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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.5 Into the real world
55/130

第5章 第3話 White goddess and white shrine maiden◇◆★

 中空に穿たれた二重の光円の中で行われた復号化処理により、彼女は実体を取り戻した。


 二度、三度と。

 浮遊したまま長い純白の睫毛をしばたかせ、恐る恐る呼吸すると、灰色の瞳に精気が宿る。透かし織りのある白スカートを引き締まった腰にたおやかに巻きつけ、肩は同じく透かし織りの、長袖のスリーブで覆い隠している。首には銀のチョーカー。緩やかなウェーブを描く、絹糸のように艶やかな長い白髪は彼女のトレードマークだ。


 彼女は地母神、白椋 千早という。

 自我の消失する瞬間は、純然たる恐怖に突き落とされる心地。この仮想世界においては、誰も肉の身体を持たぬ。己の意識と名付けられた量子クラスタだけが、己の存在を規定している。掴みどころのない、qubit変換され曖昧模糊とした幽霊のようなネットワーク、その複合体を緩く束ねる、それだけが“私”といえるあやふやなもの。他のものとすり替わって紛れてしまわないように、彼女は己の“枠組み”を再確認する。


 空に背をもたせかけ横たわったまま、白い指先で、力強い軌跡で丁寧にスクエアを描き閉じる。

 インフォメーションボードを起動。ヴン……という聞き慣れた波動と起動音を全身で体感する。


 生きている。今日も。


 生の自覚はそうあろうとする生命の決意だ、誰からの肯定もいらない。

 誰から観測されなくとも。わたしだけが、わたしの生を知っている。

 量子転送に伴い、神格とプロトコル異常の有や無しや。バグの発生。構成確認専用プログラムを駆り、全身を隈なく走査する。主観的に「私は私である」と知覚したところで、自我および神格系統に問題がありと客観的な判断を下されれば、転送は失敗。即座に分身を破棄し、二十八管区に戻り同じバックアップされた構成から巻き戻り手順を踏まねばならない。彼女が神経を尖らせていると、一分後、スキャンは完了。


 白椋神の自我系統、および構成に何ら異常なし。

 アガルタの神の生命線と言ってもいい、構築マニュアルと疑似脳の融合も健全。


 異界の神である彼女はネストの森の植物たちに歓待され、蔦のクッションに包み込まれるようにその場に軟着陸する。管区は違えどアガルタに生い茂る全ての動植物たちは、白の女神の波動を知っていた。手を伸べるように。彼女が翠の繭にふわりと包まれ、ほぐれた。


 薄く霜の降りた、凍てつく冬の森の朝。徐に空気を肺に入れると、冬だというのに噎せかえるような緑の気配。人の手が加わることのない原生林。ここはどこだ、管区が違えば地形も、気候すら違う。紛れもなくここは白椋の知らない異世界である。


 インフォメーションボード右上に、第27管区第二区画ネストの森。との表記がある。トントンとダブルクリックすると、マップが広がった。28という数字を見慣れているだけに、白椋の意識もおのずと改まる。


 マップに思念ダイレクト入力で「主神の神殿」と放り込むと、最初に訪れるべき赤い神の神殿をサーチし、場所を特定。神殿の写真が表示される。お世辞にも白椋の住んでいるような大神殿とはいえないが、瀟洒な神殿のデザインにほっこりと好感を覚える。


『先ずは赤井神にご挨拶に伺わねば』


 緊張と興奮に胸が高鳴る。白椋が転移術を用い、赤井神の神殿に移動しようとしたときだった。鴻池からの緊急連絡を求めるアイコンが、インフォメーションボード隅で赤く点滅を繰り返す。27管区のインフォメーションボードは主神のイメージカラーを反映しているのか、全般的に赤い表示となるらしい。目に優しい配色とはいえないが、これはこれで異国情緒と言うべきもの。


『祝日出勤お疲れ様です、鴻池さん。サポートありがとうございます。ご覧のように、量子転送ゲート通過後、プロトコルに問題ありません』


 白椋は得意げに微笑んで現状報告。モニタの向こうの鴻池は今日は濃紺のスーツにノーネクタイ。しかし白椋の表情とは対照的に、モニタと彼の顔が近すぎることから、一見して彼が取り乱していると見て取れた。異様な緊迫感は白椋に伝達する。


