第6章 第1話 The way that came someday◇◆
『第五区画と、出ていますね……』
お互いのインフォメーションボードを覗いて引き攣った表情で頷き合う、私と白椋さん。
そして緊迫した面持ちのロベリアさん。
前略、国民の皆様、事件です!
ロイの家出を発端に、第五区画がマップ上に出ちゃったYO! の巻です。
その名も、巨大浮島都市国家 カラバシュ。
総人口15万4090名もいるんだよ!
日本でいうと東北州佐渡市と同じぐらいの人口と面積ですかね……って言うと凄さが分からないけど、モンジャ、グランダ、ネスト合わせて総人口2881人なわけだから、53倍もの人口格差があるわけだ! やべえ!
このアガルタ世界において、人口格差はそのまま国力の差を意味する。
”カラバシュというのは、英語でひょうたんという意味ですね”
ロベリアさんのコメントで気づいたけど、確かにきれいなひょうたん型をした島だよ。
ん? ひょうたん?
それって動いたりします?
ひょっこりと。
***Heavens Under Construction 第6章***
『はい、浮島ですから。海底と接していない、海上に浮いた島という意味でしょう。多孔質の軽い岩石によってできた島ですね、海中部分に洞窟もありますので浮力を生じているのでしょう』
白さんはインフォメーションボード上に指を滑らせ、手慣れた様子で操作し構造を分析してくれてる。何もない空中を撫でまわす白さんを、コハクが不思議そうに見ているけど敢えて突っ込まないことにしたようだ。
現実世界では赤道直下に人工浮島都市があるし、メガフロートは各国軍事基地として利用されているよね。でも海上に浮かぶ自然浮島なんて現実世界にはないよ。
『……流れてきてこっちの大陸に来ちゃうってこともあるわけですよね』
『はい、潮の流れと風向きにより漂着するかと』
マップで見ると結構近いじゃん。
3kmぐらい沖にあるってことになってるよ、ひょっこりひょうたん型の第五区画が!
つか、何で出ちゃったんでしょうか。
私が割とキツめの神雷を落としたからでしょうか。
どう考えてもそうですね第三区画、第四区画の構築士さん段取りとか演出無視しちゃってすみません! てか神雷どこ消えた? バリアに弾かれて消えたと思うけど、もし第五区画の民が怪我しちゃってたらどうしよう。
でも白さんは第五区画経験済みなんだっけ?
深呼吸して、まずこれ確認しとかないといけない。
”白椋さん。第五区画って悪役構築士の区画でした……?”
コハクに訊かれないように、適宜会話と念話を切り替えて話してます。
”残念ながら、第五区画は悪役構築士の区画の可能性が高いです。わたしと蒼雲神ともに、奇数の区画が”悪役”の区画でした。27管区も同じだとは言い切れませんが……”
エトワール先輩の区画が第一区画だったから……うちのとこは第三区画と第五区画が悪役なのかな。
距離的にこんなに近いわけだから、向こうがその気なら侵略余裕だよね。
どのくらいの文明水準いっちゃってるか分からないし。
ロイを救出したら、一回なかったことにしてもらってもいいんでしょうかこの区画。
白椋さんとロベリアさんとあーでもないこーでもないやってたら。
現実世界側からコールが入りました!
”あー、緊急連絡、緊急連絡だ。聞いてっか、新神ぃ”
”黒澤さん?!”
モニタ前にアップで現れたのは伊藤さんではなく、何故かべらんめえ調のダンディ、構築士補佐官の黒澤さんだ。赤いサングラスに、今日はジラフ柄のネクタイです。
そのセンス、正直どうかと思います。
葉巻が胸ポケットから出てますよ。相変わらず板垣退助そっくりな髭の部分も忘れちゃいけない。伊藤さんがいない時は現実世界側No.2の黒澤さんの出番なのか。
”おーい新神ぃ。ロイが第五区画にいるぜぇ? 第五区画の構築士が出勤するなり目玉飛び出してたぜぃ"
やらかしたのは私なんでしょうか。
はいはいそれはどーもすみませんでした。
でも、ロイが! 生きてるって!?
死亡ログがないので薄々分かっていたこととはいえ、確定的な生存報告を聞くと小躍りしたくなったよ。
『あのー黒澤さん。ちょっとだけロイを連れ戻しに行ってもよろしいでしょうか』
”ああ? じゃーなにか、第五区画を解放する、てぇことかい?”
『いえ、ロイを連れ戻すだけです』
第五区画の解放は予定通り第三、第四区画が終わってからにしていただければですね……。
黒澤さん、ガクッとコケるアクション。ノリがいいですね。
”んなこと言ってもよう、解放しねぇと別の区画になんて入れやしねぇぜ? 未解放区画は基点区画と同じ階層にねえんだ。区画解放イベントで初めて、基点区画と統合するんだからよぅ”
『では何故ロイは入れたのでしょうか』
”さあ!”
