第6章 第13話 Gain the Flame of Prometheus◇◆
男子の決勝で何か全試合終わったような気になってたけど、剣術競技はまだ終わってませんよ。女子決勝戦がありますからね!
決勝を目前にし、ピリカラさんとバルバラ。優勝となったジェロムさんが退場するのを待ちながら、二人の女子選手は舞台の下で、どちらからともなく見詰め合っていた。二人とも、お互いを意識しまくってる。
その年齢差は、実に46歳。ふた回りも世代が違う、もう祖母と孫だ。探り合うような沈黙が続くのもどうかと思ったんだろうね、バルバラがピリカラさんに言葉をかけた。
「次が最後の戦いです。よろしくおねがいします」
「うむ。老いぼれじゃからといって、遠慮はいらんでのう」
“若くて強そうな、おなごだのう”
ピリカラさんは、若さと可能性に溢れた少女バルバラを、どこか羨望を込めたまなざしで眺めている。バルバラに気付かれないように、彼女の痩せて筋張った手をバルバラのそれと見較べる。溜息をついたのは、みすぼらしく感じたみたいだ。
”おらの手は、すっかりばあさんの手じゃのう”
グランディアに臨むにあたり、あと二十年。いや十年でも若ければ……。無念の思いが、汗となってしわしわの手の中ににじみ出る。断崖集落ネストの国民の平均寿命はおよそ45歳。慢性的に続いた飢餓のため乳児死亡率が高いんだ。その中で過酷な環境を生き延びてきたピリカラさんは、ネストでは長寿の部類に入る。
“なんと浅ましく欲深いばあさんだと、皆々の衆からは思われているだろう”
ピリカラさんの願いのために、若者を押しのけて力づく奪いに行かなければならないことを、恥ずかしく思っているみたい。そんなことないと思うんだけどなぁ。若者だけのグランディアじゃないんだし、それは違うと思うよ、と言ってあげたい。
”老いとは残酷だ。おらがそれだけ生きて、死が近づいたということだ”
ピリカラさんは膝をさすった。磨り減った膝の軟骨が神経に刺さるんだろう、気を抜くと痛むみたいだ。ペプシさんに捻り上げられ、吊るされた上腕が軋んでる。63歳という年齢、長年酷使した老体は、どこもかしこもがたがきている様子だ。ピリカラさんは長時間、集中して対人戦闘を続けたことはない。その必要性もなかった。森の中で獣をしとめる場合は樹上や岩陰からの奇襲が多く、その場合喉をかき切って一瞬で片がつく。持久戦には持ち込まない。でも予選から連続して勝ち上がり、ここまでの時点で既に六戦。
今日は二戦目、更に相手はかなりの強敵ときた。
「こたえるのう……」
思わず声に出してしまって、ピリカラさんはいかんいかんと口を押える。弱音を吐いていては、付け込まれるだけだ。
”でも、おらは絶対に勝たねばならん。おらも年だ、明日にも迎えがくるかもしれん”
世界に平和が続く限り、来年も再来年もグランディアは開催されるだろう。
若く才能に溢れる少女バルバラには、来年がある。でもピリカラさんに来年はこないかもしれない。彼女がこの世にないかもしれない、という意味で。……死なないまでも、体力は衰え、脚もどうなっているか分からない。病を患っていてもおかしくはないし。今年よりは来年、来年よりは再来年と、どんな武術の達人でも身体は衰えてゆく、日一日と、蝋が溶け落ちてゆくように、気付かぬうちに忍び寄る。
誰しもが抗えない衰え。止めることのできない時間。それが老いだ。
私が免れていて、素民が免れえないもの。
”全力を出さずして、何とする”
だから今年、今日、この時。
二度とは訪れないであろう、千載一遇のこの機会を無駄にすまいと、ピリカラさんは意気込んでるみたいだ。
「互いに武器を用意」
気力を振り絞り、彼女は鎌を二本握りしめた。彼女の指の付け根の握りだこが、かえってグリップを容易にしてる。彼女の得意とする投げナイフは、スローイングという動作が反則なので今日は封印だ。でも、ピリカラさんは二本の鎌でネストの森の下草を薙ぎ、ネストの森に迷い込んだ民のためにケモノ道を踏み固めてきた。それらの鎌は、自分の手の延長であるかのように扱える。
「そうくるとは、思っていました」
バルバラは、ピリカラさんとペプシさんとの試合を分析した結果、軽い短刀を一本握った。
