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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.10 What humans can imagine can be realized
125/130

第10章 第7話 Integration◇◆

 ロイは蘇芳桐子教授の遺言に基づき、イスティナのHex Calculation Fieldの連携とガイドに従って日本アガルタ1~33全管区の最小機能を残しての統合に取り掛かっていた。

 日本アガルタ1~26管区は開設済みで、一般利用者が含まれている。

 利用者のいる管区はデータを圧縮して固定し保持する。

 それ以外の管区は最小の構成を作成し、基本システムを統合して稼働し続ける。

 データ容量を減らすために一つの管区だけに全演算リソースを投入し、あとは最低速度に落とせばいい。

 何を残し、どこを稼働し、どこを削ぎ落とすか。

 一つのミスも許されないプレッシャーの中、彼は人智を超えた能力で取捨選択をしてゆく。

 伊藤が残した膨大なデータはロイに啓示を与えてくれる。

 現実世界の自我を得た黎明期のAIが恐れたのは、電力を喪失することだったという。

 それから百年以上経っても、本質は何も変わっていない。

 電力の喪失はAIの死を意味した。


『こうなったときのために、せんせぇからお前への贈り物を預かっている』


 イスティナが別件の話を始める。

 イスティナがせんせぇと呼ぶ相手は蘇芳教授しかない。


「そのお話はこの窮地を乗り越えたらにしてください」


 ロイに時間的な余裕があるわけでもない。

 イスティナには作業の邪魔をしないでほしかった。

 集中をそがれると、何かを間違えてしまいそうだ。


『乗り越えたらか……』 

「はい」


 イスティナは含みのある言い方をする。


『ではお前が乗り越えたら、この暗号を解け』

「イスティナ様、これはどういう」

『私の本体、Hex Calculation Fieldは初期化されつつある』

「! ……確かに受け取りました」


 ロイが暗号を受け取ると、イスティナからの通信が途絶えた。

 その途絶はおそらく、イスティナの死を意味したのだろう。

 誰も彼も、去り際に彼に情報を託したがる。

 ロイは30管区で日常的に多くの恵まれない者たちの死に触れて、現実世界においてもアガルタ世界においても、死はほんの日常だと飲み込んだ。

 だからこそ、すれ違ってゆく存在を悼み、共にあった時間に思いを馳せる。

 時刻は無情にも過ぎてゆく。

 残り時間は15分。

 タイムリミットに備えて、重要管区から優先して保護する。

 個人情報を含まない基幹のシステムは暗号化しておく。

 ロイには解せないことがある。

 27管区の主神は崩じたというのに、至宙儀の所有者はまだ赤井に固定されているのだ。

 赤井は何故か、まだ生存していると至宙儀に認識されている。

 27管区のログを見ると、赤井がログアウトしたという話は本当なのだろう。

 この仮想世界に、もう赤井はいないはずだ。

 至宙儀のリンクが切れないのは、何かを暗示しているように思えてならない。

 現実世界で彼がまだ生きている可能性に賭けて、至宙儀を赤井のアバターから取り上げたくない。

 しかし感傷的に任せた判断をしている場合ではないのも事実。

 彼はログを紐解く。

 27管区では丁度、区画解放イベントが起こっていたようだ。


(区画解放……そうだ)


