸に女神様の世界に戻り、一人一人の生還のために全身全霊で取り組んで生きたい。それが目標です、と仰った。
女神様とお別れして、さっきの言葉の意味を噛み締めながら会場の隅でほてった顔を仰ぎながら小さくなっていると、後ろから、トントンと肩を叩く人がいる。
振り向くと、私の頬に指先がささっていた。蒼い神様だ。
今までにも、私が集中力を欠いていたりすると、たまにやられるんだ。
じっと顔を覗き込まれて、手で顔を隠したくなる。私、まだ目が赤くないかな。どうかな。
「不意打ちなんてひどいです、蒼い神様」
鼻声になってしまってるけど、隠せなかった。
『やー、なんかどうしたのかと思ってさ。どしたの? 白ちゃんに泣かされた?』
そっか、泣いてたから元気付けに来て下さったんだ。
あんなにたくさん人がいいるのに私のことまで、よく見て気にかけてくださっている。
蒼い神様は、爽やかな笑顔で仰った。
「とんでもないです。女神様には、とても優しいお言葉をかけていただいて」
『あ、それでしんみりしてたのか。ならいいや。メグ、こっちでは世話になったな。俺、明日自分の世界に帰るからよ、まだ教えられてないこともたんまりあっけど、まーメグなら大丈夫っしょ』
蒼い神様の後ろには、国と地域、人種を問わず神様を慕う人々が最後の挨拶をしようとしてこれまた行列を作ってついてきてる。
その人たちの私に対する視線は、なんだか冷ややかだった。
蒼い神様が私だけに医術を教えてくださったことを、快く思わない人たちも多くいる。
私は気にしていないし、その人たちもあからさまには言ってこないけど、ふとした時にそういう視線や空気を感じたりはする。
「こちらこそ、大変お世話になりました。蒼い神様に教えていただいたこと、しっかりと皆に伝えます」
といっても、時間がないからもう復習も伝承も集大成に入っている。
私の持っている蒼い神様の下さった医学書の複写は、この世界で使えそうな知識だけ内容をまとめてモンジャの人たちに渡してある。
それを、蒼い神様はご存知なのかは分からない。
赤い神様はというと、私がそうすることを、お目こぼしくださっている。
蒼い神様にも、女神様と同じ贈り物をお渡しした。
蒼い神様にちなんで青系の花ばかり摘んで、花輪にしてきたんだ。
夜光花もいくつか編みこんでいるから、夜闇にほんのりとした青色蛍光が映える。喜んで受け取って下さって、その場で首にかけてくださった。
『こっちのことはいいからメグ自身がしっかりな』
向こうの世界に行ってもさ、と小声で付け加えた。
「は、はい。医術を教えてくださって感謝しています、皆の助けになりました」
私は深々と頭を下げた。
『皆?』
蒼い神様は、怪訝なお顔をされた。私、変なこと言ったっけ。
『違うな。俺はメグのために教えたんだ』
「えーと……」
反応に困る。でもそれは、蒼い神様は一貫して仰っていた。
私には教えるけど、他の人には教えないって。それは何でなんだろうと、ずっと思っていたんだけど……。
私の疑問を見透かしたかのように、神様はこう仰った。
『何でかって? 向こうでお前さんが、少しでも自分に自信を持てるように助けてやりたいと思ったからだよ』
メグ、えらい自信のなさそうな顔してたからな……って。
蒼い神様は私個人のために、私が向こうに戻っても困らないように教えてくださったのか……そっか、今から頑張らなくてはならないのは残された人々だけではなく、私もなんだ……。
「頑張ります、自分のためにも」
『ん、その調子。この世界にいたことを、引け目に思うな』
いつだって、俺たちがついてるからな! さらりと流れるように心強いお言葉を下さって、わしゃっと頭を撫でて去って行かれた。
その御手に込められた祝福にも似た神気を浴びて、頭がくらくらした。
お会いした最初はちゃらけているように見えたけど、面倒見がよくて、いいお方だったな。
蒼い神様、あなたにもお会いできてよかった。
そして……私はこの世界の創造主である赤い神様を見上げる。
皆に囲まれて、天使様たちに守られて、楽しそうに笑っておられた。
私が見つめていると、すぐに気付いて手を振ってくださった。