『大変だ白椋!コハクも巻き添えで転送されて二十七管区にいるぞ!』


 びくん、と白椋は身をこわばらせる。

 彼女にとって唯一無二の大切な存在、スオウ一族のコハクが……。回線を通じ、構築士と構築士補佐官、二人の間に動揺が広がった。


『そ、そんな筈はありません! コハクには留守を命じました。あの子が指示を違えることは絶対に……』


 そんなことは絶対にない。

 コハクに留守を任せた、白椋のいない世界を。白椋は彼女を信じている。


『お前の転送後、不安定化した時空に飲み込まれてしまったんだ! すぐに気付いて追跡をかけたが、今は信号は途絶えている』


 鴻池は持て余した苛立ちをぶつけるかのように、握りこぶしでデスクの上を叩いた。雑然と書類の置かれたデスクが、かなりの振動を伴っている。コーヒーカップの中の液体がはぜた。


  万全のバックアップを取っていた白椋とは違い、コハクの転送は予定になかった。コハクの回収を諦め、白椋を28管区に戻し、28管区の構築時間そのものを巻き戻してコハクを救出すれば元通りにはなる。しかし構築時間巻き戻し後は28管区時空が不安定化するため、28管区時間にして数日は転送ゲートを開くことができない。その間に、27管区と28管区の時間同調は破られ、白椋の留学の機会はふいとなる。


『最悪の事態も想定しないといけない。正規のゲートを通らなかったコハクのプログラムが、転送中に引きちぎられ、電子の藻屑、バグの塊となって27管区のあちこちに散らばっているかもしれない。それはコハクの死を意味するばかりでなく、27管区にもバグを撒き散らし、迷惑をかけることになる。だが、お前がコハクを発見し、A.I.の損傷が激しくなく復元可能であれば話は別だ』


『その可能性に賭けましょう。僅かでよいので、時間的猶予をください』


  白椋は持前の冷静さで彼女の成すべきことを理解し、気色ばむ鴻池を宥めた。コハクを見つけなければと気持ちは逸るが、構築マニュアルと一体化した疑似脳は、不測の事態に振り回されない盤石な思考回路を裏打ちしている。考えうる限り最悪の事態を想定しながら、彼女はいくつもの方策を練る。


『27管区に滞在中の強羅大文字焼▲、信楽焼▲▲▲ら二名の焼人に焼灼保留願いを出し、27管区プロジェクトマネージャー、各構築士たちにも捜索願を出した』

『素早い対応、感謝します鴻池さん』


『が、27管区PMからの返答は”却下”と――』

『な……』


 伊藤の判断は理解できないでもない。管区の保全を図ろうとするのは、伊藤でなくともプロジェクトマネージャーの責務だ。ましてや世界初の業績を挙げた27管区。バグの発生は、システムの脆弱性を呼ぶ。バグを隠れ蓑に、クラッキングをかけられるという例も存在する。27管区は一度サイバーテロの標的となったため、その運営にスタッフたちも神経をとがらせている。


 構築時間の巻き戻しで復活を果たす他管区のA.I.ならば、切り捨てるのが正解――。


『コハクにバグがあった場合、問答無用で焼灼されるとのことだ。しかしその前に27管区構築時間にして4時間の猶予をもらっている。白椋、焼人に見つかる前に一刻も早くコハクを見つけ出し、バグがあった場合は修復してくれ。現実世界からでは仮想世界のイリーガルなA.I.の動きは分からない。時間の経過とともに、コハクの捜索も修復も困難となる』


『もちろん捜索します。鴻池さん、捜索すべきエリアがわかりますか。転送予測地点を絞り込んでください』


 紙の巻物を広げるように、白椋はマップをフリックする仕草で縮尺を拡大。ワイヤーフレームからリアルオブジェクトへ、ミニチュアの視界が急速に開ける。


『焼人の現在位置を……の必要はありませんね。視認しました』

 二つの陰が、樹冠を掠めて飛翔していった。重火器を持ったそのシルエットが、焼人であることは間違いない。


『転送設定は蒼雲が基点区画、白椋は第二区画内だった……だから、捜索範囲はネストとネストの森全域だ。はっきり言って、一人で捜索できる範囲じゃない……』


 鴻池はエリアを指定して白椋に示す。ネストの森は思いのほか広大だ。焼人は目で見て捜すが、白椋にはもう一つの目がある。それは、白椋だけが知るコハクの気配。神とスオウ一族は互いに互いを認識することができる。


『コハクが近くにいれば、わたしは絶対に見逃しません』

『……そうか、お前にはコハクの気配が分かるのか。では赤井神と蒼雲神にも捜索の手伝いを頼むか』


 スオウ一族の気配を知るのは、赤井神も蒼雲神も同じこと。事情を話せば、彼らも快く協力してくれるだろう。

『いいえ、二柱の御手を煩わせるまでもありません』



 留学を希望したのはいわば私事、白椋一柱の我儘だ。28管区構築時間を白椋の都合で巻き戻し、世界的に重要な位置づけにある27管区に大迷惑をかけ、さらにこの事態を一人でおさめられず赤井や蒼雲の手を借りるとなると、28管区の評判を落とすばかりか鴻池にも迷惑をかける。


