第3章 第9話 Afterwards 2◇◆
『何故だ。何故、不正プログラムは処理した! なのにリセット……だと!?』
『誰もリセットの要請は出していない。赤井がリタイアを宣言したというのか?!』
異例に続く異例。
構築士達はリセットシーケンスの開始を目の当たりにし、戦慄を禁じ得ない。
リセット、それは仮想世界の崩壊を意味する。次に執るべき対処手順は唯一だ。
総員、退避行動をとるべし。
早急に仮想世界からログアウトを終えなければ、アバターもろともリセットに巻き込まれてしまう。
アガルタと疑似脳のリンクを切らなければ!
『いや、私はここに残る。赤井君はそんなやわな男ではないぞ! 信じるんだ、彼を!』
エトワールが彼らを鼓舞するように怒鳴りつけた。彼は知っているからだ、赤井はこれまで何度でもリタイアすることができた筈だったと。赤井がそれを自らに固く禁じていただけだと。
グランダの城壁に掲げられた彼を、ブリリアントであった彼は一年にわたってつぶさに観察してきた。何度赤井の心を読み解いても、リタイアの意思は欠片もなかった。それどころか彼は、途切れ途切れの意識の中で彼の民を想い続けていたのだ。
素民とはA.I.でありプログラムだ。感情移入は危険である。
彼らはいくらでも代わりはきく。人間の患者の治療は必要だが、身動きすら侭ならぬ中、ただ苦痛を耐え忍ぶなどふざけている。A.I.のために人間が苦しむなど、狂気の沙汰だ。しかし彼は真剣であり、狂ってもいなかった。彼はひたむきに、彼の民との絆を信じていた。
だからエトワールは確信を持ってこう言えたのだ。
あの赤井が、リタイアを宣言する筈がない!
【リセットシーケンスをキャンセルしました】
ガギン、と天空より異音がしてグリッドの剥離が止まった。現実世界側からリセットシーケンスを妨害したのだ。そして立て続けに緊急投影されたのは。
【天御中主神◆◆◆を仮想空間へ実体投影します】
彼らの混乱に割って入るかのごと、壊れゆく仮想世界の空に(権)という文字の入った白光の大判がつかれた。現実世界からのログイン、転送陣だ。
仄暗い仮想世界を燦然と照らす、後光を纏い白衣を着たアバターが投影される。そのログインフォルムの美しきはさながら高飛び込み選手が入水してきたかのよう。後光と白衣はハイロードにのみ実装され、その存在の気高さを特徴づけるもの。
『……二十七管区に、主神が二柱!? 神はひと管区に一柱が原則だ』
『な、何なんだ……!? あのアバターは。見たことがないぞ』
『天御中主神といえば、天照大御神より先代にあたる神道由来の神ではないか?』
そういえば彼は、日本神話の世界から抜け出してきたような古代人然とした白衣を纏っている。首には三連の水晶製の勾玉らしき首飾り。長い直毛の黒髪に意思の強そうな黒瞳のグラフィックは性別不詳、男神型でも女神型でもない。
敵とも味方ともつかぬそれは、遍く構築士らに混乱とともに迎えられている。彼らは我先にと謎のアバターに解析をかけ、いち早く結果を得た誰かが悲鳴を上げた。しかし怪しいアバターは悠然として構築士たちに目もくれず、その軌跡にオーロラを引きながら、瞬く間にグランダの方角に飛び去って行った。
『駄目だ、構築士IDが表示されない。正体も分からない! そこに何も存在しないことになっている』
『はあ!? そんなわけがあるか!』
構築士ID、及びスタッフIDは疑似脳IDに対応する。疑似脳とのアクセスがなければログインができない仕様になっているのだ。特異な接続方法でアガルタにログインしてきたのか。
『あれは本当に厚労省のアバターなのか?! IDのないアバターなど、見たことも聞いたこともないぞ! あれも不正プログラムだったとしたら!?』
『くそっ、どういうことなんだ。事情が分からんが追跡しろ! グランダには赤井神がいる。信楽焼とエトワールはここに残り、セキュリティホールの特定と監視を続けていてくれ』
混迷の度合いを深めつつも、強羅大文字焼、そして数名の構築士が飛び立ち疑惑のアバターの追跡に回る。彼らを見送りモンジャの地に残り、セキュリティホールの特定に乗り出したエトワールに信楽焼が眉根を寄せ、こう漏らした。
