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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.7 TAKOYAKI
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第7章 第12話  Last sunset◆

 ここ数年をかけて、赤井の知らぬ間に変動していた星辰の位置と、現れた新星。

 それが正しい位置についたことにより湖の邪神が力を強め、復活を目前にしているようだった。

 邪神殿内部のロマネスコにそっくりなフラクタル図形の構造物に覆われた水中都市がせり上がり、浮上する。その変容を、赤井と素民らは受け入れるしかなかった。湖底構造物の連鎖的変動が終わると、水中都市はその中央部に尖塔を聳え立たせている。


 邪神殿の天井は開かれ、取り去るように。

 一つの街が、ポンデリン湖のあった湖底に出現したのだった。


 最初に赤井らの眼に飛び込んできたのは、外世界から幾重にも重なる眩い光芒であった。光の照らし出した下には、黒いマグマが溶けたような構造物がその禍々しい姿を晒していた。その光が何を意味するかというと、赤井が神殿に入る前に仕掛けた構築による燃焼機構……それが、思惑通り夜間も稼働していたようだ。邪神の神殿から夜間に生れ落ちる眷属たちは水素・ヘリウム光に焼かれ、片っ端から溶けてゆく。


『何事も、備えておくもんですねぇ』


 赤井が一言。備えあれば憂いなしと言うには、まだ分が悪すぎる。何故なら振り仰ぎ、赤井が夜空に目を凝らせば、星座の中に誕生したばかりの新星がひときわ明るく輝いている。星辰が正しい位置についたとき、伝説の邪神が蘇るという伝承によるなら……それはつまり邪悪なる水底世界が外部に露出してしまったのだ。


『でもこれで……よいのでしょうか……』


 ロベリアが控えめに、赤井に尋ねてみる。

 最も懸念されるのは塔を発信源とした素民たちへ狂気の伝播。

 さらに赤井が湖水を分解したがために邪神殿からの遮蔽物が存在しない分、思念が素民たちに直接的に届いてしまうこと。燃焼機構の作動は必須であり役立つのだが、痛し痒しである。


『なら、星辰の位置を変えてしまえばいいのでしょう、やってみましょうか。なあに、破壊まではしなくても少しずらしてしまえば……』


 赤井が張り切って腕まくりなどしているので、ロベリアが慌てる。


『や、やめてください! 本当に星が落ちてくるかもしれません』


 かといって、再び星辰を変える為にアガルタに生じた新星を破壊したり墜落させることは現実的ではないとロベリアが忠告する。何故ならここはアガルタ世界であって、地球ではない。迂闊な事をしては何が起こるか分からない。外観をいじってしまうと、システムに悪影響を及ぼす可能性もある。できるが、やってはいけない。


『それもそうですね、やめときます。こういうのってモフコさんが詳しいのかな?』


 ひとまず判断を保留にした赤井、ロベリアと素民たちは、赤井が構築し彼らが足場としていた板から水中都市へ飛び移る。


『赤井神様―ッ! 何なのこのにょっきり出てきたタケノコみたいなの!?』


 噂をすれば何とやら。どこから現れたのか、すすけた毛玉が赤井に向けて突進してきた。赤井の背にぶつかってぼいんと跳ねると、体中の毛をウニのように突起状に膨らませている。

 いちいちキャラ設定に忠実というか、芸の細かい人だなあ、との感想を懐いた赤井は、そんな呑気なことを考えている場合でもないと反省した。

 モフコがここに駆けつけて来るまでに果たしたであろう必死の頑張りは、薄く土埃をかぶって乱れた毛並みにあらわれていた。


『モフコさん、無事でしたか!』

『うん私なら平気ー、てか何これ!?』

『これは湖の邪神がいる塔なんです』

『ああ、それだ!』


 モフコは一旦頷いてノッてみせて、数秒後に


『それって生えてきたら駄目なやつじゃん?! どー考えても!』


 毛玉は今更のようにあわわわ、と右往左往している。ワンテンポ遅れでのリアクションはコントのお約束であるが、真面目に相手をしている余裕は赤井にはない。


『モフコさん、カルーア湖沿岸の集落はどうなりましたか』


 モフコが持ち場を離れここに駆けつけているということは、苦戦のさなか抜けてきたのではない、と思いたい赤井である。


『それがね、もう絶好調で!』


 モフコの声が弾んで1オクターブほど高くなった。


『ええっ、ヤクシャさんたちが?』


 グランダ軍とモンジャ民、およびヤクシャが眷属たちをほぼ殲滅している、とのことだった。大型眷属は水素燃焼機構で邪神殿からの生成を阻止しているため、昨晩は大型眷属との戦闘で手一杯だったヤクシャが素民の戦いに加勢できる、というのが大きく働いたようだ。

 更に付け加えると、赤井たちが昼間の間に半物質武器で眷属と化した人々を行動不能にしてきたので、彼らの夜間の防衛には余裕があった。


『それは嬉しい報告ですね。であれば私達も頑張りましょう』


 彼らが善戦していると聞き、やはりヤクシャをあの場に残したのは正解だったとひとまずほっとした赤井であった。しかしいくらヤクシャが頑張ったところで、邪神本体を叩かない限り、楽観視できる状況ではない。