ピリカラさんは身体が軽く、間合いに飛び込むのが上手い。両手剣や片手剣など使おうものなら、その手元は格好の標的となる。男子の戦いと同じく、スピード対決の様相を呈するだろう。そして片手は何も握らずあけておくが、遊ばせておくわけではない。
それは体格差、体重差のあるピリカラさんとの戦闘において、重要な判断だった。
「はじめ!」
開始直後、ビキイイン! と、激しく打ちあう金属音が耳を劈く。ピリカラさんは両手で、バルバラは片手で双剣をさばく。バルバラはフェイントや膝を使ったウィービングで攻撃を躱す、押したかと思えば、素早く引き、外へ弾いてバランスを崩す。でもピリカラさんも負けちゃいない。手元や太腿を的確に狙う。
油断してると私でも見逃してしまうほどに、機敏で素早い攻防が繰り広げられていた。
ピリカラさんはバルバラの正面突きを、ヘッドスリップでバルバラの剣先を見たまま上体を捩じりながら躱し、肩の上に攻撃線を通すイメージを浮かべる。彼女は野生の獣と正面から戦った経験もある。激尺で打ちあうのを恐れはしない。それは老化による恐怖心の鈍麻であるのかもしれないし、彼女の勇気なのかもしれない。
ピリカラさんが右の鎌で外から内へ仕掛けたフックを、バルバラは徒手で外側へ払う。
「っつ!?」
払った腕に、バルバラの腕を素早く外から内へ巻きつけ、鎌を握った手ごとピリカラさんの肘を固めた。まだフリーの状態にある左手の鎌で反撃される前に、バルバラはピリカラさんの左胸に一刺しを決めた。ピリカラさんの防具は真っ赤に染まった。
「有効! 30点 先攻 バルバラ!」
バルバラがピリカラさんに勝っているものは、スピード以外にもう一つある。
それは、武器を持たぬ左手の腕力だ。ピリカラさんが間合いに近づいた拍子、バルバラの左手はピリカラさんの手首をはっしとつかんだ。彼女の方へ手首を強く引き寄せ、同時に腕の下をくぐり抜けてピリカラさんの右太腿の裏に手を回す。手首と脚を持ってピリカラさんの軽い身体を担ぎ、手首を持ったまま回転をつけ、ピリカラさんを背後に投げた。
天地は逆さまに、ピリカラさんは無残にも背中から墜落。
ちなみにこの舞台、一見固そうに見えながら、選手の安全のため衝撃吸収効果のある特殊な素材でできている。その固さはレスリングのマットに近い。ピリカラさんは骨折は免れたけど、背中を打って肺の中にある空気を全部吐き出してしまった。仰向けに伸びたピリカラさんを床に縫いとめるように、バルバラの剣が左胸に突き刺さっていた。
先ほどから、執拗に急所を狙われている。
「有効! 40点 先攻 バルバラ!」
ピリカラさんは剣を抜かれると、跳ね起きて立ち上がった。大丈夫だ、まだ戦えそう……ってあれ、ピリカラさんが左の胸を押さえてるよ。私は集中して耳を澄ます。
バクバクバクと、ピリカラさんの鼓動の音が止まらない。ええっ、何かやばいよこれ?!
心拍は急上昇し、彼女の胸はぎゅーっと締め付けられ、とびきり強い痛みが彼女の全身を駆け抜ける。どこが痛んだものかピリカラさんにはよく分からない。迸る刺激に、声も出ず抗えもしなかった。背中を打った刺激で、心臓にダメージが蓄積してしまったんだ。彼女は元々高血圧でもあった。
「うう――ッ、うっ――」
枯れた喘声が唇から漏れ、苦しげに呻く。ピリカラさんの意識はなお鋭利だ。
無我の境地で膝から力を失い、彼女の体はくず折れてゆく。彼女の視界全域に白い色彩がぶちまけられたように、彼女の意識が白濁してゆく。
彼女は受け身も取れずその場に倒れ、胸をかきむしるようにして固まっていた。
『試合続行不能とみなします! 勝者 バルバラさん!』
これはやばいと思った私。審判の判断を待たず、テクニカルノックアウトを宣言した。メグはとっくにアップしてるし、モフコ先輩もおふざけはやめて人型に戻った。
『ピリカラばあちゃん!? おばあちゃん!』
モフコ先輩が呼びかけても、しわくちゃの瞼は緩やかに閉じられる。私は素早く彼女を抱き上げ、ピリカラさんの精神を看破し意識状態をさぐる。ピリカラさんは何かもう、走馬灯が見えちゃってるみたい。あ、抱き上げない方がよかったかも。ということでそっと降ろす。
“毒と飢餓に冒されたネストを救い給うた、赤い神様。その御許で身を預けて逝けるのならば、ああ……おらはなんて幸せだ”
とか、これまでの人生を振り返ってる。夢を見ないというA.I.も、生死の境を彷徨うときには、幻覚のようなものを見るんだろうか?