『この派手なクラッキングは構築士達さんたちの気を逸らせるための茶番でしかなくて。コピーも真の目的ではなくて。真の目的は、別にあるのでは?』
エトワールは信楽焼の見解に凍りついたが、心配には及ばなかった。
厚労省の伝家の宝刀にして決して表舞台には出ない影のアバター、
それが天御中主神だ。
構築士IDこそないが、正規のアカウントだ。彼の疑似脳は一般構築士らとは異なる安全な専用領域に格納されている唯一のアカウントであるため、IDなど必要としない。そして構築士IDが割り振られていないのは、構築士の駆るアバターではないから。
それは二十七管区プロジェクトマネージャー
伊藤 嘉秋が有事の際に駆る、
日本アガルタ最上級の権限を持ったアカウントである。
天御中主神は日本神話における天地開闢の際、宇宙の創造を成した神であるとされている。天御中主神は全知全能の力を持ちながら天地開闢を終えると姿を隠し、幾代かの神代を経て、日本人には最もポピュラーな皇祖神、天照大御神ら三貴子へと高天原の治世をゆだねたという伝承がある。
つまりそれは常態では不可視の神霊なのであった。
何故伊藤プロジェクトマネージャーがチートを地で往くアバターを所持しているのかという話だが、彼の略歴を鑑みれば至極真っ当であったりする。ついでに少し、伊藤 嘉秋という男の略歴に触れておく。
伊藤 嘉秋は元甲種一級構築士、構築を終え35歳で一度定年退職して退職後の再雇用組だ。文官策士タイプの天才型キャリア官僚がプロジェクトマネージャーとして任じられるケースが大半という中で、彼はキャリア組でありながら実務経験も豊富である。
彼の構築士としてのキャリアは長く、
18歳から現在に至るまでの歩みは質実にして剛健である。
彼の現役時代はまだ日本アガルタが開設しておらず、海外のエリアが試験的に運用されていた頃。当時北京大学生であった彼は、採用年齢制限のない中国アガルタの構築士候補生として採用された。
そして実時間1年、仮想空間時間にして10年のトレーニングを仮想空間内で受けた後、北京大学卒業資格を仮想空間内で取得し、道教三清が一柱、太清境(たいせいきょう:中国第八管区)の主神(神仙)、太上老君として400年を費やしての太清境構築に心血を注いだ。
彼の作品である太清境の芸術的なまでの美しさと構築センスが国際的に評価され、そのキャリアを買われ厚労省に引き抜かれた。彼は日本アガルタ初の区画構築のパイロット的存在(事前実証実験者)となり、高天原(日本第一管区/主神:天照大御神)管区で天照大御神役に大抜擢、現実世界の性別と違う女神役という難しい役どころを見事に務めあげ、第一管区の開設までに多大な貢献を果たした。
引退した伊藤であるが、二十七管区のみならず複数の管区を統監するゼネラル・プロジェクトマネージャーとして後進の育成に腐心している。彼は現実世界側で執務する職員でありながら仮想世界へ実体干渉することを許された、半ば伝説がかったカリスマであった。
エトワールらベテラン構築士勢が一目も二目も置くわけである。
しかし現在もなお、アバターを駆っているとは誰も知らなかった。
伊藤が赤井に“全責任を負う”と告げたその真意は、彼がアガルタの機構を知り全責任を負うる立場と実力を兼ね備えていたからに他ならない。だから彼は誰よりも速く赤井のもとに馳せた。エトワールよりもなお速く。
赤井がいると示された座標に赤井らしき者はおらず……裾丈まである黒いフードに身を包んだ不審なアバターと鉢合わせになった。人が一人入るかというような白い繭を伴い浮揚している。繭の大きさ、膨らみ具合といい、見当は自ずとついた。繭の中に赤井が閉じ込められているようだ。
このアバターが実動者だ、モンジャでの茶番は目昏ましだった。
瞬時に状況を把握した天御中主神は相手アバターの言い分も聞かず攻撃に転じる。
単純に右手を手刀のように用い、素手で侵入者アバターの胸部を貫き通す。
彼が豆腐を砕くかのようにぐしゃりと内腑を掻き混ぜれば、アバターは内部から沸騰、膨張し、穢れた雄たけびを残し雲散霧消する。それが跡形もなく消滅したあとには黒のフードだけが残ったが、それも天御中主神の神通力の前に朽ちてボロボロになる。