 今日、ここで必ず決着をつけ、第三区画を解放する。

 明日までの持ち越しはなしだ。


『赤い神様、あれは……あれは何でしょう?』


 そんな決意を新たにしていたとき、ロベリアがあさっての方向を指す。高き邪神の塔の頂に鎮座していたのは、いかにも珍妙な物体だった。

 水素の燃焼光に照らされ浮かび上がったそれが一体何であるか、誰しもただちには分からなかった。青い被膜に覆われた饅頭状の透明な物体。その物体の内部ではたえず小さな気泡が生じては消えてゆく。

 物性解析を、と赤井が思ったときには


『もう、かけています!』


 ロベリアが阿吽の呼吸で応じていた。ロベリアは熟練の構築士だけあって高速念入力なので、ボードの操作が迅速である。そのロベリアのインフォメーションボードで解析を行うに、組成は純水で気泡は空気だという答えが、2秒程度で返ってきた。


『はや!』


 モフコも脱帽だった。


『はっ……しかしそんな、筈は……信じがたいですが、水のようです』


 ロベリアは声を掠れさせる。彼らを翻弄するかのように、青い袋の胞構造を持つ水は激しく、アメーバのように蠕動しながら形状をほつれさせ、塔の内部に零れ落ちていった。


『見た? 今の気持ち悪い動き!』


 モフコがうへえ、と肩を(毛玉上部を)すくめる動作をすると、


「み、見ました。あれとやるんですかー?」


 素民たちにも見えていたようだった。


『ちょ、怪しすぎんよあれ~気色悪いよー!』


 モフコは赤井の頭の上で及び腰になっている。


「入ってこい、というのだろう。面白い、望むところだ」


 そんな中、グランダ重装歩兵中隊長ジェロムは臆する様子もなく駆け足で塔の外壁の階段に登りにかかった。


「ふむ、どのみち、行くしか方法はありますまい」


 老御家人クワトロも覚悟を決したように一つ大きく頷き、腰に両手をあてがい腰を大きく伸ばす運動をしたのち、ジェロムの後に一歩ずつ階段を踏みしめ続く。そして暫く、間があいた。


「行くのだな、そう言ってくれ」


 目標は定まりつつ、先刻目をみはるばかりの覚醒を果たしたキララは、往くのが当然だとばかり赤井にちらと目配せする。赤井はクライマックスとなる戦闘に素民たちを巻き込むことに躊躇いを禁じ得なかったが、首を縦に振った。


『そうですね……まいりましょう』


 できれば塔の中に素民は踏み込ませたくないと悩んでいた赤井だが、住民参加が必須条項である限り、そうは問屋が卸さないだろう。


「メグはここで待機だ。足手まといだからな」


 きつい言葉ではあるが、メグにそう自覚させることはメグに対するキララの優しさでもあった。キララはメグを尊敬し、彼女のモンジャにおける重要性をよく認識していた。メグはキララより多くの人間を助けることができるだろう、だから彼女はモンジャとグランダの宝だ。今はただ安全な場所にいてほしかった。


「は……はい。でも……」


 負傷者が出た時にできることは皆無だとは思わないが、戦いに関しては無能なのだと思い知る。メグの背に、ロベリアがそっと手を添える。


『あなたの活躍の場は、ほかにもあるわ』


 はっきりと言葉に出してそう言われ、メグは納得したように頷いた。


『え、メグここに一人で置いてけぼりにしとくの?』


 無理無理、だめだめ、危ない危ない、と毛束をしきりに左右に振る。


『じゃ、私メグを安全な場所に送ってから戻って来る、ヤクシャさんにも事情話しとくからー』


 甲種構築士ではないモフコは、直接的な戦闘には参加できない決まりになっている。どのみち、この先にはいけないのだ。


『お願いしますモフコさん』


 ついでに腕に自信のない者、消耗の激しい者も帰れとキララが一同に呼びかけたが、誰も逃げ帰ろうとはしなかった。


 それどころか、彼らは細腕の少女に見下されたことで闘争心に火がついた。カチンときたのだろう、イヤンがキララに挑発的な態度でふっかけた。


「あんたこそ、メグと一緒に帰らなくていいのか? お嬢さん」

「お前は一体誰にモノを言っているんだ?」


 態度のでかさと闘争心なら、キララも負けてはいなかった。


『まあまあ、仲間割れしないで』


 赤井がタイミング悪く間に入るが、邪魔だったのか、二人ともにグーパンで押しのけられていた。


『あう。皆さん私の扱いが雑ですよね最近』


 よく考えたら、扱いが雑なのは今に始まったことではなかったと思い起こし、悲しくなってきた赤井である。


 モフコがはっとコハクを見詰めた。


『コハクちゃん、この辺で戻った方がいいと思うけど』

「え、私、戦えます! 頑張りますから」


 体力はまだあるということを一生懸命PRするコハクだったが、


『コハクちゃんに何かあったら、白の女神さまが悲しむよ?』

「その通りだ、戻ったほうがいい」


 キララも同調する。


「てかここで帰るなら、ここまできた意味ないよな」

「なぁー」


 狩人兄弟が、愚問だとばかりにキララの呼びかけを一蹴した。腕はたつのに小心者のメンターイコ町の剣士アオノリは若干帰りたかったが、何となく言い出し辛い雰囲気にのまれてぐっとこらえた。