黒澤さんの首がこてんと勢いよく右に傾いた。
さあ、と言われても。現実世界側しっかりしてよーちょっとー頼りないよー! まあ現実世界側が頼りないのは今に始まったことじゃないか、西園さんのときから頼りなかったか。
何なら騙されてたし、全然協力的じゃないよおたくら。
”いや、でも入れるわけねーんだよう。だって、基点区画と第五区画はまだサーバー連結してないんだからよお。データの往来ができるわけねぇってわけで”
『階層跳躍……ならば……可能かもしれません』
うん? ロベリアさんが恐る恐る、と言ったように黒澤さんに投げかけてる!
今日もロベリアさんはさらさらの薄紫の髪の毛が風に遊んで、青いロングスカートとあいまって優雅なイメージ、何かすげー声震えてるみたいだけどどういうこと? 白さんも首かしげてるから、白さんも知らないんだ……。
”階層跳躍はサーバー間を往来する量子転移です”
普通の転移術は同一サーバー上でしかできないらしいんだ。
でも、例外的にサーバー間移動ができる場合もある。
例えば白椋神と蒼雲神は量子転送でこちらのサーバーに入ったってことになってるけど、必ず現実世界側がゲートを開くというアシストが必要だ。
米国アガルタの主神のうち、大管区を持ってるようなビッグネームは大管区内があまりに広域であるために、異なるサーバー間を跳躍する能力が必要だった。
だから自分でゲートを開けるような特別なプログラムを所持していたんだって。
はいストップ。
意味わからん、もう意味わからん。
”現在では、違うんですか?”
”はい、今は大管区の主神がたには実装されていません。……重大なエラーがあったようで”
そのエラーが発生したのは、フォレスター教授亡きあとのことで、教授の生前に造られたロイにはまだ実装されたまんまなんじゃないかって……ロベリアさんは言ってるんだよな?
新神には話が難しすぎるよ、皆さん玄人すぎてついていけないよ。
じゃあロイは現実世界側がサポートしなくても自分の意志でサーバー中を旅できるA.I.ってこと?
うほっ、夢とロマンが広がるよ! たのしそー!
足かせのある私なんかよりよっぽど自由じゃないの、彼!
『近隣のサーバーには跳躍できるのかもしれませんね、あくまでも、仮説の域にとどまっていますが』
何て自由人、じゃなくて自由A.I.!
さすがフォレスター教授肝いり(知りませんけど)の超性能A.I.だよ。
何なら私のアバターより性能いいんじゃねーの!? ぐぬぬぬ、何か微妙に悔しいよこれ。
『現実世界側に、ロイの転移を助けたエンジニアは本当にいませんでしたか? そこをもう一度、確認されては。いえ、確認してください』
白さんは慎重な姿勢を崩さないけど、何かヤバげなことを想像しているようだった。
もう白さん、コハクが聞いてるとか忘れてるな。
まあ後で適当に誤魔化しとくか。
『聞いたことねえぞ。跳躍転移? それってえのはどんな原理なんだ?』
黒澤さんも知らないのか。
結構フォレスター教授関連のことって謎に包まれてるんだなー、構築士によって知ってたり知らなかったり情報が錯綜しているよ。
構築士が跳躍転移を実装してるのはいい、でも、A.I.が階層跳躍を実装してるのは非常にまずい。
ってこと?
あ。民間のサーバーの中、官公庁のサーバー、軍事用のサーバーにも出ちゃうかも、そこで暴君化したらどうしよう、って話なのか。
黒澤さんと白さんロベリアさんも、一様におしだまる。気付いてしまったんだ。
これは激マズな展開なんじゃないかって。
『とにかく、ロイを連れ戻します。第五区画を開けてください!』
やっぱりロイを連れ戻して私の傍に置いとかなきゃいけない。
ロイが思いつめていることをきちんと解消して、納得して傍にいてもらうしかない。
もし、ロイがその階層跳躍を本当に可能としていたのなら、第五区画から更に跳躍してどっか逃げちゃうかもしれないけど、今なら連れ戻せるよ。そんな気がする。
『でもよう、アガルタ時間にして二週間は開けられねーぞ』
区画連結コードと権限は伊藤さんしか持ってないらしい。
あと、区画解放イベントが終了するまで他管区の神は神殿の中に入っててもらわないといけないらしい。
区画解放イベントは民と神との信頼関係を強くするもの、だから他管区の神は参加できないんだって。てか、さっきから黒澤さん、暗に「ロイのことは諦めろ」って言ってない?