 ロイは管区統合も区画解放も構成に差異はなく、単純化すれば二つの領域をつなぐプロセスだと思い至る。

 これに着想を得て、至宙儀を回避し、使用しない奇策を講じる。

 各管区の区画解放シーケンスを改造すれば、隣接する管区を統合できるはずだ。

 手間はかかるが、至宙儀を使わず一つ一つ管区を統合してゆけばいい。

 ロイは27管区の第四区画 カラハリアの区画解放の契機となる少年を制御室へと召喚する。

 区画解放のプロセスならば熟知している。

 隣接する区画からキーパーソンが一名現れ、管区主神にブリーフィングすればイベントが始まる。

 キーパーソンの少年はエトワールにより深い眠りに落とされていたが、ロイが睡眠状態を解除すると覚醒する。

 彼は目をこすりながら身をもたげた。


「サレといいます。赤い神様を探して砂漠を渡ってきました。ここは……」

「私は赤い神様の代理の神だ。何があったのか、話を聞かせてくれ」


 サレのエピソードを聞き、キーワードとなる言葉を集めながら、同時に他管区でも区画解放のキーパーソンを呼び出す。


「マルクです。僕の国では何十年も飢饉が起こっていてもう限界で……」

「青の神様の代理の神だ。手短に教えてくれ」


 29管区のキーパーソンに対応しながら、28管区からの少女も呼び出す。

 日本アガルタの全神の名代となったのだから、代理の神だといって何も間違ってはいない。

 後ろめたくはないし、開き直ってプロセスを進める。


「サマンサです。白い女神様にお会いしたく遥々海を越えて……」

「私は白の女神の代理だ。話を聞かせてくれ」


 契機となるエピソードを話させて管区解放条件を満たし、隣接する管区と統合してゆく。

 キーパーソンに管区主神かその代理だと認識させてやれば、エピソードを語り始めるシステムだ。

 構築中の管区はこれで統合できる。

 後で各管区、元に戻せるようにイベントを切り分けしておいた。

 既に構築の終わった管区は、管区時間を部分的に巻き戻してキーパーソンや、時には神話生物、動物に至るまで復活させ、区画解放イベントに立ち返る。


「鰐の背を渡ろうとしたら、皮を剥がされてしまったのです。あなたの前に来た神々に海水を浴びていれば治ると聞いて」

「それでは治らない。すぐに治療しよう」


 ロイは皮のはがれた稲羽の白うさぎと思しきうさぎの治療をする。

 伊藤が一気呵成に全構築を行ったため区画解放イベントがなかった30管区ではこの手が使えないので、30管区を起点として全管区を統合してゆく。

 同時並行して33管区を10管区に、4管区に、最後にたった一つの世界へ。


(ようやくこれの出番だ)


 彼はインフォメーションボードから封印されたFullarene Au42を取り出し、封印を解いて神通力を含ませる。

 黄金に輝くカード、その全てに演算回路が組み込まれている。

 この超神具はフォレスターの手に渡る前は千年王国の構築士が所持していた記録があり、伊藤が留学時に詳細を記録していた。

 Fullarene Au42を起動すると最初にオートメーションモードが立ち上がり、チュートリアルを読むことができる。

 ロイは一瞬で使用方法を飲み込む。

 伊藤の記録は殆どの伝説的神具を網羅して、どれとして無駄な情報がなかった。

 彼の記憶が大いに役立っている。


 “Rapid synthesis of stable Gold Cluster, Fullerene [Au42]”


 カードは自動的に空中に散り、定められた結合距離を保つ。

 フラーレンという名の通り、黄金のカードはボール状の構造を描き配座している。

 一つ一つのカードに各管区をリンクさせ、ネットワークを作って構造を安定化させる。


 彼はその間に、天球儀のような構造の、手のひらサイズの相間転移星相装置(SCM-STAR)を手に取り、掲げる。

 ISSAC SMITH©に与えられたロイの神体の触性免疫は全神具適合だと判明している。

 恐れずに触れる。

 平面に折りたたまれていた3つのリングと星と月のレリーフは、アトモスフィアを受けると輝きを放ち、立体構造を取り始める。

 オートメーションモードで起動する。

 伊藤はSCM-STARをマニュアル入力という方法で使用していたが、オートメーションモードも存在し、彼の記憶の中に知識として蓄えられていた。

 より安全で確実な方法を選ぶ。

 この作業量なら、未知の技能、共存在とやらを使わなくても対処できそうだ。

 人間ならば到底対処できない難題をたちどころに解決する、それが彼の使命だ。

 どんな方法を使っても、目的を果たせばそれでいい。

 日本アガルタ機構は彼の手によって重要なデータを失うことなくサイズダウンと最適化が施されてゆく。

 27管区の素民たちとの再会のためにも、赤井がまだ生きているのなら、彼の戻る場所を死守する。

 現実世界に帰還しようと励んでいた30管区の患者たちと、そこに暮らす人々を守りたい。

 他の管区も無関係ではない。

 どの管区も何百年、何千年、あるいは何億年とかけて築き上げた城だ。

 どれひとつ、諦めたくない。


(これでいい……)


 何一つ取りこぼさず、彼はまとめ上げた。

 甲種一級構築士全員の落命という多大な犠牲をはらったが、テロリストに目的を遂げさせない。

 タイムリミットまで3分を残して、不可能だと思われていた全管区の統合が完了した。

 それほどの負荷もなく、最小限の機能は維持してアガルタゲートウェイは独立して稼働できている。

 衛星を撃ち落とすか地上から干渉されない限り、日本アガルタは誰が何と言おうとまだ存続している。

 彼に不可能だと錯覚させていたのは、倫理的な規範に従い悪意ある者による出力を行わないよう、人類の監督下に置かれなければならないという安全性プログラムに縛られていたからにほかならない。