「皆さん、と……アカイさん。ごめんなさい……私が、何もできなくて。ご無事で」


 何かを言おうとするメグを遮り、メグの手を、赤井は両手で被せるようにして固く握りしめた。


『また、あとで! 必ず全員で戻ります』 


 決して遺言めいた口調にならないように。買い物でも行ってくるような気軽さで、それが確定事項であるかのように赤井はメグに言い渡す。


「は……い」


 無理だろうが、少しでも気が軽くなればいい。


『コハクちゃんも連れて帰るよ!』

「ええーっ!? 私まだ戦えますよー!」

『いいからいいから! 帰るよ!』


 赤井は精霊姿のモフコに抱えられて浮揚するメグとコハクを、さっぱりとした表情で両手を振って送りだした。


 モフコとメグを見送り、ともあれ気合を入れ直した彼らは、先に進んでいたジェロムとクワトロに追いつくと、一列に壁面の螺旋階段を伝い登り、円塔の頂上へと到達した。全員が固唾をのんで、おっかなびっくり、何も見えない内部を覗きこむ。


『底を照らして見てみましょう。いきますよ』


 ロベリアが両手にアメジスト色の炎を灯し、焼夷弾として塔の奥底へそっと放つ。が、一切の明の気配を拒絶するかのように、ほどなく闇に飲み込まれてしまった。光を失うまでに仄かに見えた構造といえば、内壁に添って階段が存在し、円筒状の底なし井戸がひたすら地下へと垂直に続いているというものだった。

 最深部には、まだ見知らぬ邪神がいるのだ。暗闇が恐怖心を掻きたてるが、夜明けまで待ったとしても自然に日光が底部にまで届くことはないだろう。

 赤井は水素の燃焼光をさらに鏡面でかき集め上空で反射させ、塔の内部に光柱をスポットライトとして差しこませ、思い切って深部まで照らす。邪神の褥は闇のベールに包まれていた。


「よく視えるようになったが、やはり最底部まで光は届かないな」


 キララが落ちそうになるほど身を乗り出して覗き込みながら、口惜しそうに呟く。彼女には恐怖心はなさそうだった。明らかに、彼女は以前にまして向こう見ずで勇敢になっている。


『くれぐれも階段から足を踏み外さないように、慌てずまいりましょう』


 赤井を先頭に、内壁に蔦のように張り巡らされた階段を降りてゆく間、各々の足音が塔内にわんわんと反響していた。差し込む光が次第に心もとなくなってきた頃、塔の上から流れ落ちていった滴が脈打ち、少しずつコバルトブルーの小さな結晶を形作ってゆくのをイヤンが見つけた。


「あれ! あれ、ちょ、あれ!」


 大声で騒ぐイヤンの口を、ソミオがおさえる。


「静かに!」

「今から邪神になるところなんじゃないですか?! もしくは邪神でなくても別の何かが」


 よいものではない、というのは誰もが意見を同じくするところだ。


「どうでもいい! すぐ破壊しましょう!」


 ジェロムが口走る。ソミタに至っては、既に銛を構えて駆け下りていた。


『疑わしきは破壊することにします、よろしいですね』


 一刻を争うように剣を抜くロベリア。インフォメーションボードを見るまでもなくエネルギーコアだということは、一目瞭然だったからだ。


『賛成です。私がやりますね』


 赤井も同意して、結晶が形をなし動き出す前に一撃で粉砕した。気抜けするほど簡単に砕けたのだが、それがかえって引き金となったかのように、地底を震わせ噴出する水音が塔の内部に轟いてきた。


「何だこの不快な音は?!」


 キララが避難行動を考える前に、水流が塔の内部を充填してゆく。赤井、ロベリアと素民らは濁流にのまれ、漂い、沈み、溺れかけ、壁面の階段からは殆ど全員が足を踏み外していた。

 それでも何とか水面に顔を出し、態勢を立て直そうとしていたその時、ゴプッ……塔の底部からひときわ大きな発泡音が生じた。


『しっ!』


 赤井もロベリアも身をこわばらせ、総毛だった。冷ややかで昏い塔の底から、気泡というにはあまりに大きな、垂直方向に数メートルにもわたるそれが、出口を求めるように尋常ならざる速度で浮かび上がってくるのを察知したからだ。


『(ロベリアさんは)素民を!』

『了解』


 赤井とロベリアは顔を見合わせ鋭く声をかけ合せると、赤井は一刻を争うかのように気泡の内部に転移をかけ、力任せに全構築枠を用い純水を構築。構築結果を気泡内部で叩き付け、空気の層を完全に消滅させた。ロベリアは目の粗い金網状構造物を構築し内腔を覆うように配置した。どちらも気泡が素民たちに到達するまで間一髪の緊急的措置だった。

 水がシアンを溶かしこんだような青さを湛えている。先ほど赤井とロベリアがともに破壊した結晶、それが溶けているかのような色だ。冷え切った赤井の頭の中で、遅れて理解が追いついた。