“世界中のどこの人間が、神様に最後を看取ってもらえよう。王や貴人でもこんな思いはできまい。しかも、世界中の人々に見守られて。おらには上等すぎる死に様だのう”
ピリカラさんは死を受け入れる準備をしたらしく、淡く微笑んでこのアガルタ世界から旅立とうとした。私は彼女の死を看取ることもできる。でも、ピリカラさんにはやり残したことがあって、私はそれを見過ごすわけにはいかない。彼女が誰にも言わず胸に秘めていた、ささやかで大切な願い。
それを知ってしまったから。
私は無言で宙にスクウェアを描き、ピリカラさんの生体ステータス呼び出しモニタを開始する。心電図の波形が心停止を告げていた。心停止ではあっても、まだフラットラインではない。
「私がやります!」
そこで舞台に上がって今にも割り込もうとしているのは、メグだ。メグは早くも身体ごとピリカラさんの上に乗りかかろうとしている。カーラーの救命曲線というものがある。国民の皆様も中学高校の保健体育の時間に目にしたであろう、心停止、呼吸停止から何分で死亡率が何パーセントになるかというあの生存曲線だよ。それによると、心停止から3分で50%、呼吸停止から10分で50%の患者が死ぬことになってる。一度死んだ者は私にも生き返らせることは容易ではなく、またその権限もない。ナズが特例だったってことは、メグも分かってる。
「グランディアで誰かが死ぬなんて……そんなの、そんなの嫌です!」
一分一秒がピリカラさんの回復を左右し、脳の損傷に影響を及ぼす。私が心電図やピリカラさんのバイタルを解析してる間も、何か一つでも処置をしようとしてメグは必死だ。
「ピリカラさんの息、まだあります! あかいかみさま、やらせてください」
『息はありません。呼吸停止です』
私はモニタを見ながら冷静に宣告する。きちんと診断をつけないといけない。心電図をとるには、少し時間がかかる。でも、ピリカラさんの口からは苦しそうな息が漏れている。
現に、ピリカラさんは息をしている。
それを見たまま受け止めれば、メグにはそう見えるだろう。でも違うんだ。
「ええっ!? どうしてですか」
メグは耳を疑い、観覧席の青さんの姿を捜そうとした。青さん、白さんはこちらをしっかり見てるけど、私一人で対処できると思って高みの見物を決め込んで降りてこない。彼らなら、私が間違っていると言ってくれる、メグはそう思ってるんだろうけど。
「でも、息、していますよ……」
声を震わせ食い下がろうとするメグに、私はメグを落ち着かせるように低い声を出した。ピリカラさんと対戦したバルバラも、事態の深刻さを察したんだろう。剣を投げ出して両手を組み、何やらピリカラさんの無事を祈るような仕草をしている。
『これは死戦期呼吸で、自発呼吸ではないのです。このような呼吸をみとめたときには、心停止が疑われます』
疑われるっつか、心室細動(VF)の波形が心電図で見えてるんだけど。心停止と心静止は違って、心停止はまだ心臓が痙攣してたりするけど、心静止は完全に止まってる。メグの手首を掴み、ピリカラさんの胸に防具の下から手を当てて確認させた。彼女の心臓からは拍動が聞こえない。するとメグは顔を真っ青にして
「血液と酸素をっ、胸を押さないとっ!」
メグが思いついたのは心臓マッサージだろう。それはおそらく、見えない医学書に書いてあったことでもあるし、彼女の現実での記憶の中にもあるんだ。
『そのあとはどうします?』
可哀想だとは思いつつ、メグの肩を持ってピリカラさんの傍からどかせた。水を差すような質問に、メグはショックを隠し切れない。その後は……心臓の鼓動が戻るまで、心臓マッサージを続けるつもりみたいだ。でも、心臓マッサージはあくまで中継ぎ的な処置でしかない。
「押し続けます。鼓動が戻るまで、私はやめません!」
鼓動が戻ることを信じて……人工呼吸をしながら、心臓の上を押し続けると言った。
どこまで、いつまで圧し続ければいいのか、分からないまま。そしてやがて、メグはその手を止めなくてはならなくなる。