オブラートに包んでさあ。
伊藤さんは事情があってあと38万年ぐらい返事できないらしい。
は? 何を言ってるのか意味わからん。
天御中主な伊藤さんはいいとして、二週間か。
二週間であのロイがどうこうなるとは思えないけど、うーむ。
悪役区画によそ者が一か月は厳しいんじゃないかな。
あの子、人一倍正義感強いから、「そんなの間違ってる!」とか言って悪役構築士に噛みついてって玉砕とかしそうだよ。やりかねないよ。
唸っていると、はたと白さんと目があった。
『赤井神。ただ、それでよいのですか? 第五区画というと、約百五十年後の文明レベルと国力にふさわしい敵対国家として構築されています。構築時間9年目で第五区画を開くのですか? ロイ一人のために、多くの民の血が流れるかもしれません』
そっか。
第五区画の方が国力強くて、こっちが何言っても問答無用で攻め込んできて征服されてしまう可能性もあるんだもんな。
対してこっちはグランダ(兵団)、ネスト(御家人)、モンジャの青年団で防衛軍作ったとしても500人もいかないよ。
圧倒的不利なんてもんじゃない、しかもモンジャ民なんてほぼ銛しか持ったことねーよ。
今回のグランディアで剣術競技に出る若者がほんの数人いる、って程度。
『これを見てください、赤井神。総人口15万4055名、と書かれています』
『なっ!?』
ええっ! 人数減ってるー!!!
さっきポップアップがあって30分も経ってないのに何でそんなに減ったんですか!
45名も人口が減っています!
『大規模な処刑が行われたか、自然災害に遭っているか……もしくは内乱か紛争中、でしょうか?』
ロベリアさんが冷静に分析していらっしゃる!
どうすりゃいいんだ。戦争を回避しつつ15万に対抗するすべは……あ。
『黒澤さん。第三区画と第四区画の総人口は分かりますか』
『赤井神、何を考えておられるのですか』
白さんがぎょっとしてる。そう、そのつもりだよ。
『第三区画3万3481名、第四区画9万1902名だ』
12万5383名。
これに、2881名だ。これだけいてくれれば、何とかなるかもしれない。
『すぐ第四区画を解放して、一週間後に第三区画を解放してください。それで、第五区画と対峙できるのではないでしょうか』
いや、15万対12万で戦争しようっていう話じゃない。
そんな物騒な話はしてないよ。
12万人の民から信頼を集めることができれば……って話だよ。
第五区画で内乱か紛争中ってことは、その支配体制はまだ盤石ではなくて蹂躙されている民がいるんだ。
以前のグランダみたいに王への忠誠心が統一されてる方が、敵対国家としては脅威だ。
弱者側にいる民をカラバシュ島から救出して味方につけることができれば、巻き返しを図れるかもしれない。てなことを説明してたら。
『ばっきゃろう!! 何考えてやがんだ!』
黒澤さんがサングラスをモニタにぶん投げて、怒鳴り上げた。
サングラスは立体モニタを貫通してどっか飛んで行ったみたいだ。ぶつかった音がしない。
『新神、馬鹿かてめぇは! 焦りすぎだ! 二週間で何ができるってぇんだ。文明融和と信頼率がついてこねえ! 区画解放ってのは本来30~40年に一度行われるイベントだぞ! そんなんで、戦争ができるか! 基点区画が全滅したら、リセットだぞ!? 自惚れるな、ずぶの新神だろうがてめえは、テメエに何ができるってえんだ!』
黒澤さんももうブチ切れ。
ここまで積み上げてきた管区を、台無しにされたくない気持ちは分かる。
段取りも何もぶっ壊して、わずか9年で第五区画まで解放だなんて、そりゃそうか。
私がどれだけめちゃくちゃなことを言ってるのか分かる。
それにどうやってそんな短期間で信頼をかき集めるってんだ? 事実、黒澤さんの目から見て無茶なんだ。
どうすっかな、最悪第五区画が大陸に攻め込んで来たら物理結界張って水際で阻止、ってのはできるけど、それじゃ区画解放の意味ねーじゃん。
ますます第五区画の民に嫌われちゃうよ。戦いたくないでござる、絶対に戦いたくないでござる! とか言っても何やってんだって話だし。
『それは、妙案なのではないでしょうか』
ん? 思いがけぬタイミングで発せられた澄んだ声に、私は機敏に振り向く。
そこにはロベリアさんと、いつの間にか駆けつけてくれたヤクシャさんの姿が! あれヤクシャさんいつからいたの? マップに異変が起きたんで、転移で合流してくれたんかな。ロベリアさんはすっくと背すじを伸ばし、鎧に包まれた胸を張って。
『神様。基点区画全滅はありえません。何故ならこのロベリアめが』
『へっへ、俺見参。赤井さん、俺のこと忘れてたっしょ?』
お二人の声は、自信に満ち満ちていましたよ。
『たかが15万でございましたら。ものの数にも及びません。ただ拿捕して降伏を迫ればよいのでございましょう?』
あらら、あーらららら。言っちゃいましたロベリアさん。
『まあ、自分一人でも100万までは負ける気がしねんすわ。一網打尽にしてやるっすよ、無傷なり皆殺しなり、赤井さんのお好みで』
ヤクシャさんまで! 言うなーこの人たち!