『すごい手を使うなあ……』


 赤井は水埜のえげつないまでの手際に感心し、心底やりにくい相手だと悟った。


「今の、そんなにまずいものだったのですか? ただの気泡でしょう?」 


 赤井が青ざめて言葉を失っていたので、イヤンがとぼけ顔で訊ねた。


『ええ、ただの気泡です。ですが命取りでしたよ』


 赤井が引き攣った顔でそういうので誰も反論はしないものの、大げさすぎではないか、と素民たちは縦泳ぎで水に漂いながら口ぐちに呟いている。


『というのは、”落ちていました”からね』


 ロベリアが赤井に代わって、欠けた言葉を継ぐ。


「どういうわけか、お聞かせ願えますかな」


 クワトロや素民たちは泳いであっぷあっぷと壁面にたどり着くと、各々の好みの高さで階段上に座り込んだ。水泳の不得意な素民もいるので、一気に体力を奪われた様子だ。


『気泡につかまるということは、もはや水中ではない。この塔の底まで真っ逆さまに”自由落下する”とほぼ同義なんです』


 素民には転落死が待っていたと、ロベリアはいうのだ。巨大な気泡の内部に無防備に落ちることは、危険極まりない。そこで赤井が気泡を潰しにかかり、ロベリアが咄嗟に”落下防止の”安全柵を設け落下を防いだ次第である。


「あっ、それだ」

「うわ……」


 ワンテンポ遅れで血の気のひいた素民たちであるが、悠長にその場にとどまっている場合ではなかった。シアンを帯びた液体はぬめりを帯び、夥しいナマコ状の黒い生物が水中に大発生しはじめたのだ。それはそれは、身も凍るほどにおぞましい光景だった。


「逃げるぞ!」

「ま、間に合わん! 飲み込まれる!」


 それらは上へ上へと積み重なってゆく。素民たちは瞬く間に生じた謎生物に、なすすべなく埋もれる形となってしまった。赤井が警告を発しかけたその前に、一匹を叩き潰してしまったイヤンが激痛に襲われうめき声をあげた。ナマコもどきは鮮やかな青蛍光のリング状の紋様をけばけばしく体表に浮かび上がらせている。警戒色だ。

 

『攻撃しないように!』


 赤井が鋭く警告を発した。現実世界におけるヒョウモンダコしかり、この類の派手な蛍光色の警戒色を持つ生物は、猛毒があるということをわざわざ知らせている。手出しは無用のこと。だからといって素民たちも攻撃せず成すに任せたままだと、現実世界におけるアリジゴクのように装備の重さと自重で下へ下へと沈んでゆくだろう。


「くそうっ、体がびくとも動かん」


 謎生物の山の中に埋まってしまっては、もはや彼らは完全に身動きはとれなくなっていた。更にえげつないことに、ナマコもどきに接触したからか、素民は勿論、赤井とロベリアも痺れをきたし、体が硬直しはじめている。赤井は次第に感覚を失ってゆく神体に危機感を募らせたが、弱音を吐くことは避けた。彼は極力、こういう場面では素民たちから見て強い神であろうと努めた。


『神様……その、大変申し上げにくいのですが』


 謎生物の圧力から逃れるように窮屈そうに身を竦めたロベリアが赤井に念話で告げたのは、インフォメーションボードがいつの間にかロックされていたということだ。


『私も、ですね。でも、変ですよ。表記ありましたっけ』


 この場所が構築禁止エリアだという表示は、赤井が見る限りなかった筈だ。制限区域を設けるときには、必ず相手構築士に制限マークを見えやすく掲示し、フェアに業務を遂行するものとされる。現に、先ほどまで赤井もロベリアも構築が可能だった。制限事項が急に変わった……事前告知がなければ、違反であるのだが。


 その時、赤井は気づいた。塔壁の内側にこびりついていた青蛍光色のコケが、いつの間にか構築制限マークを作っているように見えなくもない、ということに。確かに、構築士に見えるように表示は掲げられている。赤井たちが見落としていたのではなく、先ほど現れたのだろう。


“あれでしょうね”


 ロベリアが呆れたように伝えた。


“そんな、むちゃくちゃな表示ですよ。後出しじゃないですか”

“塔内が水没し、コケが液体を吸ったことで強く生物発光をはじめたのでしょうか。予めトリックを設置していたことになるので、後出しにはなりませんね。こういうグレーゾーンのチートをする人、海外には時々いますよ”


 苦々しそうに息をつくロベリアには、少なからず心当たりがあるようだった。


“うーむ、このナマコが分泌するぬめり物質に基質が含まれていた、とかかもしれませんね。さっきは表示ありませんでしたし”


 赤井とロベリアは素民らには気取られぬよう、対策を打つべく念話を続ける。一刻も早く脱出しなければ素民が中毒死に至る危険性や、不死身の赤井といえど痺れで完全に動けなくなってしまう可能性だってあるからだ。それに何より、このやられようでは格好がつかなすぎる。