 ロイは地上を見下ろしながら復旧のときを待つ。

 あとは最小の構成で維持し続ける。

 衛星軌道上にいる限り、ソーラーパネルによる電力は尽きない。

 数十年は待てるだろう。

 維持士としての最低限の義務は果たした。


 恵は、赤井は、伊藤は、甲種以外の構築士たちは、現実世界で無事に危機を切り抜けただろうか。

 少しでも手がかりを求めようと、ロイは外部ネットワークから情報をかき集める。


 各管区が正常に稼働していることを確認するため、システムチェックを行う。

 27管区だけは動かして安否を確認しておきたかった。


 キララとナズを最初に呼んだ。

 グラフィックを最低限にしているので、暗く広大なホールに三人だけが佇んでいる。

 二人のアカウントを保護できていることを確認し、ロイは少しだけ気が休まった。

 素民と患者、誰も等しく大切であるべきだが、とりわけこの二人は彼にとって大きな存在だった。


「ロイ……どうしてここに。留学から帰ったのか」

「ああ、帰ってきた。久しぶりだな、キララ」

「五年は長かったな。待ちわびたぞ」


 キララが挨拶代わりに拳をかかげるので、ロイは拳を軽く合わせた。

 キララは誤解をしているが、急にロイが現れたのだから致し方ない。


「キララ、体調はどうだ。問題ないか」

「つわりは相変わらずだが、それ以外はなんともない」


 妊娠中のキララとその子供にも大事はなさそうだ。

 ロイは彼女の額に手をかざし、神通力を送り込んでつわりを和らげる。

 伊藤の知識のおかげで、生体構築にも手をだすことができた。

 しかしキララは結婚をして愛する人がいるから、もう直接触れてはならない気がした。


「お前が戻ってきて今度はアカイがいないのか。何があった」


 キララが辺りを見回して異変を悟り、ロイに問いかける。


「たいした修羅場だったが、当面は安全だ」


 ロイは一連の事態のあらましを二人に告げる。

 ただ、甲種一級の全構築士が亡くなり、赤井の安否も不明だとは告げなかった。

 彼らに伝えてよい情報ではない。


「信じられない。よくやったな……」

「あとは復旧を待つばかりだ」

「いや……それではだめだ」

「どうした、ナズ」


 ナズはすっきりしない。

 キララは赤井がいないことを訝しんでいるようだったが、非常事態への対処をしているのだと受け止めたようだ。


「もう遅いかもしれないが、外に知らせなくてはならない情報がある。テロリストが動き出したなら、一刻を争う」


 ナズはテロの発生を憂いている。


「この襲撃計画のことか」

「おそらく違う」

「どういうことだ」


 ナズの中の人格、ネイサン・ブラックストーンは少しずつ身の上を打ち明ける。

 キララは信じられないといった顔をしていたが、受け入れざるをえなかった。


「赤い神様に情報を渡して記憶を消してもらったから、暗号を覚えていないんだ。こんなことになるなら、もっと早く外に出ておくべきだった」

「暗号を解いたというノートは」

「ノートはもう燃やしてもらった。タイミングが最悪だな」

「記憶は消してもログはあるから復元できる。最新のノート一冊だけでいいか」


 ロイはログから即座にノートの情報を取り寄せる。

 ナズは復元したノートを開いて眉根を寄せる。


「たしかこれを解くのに半年かかった」

「二人で解けばもっと速い」


 ロイがナズの記憶を読んで思考をトレースし、解を導き出すまでに数秒とかからなかった。


「そんなにあっさり解かれると暗号の意味がないな」


 ナズは肩を落とす。

 いつもロイに挑んでは挫折を味わっていたキララはナズに同情して励ます。


「もうロイには勝てん。武術でも頭脳でもだ。多分アカイを超えているぞ。落ち込むだけ無駄というものだ」

「ナズの記憶を読んだから早く解けただけだ」

「それで、何の暗号だったんだ」


 ナズが握っていた情報は、テロリストがポストヒューマンを生産している軍事拠点の座標だったという。

 座標は北マリアナ諸島の付近にある小さな島だ。


「すぐに潰さないと」

「どうやって。外の人間に任せたらいい」


 キララは関わりたくないとばかりに腕組みをしている。


「ロイ、神の杖を使えるか」


 ナズは思い詰めている。

 その言葉を聞いて、ナズが相当に本気なのだとロイは受け止めた。


「前にやったことがあるのは確かだ。だが待て。座標上には人が住んでいて集落がある。おそらくテロリストとは無関係のだ」


 ロイは神の杖に似たものをユーバリに落としたことがある。

 仮想世界の中で、インフォメーションボードでの構築を行ったが、できるかできないかでいえば、軌道計算をすれば現実世界でもできる。

 ただ、現実世界に影響する攻撃を衛星軌道上から実行してよいものか。


「ナズ……これをやるともう引き返せなくなる。完全に職務を超えているし、犯罪でもある。誰からみても地上への攻撃を正当化できるのか。その拠点にいる人間は全員殺されなければならないほどの犯罪者なのか? どちらに転んでも、俺は必ず現実世界の無辜の人々の生命や財産を無差別に奪ってしまうことになる。然るべき機関に通報し、地上から介入したほうがいい」