お互い張り合うように顔を見合わせ、腕と腕をぶつける仕草をした後、いたずらっぽく微笑むお二人。私は彼らの人当りのよさの裏に隠された、真の実力を侮っていたのかもしれない。
見たことないし。
元戦女神、ロベリアさん。そして、元金剛夜叉明王、ヤクシャさん。
彼らはただの上位使徒じゃない。戦いを生業としていた……元軍神だ。
『我々使徒は、神様の御意志を支えるものです』
『てなわけで、万一全面戦争になったとしても、全然慌てるようなことじゃねっすよ』
うわー、もう二人が頼もしすぎて眩しい。
ヤクシャさんのサムズアップ、真っ白な歯が見える笑顔でめっちゃびしっと決まってました。
何だろう、決して口先だけとかハッタリじゃないって雰囲気がビシビシ伝わってくる。
私じゃ言えないなーこんなこと、弱い犬ほどよく吠えるって感じで見るに堪えないだろうと思うよ。
何か新神がヘマやってるよ、俺らが尻拭いしねーとな、仕方ねーなぐらいに微笑ましく見られてんのかなー恥ずかしい。
『第三、第四区画の解放、自分は賛成っす。10万人以上の信頼が集まったら、自分たちも使えるスキルが増えますし、大歓迎っすわ。それになにより、赤井さんも』
あ、はい。10万人単位の支持とか、何ならもう現実世界でも地方自治体の選挙に出れちゃうレベルですよね。
それが何か。何かお二人が凄くて私、いらない子(神)感半端ないですが何か。
『至宙儀、普通に起動できるっしょ?』
むっはー!
そーいやありましたよ!
ワタクシにも唯一にして無二の取り柄が!
もらいもので恐縮なんですが。
***
どれほど気を失っていたのだろう。
頬を撫でる湿気を含んだ風が、潮の存在を主張していた。
気付いたときには、仰向けに舟底に転がっていた。
死地からの生還の喜びを噛みしめ、瞑目する。
遥かなる大地の神殿に坐す赤い神に感謝の祈りを捧げる。
グランディア祭典中に抜け出してしまったが、混乱はなかっただろうか……胸には固く大きなしこりが残っていた。
次第に清明としてくる意識に導かれ、周囲の景色を見渡す。
どこぞの島か、大陸の岬のような。
方角が分からないため太陽と時間の関係も定かではないが、ゴツゴツと切り立った崖の下の磯の上に、小舟が乗り上げてしまったように見受ける。
ここが赤い神の大陸か否かは彼にとって重大な問題だった。
しかし磯の岩は白茶けて多孔質で、大陸には存在しない地質だ。
「では、あれは幻覚……だったのか」
ロイが昏倒する直前に見た、虚無空間とそこに広がる寂寥とした緑光の格子の幻。
あれは果たして何だったと言うのか。本
能的に拒絶を覚えるような幻だった。
荷物を確認すると大きな布製の背負い袋が一つ、こまごまとした小物は流されずに全部手元にある。
舟も無事で何よりだ、一刻も早く遠くへゆきたいのに舟が故障して足止めを食らうのはごめんだ。
「どこだろう、ここは。遠くには来ていないと思うが……」
目に見える範囲に、赤い神の大陸はなかった。
目指していた島の、裏側に来てしまったのかもしれない。
天動説で運行している27管区世界にも、東西南北の方角がある。
夜になれば星が出て方角を確定することができるので夜を待つことにする。
彼は西を目指す予定だったのだ。
天候はあと数日間は確実に晴れ、海は凪ぎだ。
グランディアが開催期間中、赤い神は大陸全土を晴れにすると各地の長に伝えていた。
星座の位置から方位を確認するため、見知らぬ島で一晩を過ごすことになりそうだった。
入り組んだ岩場に、舟を隠すように陸に繋ぐ。
野営の為に火を起こすのは愚策のきわみだ。
無人島に狼煙が上がると何千シンも見渡せる視力を持つ赤い神に、すぐさま居場所を特定されてしまうだろうから。
雨風をしのげる岩陰を見つけて、ひとまず荷物を運び、身を寄せるベースキャンプとした。
露のついた葉の生い茂る叢を見つけて、熱湯で浄していた布を力いっぱい振り回す。
布に吸わせた露を集めて絞り、乾いた喉を潤す。
幼少の頃より叩き込まれたサバイバル術だけが、ロイを生かす術でもある。
海水を飲んではならず、濾過、加熱していない川の水や湧水を飲んでもいけないし、土地に応じた生存術があるが、この島の規模だと水も確保できそうだし食糧もあるのは幸いだ。
小舟には諸々の道具があるため、条件は恵まれている。
日没までに、島の全貌を知る必要があった。