『赤井神様、一つだけ試してみたい案があるのですが……』


 万策尽きた、とばかりに奥の手を切りだそうとしたロベリア。彼女がこの構築禁止エリアでできることは唯一、フレスベルグに変身・巨大化して邪神の塔を内側から破壊すること。うまくいけば、構築禁止エリアを内部から破ることができる。しかし、アトモスフィアの通った水埜の構築物のこと……破壊に失敗して素民を圧殺してしまう最悪のパターンがある。リスクも含めて、赤井に率直に伝えると。


『奇遇ですね、私も何とかなりそうな案を一つ思いついたんです。試してみたいのですが』


 この状況下で“何とかなる”という赤井を信じ、ロベリアは自分の案を引っ込めるべきだと判断した。そうこうしている間にも、素民は敢え無く下へ沈んでゆくさなかなのだ。


『それはもう、そういう時にこそあなたにお任せします』


 赤井はこの状況下で、にこっと微笑んで見せた。


『みなさん、呼吸はできていますか?』


 謎生物に飲み込まれ、下方に沈んでいった素民を赤井は気遣った。

 「なんとか」「もう無理です」などと心もとない返事が返ってくるが、若干は持ちこたえられそうだ。


『あと少しの辛抱ですよ!』


 赤井は自信を含ませて明るく言い放った。

 あまりにもその笑顔がわざとらしいので、根拠のないカラ元気のようでもある。


「何か脱出の名案でもあるのですか?」


 ヌーベルが催促するように尋ねる。彼は自慢の剣で切り払うことを諦めつつあった。

 数が多すぎるのだ。


「私には……くっ……いかんともしがたい状況だが、何をするんだ」


 キララに至ってはその場で派手に暴れた為に、結晶の渦に咥えこまれてすっかり埋もれて見えなくなり、手首から上を振って返事をしている。


『頭をぶつけてみようと思います!』


 赤井はやたら明るくそう言った。


「はあ!?」


 素民たちが赤井の正気を疑うのも無理はない。


『目の前に壁があり、尚且つ私は首がまだ動きますから』

「ばかだ―!」


 どさくさに紛れて、馬鹿だと言ったのはソミタだった。


「いやだから、何で?!」


 ロベリアも含め全員が同じ感想を懐いたのだが、もはや指摘する余裕すらなかった。赤井だけはどこか気楽に構えている様子ではあったが、素民たちを元気づけるために一人コントを繰り広げている場合でもない。


『まあまあ、そうあからさまに失望しないでくださいよ。皆さん、壁にぶつかるかもしれませんので身構えていてくださいね』


 彼は威勢のいい一言と共に、塔壁にヘッドバンギングをしているかのように頭を打ち付けはじめた。揺れに揺れた。赤井はもともと怪力なだけあって、塔全体が大きく横方向に振動する威力だ。ただでさえ身動きがとれないのっぴきならない状況の中、振動まで加わるのはたまったものではないぞ、と素民らは閉口する。腰や顔をしたたかに壁面にぶつけた者も続出だろう。


「何をなさっているんだ!」

「やめ、やめ!」

「壁にぶつかって痛いじゃないか」

「頼むから揺さぶらないで、頭が割れそうですのや」


 こんなことをされてはたまらない、意味が分からない、と当然ながら絶不評である。


「俺には理解が追い付かないのや」


 うっかり口を開けていてナマコもどきを噛んでしまったので、剣士アオノリはろれつも回らなくなってきて半ば虚ろな表情になりつつある。そして、やっぱり来るんじゃなかった、と後悔しても遅かった。


「あかいかみさまってばかじゃないのか?」


 真顔でそう言い切った不躾極まりない弟のソミタに対し、


「お前そんな失礼なこと。あかいかみさまはバカじゃないし……もしかしたらアホかもしれないけど」


 兄は当然フォローするかと思いきや、全面的に同意していた。これにはさすがのロベリアも、一体何をしているのだろうと首を傾げる事態だ。赤井の加えた振動によって、激しく揺さぶられる塔の中は上へ下への大パニックだ。

 素民は悲鳴をあげながらも、ほどなくして変化に気付いた。


「おや……体が」

「何と? これは奇怪な」

「少しずつ上がっています? 間違いないですのや」

「ははっ! 確かに上昇してるじゃないか」


 塔の内部を乱反射した青い構築禁止マークは、素民たちに彼らの位置情報を教えてくれる。


「ほんとだー!」

「あかいかみさまのじんつーりきか――?」


 どうやら喜んでいいのだと気付いた一人、また一人から歓声があがり、沈んでいた素民たちの心も体も浮かび上がってくる。一方の赤井は、脳震盪寸前だったがその表情は晴れやかだった。


『なるほど……確かにその手がありましたね』


 ロベリアはようやく合点がいき、思い出したように感心していた。

 赤井が利用したであろう現象は、ブラジルナッツ効果というものだろう。

 謎生物を紛体と看做しよく振動させれば、重くて大きなものが上に浮かび上がってくる性質がある。それはあたかも重力に反しているかに思われるが、地球上でもミックスナッツの入った缶に強い振動を加えると、小さなナッツが下へ、上に大きなナッツが載ってくる、という現象でみられる。