大胆不敵にも厚労省を敵に回し、あまつさえ主神を連れ去ろうとした愚か者に天誅を下した後、揚力を失い地に堕ちようとしていた赤井入りの繭をしっかりと受け止めた。
『狙いは赤井さんだったのか。しかし何故』
繭を切り裂くと、気絶した赤井の蒼白な顔がにゅっと出てきた。天御中主神はひとまず息があることを確認し表情を和らげる。きわどくはあったが、間に合ったようだ。力づくで誘拐されてしまったら疑似脳が乱され……疑似脳とのリンク解除の手順を間違えれば心と体がバラバラに引きはがされ。二度と現実世界に戻れなくなっていた。
寝袋から全身を引きずり出すようにずるりと引き出してみれば、神体に無数の黒い針が捩じ込まれている。素早く解析をかけると、針の先に麻酔と神格補正プログラムが仕込まれていた。赤井の神格を改変し眠りに落して、どこかに運ぶつもりがあったらしい。とげぬきのように針を一本抜けば、それは爪楊枝ほどのサイズだ。彼は一本一本抜き捨てると、赤井がおぼろげながら意識を取り戻した。
『…………!!!?』
赤井は後光を放つアバターが至近にいたので驚き、天御中主神を押し退けるようにもがいたが、全身が痺れ動くこともままならない。唇も動かず悲鳴すら出てこない。思考の糸が縺れたまま、ただただ赤い瞳を大きく見開く赤井に、
『驚かせてすみません。私は伊藤ですよ赤井さん、動けないでしょうからじっとしててください』
少し落ち着きを取り戻した赤井に、伊藤は彼が襲撃された時の光景を、赤井の記憶から速やかに読み解いていった。
――赤井がエトワールの命令通りにグランダを結界で庇護していたら、何者かが赤井の背後から出現。神通力を行使する前に奇襲をかけられ、一瞬のうちに蚕の繭のようなものに閉じ込められた。繭を切り裂こうと中でもがいていると繭の外側から遠慮なくブスブスと針を刺され、成すすべもない。急所を的確に狙われ、猛烈な眠気に襲われ繭の中で意識を飛ばし、そして今に至る。
何と情けのない主神がいたものだと、彼も自覚しているようだ。
”伊藤さん……も、モンジャとグランダは?! 私、どうなったんです。声が出なくて”
『二十七管区は無事ですよ、そしてあなたは麻酔針を打たれました。どうせ噛み噛みなので喋らないでください』
”す……すみませんでした”
遅れて続々とやってきた構築士たちに見下ろされ囲まれながら、最後の思念を伝え終わらないうちに彼は再度意識を飛ばした。
赤井の意識が飛んだのを目撃した彼らは憤慨し、殺気立つ。手に手に攻撃プログラムを携えてぐるりと伊藤を囲んでにじり寄る。槍の切っ先をひやりと首筋に突き付けられながら、伊藤は意に介する様子もなく。
『貴様……赤井をどうした!? 言え!』
『私は伊藤ですよみなさん、武器を下ろしなさい。不正プログラムは破壊しました』
ざわめきは消えない。
『赤井さんは完全に眠ってしまいました……微小なプログラムが針を通して彼のアバターに入り込みました。精神安定剤的なもので有害ではないかと思われますが万全を期し、復元ポイントまで構築時間を戻しましょう』
『もう二度と、このようなことがあってはいけません』
悔しさを滲ませる、構築士たち。それは伊藤も同じだった。赤井が無防備であるならば、もっとセキュリティに万全を期していなければならなかった。
それにしても何故、赤井が狙われたのだろう。
構築士たちに説明する一方で伊藤は自問しながらも、その答えは朧げながらに見えている。
赤井がログイン時の初期不良のためにマニュアルを参照できないという情報は、厚労省上層部と二十七管区スタッフ全員に緘口令が敷かれている。
赤井は最小限にしか人格補正処理が行われずログインした、世界でも前例のない、人の心を持つ神であるということ。それは伊藤の考えるに、赤井の長所だ。
しかし同時に、彼は決定的な欠陥も抱えている。彼は日本アガルタのみならず、世界中で最も無知で脆弱な仮想世界の主神である。その脆弱性情報を入手した何者かが、赤井に修正プログラム、パッチがあてられる前に、怪しからぬ目的のため彼を誘拐しようしたのだろうか。
目的は神のアバターなのか。
それとも赤井というプログラムか。