彼は島の地形を、次に足がかりとできそうな最寄の島を見ておきたかった。
背負い袋から必要な最小限の道具だけを腰に巻き付け、短刀を装備し、ほぼ垂直に切り立った岩山のロッククライミングに励み、山頂を目指す。
崖の中腹で少し開けた場所に出て一呼吸ついていると、背の低い木にたたわに実った、ひょうたん型の紫色の果実と小動物の糞を見つけた。
糞を小枝でほぐすと消化されなかった種が見つかり、紫の果実の種と一致していた。
「ぅまっ……」
しゃくしゃくとよい音を立て木の実を齧れば、歯ごたえのあるジューシーな果肉と、菱形をした小さな種が現れる。
モンジャとは異なる植生のようだ。
思いのほか美味しかったので種を採集する。
メグに見せたらどんなに喜ぶだろう、などと感傷に浸りながら。
ばねのようにしなやかな身体を大きく使い、華麗な身のこなしで岩を渡り、山頂を軽々と踏破した。
高みからの風景に圧倒され感嘆の息をつく。
島は想像以上に雄大で、盆地状の島二つが衝突して繋がったかのような形状でもあった。
そして彼を驚愕させたのは手つかずの島の自然ではない、秘境というにはあまりに異様な姿を現した都の存在だった。
近景には果樹園と、色とりどりの穀物の植えられた畑。
遠景には放射状の道路の間に聳え立つ大小無数の柱塔の一大都市圏。
その規模は赤い神の大陸では随一の大都市、グランダを遥かに凌駕し、ロイは知りえないが、飛び石状に大小の都市が存在していることから、都市国家のようでもあった。
一つ一つの建造物の高さを見れば、民家というサイズではない。
都市中枢には小高い丘があり、その上には都市を見下ろす要領でひときわ立派な、灰色の円筒状の高層建造物が。この高層建築技術は、赤い神の神殿を除いて大陸には存在しないものだと確信できる。
赤井神の力及ばぬ辺鄙な孤島に、想像を絶する先進文明が花咲いていたのだ。
絶景に見惚れていて、はっと我に返る。
木々のまばらな山頂でうろついていると、麓の住民から発見される確率が高く危険だ。
よそ者を好意的に受け入れてくれる期待が持てないなら、まずは身を隠すべきだ。
発見されると色々と厄介でもある。
彼は身を低く保ち、獣のように素早く果樹園の傾斜を駆け下りる。
果樹園の中に孤立していた石造りの簡素で矮小な平屋の前に、人だかりを見つけた。
ロイは幹の太い、若葉茂る広葉樹の影に身を隠し、様子をうかがった。
数名の兵士と、住民の間に小競り合いが起こっている。
兵士は五名、武装しているがネストやグランダの兵士と較べると軽装である。いずれの兵士も肌が浅黒く、髪は純白。
軍規で定められているのか、左右に分けられ両端がぴんと上を向いた口ひげを伸ばし、頭には紫のかさ高帽を乗せ、胸のプレートメイルの上には前あきの紫色の長衣を羽織り、革の長靴を履いている。
長剣を持たない代わりに、細く黒い筒を背負っていた。
ロイはその装備に興味をひかれた。
対して住民は子供と女性の二名である。
兵士たちとは肌の色が違う、彼らはつややかな黒髪にやや黄味のかかった肌色で、メグと同じ人種なのではないかと思わせた。二人ともカラフルな緑色の刺繍に彩られた白い装束を着て、緑のガラスビーズ状の装飾品や金属の腕輪をいくつも身に着けている。
少年と女性の装束のデザインがほぼ同じであることから、民族衣装というものだとロイは見当をつけた。モンジャの女性でいうところの、黄色と紫の縦縞のワンピースのようなものだろうか。
二つの民族の間で揉めているのだろうが、
関わり合いにならない方がいい、程度に思っていたのだが……
「やめろ! 母ちゃんを連れて行くな!」
悲痛な少年の叫びが、ロイの足を止めた。
棒切れを持った子供が、剣を突き付けられ兵士に連行されてゆく女性を返せと涙ながらに訴えている。
必死に兵士に襲い掛かるも、いなされて敢え無く地べたに伸される。
それでも少年は泣きじゃくり、満身創痍となりながらも何度も立ち上がるのだった。
幾度か繰り返すうち、少年を煩わしく思ったのか上役の兵士と思しき中年男が、
「生意気な奴だ。殺せ、一撃でだ」
「はっ、ただちに」
下っぱと思しき若輩の部下の一人が、背負っていた長く黒い金属の筒を肩から降ろした。
ロイは物陰に身を潜め黒い筒を注視する。
主となる兵装が黒筒単体ということは、相当に強力な武器なのだ。