 しかし、一時的に浮上することができたところで、誰もが痺れて身動きが取れない限り、また下へと沈んでゆく定めだ。


 そんな中、赤井はひょいと首を伸ばし、階段の最上段にひょっこりと置かれている布袋に頭をつっこみ中身をよりわけた。そして一番手近に居たキララに声をかけ


『キララさん、この、黄色い花を食べてみてください』

「何なんだ、これは」

『痺れをとる薬花です、間違いありません』

「何でこんな場所で都合よく、それが袋に入っている? 罠ではないのか?」


 キララは半信半疑だったが、赤井が強く促すので花を噛み潰す。すると、ほどなくして体の自由が戻ってきたのか、うーん、と大きく伸びをした。キララは赤井を疑った手前、気まずそうに赤井に手を貸し、塔壁の縁に手を掛け二人で一歩外に踏み出す。赤井のインフォメーションボードが淀みなく立ち上がった。


「何なんだ、これは」


 素民は誰として気付かなかったが、赤井は気付いていた。先ほどから薬草の香りがしていたのだ。袋の中に入っていたのは赤井に言わせれば比較的香りの強い薬草で、全てモンジャで栽培されているものだ。量は一人分しかなかったが、誰か一人が回復できればそれで事足りる。


『メグさんのお薬袋ですね。刺繍がしてあります』


 赤井はしみじみと発したが、メグが記憶を失った後、赤井が救助した折にメグは手ぶらだった。誰がメグから、彼女が後生大事に持っていたであろう薬袋を奪い、そしてここに不自然にも置いたのか思い至り赤井は複雑な思いを懐く。


“こんなことができるのって、水埜さんだけだ……”


 第一区画解放時……エトワールが水面下で赤井を手助けしてくれたのと同様に、悪役構築士 水埜から赤井へのサポートは、ある。水埜には、メグの記憶の中から赤井の存在を消すほどに憎まれていながら、どこかでまだ試されてもいるのだと赤井は肝に銘じた。


『いけないものが出てきました、毒物ですよこれ』


 ロベリアは口元を手で押さえ、深い溜息を隠す。

 素民の体内からは、フグ毒などに含まれるテトロドトキシン(TTX)が検出された。麻痺の主な原因となるものだが、その麻痺を放置すれば呼吸停止をきたす致死的な薬物である。


『経口摂取はしていないと思うのですが、ミスト状に飛散して気付かない間に吸っていたのでしょうか』


 いつ経口で吸引したものか。しかも全員が共有していた食べ物、飲み物はなかった筈だ。と首を傾げる赤井に対しロベリアは、


『そうかもしれませんね……脱出が遅ければ麻痺が進行し呼吸が止まって死亡していたことでしょう』


 ロベリアが特に悪気もなく脅すのも決して大げさではなかった。


『よく、このような毒物に対処していましたね』

『あ、はい。何となくですが』


 2133年現在、現実世界においてテトロドトキシンは勿論、主要な毒物に対する拮抗剤は発見されており、赤井は拮抗剤を産生する遺伝子を黄色い花に組み込んでメグに解毒花として育ててもらっていた。素民たちが半物質の武器を作っていたので、誤って使用した場合に痺れを取るためにたまたま準備していたのだ。

 そういうわけで今回は対応できたものの、拮抗薬がなければと思うと赤井はぞっとする。


 赤井とロベリアが素民を一人ずつ引き上げて救出し、そして彼らはロベリアの生体構築スキル“奪収”で毒を体外に排出することによって命拾いした。素民全員が救出された頃、モフコが予告通りメグをモンジャに送り届け、ポンデリン湖に舞い戻ってきた。


『どうなった!? もう邪神でてきた? どんな仕掛け使ってきた!?』


 アトラクションを楽しみにするかのように明るく尋ねるモフコに、何がそんなに楽しみなんだと素民は首を傾げた者もいたが、赤井は滅入っていた気分がほんの少し救われるようだった。区画解放とボス級クリーチャーの登場。それは区画つきの構築士にとっての晴れ舞台であり、任務の総仕上げの時である。現実世界においては構築士の手腕のみせどころ、客観的にプロジェクトマネージャーからの評価の対象ともなる。


 地道な構築を続けてきて、ここ一番、華々しくスポットライトが当たるときでもあるのだ。ましてや、水埜はモフコと付き合いがある知己の構築士。モフコという役柄を忘れるなら、同じ構築士としてその仕上がりが気にならない筈がない。

 赤井は、仮想世界ではない外のアガルタに想像を巡らせる。

 赤井は知らない世界だが、そうすることで水埜のおかれた立場も、モフコの言葉を通して知ることができた。

 ロベリアもそれを感じ取ったようだ。少しだけ肩をすくめてくすりとほほ笑むと、ふわりと青く透き通る髪をかきあげた。


『今に、実体化しようとしているのだろうと思います。決着をつけるのなら今です』


 塔の内部から、ポコポコと沸騰するような音が聞こえてきた。

赤井が音の正体を確認すべくロベリアと共に中を覗き込むと、ナマコ状物体が液状化した後だった。


 液体は突沸するように、スライム状となって空中に高く吹き上がる。それは赤井たちの見ている前でおぞましい変化をみせた。ぱっと暗く、次に橙色になり、しだいに無色透明へと……その存在は赤井達を翻弄し掻き消えてしまった。