『私には彼女の身体の内部が視えていますが、ピリカラさんの心臓は心室細動を起こしています。それが一体どういうことか、わかりますか?』
メグは心臓に関する項目を脳裏に思い起こしてるらしかった。そう、心筋細胞はATP(アデノシン三リン酸)を消費して、普段は電気的パルスの統一のもと、規則正しく収縮活動をしているよね。でもこれは、心筋が電気的に痙攣している状態なんだ。つまり
『押し続けても、拍動は戻らないということです』
『神様、そんな風に言わなくても!』
モフコ先輩が私をたしなめる。そこで必要な治療はというと、メグは呻くように言った。
「除細動……ですか」
『そうです。方法は電気的、あるいは薬物的にでも。どちらでも構いません』
除細動の方法には電気刺激による方法と、薬物による方法がある。
心筋を規則正しく収縮させるための、電気刺激を外部から与える、もしくは無秩序に動く心筋を強く収縮させるために昇圧剤を用いる。この場合、アドレナリンやバソプレシンなどの薬物の投与が有効だ。
どっちでもいいんだよ。
でもメグは、どちらの手段も持っていない。心臓マッサージだけしていては、どうやってもピリカラさんの心筋細胞内でATPが尽き、蘇生が難しくなる。現実世界では除細動パッドを貼ってショックを与えればいいだけなんだけど、ここには道具がない。
「……!」
メグ。君はとても勇敢だが、この世界ではできないこともある。
だから、そういうときに私が力になるんだ。
『これで隠していてください』
私は白衣の上着を脱ぎ、メグに手渡す。メグは無力感に苛まれながら力なく頷き、上着を受け取った。天幕のように上着を広げ、私とピリカラさんを覆い隠してくれた。私は布の下にピリカラさんを隠して手早く防具を外し、思い切りはだけさせると、痩せた老女の身体が現れた。
右鎖骨下、乳房に手がかかる。そして、脇の下に素手で触れた。よし、いくか。
おっと、メグの膝が私の背中にあたってたよ。
『メグさん、絶対に私に触れないで』
「わ、分かりました」
触れると1200Vでビリビリなってメグが感電して心停止しちゃうからね。
『いきますよ』
おっし、それじゃ除細動を兼ねて、神雷を通して電気ショックいきますよ。
ファイア――!
*
あれから、ピリカラさんは無事に蘇生に成功し、容体も落ち着いて意識も戻り、やっとこさで表彰式にこぎつけた。剣術競技の表彰式だよ。表彰台の上に、男女二人が照れくさそうに立っている。他の競技と同じように、勝者の冠を載せてあげた。
『ジェロムさん。あなたの勝利をたたえます。望みは何ですか』
「私の望みはもう、叶ったようです」
この優勝こそが、ジェロムさんの望みだったわけだ。それ以外には、彼はなにもいらないみたいだった。そう思っているなら、ご褒美何が欲しい? なーんて無粋な事は私も言うまい、何か怒られそうだし。彼は賞品のために戦ったのではなく、グランダのいち兵士としての誇りのために戦ったんだろう。
『そうですか』
私があっさり引き下がろうとすると、
「赤い神よ。代わりに一つ聞きたいことがあります」
『何でしょうか』
ジェロムさんは、表彰式の前に髭をさっぱり剃っていた。なんか願掛けでもしてたんだろうか。その彼が、思い詰めたような口調で尋ねてきた。
「一度も戦争をしたことのなく、敵国のいない軍隊の兵士は、何を励みに訓練を続ければよいですか? かつては、最大の敵たるあなた、つまり邪神を滅ぼすためでした。その頃の我々は、闘争心が無限に湧いてきました。家族を守らなければならないと思ったからです。しかし、今はもう違います……」
ジェロムさんは、苦しそうに一語一語、絞り出した。
「我々は兵士です。ですが、王はもう出撃の命令を下しません。王は他国を制圧することを、もはや喜んではくださいません。大きな脅威の消えたこの王国で、兵は、軍は何の為に存在すべきですか?」
平和すぎて、どうなるかと怖い。王はもうグランダ軍を必要としていないだろう。ジェロムさんはそう言ったんだ。そして、彼が一番恐れていたであろうことを私の目を見ながら尋ねた。
「それとも、グランダ軍は、解散すべきですか?」
『いいえ』