『白椋。お前の責任感の強さにはいつも感心する。だがな、……』





 日が高くなるにつれて、騒ぎが大きくなってきました。

 モンジャからの使い(てかカイです)の報告によると、若い男衆300人体制でモンジャ全域はおろか草原にまで青い神、白い神の捜索が行われているとのこと。ロイが指揮を執っているんだって。不言実行、行動が早い。第一発見者にはご褒美が出るんだとか……ロイも人心掌握術がうまくなったもんだ。だからモンジャ側はきゃっきゃ言って宝探し的なノリになってる。


  グランダからの伝令兵の人によると、キララ女王にも朝いちで報告が入り、兵士たちにも青白の神々の捜索命令が出たとのこと。二個大隊が動いたらしい。何だかグランダ側では武装した兵士が桟橋を右へ左へ走り回っていてものものしい。「いたか!」「まだです!」「くそ、どこに潜んでいる!」とか言ってるけど、 あれれ、雰囲気おかしいでしょ。


 伝令兵に問いただしてみたら、キララ曰く「草の根わけても探し出せ! 生死は問わん」って……。いや別に青白の神々見つけてひっ捕らえたり暗殺しろと言った訳じゃないんです。青白の神々は邪神とかじゃないし喧嘩売らないで。お願いですから失礼のないように応対してとキララに伝えてくれと頼みました。留学神をフルボッコとか世紀末すぎる。忘れがちですがここ天国ですから穏便にね。んで、桟橋を往来していた一般素民たちは……


「なんだなんだ? 神様が神殿の外に出てるぞ。何が始まるんだ?」

「ありがたやありがたや」


 両手をすり合わせて拝む人も。


「あかいかみさまがご説法でもなさるのか。もうお昼になるから弁当持って来よう」

「とりあえず神様の前にならんでみよう?」

「みんなが並ぶなら私も」

「じゃあ俺も」


 デパ地下のタイムセールじゃないんだから……行列があるからってとりあえず並ばないでくださいよ。今何人並んでる? テーマパークみたいに只今の待ち時間、一時間待ち、みたいな表示や交通整理してくれる人が欲しいよね。そろそろ専属の神官さん、巫女さん募集しようかな。


「祝福順番待ちの間に干し肉いかがっすか~。絶品、エド肉、ブリル肉ですよ~。塩味と香草味。付け合せの生野菜もあるよ。きれいな水もいかが」


 行列目当てに弁当売りが来た。売りといっても、基本物々交換なんですけども。


「なに、エド肉あるの!? おーい干し肉一つ。このモンジャの指輪と交換だ」


 エド肉は高級食材。モンジャのみならず、グランダ、ネスト民たちにとってのごちそうです。


「指輪より首飾りがいい。黄色いのちょうだい」

「モンジャの奥さんたち、グランダの刃物いらんかね~。固い野菜もこんなによく切れるよ! 小、中、大、特大と取り揃えているよ!」


 仮想世界でも皆商魂逞しい。うーん、いつまでも物々交換もあれだし、そろそろモンジャ、グランダ、ネスト共通のユーロ的な共通通貨が欲しい頃だとは思っています。


 てな具合に、神殿の入り口には人だかりができはじめていました。


 私がかれこれ二時間ぐらい神殿の入り口に突っ立ってるから……皆さん有難がって礼拝の行列ができちゃってます。いや、別に何も始まりません。今日は皆様を楽しませるネタも仕込んでないし、青白の神々を待ってるんです。皆さん解散してほしいんですが……ただで返すのもあれだから、とりあえず行列に祝福しながら、私の頭の上のモフコ先輩と共に待ちぼうけ。


「かみさま、最近咳がよく出て鼻水も止まらないんです。祝福してください」


 鼻水垂らしたモンジャの女の子がきた。鼻をかみすぎで鼻が真っ赤になってる。モンジャでは今年の冬は青地に黄色いボーダーニットがはやりつつある。シツジの毛が輸入されているからね。ファッションもネストの影響を受けているんだ。この子のワンピもニットでモードな感じ。


『そうですか、風邪をひきやすい季節ですからね。厚着をして温かくして、お大事に』


 何なら湯たんぽ代わりに毛玉持って帰る? モフってよし、抱き枕にしてよし、クッションにしてよし、温かいよこの毛玉一個いかがっすか。とも言えず。


『はい、次の人。おや』


 久しぶりにヤスさんだ。グランダの服着てる。最近はソミオ、ソミタの狩人兄弟に仕事を譲って狩人を引退し、漁師業に精を出しているヤスさんは、桟橋の上から投網をするので神殿の近くによく出没している。