 奈落に突き落とされたかのように、湖底に訪れた深夜の静寂。

 長くは続かなかった。素民たちは降って湧いたような灼熱の嵐に煽られ、空中を舞った。赤井とロベリアは転移術を駆使し、全員を空中で受け止める。


「何だ、この熱気は!」


 赤井、ロベリア、モフコがインフォメーションボードで情報を取り寄せるまでもなく、素民たちは大気の異常昇温を感知し、及び腰になる。


『いや――ッ! 何これ――!』

『モフコさんっ!?』


 絹を裂くようなモフコの悲鳴に、素民たちの注目が集まる。毛玉モフコの本体部分が抉り取られ残骸だけになってしまっていた。このダメージではログアウトやむなしかと青ざめた赤井だったが、モフコはプルプルと身を竦めた後、風船が弾けるような音と共に元のサイズに復元した。


『危なかったぁ、お嫁にいけなくなるかと思ったぁ。自慢の毛が台無しだしー。ねぇ』


 モフコのアバターは存外とタフな仕様のようだ。

 何が起こったのかと赤井が訊ねたところ、モフコ曰く、もったりとした熱蒸気のようなものに撫でられたかと思ったら、直後こうなっていたのだと毛束を振り振りうったえる。赤井が塔の中から出してしまったもの、それは――


『なんなのあれ!?』


 謎は謎のまま、二度目の衝撃が素民たちの間に走る。熱波が押し寄せた後、邪神の塔は真っ二つに叩き割られていた。

 攻撃はそれだけにとどまらなかった。見えない熱の触手がいくつにも分裂し、湖畔をのたうち回り、触れたものを消滅させながら膨大してゆく。その様子は、構築士らの熱源モニタをもってようやく捉えることができた。生命溢れる森を透明な触手が薙ぎ払った後は、有機物のみが消滅し、ぐずぐずに熔けた更地となる。生の気配を察知しては貪り喰らう、そんな動きを見せた。


 素民たちは驚き、直感のままに回避しつつ、何が起こっているのか、何故溶けるのかと口々に問う。


「一体何だっていうんです、強烈な酸ですか?」


 イヤンが思いついたことをとりあえず口に出してみた。


『違いますね』


 赤井は不可解なものを見るようなまなざしで、素民たちを庇いながらそれを逃さず凝視していた。


「じゃ、何なんだ」


 キララが疑いをあらわに眉根を寄せる。


「ちくしょ――! ぶったぎってやる!」


 気合ばかりが空回りして、素民たちは触れることも見ることも能わない。しかし、正体が分からなければ、赤井もロベリアも対処のしようがない。

 そして、インフォメーションボードの物性解析を立ち上げようにも、対象が見えないために赤井もロベリアも座標指定できず、ターゲットを認識できていなかった。


 だから、物性解析がかからない。


『さっき一瞬、夕焼けが見えましたよね』


 先ほど、液体が突沸後、水素の燃焼光をバックに短時間朱に染まった。その後に無色透明化した……。逐一、順を追って思い出しながら、それを手掛かりに、赤井は解析にかからない透明物体の正体を見切りつつあった。



 *


 27管区第五区画は、高度学習型A.I.のR.O.Iによって、わずか1時間24分でボスクリーチャーを撃破後、解放された。そのタイムレコードもさることながら、高度学習型A.I.が甲種構築士の任務を果たしたという、アガルタで前代未聞の一例をつくりあげたその直後。

 彼に付き添っていた二名の焼人がロイの掌中から、場違いなものを発見した……。その様子は、現実世界における27管区プロジェクトマネージャー中央監視モニタにも、しっかりと映じられていた。

 八雲のブースの前に、仕事を終えた関谷が晴れやかな表情でやってきた。


「ロイちゃんの区画解放は成功したようですので、私の任務はこれで。第五区画はこのまま動かしていても構いませんし、あなたの判断で止めていただいても構いません。パスコードは開錠、解放しました」


 第五区画担当関谷の区画解放完了報告に気付かないほど、八雲の視線はモニタに釘づけになっていた。


「八雲プロジェクトマネージャー!」


 関谷があらたまって、大きな声で呼びかける。

 考え込んでいた八雲は、呼ばれてはっと顔をあげた。顔色がすぐれないようだ。


「ああ、はい、すみません関谷さん。……変則的な運用でしたが、結果的によかったと思います。ロイに関する貴重なデータが取れました。お疲れ様でした。報告書と評価書、ランクアップの手続きは後ほど」

「いえ、申し訳ありませんが私はランクアップ後、別管区への移動を希望します」


 関谷が他管区への異動を希望したのは、ロイを畏れたからだ。衛星兵器を使用したロイの実力を目の当たりにした関谷は、早い話が、この管区からは手を引きたいと考えた。本来人間の手足でしかないA.I.を「制御できないかもしれない」と考えたのは今回が初めてだ。それは得体のしれない、人ならざる、人間よりよほどすぐれた知性と人間性を持つA.I.……超人に出会ってしまったような、そんな実感だった。