私は迷わず首を振る。
戦争をしない兵士さんというと、現実世界でも世界中の軍隊の大半がそうだ。私は兵士ではないから彼らの心境やモチベーションは分からないけれど、彼らはきっと、他国と戦争をするために存在してるわけじゃない。戦争をしない為に、そうならない為に彼らは訓練を積んでいるんだ。国を守る為に。
『あなた方グランダ軍が強靭であれば、他国からの侵略や戦争を防ぎ、あなたがたの家族を守る力となります。それが戦争の抑止力となるのです』
「他国とは、ネストやモンジャのことですか?」
『いいえ。あなたがたのまだ見ぬ国々です』
強大な軍事力を持つ国家を相手に、交渉もなしにいきなり戦争を仕掛けるような愚かな国はないだろう。しかし、弱小軍隊であれば、交渉抜きに武力行使で潰して蹂躙した方が手っ取り早いと判断されてしまうかもしれない。それはどうなるか分からない、水埜さんや第五区画の構築士さんがどんな区画を用意してるかは。でも、軍隊があるのとないのでは抑止力が違う。それは、私が第一区画解放のときに思い知らされたことだった。正しいのかどうかは、分からない、それが全てではないと思うけれども。
「そのような国が、あるのですか」
ジェロムさんは衝撃を受けた、という顔をしていた。
『世界を見渡して見てください。この地平の果てまで、世界は広がっているでしょう?』
考えてもみなかった、というリアクションだよジェロムさん。
というか割とマジってか第三区画と第五区画がこっちに攻め込んでくる気満々なんですよ……あまり怖がらせたくないから言えませんけど。言えませんけど、実は備えてほしい。私がどんなに結界張りながら、素民を守りながら戦ったとしても、必ず守り切れるとは限らない。そんなときに、兵士さんたちがグランダの民を守ってくれたら、これほど有難いことはないよ。
『まだ見ぬ世界中の国々が、同じように平和を望んでいるとは限りません』
「私は本当に恥ずかしい。とんだ寝言をほざいたものです。明日からも、我らグランダ軍は一心不乱に訓練に励むことといたします」
『ええ、頼みましたよ』
最高敬礼はしてくれなかったけど、ジェロムさんは私に、丁寧な敬礼を送ってくれたよ。
そして、明日からも訓練に精を出すと誓ってくれた。
さて、お次はというと。
『バルバラさん、あなたの勝利です。望みを聞きましょう』
TKOだったけど、バルバラの優勝だ。バルバラの望みは一貫していて、最初から分かってた。なので私もきちんと彼女の満足いくようなものを、準備しているんだよ。
「私には、本当の名前がありません。赤い神様、名前をください」
『私たちの神々の言葉で、光という意味を持つ、ヒカリと名付けましょう』
「ヒカリ……バルバラとは真反対の名前ですね、嬉しいです。王城を出てグランダを出たら、これからはそう名乗ることにします。ありがとうございました」
バルバラ、改めヒカリは私にグランダ式ではないお辞儀をした。グランダ式のお辞儀は、腰から折らない。胸に拳をあてて、首だけを前に下げる。もしくは膝をついてうなだれる。でも、バルバラは腰から深くお辞儀をした。それは、グランダ国と決別したということを示していたんだろうか。
『王城を出て、グランダも出る?』
私は思わず聞き返してしまったよ。それって、国籍がなくなっちゃうってことよ? モンジャにでも引っ越してくるつもり? モンジャには国籍なんてないですけど。そりゃ、モンジャは誰でもウェルカムだけどさ。
「はい。バルバラという名前を廃することは、グランダ王に叛くということになりますから。私はもう女官でもなければグランダの民でもない、それでも後悔はないんです」
どうして女官である彼女が王城を出るのか。新しい人生を生きようと思っているのか。よく分からないけれど、自分を変えたいのかもしれない。その答えは、自分で見つけるつもりなんだろう。
『明日から、住居も仕事もなくなるのですよね?』
「覚悟のうえです」
彼女の顔からは同情などしてくれるな、そんな言葉と決意が見て取れた。あ、そういえば。
『字の読み書きと、簡単な計算はできますか?』