「みんなが並んでいたので何となく並んでいました。特に調子は悪くありません、まずかったですか」

『遠慮しなくていいんですよ……とりあえず祝福しておきますね』

「いやはやかたじけない」


  顎の割れたガチムチなヤスさんを固く抱擁。ヤスさんの手についてた魚のうろこが白衣についたので見えないようにこっそり払う。あからさまに払うと傷つくからね、彼、見かけによらず繊細ですから。猟師を引退する契機となったヤスさんのぎっくり腰は、最近は私とエトワール先輩の治療の甲斐あって完治した。


『ヤスさん。今の最後尾の人に、その人以降は今日の祝福は終わりですと伝えてください。はい、次の人どうぞ』

「わかりました。おーい、そこまでだ! 打ち止めだぞ!」


 ちょっと一旦止めないときりがないからね。盛況っぷりに感心する私の頭の上のモフコ先輩。


”いつも大人気だねえ赤井さんは。ていうか27管区の民、微妙になれなれしくない? 珍しいよ民がこんなに距離感ゼロで近くにまで寄ってきてくれるなんて。他管区では神様を畏れて遠巻きにするだけだからね。特に患者さんが率先して寄ってくるのがすごいし”


 野生動物の餌付けとかじゃないんですから民も私の近くにも来ますし世間話もしますよ。そんなことより


”モフコ先輩。この行列さばいたらそろそろ白椋さんと蒼雲さんの様子を見に行きません? 絶対トラブってますよ。もう彼らがエントリしてから結構時間経っちゃってますし”

”赤井さんがここ離れたら彼らが入れ違っちゃうよ?”


 毛玉さん仕事してくださいよ。すると民が、私の頭上の毛玉に熱い視線を送ってる。


「神様……その毛玉、何となら交換できます? 温かそうなので帽子にしたいんですが」

『ああ、これでしたらそのまま持って行っていいですよ』


 でも、お高いんでしょう? 的なジト目で私を見てくるグランダの婦人。いえいえタダで持って行ってください。


『きゃーやめてー!? 身も心も交換不可ー!』


 モフコ先輩、慌てて私の髪の毛の中に隠れた。


「毛玉が喋ったー!」


  もう面倒くさいので人型になってくれませんかね、素民たちに魅力的な冬のおしゃれアイテム、もしくは新種のペットとして認識されてますよ先輩。さっきは毛織物職人の人に毛を譲ってくださいとおねだりされたし。さすがに身の危険を感じたのか美女精霊姿になる先輩。あれ、今日も衣装違くね?  ピンクのぷりぷりドレス着てら。


”じゃあ祝福終わったら先輩がここにいて留守番してください。私が捜してきますから”

”どこで道草くってるんだろうね~。しかも彼ら、転移術使える筈だし来るの一瞬だろうに”


 そんなこんなの掛け合いしてたら、ぱからっ、ぱからっ、と桟橋グランダ側から軽快な音が近づいてくる。何かシツジに乗って神殿前に駆け込んできた人がいる。なにこれ、早馬ならぬ早シツジ? 危ないよそんな猛スピードのシツジにぶつかったら民が交通事故なっちゃう。


「無礼者――! シツジから降りろ! 神前だぞ!」


 居合わせたグランダの衛兵の二人が槍をクロスさせてシツジを通せんぼ。馬上(?)の鎖かたびら着た人は、ネスト王家の腕章つけてるから、ネスト王パウルさんの使いっぽい。


「通してください、通してください! ネスト王家の使いの者です。神様のお耳に入れたいことがあります」

「誰だろうと割り込みはいか~ん! 皆行儀よくならんでるんだから順番にならべ!」


 通りすがりなのに仕切ってくれるグランダ兵。


『みなさん、少し事情が違うようですので彼を通してあげてください』

「あ、そうですか。通せ通せ~!」


 素直で聞き分けのいい民たちで嬉しいよ。ネストの使者は私の前に文字通り転がり込んできて、ビターンと土下座というか寝下座。


「た、大変です神様! ネストの森の上空に今朝から若い女が浮かんでいます! 怪しいので高架橋から矢を放ってよいですか、とパウル王が……」


 浮かんでるって、白椋さんだー!! 

 ネスト民、その人が白の女神様だから(当たらないと思うけど)射落としちゃだめー!!