赤の世界なんだ、ここは。
赤い神様。
その真の名も正体も目的も分からない、謎に満ちた、この世界の人々にとって拠りどころとなる存在。
この世界の全権を掌握し、アガルタ世界人を絶対的に庇護し、生身で世界を支え、創造し続けている。
彼にまつわる記憶を殆ど忘れてしまった私が先ほどまで彼に寄せていた感情は、尊敬と畏怖の念、そして警戒だった。
けれども白い女神様のお話を聞いて、今は感謝の気持ちがこみ上げてくる。
消えることなく残っているのはこの世界で幾度となく私を救ってくれた、命の恩神なんだという事実。
記憶がなくなったからといって、その事実からは目を背けてはいけない。
そっと目を瞑って、心の中で感謝の祈りをささげた。
赤い神様へのご挨拶は、ここを去る最後の日にしよう。そう思った。
その頃、藍色の深みを増してゆく星空に、「天」という文字が出現し、金色の光の華が咲いた。
大きな光文字を突き破って、ものすごい速度で流星がアガルタ世界に落ちてくる。
長くまっすぐな尾をたなびかせながら、それは翼を持った人の形になり、神殿の前にふわりと降り立った。
赤い神様が立ち上がって、うれしそうにしておられた。
天使エトワールさまが、戻っておいでになった。
*
【アガルタ第二十七管区 11年8日目 総居住者数 23万8101名 総信頼率 54%
基点区画内 99% 第一区画内 99% 第二区画内 99% 第三区画内 90% 第五区画内 25%】
国民の皆様こんにちは、おなじみ、27管区甲種一級構築士の赤井です。
メグの帰還の日が近づいて、私がそのことで頭いっぱいになっていた頃、私はもうひとつの別れを経験した。
第三区画、第五区画が解放されたことにより約束の一年という年限が来たので、白さんと蒼さんが留学期間を終えて彼らの管区に戻る。その日がきたんだ。
蒼さん白さんが来てくれてもう一年が経ったのか。
短い間だったけど、同期三人で和気藹々と楽しかったな。
アガルタの留学システムに感謝しているよ。
勿論、彼らの仕事ぶりを聞いて刺激になることも多かったし、役立つことも教わったし、あれこれとした悩みも相談できて頼もしかったよ。
管区間の情報交換はあまりおおっぴらにはできなかったけど、それでも有難かった。
蒼さんと白さんはメグと私に、時間の許す限り医学知識やら手技やら叩きこんでくれたので、それとは別に、私はトレスポで猛勉強してきた。
メグも現実世界の獣医師免許取得を視野に入れたカリキュラムでかなりのところまで蒼さんに教えてもらって、現実世界に戻っても問題なく勉強できそうだって。
でもどうすんだろメグ、北大獣医学部、退学扱いになってるけど再入学制度あったっけ……なんて現実世界側の心配をしてみたりもしたけど、どうやらそこは厚労省が文科省にかけあって何とかしてくれたみたい。
さすが厚労省アガルタ機構、独法化したとはいえ謎の権力が働いているよ。
『そろそろ時間ですね』
白さんはインフォメーションボードを立ち上げた。
コハクも荷物を持って白さんにぴったり寄り添ってる。
だよね、蒼さん寄りに立ってたら29管区ついていっちゃうかもしれないからね。
『ああ、もう時間ですかー』
私はがっくりだ、そのがっくりっぷりに、ロベリアさんが笑ってらっしゃる。
『しゃーないなー。戻るかー。量子転送気持ち悪いんだよなー、五感がちまちま分解される感じで』
『ええ、分かります』
二柱の出発時刻が近づいたので、私と白、蒼の三柱が中央神殿に集合し、神殿に見送りに押し寄せていた素民たちはやっとのことで正門から締め出した。
量子転送ゲートが開いて、巻き込まれると危険だからね。
身支度を整えた白さん、蒼さんは若干お疲れの様子だ。
というのも、昨夜は素民たちが企画して、サプライズ的な送別会をやったんだ。
皆、別れを惜しんで朝まで飲んだくれてた。特に白さん信者のネスト民の惜しみようったらなかったよ。28管区についていくと言い張ったネスト民も続出した、人徳だね。
勿論、素民の女性を中心に蒼さんファンも相当いたよ。
ヤクシャさん、ロベリアさん、モフコ先輩も見送りに駆けつけた、それからエトワール先輩。
そう、それですよ!