 ピノキオは、もう人間になろうとしているのかもしれない。

 まさか、ロイが赤井からインフォメーションボードを得ただけで、ここまでのことをしでかすとは想像だにしなかった。

 27管区のロイは他管区よりも発想が突飛だというのは、誰の目にも明らかだったことだろう。この管区の仕事を続けると、ゆくゆくは制御不能の事態となって、27管区で働いたという経歴が関谷の汚点になるかもしれない。いや、汚点で済めばいいが……何か、そう、事故が起こりそうだ。そうなる前に去るのが安全だ。関谷はそう判断したのだった。


 人間の直感というのは、案外馬鹿にできない。と関谷は思う。

 関谷が他管区で見たロイは非常に優秀なA.I.であり、人間を凌駕する能力を見せてくれたが、人間だと思ったことなど一度もなかった。


「なるほど、分かりました。では死後福祉局定例会で報告しますので、異動先は書面にて通知されることになると思います、構築評価シートは私が作成して……」


 そんな、身が入らない様子で事務的な言葉を連ねる八雲は何を考えているのだろう、と関谷は彼のモニタを横目に窺う。八雲が開いているのは、疑似脳、脳領域の神経細胞連結状況データだ。ロイの疑似脳から取得したと思しきそれに、誰かの疑似脳……おそらくは人間の――そのデータをマッピングしているのだというのは、関谷にも一目にして分かった。


 八雲は、ロイがいったい実在する人間の”誰に”似ていると考えているのだろう? 

 もう、関わりのなくなる管区だが、関谷はロイについては純粋に感心がある。


「ときに八雲プロジェクトマネージャー。ロイちゃんが、どこからか神具を拾ったようですねぇ」

「その件ですが、27管区の外で言わないでもらえますか。これを約束してもらえないと、私はあなたの異動を許可できません」


 思いがけず鋭い視線で、八雲は関谷を直視する。八雲に睨まれると、何故か関谷は記憶が薄れてゆくような錯覚にとらわれた。


「それは勿論、口外しません。しかし一体、あれは何の神具です? あの、金ぴかのカードのようなものは。私の担当した区画ですから、どこに何があるのかは事細かに記憶にあります。ロイちゃんが、あのようなものを拾うことはない筈なんですけどねぇ」


 いつの間にかロイは、相当に強力な神具と目される物体を、関谷の担当区画で拾った。

 それが、気味が悪いのだ。


「どこから拾ったのか分からないと、夢見が悪くて」


 関谷は見たことも聞いたこともない。

 八雲はやれやれと言わんばかりに小さく溜息をついた、おもむろに両腕を組んで関谷を見上げる。


「時を止めて、ロイに与えました。それにあれは神具というより、修正プログラムです」


 嘘だ。関谷はかっと血が上り、そう反論しかけたが、ややソフトな方向に修正した。

 それが誰であれ、この業界で働く以上、プロジェクトマネージャーにたてついても決してよいことはない。


「ですが、区画時間が停止した形跡はなかったし、あなたはここにいた」

「いいえ、区画時間ではなく”ロイの時間を”とめました。部分停止を仕掛けています。その証拠に、神具だとしたら型式もなかったでしょう?」


 神具というのは必ず製造番号のついた一点もののプログラムであり、アガルタ世界において唯一無二の状態でしか駆動しないことになっている。関谷がロイの拾った、謎の物体の製造番号と型番を特定できなかったのは事実だ。そして型番の分からない神具は、プロトコルの記述方式が分からないため、管区プログラムの中で正常動作しない。

 つまり、駆動できない状態となる。

 そういう背景があるので、二人の焼人も「パッチだ」と説明を受ければ納得するしかないだろう。


「悪く思わないでね、関谷さん」


 関谷が去った後、傍聴シールドを張り、ブースの中の八雲は弁明するように呟きを漂わせた。


「これでも、嘘はつかない主義なんだ」


 八雲は関谷に対し、「自分がロイの時間を止めた」とは言っていないし、ケネス・フォレスターがロイに渡した超神具「Fullerene Au 42」に、何らかの修正プログラムが含まれているのは事実のようである。これから解析をかけてみなければ分からないが、少なくともFullerene Au42を、ロイが彼の父と同様に、仮想世界の法則を揺るがすそれ――を、自在に駆ることができる状態にはない。


「といっても、もう忘れた頃か」


 関谷が部屋を出たら、ロイに手渡された神具らしき物体についてもう二度と思い煩うことはないだろう。


「ケニー、僕にはもう、君が何を考えているのか分からない……ワンダーランドは、空想の中でだけ存在できるんだよ」


 フォレスターが成し遂げようとしている計画を阻止し、フォレスターの疑似脳を現実世界に引き摺りだす。

 そのために、八雲は27管区にプロジェクトマネージャーとしてやってきた。


「その理想郷は……箱庭を、現実世界に同期させてはいけないんだ」


 彼の名は八雲やくも 遼生はるお

 SOMAとは無関係に、先天的に老いない特異な肉体を持つこの青年は、プロフェッサー・ケネス・フォレスターの学友であり、もう一人のアガルタ創始者であり、アガルタ世界の世界観をケネスと共に構築した存在であった。


「NEXT LEVELは、人類にはまだ早い」

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