 ***


『コハク……どこにいるの』


 第二区画ネストの森の上空を浮遊しながら、白椋は両手に、艶々とよく光る純白の糸束を携えている。ただの糸のように見えるが、そうではない。


 神具、不空羂索糸ふくうけんじゃくし――。


  神通力を一定の水準以上に備え、知恵と分別を備えた、いわゆる成熟したアガルタの神・仏・仙は神秘の力を象徴化した固有の道具の所有を許される。日本では三種の神器が有名なところであるが、中国アガルタの神仙は宝貝パオペエ、欧米では神宝トレジャーなどと呼ばれ知られているそれは、赤井の所有する神杖などとは別格のものであり、神通力を力の源として駆動する精密機械といって過言ではない。『天網恢恢疎にして漏らさず』老子の言葉を体現するかのように、白椋の持つ羂索糸はその一本一本の糸が各々高度な諜報能力を持ち、28管区内の白椋が必要とする情報を瞬時に集約し白椋に伝えることができた。


『応えて、お願いだから』


 お願い……何かに祈っている、自身に気付いた。

 この世界においては祈られる存在たるわたしが、何に祈っている……。


”地母神、白椋の名に於いて天地に勅命”


 タイムアウトで失効したコマンドワードを再入力。

 神具には能力に応じた固有のコマンドがある、それは呪文のようでもある。


”森羅万象の命宿す遍く者たち。わが勅命を聞き分け、かの者の波動を示現しげんせよ”


 羂索糸を投網しネスト全域に張り巡らせ、瞳を閉じ全神経を研ぎ澄ます。コハクの息遣いを、彼女の波動を聞き分けようと試みる。ネストの大地に羂索糸を通じて神気アトモスフィアを投射し、その反響を探知する空からの捜索。ネストの森の木々が密集しているためか、他管区であるためか、羂索糸の感度はすこぶる悪く手がかりは掴めない。天空より投網し情報がもたらされるのを待つ女神の姿はさながら、獲物のあたりを待つ漁師のようでもある。


 羂索糸を握る指先には、何のレスポンスも返ってこない。

 三十分、一時間……これといった有効な手を打てぬまま、時間ばかりが過ぎてゆく。


 それにしても、神通力の所持量を赤井の1/10に、という縛り……格下の神に基準を合わせることがまさかこれほどこたえるとは思わなかった。

 浮遊しているだけでも、羂索糸を駆動し続けるだけでも神通力を消費するのだ。神具の起動、駆動には莫大な神通力を消費するため、この世界では白椋の神通力がエンプティになる、ということもありうる。


 神具を用いず飛び回りやみくもに探し回ったとしても、この広さの土地からコハクを見つけ出すことは不可能。だが反応を待つことしかできない、待っているだけの自身に苛立ち、苛立ちが過ぎると弱気になる。


 神具を持たず構築年数は初心者にも満たない赤井神はともかく、実力も構築年数も上である蒼雲神をたよるべきだろうか――。

 

 ――つまらないプライドのためにコハクを犠牲にするな――

 先ほどの鴻池の言葉が脳裏に貼りついて離れない。


 赤井神、蒼雲神に連絡を取ると言った鴻池の行動を白椋がとどめたのは、同期二柱の男神に見くびられたくない、という意識が先に働いたのかもしれない。

 女神であるが故の、男神に対する埋めることのできないコンプレックス。

 日本アガルタでは現在七柱の女神が主神として管区を構築、維持している。しかし、その過酷な職務内容と、主神という任務がそもそも体力勝負であるところから女性には不向きであるとされ、高天原の主神天照大御神は伊藤に引き続き、男性が女神役をこなしている。


 そうでなくとも、膂力で明らかに男神に劣る女神は大人しめの構築しか許してもらえず、区画解放時には使徒たちにこれでもかと過保護に守られ、血なまぐさい戦闘に直接に加わることもなく、肉体労働も男使徒たちがとってかわり、甘やかされている節がある。


 だから、女神が主神を張る管区は何かと過小評価されがちなのだ。

 どう頑張ったところで、「周りのサポートのおかげで及第点をもらえている」としか看做されない。

 男神に負けぬよう、白椋も使徒たちをできるだけ頼らず、気が付けば肩肘を張ってばかりいた気がする。


 ……この世界には、わたしを信じてくれる民はいない。

 かつて味わったことのない孤立感、無力感。神通力さえ元に戻れば羂索糸の性能と解像度を引き上げ、空間の歪みを一瞬で特定できるだろうが、留学者の他管区素民への祝福は禁じられているため神通力は減る一方だ。素民に指一本触れてはならない……というわけではないが、赤井に集約されている信仰を横取りすることはできないのだ。赤井の許可があれば別だが。