国民の皆さん覚えてました? 第一使徒(27管区に入った順で)のエトワール先輩ですよ!
先輩が戻ってきてくださったんです! 何やってたんですか先輩! 会いたかったですよ!
とまくしたてたけど、華麗にスルーされてしまったので、微妙に聞かれたくないんだろうな。
モフコ先輩が『私達に捕獲されて戻ってこれたんだよ!』と仰ってたけど意味わかんない。まあいいや、戻ってきてくれただけで私は大歓喜だ。
白さん蒼さんが住んでいた神殿はモフコ先輩が跡形もなくお片づけしてくださって、私がメインに使っていた中央の神殿だけ残した。
また留学希望の神々が希望届出してるから来るかもしれないけど、その時はまた専用にカスタマイズするとモフコ先輩は仰っている。
『ま! お二人も私らもこれから色々あると思うけど、元気でねっ!』
モフコ先輩が上手いことまとめた。
『お二人とも、本当にお世話になりました』
私は深々と頭を下げる。
『こっちこそ、楽しかったよ。ここに来てよかった』
蒼さんは爽やかな笑顔でそう仰る。ここでお別れか、てことはもしかして今日から一人で主神やんなきゃいけないのか。一人でやるのが当たり前なんだけど、一周回って新鮮だな。
蒼さんが手を差し出すので、私はその手を固く握りしめた。自然と力がこもって、何か途中から腕相撲みたいになってた。
『赤井さん、わたしもお世話になりました。これは餞別の品です』
え、私、お二人に手紙は書いたけど餞別は用意してないや。
白さんが私に下さったのは、アガルタ世界に入ってから毎日欠かさずにつけていたという日記のコピーだ。何かお役に立てることがあるかもしれない、だって……。
白さんが28管区世界でどんな歩みを辿ったのか、興味ありまくりだ。
それを渡すのはカンニングになるかって、白さん律儀だから八雲PMに訊いたみたいだけど、28管区と27管区はエリアコンセプトが違うしイベントも全く違うので特に問題ないでしょうとのこと。
ちなみに、蒼さんが日記なんてつけてなかったのは想定通り。
記録付けなくても記憶してるからいいんだって。
私? 私はナレーション形式の録画入力で業務日誌をつけてるよ、というか最初期からずーっと喋ってるこれです。
国民の皆様ご存知のように、私、大雑把に見えて細かい性格なんです。ご存知か。
『では、また』
予定通りに行けば、次に彼らと逢えるのは989年後ぐらいかな。
長い、長すぎるよ……次の同期会まで長いけど、次会う時には達成感も極まってるだろう。
「しろのめがみさま、どうしても、帰るのは今日でないといけないんですか?」
28管区のスオウ一族、コハクも帰らないといけないみたいだ。
往生際が悪いというか、うーん、残っちゃう? 私はいいよそれでも。でも帰らないといけないよね、スオウ一族の末裔だし。
一国の女王だし、白さんにとっては大事な巫女というかパートナーだからね。
『おや。コハクはここに残りたいのですか? 今日を逃せば、帰る手立てはなくなります』
「そうですよ……ね」
あー目が泳いでるよー。そしてヤクシャさんの方を見たよー。
ヤクシャさんこっち見てないよー! 初恋、散ったー!
仕方ないよね、異世界遠距離恋愛なんてできないし。
恋しくなったら、白さんに広島風お好み焼きでも焼いてもらってよ。
そうじゃないか。別にヤクシャさん=お好み焼き、じゃないのか。
私ときたら、気遣いがあさっての方向にいってるよ。
コハクは昨夜の送別会で、皆に餞別として神聖エルド帝国で作られている菓子パン的なお菓子を焼いて仲の良かった素民に配ってた。
白さんから焼き方を教えてもらったんだって、得意そうに言ってた。
見た目が凄くクロワッサンだったよ。
めっちゃ巻いてた。
本命のヤクシャさんにもリボンつけた包みを手渡してたのを見たよ。
うん……私はもらえなかったけど。
渡すの忘れてたんだよねきっと。
私、ずっと素民たちと踊り明かしていたからね、渡す隙がなかったからだよね。
気にしてないよ。
んで、何で私がそんな踊ってたのかって?