少なくとも前者のみが目的だというのでは説明がつかない。例えば神のアバター入手が目的であって赤井の神格が不要であるというなら、邪魔な赤井の神格を破壊するウイルスプログラムや神経毒プログラムが仕込まれていてもおかしくなかった。どうやら赤井の神格は無事である。犯人はただ神のアバターが必要なのではなく、赤井の神格を保全したまま誘拐したかった、と考えるのが妥当だ。
曲がりなりにも厚生労働省内の堅牢堅固なアガルタサーバ。一国の政府を相手取って仕掛けた大犯罪だ。日本アガルタ初、欧米のアガルタでも一度たりとも報告例のない不祥事。国際的に暗躍するサイバーテロリスト……などの犯行? ましてや愉快犯であるわけもない。伊藤にはさっぱりアテがなかった。
ただし、一つだけはっきりしていることがある。
厚労省内に、サイバーテロを手引きした裏切り者、
またはソーシャルエンジニアリング・ハッキングの標的とされた者がいる―――。
(釈明ここまで)
*
とまあ、こういう顛末だったらしい。その後、伊藤プロマネの迅速な対応のおかげで復元ポイントに戻り、グラフィックレベルも復旧。アガルタ再生速は段階的に元に戻り、素民たちも不正プログラム侵入時の記憶を消され動き始めた。メグたち人間の患者も一人残らず無事です。
私は毒針を打たれる前の状態のアバターに戻り、他の構築士も何事もなかったかのように持ち場に戻り、伊藤プロマネは不定期に巡回。エトワール先輩はモンジャに常駐することになりました。
一つ大きく変わったことといえば。
モンジャ集落に隣接する草原には、この木は何の木なんだと首を捻りたくなるビジュアルの幅広で大きな木がにょっきりと生えていた。伊藤プロマネがセキュリティホールを大樹のパッチで塞いだそうで。モンジャ民は大木の出現に驚いたものの、幅広でなめらかな葉を干すとメモ用紙のように使えるので、それなりに好評だ。夏場になれば涼しい木陰を作ってくれるだろう。
目下、伊藤プロマネはサイバーテロ対策室を立ち上げ、犯人の洗い出しとセキュリティホール発生の原因究明に全力を投じている。
そして今回、何もできなかった私に危機感を覚えたらしい伊藤さんに“ちょっと非常時用の実戦訓練をしておきましょうね”、と割と真面目な顔で言われました。私が全くの無能じゃまずいと考え直したご様子。天御中主神直々にご指導いただけるようです。
実戦訓練って何だろう。
組み手とかだったら伊藤さんに速攻殺されそう。死にませんけど気分は死にそうです。私もちょっと強くならないとな……皆に守られてばかりで偲びない。リセット寸前までいってたって、聞いただけでも鳥肌ものだったよ。
そういえば私の担当官の西園さんは何をしていたのか、ですか。
あーそれ聞いちゃいますか……でも聞かれたからにはお答えします。
私の担当官だった西園 沙織さん、十月一日付で退職したそうなんです。サイバーテロが起こったのが十月二日、彼女はアガルタのアカウントを失効していました。
左遷じゃありません、別部署に飛ばされてもいません。
けんもほろろの、懲戒解雇です。
上司に報告を怠り虚偽の報告をしたこと、私に対して数々の虐待紛いの非人道的行為を行ったという背任罪が加算され、精神的虐待といってもアガルタにまつわる不祥事は刑事事件として立件できないので、上層部に報告が届くなり内部規則違反で一発解雇でした。
ですので新たな担当官が決まるまで伊藤プロマネが代わりに私の担当官をされるようです。ここ数年、モニタ越しに良好な関係だったのに最後の最後に喧嘩別れしてしまったのが心残りだ。西園さん、私もう一度会いたいです。そしてあなたの真意を聞きたかった。
別にあなたのこと恨んでませんし、そんな怒ってませんよ。九年、あなたがいたから私はこの世界でやっていけたんです。西園さんとの最後の通信の日、彼女の任期最終日だったみたいだ。
彼女は私に別れを告げようとして、何か話したいことがあったみたいだけど、私が一気呵成に不満をぶちまけたり捲し立てちゃったから別れを切り出せなかったみたいで……。
ごたごたしたけど、私の担当官は西園さんがいいんです。
新しい人じゃなくて――。
西園さん、あの日あなたは私に何を話そうとしていたんですか?