 そんな時だった、思いがけもしない人物の声が悶々とする白椋の耳朶を打ったのは。

『白椋さん! 構築士認証式の日以来お久しぶりです! はるばるよく来てくださいました!』


 静寂を破り、明るく溌剌とした声がする。目を開けばそこには、僅か3メートルほど先におーい、と右手をひらひらと振っている男がいた。


 飾り気のないオーソドックスな長い着丈の白衣を、強風に遊ばせる、赤髪の好青年が澄んだ大気の中に浮かんでいた。上空千メートルに対峙する二柱の神々。彼らの足元を、ゆっくりと薄雲が流れてゆく。


『いや~お待ちしていましたよ。ここで何をなさっているんです? あの橋の上をご覧ください。素民がこっち向いて弓をつがえているでしょう。ネストの民が虎視眈々とあなたを狙っていましたよ。ここは危ないです。ろくに準備をしていませんが、お茶出しますので私の神殿にお越しください』


 うーん、と大きく伸びをしたかと思うと腰に両手をやって、何か白椋の目を引く景色があるのかと地上を見渡す赤井神。その屈託のない笑顔と清涼感に、白椋の胸の内に凝縮していた、絡み合ったものがするするととかされてゆく。


 区画解放イベントをモニタ越しに観察していた時には思いもよらなかった、彼と直に対面して、構築マニュアルと融合していない、彼の生身の心が濁りなく澄み渡っていることに驚く。

 ないのだ、彼には。

 出世欲、嫉妬、煩悩、自己顕示欲、打算、その他ありとあらゆる、人間特有の生々しい負の感情が、何もない。アガルタへログインした時に疑似脳を加工され煩悩を消された白椋とは種類が違う。欠落したのではない、隠されているのではない、それが彼の本来の人格であるから驚かされる。


『あなたが……赤井神』


 世界中から熱い視線をひきつけやまない偉神でありながら、

 今をときめく日本アガルタ最若のルーキー、27管区主神 赤井――。


 何だか急に、男神だの女神だの、管区がどうだの業績が……と

 しがらみに雁字搦めに縛られていた自身が恥ずかしくなり、羞恥心から目じり涙の粒がぶら下がってしまった。さりげなく両手で顔を覆い、赤井に気付かれぬよう指先で拭う。


『あ、あれ、何か失礼なこと言いました? すみません、私たまに空気が読めなくて』


 気まずそうな顔をしながら、赤面してしまった白椋に苦笑いを向ける主神。

 包み隠さず、コハクのことを素直にありのままを話そうと思った。



 ***


 その夜、数百メートル級の摩天楼の群れを縫う空の道、首都飛行道路環状線上が極秘裏に封鎖された。

  赤いレーザー網の通行禁止帯が張り巡らされ、飛行道路脇の目にも眩しい立体投影型電光掲示板にはせわしなく交通情報が投影されている。飛行道路環状線は事故のため上り、下りともに全面通行止との表示。

 地上道路への迂回ルートが示されており、空駅周辺では厳しい検問が行われ、付近の空域も一般人の立ち入りが禁止されている。しかしそれが決して事故による封鎖ではないと窺わせるのは、多数の緊急飛行車両と武装警察官が配備されているからだ。現場には目隠しの為のスモークが焚かれ、物々しい雰囲気に包まれていた。


 警察の警戒線とは別に、闇に紛れもう一つの組織が動いている。

 竹原 義一率いる、内閣情報調査室の特殊急襲部隊だ。


 今回の案件には三班が組織され投入されている。内調が極秘裏に所有する、無人の対地対空攻撃用ヘリは後方支援を務める藤田が遠隔操縦し、警察の警戒線の裏手には経験豊富な米川班が張り付いている。そして現場上空を飛行する突入支援用装甲バンは音もなくビル上に待機している。


 黒一色ずくめの特殊武装した東班のメンバーは、息を潜め突入の指示を待っていた。負傷も殉職も恐れず粛々と任務にあたる、隊員の士気は高い。とはいえ、負傷時に交換するクローン体を合法的に所有する彼らは、脳を撃ち抜かれない限り不死身イモータルである。


 午後10時1分。作戦を指揮する、課長藤田から入電。


『準備はいいか。土曜の夜だというのにすまない。約束のひとつでもあっただろうに。おっと、東君には予定がつぶれて都合がよかったか?』

「茶化すのはやめてください」


 濃灰の、ゴーグル型視覚強化・作戦連携用デバイスを通じ藤田に応じる、一見すると全身タイツの少女……東 沙織は羽根のように軽いパワードスーツを着用している。正確に言うとロボティクスの粋を集めた外骨格スーツを軽量化、繊維化、防御性能強化し、光学的迷彩能のあるボディスーツの内部に人工筋繊維として組み込んでいるのだ。青い量子回路図が黒い特殊スーツを這うように被覆する。ボディスーツは薄く柔軟性に富み無防備に見えるが、外部からの衝撃を通さず、至近距離からの銃弾すらものともしない。