だってさー振り付けがちょっとアレンジ加えた阿波踊りなんだよ。
そりゃ踊っちゃうよ。
どうでもいいけど、阿波おどり繋がりでシクロアワオドリンっていう環状構造物を思い出しちゃったよ。
嘘みたいな実在する化合物の名前だよ、徳島の研究所で発明されたからそんな名前がついたんだ。
……えーと何だっけ。また脱線していたところに
【 管区干渉ゲートが開きます 】
おお、インフォメーションボードが量子転送ゲート開放シーケンスに入ったー!
え、もう最後の最後の時間? 神殿の中央の祭壇の手前に広めにスペースを作って私たちは待機する。
【 白椋 千早(ID:JPN215)を第28管区へ分解転送します 】
【 蒼雲 天晴(ID:JPN216)を第29管区へ分解転送します 】
眩く輝く発光体が神殿内に出現し、白さんと蒼さんをすっぽりと包み込む。
他管区への干渉場ができてるんだ……見送りの私たちは数歩ずつ後ずさりした、巻きこまれると大変だよ。
向こうの世界、見てみたいような気もするけど。
わーお二人の神体が分解されてるー!
これか。これが気持ち悪いって言ってたシーケンスか。
やだなこれ、私がどっか留学行くときは考えものだなこれ。
『それではいよいよのようです。管区開設後にお会いましょう! その前に、こちらの管区でも成果をあげたいですね』
白さんが、肩のあたりでちょこちょこと上品に手を振りながら明るくそう仰る。
あー白さんのその神々しい笑顔も見納めか。素敵な人だったな。
『あ、そういえば』
大事なことを思い出して、言ってみることにしたよ。
『何、でしょう?』
コハクを腕に、しっかりと離さないように抱きしめ、目も眩むデータの光に包まれてゆく白さんの白銀の瞳が大きくなる。大事なことだと思ってるんだろう。大事なことだけど、くだらないことなんです
『どした、はよ言わんとゲート開いてっぞー』
蒼さんはもう首の下まで溶けてる。
いや、たいしたことじゃないんですけど。私が採用初日から二人に言いたくて温めていた一言。
『今度、月島に行きませんか? モンジャの美味しいお店、知ってますから』
4月1日の仕事終わりの、現実世界における最初の同期会が、まさかこんなに遠くて難易度が高くなってしまうとは思わなかったな。
でももう、今となっては何もかもが懐かしい。
きっと気に入ってくれると思うんだ。私の一押しの場所、もじゃじゃ屋でね。
勿論、使徒さんたちや、モフコ先輩も一緒に。
『この期におよんで、まだモンジャモンジャ言ってるのかね赤井君は……』
エトワール先輩の切れ味鋭いツッコミが入った。エトワール先輩も行きましょうよ。
『ああ、いいねぇ。俺もんじゃ食ったことないんだ』
蒼雲さん、呆れながらも、爽やかな笑顔で同意してくれた。
『そこにしましょう、私はもんじゃ焼き好きなんですよ。東京もんじゃマップ、作ったこともあります』
白椋さんも目を輝かせていらっしゃる。え、初耳でしたよそれ!
『でも、赤井さんいきつけの店が、わたし達が退職した頃にまだあればいいですね』
そっか、そうだよ十年後だよ。
私はアガルタ世界を出るころには32歳。
32歳の自分とかもう想像つかないな、中身このまんまだと思うけど、そこに至るまでに、この27管区世界でどんな経験をするんだろう。
――潰れてなけりゃいいな。もじゃじゃ屋。
愛実も週末にお姉さんとそこに行くの、楽しみにしてたもんな。
ひょっとして十年後、外に出たときにそこで愛実とばったり再会したり……、なんて、くだらないことを考えたりもした。
私は分解されつくし最後の一粒子となるまで、同期二柱とコハクのデータを見送った。
『さってと! んじゃ、チーム27管区も仕事しますか』
ヤクシャさんが伸びをして、神殿の扉を開け放った。
快晴の空だ。素民たちが今日も長蛇の列を作っている。
『ええ、心機一転ですね』
ロベリアさんはおっとりと微笑んで花瓶に花を生ける。
『そうだな』
エトワール先輩の翼は、今回は白に決まったみたいだ。シンプルでいいですよ先輩。
正門にはクワトロさんの捧げてくれた花輪が今日もかかっている。イヤンさんとヒカリの、回廊を掃き清める箒の音が聞こえる。
私は両頬を両手で叩いて、気合いを入れた。
同時に、毛玉先輩は私の頭の上におさまった。