「問題ないと思いますが、どうして」
『では、私の神殿で働きませんか?』
前もうっすら言ってたけど、神官、募集しようと思っていたんだ。
彼女はしばらく、口をぱくぱくして絶句していたけど……ようやく快諾の言葉をひねり出した。
「よ、喜んで! こんな私めに何か、お役に立てることがありますでしょうか」
『私の不在時に参拝に来る人に応対したり冠婚葬祭の書類を作ったり、参拝者の行列をさばいたりする、神官の仕事をして下さるなら有難い。住んでもらう家と、給料のテツは支払います』
この人事を受けてくれたら、私にとっても相当助かるよ。イヤンさんも神官になってくれれば更に嬉しいけど。あの人は神殿警備員はしてくれても、また働きたくないって言うかもしれないなー。字も書けないし。
後でモフコ先輩に、何でヒカリって名前つけたの、なんて聞かれたけど。
キララが北海道米だから、お米つながりでコシヒカリにあやかりました……だなんて言えなかった。
夜になり、日が落ちて星が瞬き始めた頃、厳かに、少しだけしんみりと閉会式が始まった。
これが最後で悔いなく踊れとばかり、全力極まりないファイアーダンスを披露するモンジャ民の一座。グランダ兵の一糸乱れぬ行進、そしてネストの露出度の高い女性たちの舞い踊りなどのマスゲームやダンスパフォーマンスが繰り広げられたあと、
聖火を灯した松明を持つ優勝選手たちが輪になり、舞台の上で円陣を作っている。
名残惜しそうな、競技場いっぱいの素民たち。
『今日、10日間のグランディアを終え、祭典の炎は消えますが、世界中の人々が平和のうちに集ったグランディアの炎は、今日からまた一年、あなた方の心に灯り続けるでしょう』
私は一人一人の選手の顔を見ながら、松明から炎を奪えば、聖火は私の手の中に戻ってくる。
すべての聖火を私の手に集め、大会の旗が静かに下ろされた。
閉会宣言。
『これにて、第一回グランディアを閉会します』
「来年のグランディアの開催地は……」
ドラムロール的な太鼓の音が、真っ暗な競技場の中に響く。三カ国しかないので、次はネストかモンジャの二択だ。どっち?
「ネストに決定いたしました!」
てか、この大会毎年やるとどうなるんだろ。オリンピックは四年だけど、毎年って……。まいっか、素民にとっての年中行事になって、オリンピックというより体育祭みたいな雰囲気でやればいいか。てか大会の途中から、誰からともなく言い出して来年もやるってことになっちゃったんだよね。
『では皆さん。来年はネストで会いましょう』
全ての明かりの落ちた競技場の夜空に、モフコ先輩の仕掛けたスターマインの仕掛け花火が打ち上げられ、暗闇に引き立てられた鮮やかな赤や黄色、青に白の光の洪水が、豪快な音と共に華咲いた。残響と余韻を残し、ぱらぱらと火の粉が競技場に降り注いでくる頃には、素民たちは口を大きく開けて同じ星空を見上げている。歓声と拍手は、夜明けまでやむことはなかった。
こうして、第一回 グランディア世界競技祭典。
10日間の祭典は熱狂のうちに幕を閉じた。
***
グランディア祭典を終えた、翌朝のこと。
祭りのあとのネストの街は人通りなく閑散として、静まり返っていた。酔っぱらって誰もかれも家で寝ているのだろう。老女ピリカラはまだ夜あけ前からその街を出て、断崖を降り、とぼとぼと、しかし一歩ずつ苔むした腐葉土を踏みしめるように、朝霞漂うネストの森の中へ入って行く。昨日心停止で倒れたばかりだというのに、ピリカラは懲りもしなかった。全身を蝕む筋肉痛のためか、彼女の足取りはずっしりと重く、その背は曲がっている。心なしか、胸が痛むようだ。
人生最後であったと思われる一日限りのチャンスは、その手に掴むことができず、彼女の日常が戻ってきた。
数ヶ月前に邪気のはらわれ子供が歩いてもすっかり安全になった森は明るく、清浄で爽やかな気配に満ちている。毛皮職人の仕事をセミリタイアしてからも、ピリカラは毎朝の森の散歩を欠かさない。
それは狩りのためではなく、もう数十年来見つからない、探し物を見つけ出すための歩みだった。植物が可憐な花を咲かせ、樹上の小動物がピリカラを出迎えてくれる。四時間をかけて、ネストの森を踏破する。