 ボディラインが見るからに露わになるが、彼女はもはや気にするそぶりすらない。そしてその両手には紙一枚の重さにも満たない、軽量化サブマシンガンがおさまっている。

 レッグホルスターには、拳銃が二丁。実弾を装填したものと、実弾でないもの。


『既に把握していると思うが、現時点での状況を確認する。警察庁が本日夕刻、丸の内プレグランスビル地上18階全域の違法な全感覚没入型VRサーバーおよび利用客の一斉摘発を試みたところ、これに失敗。VRシステムのサーバー規模等、詳細は不明。武装した経営陣が利用客の生脳を人質に立て籠もり、人質の疑似脳はログアウト不能状態にされている模様。要求が聞き届けられない場合、30分ごとに一人ずつ殺害するとの予告があった。犯人の要求は警察の包囲網の解除、逃走用の緊急車両を用意しろとのこと。警察側の交渉人が一人捕まっている、彼を盾に逃亡する気だ』


「人質も犯罪者なんだから、別に殺害しても構わないだろうに……と思いきや、交渉人がとっ捕まってるのか。大体、何で俺らが警察の尻拭いを」

「酒井さん。課長の指示が聞こえません、私語を慎んでください」


 同僚の皮肉めいた愚痴は、少女に一喝される。軍人然とした、屈強そうな青年は大げさに肩をすくめると、装備の確認に没頭した。


『酒井の言いたいことはわかるが、これもDFH絡みの案件だ。警察に証拠を渡し、おめおめと握りつぶされる訳にはいかない。既に事件から3時間半が経過。人質の殺害予告時刻は1050(ヒトマルゴマル)。ビル周囲の避難誘導および報道管制、通信遮蔽、内部傍聴、偽装ネットワーク展開は完了。東班、米川班、問題がなければ所轄に先んじてビルの屋上に着陸したのち、米川班は17階、東班は19階から1023(ヒトマルフタサン)、突入を決行しろとの次長からの指示だ。諸君らはVRサーバーを保全するとともに、人質の安全に万全を期し、犯人検挙に全力を注いでいただきたい。建物内部の情報、内部の人数は視覚デバイスに伝送済み。突入ルートは見ての通り階上、階下の通気口より。熱感知システムによる予測によると、武装している者が十二名。見張り役二名、配置は見ての通りだ。突入後の作戦所要時間は最大8分。成功を祈る』

「了解。東班確認しました。屋上降下開始します」


 ……東班メンバーにほどよい緊張が走る。ビル内部では銃撃戦は避けられない模様。脳内にアドレナリンが満ちてゆくのが、彼女には数値としてわかるのだ。彼女と班員たちは消音ブーツで屋上に降り立ち、東のハンドサインと共にボディスーツの熱光学迷彩を実装。


 視覚デバイスで索敵、随時建物内の状況と配置を確認しながら非常階段を駆け下り、固く閉ざされた鋼鉄製のドアをスーツの性能で、無音のうちに握りつぶすように破壊する。立て籠もり現場の天井裏に到着。


『所定の位置に到着。LD4装備にて各員待機中です』


 東の作戦班はファイブマンセル(五人編成)、基本に忠実な構成だ。東はその経験と経歴、次長からの信頼厚く、チームリーダーを任されている。


『聞き間違いか? 東。私はD1装備(実弾)で、との指示を下したはずだ。米川班はD1装備だ、LD4では作戦に支障をきたす。実弾装備での突入を。……米川班も18階下に到着したそうだ』


 東とバックアップ中の藤田課長の間では、思念インタラクティブな脳波通信が行われている。熱光学迷彩、そして脳波通信によって視覚的も聴覚的にも、19階は“無人”である。脳波通信では喉に首輪のような形で装着され、発音する前に電気的シグナルを感知し消音、視覚デバイスを通じて通信を行う。


『実弾も装備しておりますよ。我々の班は問題ありません』


 東班の装備した拳銃に込められた弾丸は、実弾ではない。四菱重工社の12ゲージ電気弾、薬莢内部で高電圧にチャージされており、着弾と同時に敵に電流を浴びせ失神させる非殺傷兵器だ。


『躊躇うなよ、人質もいる。証拠を破壊されたら終わりだ』

『承知しています。それより、この案件は私たちも追っていたものですが、所轄に先に事を起こされてしまったのは失敗でしたね。警察が突入に失敗したことも含めて、こちらの動きを読まれていたのでは』