弓も剣も盾も必要ないほどに。
まだ、距離がある。
どうすべきだ。見守るにしても、助けにうって出るにしても、的確な判断が求められている。
黒筒を用いて少年をどのように攻撃するか、見当がつかない。
恐らくは投げるのだろうが、そう単純なものだろうか。
兵士は慣れた手つきで黒い筒の底に何かを込めると、火種のついた縄を筒側面の留め金に挟んだ。
そして、少年に向けて構えたのである。
「試し撃ちに丁度いいな。そこを動くなよ」
「うわああああ!」
少年はその道具が何を成すかを知っているのだろう、山腹をめがけて一直線に駆け上がり始めた。
兵士は筒の先で少年の背を追い続けるばかりで動かない。
照準を定めているようにも見えた。
真剣な面持ちだ。上役の見ている前で、しくじることはできないのだろう。
少年が兵士の射線に捉えられた。
轟音が響き渡るより一瞬早く少年の姿が消え、傍の木枝が射抜かれて宙を舞った。
少年は、横倒しになって地面に伏していた。
彼を左脇腹から押し倒したのは、遠方より投げられた大きな紫色の果実だ。
果樹園のそこかしこに実っている、質量のあって投擲に手ごろなシロモノである。
逞しい体つきをした若者が、果実の飛んできた方向に屹立していた。
ロイが兵士を打たなかったのは、距離的な問題である。
ロイの立ち位置からの距離を考えると、少年を打った方が兵士の手元を打つよりも速かったのだ。
ロイは視線で兵士たちを牽制しながら、少年のもとに歩み寄り、同時に兵士たちの前に立ちはだかった。
庇護と同時に、敵対の意志を見せた。
「見逃してはやれないのか? その子と母親が何をしたのかは知らないが、命まで奪うことなのか」
少年は目じりに涙をぶらさげたまま、這いつくばりながら恩人を仰ぐ。
何が起こったのか、少年は整理をするのに暫くの時間を要した。
そして少年を打ったつぶてが、彼の命を救ってくれたのだと、静かに理解した。
だが、それは死出の旅立ちを、僅かばかり遅らせたに過ぎない。
人間の身体能力では、アレには勝てないのだ。
「どこの何者だ、名乗らんか!」
兵士の恫喝に、異国の装束を纏ったロイは名乗りを上げる。
「ロイ・フォレスタという、島外からの過客だ。思わず止めに入ったが、事情は何も知らない」
落ち着いた口調で名乗りながら、ロイは黒い筒の武器としての機構を推測する。
辺りに漂う独特の香りは、16番目の元素特有のそれだ。
赤い神や精霊モフコも、神通力とは別に地形を切り崩す為に爆発物を使うことはあったが、その類の爆発物を少量筒の中に込めて、外部から着火。
爆発の圧力によって何かを射出することにより、強力な殺傷能力を持たせている、のだろうと形状から読み取れる。
”厄介だな、どうしたものか”
ただの飛び道具だ。
当たらなければどうということはないが、細い筒の中での爆発反応によって射出物が加速されるなら、弓よりも速く、射程は広い。
さらに16番目の元素と起こりうる化学反応を計算し、当たれば人体を貫通するだけの威力も備えているだろう。
大した殺戮兵器だな、とロイは慄く。
赤い神の大陸において、武器を改良するという発想はあまり出てこない。
人を殺すという発想がないのだ。
食用とする獣も、必要とする以外は極力殺さない。
殺さずを貫く赤い神の精神を、モンジャの民は尊重していた。
そして、ネストもグランダもそれに倣って軍縮ムードにある。
ロイは倒れ伏していた少年を揺さぶり起こし、頭を低くしたままジグザグに走って家の陰に隠れろ、遠くに逃げろと囁く。
弓からの防御と同じようにすればよい筈だ、距離があって、複雑な動きで逃げれば、人はそう簡単に飛び道具には当たらない。
「う、うん。でも母ちゃんが」
「いいから逃げろ」
少年とロイのやり取りのさなか、五人の兵士たちは顔を見合せた後、肩に担いでいた黒筒を手元に構えながら、馬鹿にしたように大声で嘲笑するのだった。
「島の外から、来ただと? どうやってだ。空を飛んででも来たのか?」
「カラバシュの外から、人間が来れよう筈がないだろう! 何を言っているんだ、この男は」
「とんだ阿呆がいたものだ、もっとうまい方便がなかったのか」
「何故ならこの三百五十年というもの、漂流し続ける孤島カラバシュの周囲に島が存在していたことなど、一度たりともなかったのだからな!」
「漂流?」
島、全体が漂流?