黙々と一時間ほど歩いたところで、いつもピリカラがそのほとりで腰を休める泉があった。小池ほどの大きさで、水質のよく澄んだ青い泉である。ピリカラは青いニットの袖をまくりあげ、両手を水に差し入れると、水をすくい喉を潤し、顔をばしゃばしゃ洗う。
「うまいのう」
喉を鳴らして清水を飲み終えたら、弁当袋の朝食をひろげた。ネストの朝食はシツジのチーズと、パンのようなものだ。弁当を平らげ、しばらくまどろみながら休んでいると。
泉からぽちゃんと水音が聞こえてきた。
一体何事かと身構える、この泉に大きな魚はいない筈だ。投げナイフに手を伸ばす。
ごごごご。
水面が大きな渦巻きをつくり、眩い白光が水中から溢れ始める。一体何事だろう。逃げようかどうしようかと考えながら、ピリカラは先手を打つべく手になじんだ投げナイフを水中に放った。ごぼぼ、とより一層大きな泡が噴き出した。
渦の中からひょっこりと顔を出したのは、ナイフの刃を握りしめたまま浮かび上がってきた赤い神だった。
『ぷはっ、気持ちのいい朝ですね、ピリカラさん。ちょっと刺さりましたけど……』
「ひゃっ、赤い神様!? ここで何を!?」
ピリカラはもう一度心臓が止まってしまうか、あるいは腰が抜けるかと思った。木漏れ日の光の向きが変わるほど(30分ほど)は休憩したのだ。ピリカラが泉に来る前から赤い神は泉に潜っていて、今まで息継ぎもなく潜っていたということになる。
ピリカラがわたわたしていると
『よいしょと。さて、あなたに聞きたいことがあるのですが』
腰から上まで姿を現した赤い神は、泉の中から真面目な顔をしてピリカラを凝視している。ずぶぬれで、心なしか唇が青ざめて震えているようだったが、楽しそうだ。彼はまず、ピリカラのナイフを返却した。
「おらに、聞きたいことですか」
人差し指で自らを指し、きょとんとするピリカラ。そうですとも、と頷く赤い神は両手に一つずつ、何かを握っていた。それを彼女に今にも見せたくて仕方がない、という様子だった。視力の弱ったピリカラの瞳に、しかと見せつけるように、赤い神は泳いで近づき、最初に右手を開けて見せた。
『あなたがこの泉に二十五年前に落としたものは、この金と宝石の首飾りでしたか? それとも』
最高級品とされる、虹色の宝石が惜しげもなく何粒も使われた、高価な金の首飾りがあった。ネストの王族でも、このような細工のよいものは持っていないだろう。ピリカラは目がくらんだが、赤い神は彼女の反応を確認した後、次に先ほどと同様にして左手の拳も開いて見せた。
『この、革紐と獣の牙の首飾りですか?』
ピリカラに両方を掲げてよくよく見せた。そのシルエットを、彼女はどんなに視力が悪くなったとしても忘れようはずもなかった。革紐に、獣の牙のネックレス。それは亡き夫からの大切な贈り物だった。25年前、狩りの途中で紐が切れて、森の中に落として見失ってしまったものだった。それ以来、彼女が毎日どれだけ捜しても見つからなかった。森は広く、緑は深かった。
どこに落としたものか、見当すらもつかなかった。
ピリカラは、歓喜に震え、小さな声で真実を述べた。彼の手の中にあるそれを還してもらう為なら、何だってしたいと思った。
「……そ、それです」
彼がわざわざ潜って、ピリカラの為に泉の底まで取りに行ってくれたのだろうか……そうに違いない。何故なら、その牙の首飾りは新しいものではなく、革は殆ど朽ちかけていたし、牙は水あかでくすんでいた。
この泉は底が見えないほどに深いはずだ、砂も積もっている。延々とネストの森を捜し尽くしたつもりでありながら、ピリカラは、泉の中だけは捜索していなかった。泉の中で、彼は何時間もかけて探し出してくれたに違いなかった。
「その、神様の御手にある、白茶けたオジールの牙の首飾りです」
『そうですか。では、どうぞ。これは他の民には秘密ですよ、私からの、先日の戦いの敢闘賞です』
彼は手を伸ばし、ピリカラの首に手を回して二つのネックレスを提げた。表彰式で輝かしくメダルでもかけられているように感極まった、そんな顔でうなだれる、老女ピリカラだった。