 東は、厚労省をはじめとする各省庁、のみならず警察内部にもDFH計画に関与する者がいるとの疑いを抱いているとは述べた。ここ一年、違法営業を行うやくざ紛いのVRネットワーク管理組織の犯罪が、とみに増えたからだ。


 VR世界は大抵の場合、現実世界では違法とされる行為をターゲットとした風俗営業を行っていた。

 児童を性の対象としたもの、薬物疑似体験、殺人、戦争、加虐、アイドル、二次元キャラなどを含む好みの女性との疑似の性行為など、欲望にまみれた世界……東からしてみればそれは一概に下劣極まりなく、目を覆うようなものであった。が、現実世界では体験できない欲求を満たしてくれるとあって、いかに利用料が高額であっても客はつく。しかも頭の痛いことに政治家、財界人、要人などの利用者も少なくない。


 国内外では、民間での全感覚没入型仮想現実世界の構築が法的に禁じられている。個人の疑似脳への記憶・感覚転送技術を悪用すれば、容易にテロや凶悪犯罪を企てることができるからだ。民間ではダイヴ接続時に脳の健全性を維持できないという理由もある。


 もちろん、税金を大量に投入し厳密かつ芸術的なまでに調律されたアガルタのそれとは異なり、悪徳業者が荒稼ぎのために構築した安上がりな仮想世界往来技術は粗悪極まりなく、疑似脳の故障やサーバーダウンなどの問題を起こし利用客の大量殺人事件として検挙された事例もある。昨年などはテレビ局社長がビルの一角に変死体で発見、という形でも発覚した。


 東は多発するブラフともいえる犯罪の裏に潜むものに、危機感を募らせつつあった。そんな悪徳業者の存在を隠れ蓑に、国家転覆を狙った国内に例をみないテロがひそやかに進行しつつある。

 何より憂うべきは厚労省の職員が、アガルタの機密を外部に漏えいしているということ。


 そしてそのテロの最終的な標的が日本の国体を根本より揺るがす、日本の象徴そのもの、その人であるということ――。

 口に出すのもおぞましい。


『何が言いたい? 内調内部にも、DFHへの加担者がいると?』

『失言でしたね。忘れてください』

『お喋りしている余裕はない。あと13分で警察の特殊部隊が配備されるそうだ」

『予定時刻になりました。突入します』


 少女から突入のハンドサインが送られ、二名の隊員の天井板が破壊されると同時に音響・閃光手榴弾が室内に投げ込まれ閃光とともに炸裂する。


『ゴー! ゴー!』


 五名のメンバーが音響手りゅう弾と共に天井より突入。フラッシュと音響により怯んだ三人の見張りの脚部を、床下より突入し不可視化した米川班の班員が射撃。


「うわっ! 警察か!」

「撃て、撃て――!」


 突入した東は室内中央の状況を確認。メインサーバ、とダイヴ用コンソールベッドが設置されている。ベッド上にはVR世界からログアウト不能となった人質兼利用客が六名、横たわっている。第二班リーダー、米川が人質保護の防弾シールドを展開。彼らは武闘派というより、囮役と人質救出任務を帯びて投入されている。


『サーバーと人質に手を加えるな!』


 サーバーへの銃撃は即、間接的に人質を殺すことになる。その黒々と聳え立つ石柱のようなサーバーをバリケードとし、無防備な木偶人形と化した人質を盾に小銃で応戦する犯人グループ。対し、不可視化した東班メンバーは電気弾の射撃での電気ショックで掃討、背後から急所を突いた近接戦での殴打で着実に頭数を減らし、仕留めてゆく。特殊ボディスーツにアシストされた東の腕力は凄まじく、女の細腕とは思えぬほどに隆起する筋肉、えげつないほどの怪力によって犯人が数メートル吹き飛ばされる。

 狭い室内に響き渡る発砲音、目に見えぬ脅威に、犯人たちは追い詰められてゆく。


「なっ! どこだ!」


 東を視認できず、見当はずれの場所を手当たり次第に撃つ主犯格を憐れみつつ、顎下を蹴り上げて失神させ一撃で床に沈める。後ろ手に縛られた交渉人を保護。


 突入から五分後――。


「課長、現場を制圧しました。逮捕者12名、死傷者なし。軽傷6名、意識消失4名。サーバーは損傷なく稼働中です。データを回収し所轄に逮捕者を引き渡し次第、撤収します」


 少し誇らしげに、しかし律儀に報告を入れると、視覚デバイスを外し額の汗をぬぐう。安堵の表情を見せる班員たちに作戦終了を告げた。

 そんな、東 沙織のささくれだった日常の一幕である。

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