ロイは耳を疑い、腰のナイフを抜きながら眉根を寄せる。
一塊の漂流物であって、島ではないではないというのか。
しかも一度としてほかの島に遭遇したことがない? 赤い神の大陸がすぐ傍に存在するというのに。
「狂人だとしても怪しい、捕えて調べあげろ」
「動くな」
母親に向けられる凶刃と、四方向から突き付けられた黒筒がロイの自由を奪った……かに見えた。
その時、ロイは兵士たちの群れに向かい突進した、傾斜から駆け下りるように、大きく跳んだり、左右に振るように駆けたりと動きを変化に富ませて。
その行動は少年から注意をそらすため、だったのかもしれない。
ただ、身体がそう動いた、そう動けと本能が言っていた。
飛び道具では、変則的な動きで手元に猛然と迫りくる目標物に、照準を合わせることが難しい。
そして彼は確認していた、次の発射の為の装填はされていないと。
神通力もない、神槍もない、経験だけを信じた。
「なっ、何だこいつ!」
「突っ込んできたぞ!」
案の定、兵士たちは一人として、その黒筒で攻撃することはできなかった。
ロイは自らにぴったりと寄せられていた黒筒を兵士の右腕と共に思いきり蹴り上げ、兵士の鎖骨を掌底で力任せに殴打した。
黒筒を抱え両手が塞がったまま、戦意喪失した兵士。
その右脇を掴み、周囲にいた兵士一名を巻き添えにしつつ背負い投げ、地に叩き付ける。
地に平たく伸された二兵士の肋骨を踏みつけながら跳躍、混乱する二兵士を一度飛び越し、腰に携帯していた小刀を抜きながら背後から蹴撃を浴びせる。
攻撃は的確に腎臓の位置に決まった。
人間と獣の急所だ。
着地の直後、上役と思しき兵士の右手に小刀を放つも、筒身で当てて弾かれた。
リーダー格の兵士が黒筒を構えなおしたことにより、ロイは近くにあった大樹の陰に転がり込むようにして緊急退避。
照準を合わせているのを見て、樹木では飛来物に貫通されてしまうことに気付く。
ロイは樹木の盾を捨て、岩陰に飛び出してゆこうとした。
しかし、そのときだった。
特大の落雷が発生したのは。
それはたった今までロイが盾としていた大木に直撃し、めりめりと音を立てて縦に真っ二つに引き裂いた。炎に包まれた幹がロイと兵士たちの間に轟音を立てて横たわった。
青天の霹靂である。
先ほどの攻撃の痛みに耐えながら立ち上がろうとしていた兵士たちも、武器を投げ出し散り散りに地に這いつくばっている。
人間は爆音と強い光に中てられると、反射的に身を縮めるものだ。
直撃を受けた倒木は一瞬にして炎に包まれ、火炎は幹から枝に燃え移り、異常な勢いで燃焼している。爆発音とともに、ぱらぱらと火の粉と化した木片が辺りに降り注ぐ。
家畜の飼料と思しき干し草の塊に着火し、炎を束ねた火柱が空高く舞い上がった。
そうか、とロイは心得た。
モンジャの民は赤い神の御技というべき厳霊に慣れきっている。
爆音にも、閃光にもだ。
とくにロイは、過去に神通力を授かっていたため恐れるに及ばずだ。
だが、殆どの人間はそうではないのだ。
落雷とは、きわめてまれなこと。
唯一と言ってもいい、逃走のための好機が生じた。
「逃げろ! 向こうへ走れ!」
怒鳴りつけられ、少し離れた場所で蹲っていた少年の母親がよろめきながらも起き上がった。
ロイは目を眇めながら、炎の動きを読む。
強い上昇気流が生じている。
大樹を焼くのは白い炎、尋常ではない熱量だ。
熱気が渦を巻く中、ロイはあることに気付いた。
炎の芯から、親しみ慣れた波動を感じる。
彼は刮目した。
姿は見えねどそこにある気配は紛れもなく――。
”あなたは……”
その身は遍く天上の光、雷と炎の化身、彼のある地は世々にさかえ――。
”理由も伝えず逃げ出してしまった俺を。いまだ見守っておられるのか”
炎は彼に答えるように大きく揺らめいた。
「うう……」
思わず手を出しかけて、神通力なくして何も成すことができなかった惰弱な身を恥じた。
人に過ぎたる神の力には決して手を出すまいと、神の御前に誓ったのだ。
今まさに彼を裏切っているというのに。
再びすがろうとするなど、都合がよいにもほどがある。
しかし、差しのべられた最後の救い。
これを手にしなければどうなる。
射殺され躯と化し、それだけならいっそ構わないが、同時に見知らぬ二人の親子も絶体絶命の危機に晒すことになる。
ロイは揺れ動く心をさだめた。