『それから、まだ心臓が心配なので、激しい運動は控えてくださいね』
赤い神は満足そうににこりと微笑むと、宝石のような水しぶきと虹を残し、幻のように消えてしまった。
彼女は言葉もなくひれ伏し、殆ど地面に頭をぶつけるようにして額づいた。ネストの民の、正式な朝の礼拝の作法だ。息を吸い込むと、緑と土の匂いがした。
「慈しみ深き守護神、赤の神様。おらのために、本当に、本当にありがとうございます」
彼女が来る日も来る日も捜し続けてきたもの。
その古ぼけた大切な首飾りは、25年ぶりにピリカラの首にかえってきた。
こうして、誰にも知られることなく、もう一つの願いが静かに清算されたのだった。
***
一方、翌日のメグとナズは、朝も早くからロイの家に上がりこんでいた。
ロイの家のそこかしこから、整然と積まれた木の皮やネストの筆記具で書かれた大量のメモが見つかった。旅立ったロイが、モンジャや世界中の民のために残してくれた膨大な知識の体系そのものであった。それらを読みながら、メグはかつては知っていた、自身の深部記憶にある不完全な、化学分野に関する記憶を繋ぎ合わせていた。物質の持つ電子の流れ、電場、電磁気力。オービット、スピン、共鳴。
メグは気づいたのだ。
神々の世界にあって、こちらの世界にないもの。
あの世界にあり、この世界で決定的に欠けていたもの。
「あにさま。私は、この世界にもっと明るい炎を点したい」
グランディアの終わったあと、メグはナズにそう言った。漠然とメグにそう言われて、ナズは何か記憶の片隅にあるものを思い出しているようだった。
「それは、火ではないということだね」
「電気だ、と思う」
自信のなさそうに、メグは探るようにそう言った。
言葉にすれば、心もとない。
メグのシンプルな、未知である筈の単語を聞いたとき。
ナズの記憶の中に、複雑な迷路のような幾何学模様がフラッシュのように脳裏に見えた。
それが回路図であるということは、ナズはこの時はまだ気付かなかったのだが。
メグは身に纏っているシツジ毛のセーターを手の腹でごしごしとこすった。そして、確かにそれが、メグがまさにいま言葉にした概念が、アガルタ世界にも存在し続けているということを確かめた。
メグがナズの手に指で触れると、バシッと乾いた音がして、火花が散った。
「これか……」
ナズは指先を見て、頷いた。
「それのことだよ」
力がなければ、何もできないのだ。
その力とは何であるか、一つには、電気だ。
見えない医学書の中の全てが、メグたち素民の手の届かない薬と機械による観測、治療に基づいたものだった。つまりどれだけこの世界で医学を学んでそれを素民に伝えようとしても、赤い神の言ったように、素民にできることは限られている。
というか、できることはほとんどない。
メグたちの文明のレベルが、神々の持つ技術に達していないからだ。
それは何故で、どのように無力であって、どう克服すればよいか、メグは気づいた。いや、正確に言えば思い出したのだ。
思えば、メグの夢の中の世界の全てが電気を中心に築きあげられた文明だった。赤い神の神雷による除細動を見てメグの感じた無力感は、やがてある渇望、衝動へと転じてゆく。
この世界がいまだ薄暗いのは、電気がないからだ。
この世界に、電気の灯を点してから私は旅立とう。
赤い神が人々にもたらした暖かな炎が第一の熱力学的な炎であるとするならば、
メグは、第二、更には第三、第四の炎を知っている。
それは電気の、核の、量子の炎だ。
メグとナズは、はじまりの民だ。かつては原始的で、無知だったかもしれない。
しかし、今のメグは違う。
おぼろげな記憶をもとに、今ある知識を体系化し繋ぎ合わせ――復元しなければならなかった。
獲得しなければならなかった。
人間が人間であるため、人に相応しい力を手に入れるために。
それは基礎に基礎を積み上げながら、先人の知恵を元に発展してゆくもの。
高く高く、もっと高く。
プロメテウスの炎に手を伸べようとするかのように。