”神様。この力で人を殺めず、悪しきことに用いず、人のためにこそ用い、必ずお返しします”
だから。
自らと、そして見知らぬ二人の人間を救うための。
”御力を、お貸しください”
爆音を聞いた仲間の歩哨たちが、近場にいたのだろう。
続々と集結してきた。
その数、二十余名。
素早く陣を組み、二段の構えで黒い筒の照準を一手に向けられながら、ロイと炎を隔てて対峙する。
もはや迷う時間は、ない。
ロイは猛然と駆け出すと、燃え盛る業火の中に飛び込んだ。
「何を!」
火だるまとなっても、白い神炎を、火柱を纏う彼の身は焼かれない。
炎との調和を果たすことができる。
懐かしい魂の焼け付き。
生まれ変わるような痛みと引き換えに、指先にまで漲る生命力。
全身で神炎を吸収し、吸収した熱量を神通力へと転換。
神力を我が物へと変えてゆく。
青年の身体は炎を吸い尽くしてもなお、焦げついてすらいない。
ロイの内奥を猛り狂う神通力が駆け巡る。
遥かなる大地から、種火を授かったのだ。
「炎を……喰らったぞ」
「う、撃て!」
「一斉射撃――!」
ロイは両手を彼らに差し向け、全弾撃破。
空中で跡形もなく粉砕する。
凶弾を阻んだのは不可侵の絶対領域。
物理結界、それはあらゆるベクトルの侵入を阻む神々の結界だ。
半狂乱で猛然と発射を繰り返す異国の兵士たちだが、火薬はいずれ尽きる。
「人間じゃねえ! ば、化け物だ―――! 化け物が出やがった――!」
誰かが叫び、一人が逃げ出すと、続いて一人また一人と。
遂に兵士たちは黒筒を放り出し遁走していった。
後には、傾斜に残された母親と少年のみ。
ロイは母親に近づき、彼女の腰に巻かれていた縄を解こうとしたが、彼女の体に触れようとした瞬間、母親の体がびくんと跳ねてその手を避けた。
行き場をなくした右手を、少し掲げて見せた。
「ああ、いや……別に熱くないよ。縄を解いて早く逃げるんだ」
「あっ、も、申し訳ありません。ありがとうございます」
母親はロイと視線を合わせることができなかった、彼女も兵士たちと同様に怯えているのだ。
ロイも分からないわけではない。
この場から早々に立ち去った方がよさそうだ。ロイは彼らに背中を向け、
「また来るかもしれないから、すぐ引っ越した方がいいぞ」
別れの挨拶がわりに、そんな言葉をかけた。
「は、はい。あの、旅の方、本当にありがとうございます」
か細い返事が聞こえてくる。ロイはそれを背ごしに聞いた。礼ならば、彼に言うといい。
「もう、行ってしまわれるのですか」
「いくよ」
彼らは異国の民だ。
罪状が何であれ、母親が犯罪者であろうが詮索をすまい。
首をつっこんではいけないこともある。
ただ、子供に罪はなく、彼らを助けることは自らに課せられた使命であった。
そう、助けた彼らにどんな反応を向けられても。
ロイがその場を立ち去ろうとすると、いつの間にか少年が先回りして行く手をふさいでいた。
「どうした? 通してくれ」
いがぐり頭にいくつものたんこぶを作り、擦り傷まみれの前歯の折れた少年。
震える足で、立ち上がって両手を拡げて通せんぼをしている。
ロイが右を通ろうとすると右へ、左を通ろうとするとふらつきながら左を塞ぐ。
口をへの字に結び、その目にはいっぱいの涙を溜めて。ロイが仕方なく付き合って、足止めを喰らっていると。
「お、俺はあんちゃんのこと、ば、化け物だなんて思わねえぞ」
振り絞るような声で、少年は旅人に懇願したのだった。
「……ん……?」
「だから、俺とかあちゃんも、一緒に連れてってくれよ。俺たちにはもう、行くところが! ないんだよ!」
その鬼気迫る様子を見たロイは、この親子に強く必要とされているとひしと感じた。
出てゆけと言われても、行くあてがないのだ。
ロイは考えた。しかし、すぐに考えることを投げ出した。答えは出ていたからだ。
彼ら弱者を伴っての旅は、身動きが制限されるばかりだ。
彼の高度な頭脳が演算する、先走って考えすぎる。
非効率的なことはすべきではない、これは愚かなことだと。
そんなの分かりきっている。
しかし、赤い神ならばどうしただろうか。
どんなに離れていても、赤い神の示した道を踏みしめ、胸を張って歩きたいのだ。
彼が誰一人として、見捨てはしなかったように。
「いいよ。おいで」
「っ!?」
「ああ……その、たんこぶ、治してやるから」
少年は嬉しそうにロイの膝のあたりに飛びついた。