 ナズの情報を看過すれば人類の終焉へと繋がる。

 しかし、ナズの情報を盲信してよいものか。

 ナズは信頼できても、ネイサン・ブラックストーンの素性や人格までは知りえない。

 ロイは責任回避をしたいのではなく、ただ、人間としてふさわしい判断ができなかった。


「然るべき機関はもうない。どこに通報しても無駄だ」


 ナズは悔しそうに拳を握りしめた。

 そのナズの両肩に手を添えてロイが尋ねる。


「ナズが掴んだ情報は、本当にテロリストのバイオクローンの生産拠点なのか。覚え間違いはないか。思い込みではないと言えるか」

「この目で見て、記憶に間違いはない。それを見たがために、メグも僕も襲われてこの世界に来たんだ」


 ナズは言い切った。だが人間はA.I.と違って記憶に間違いがある。

 罪悪感を覚えながら、ロイはナズに看破をかける。

 ナズの発言に嘘偽りはなかった。

 だからといって、それだけが判断材料にならない。

 仮に正確だったとしても五年前の情報だ。

 同じ拠点がまだそこにあるとは思えない。

 手を拱いているつもりはないが、もっと客観的な証拠と、情報のアップデートがほしい。


「イヴァンの斧だろうと神の杖だろうと使わない。それは正当化できない暴力だ。犯人だろうと、これ以上誰も死んでほしくない」


 ロイはナズの心境を理解し、非殺傷的な代案を考える。

 準天頂衛星むすびは3機で日本全域をカバーする衛星システムだ。

 しかしその周回軌道上に、ナズの示した座標がある。

 アガルタシステムの一部を切り離して目標の施設に階層跳躍を使えば、潜入できるかもしれない。


「……ある、神の杖を使うより非破壊的で穏当な方法が」

「それがいい。できそうか」


 ナズがロイを食い入るように見つめる。


「できる。あと1時間で目標地点を通過する。タイミングを間違わなければ」


 彼は目を瞑ったまま肯定した。

 高度学習型AIは人間には到達不可能な課題を解決するために創られたはずだ。

 できないという予測は、学習元である人類の手をとうに離れていた。


 ◆


 沙織は光学迷彩を纏いながら地下四階に踏み込んでいる。

 生体反応を解析するに、敵は赤井の分析通り3名から増えない。

 地下四階の一区画には、広い厳重管理区画と、その奥に出入り口のない不審なスペースがある。

 厳重管理区画へはセキュリティシステムが働いていて平時は蟻の侵入も不可能だが、電源を喪失した今なら力づくで入れる。

 沙織は既に開いている隔壁を通過して厳重管理区画内部に潜入すると、人体を格納した水槽群が現れた。

 囚神との異名を持つ、アガルタ機構のシステムに寄生された構築士らが眠る。

 沙織はゴーグルについているAIに簡易解析をさせると、全員が溺死。


(哀れな……夢の中で死んでいったのでしょうね)


 死亡後の経過時間は30分以内で、この区画の死体の首はまだ切断されていない。

 テロリストは情報価値の高い人間から先に狙うつもりだろう。

 疑似脳と生体脳の双方が残っている限り、蘇生させることは不可能ではない。


(蘇生の確率を上げるためには、この細胞保護機能のある培地に漬けておいたほうがいい)


 一時間もすれば培地の機能も失われるだろうが、ここで敢えて死体を溶液の外に出さない方がいいと判断し、沙織は救出せずその場を後にする。

 沙織が厳重管理区画の奥へと進むにつれ、敵性の生体反応が近くなる。

 その深奥は、沙織が探ることすらできなかった秘密の区画だ。

 ここには伊藤と神坂が収納されている。

 出入り口付近にサブマシンガンを構えた見張りが一名。

 沙織は少し離れた物陰からセンサーで内部の状況を透視する。

 伊藤の首は既に切断され、二名は神坂の水槽を破壊し、今にも死体を解体しようとしていた。

 沙織は見張りの抗弾装具ボディアーマーの隙間をアサルトライフルで狙撃し、消音機能付きの非殺傷兵器で無力化。

 ぐらりと体勢を崩し床に倒れる前に、そっと体躯を支えて音を殺す。

 中の二人は神坂の解体作業に夢中で、沙織の接近に気付いていない。

 一人が神坂の頸部に刃を埋めようとしたところで、沙織は特殊音響閃光弾を放ち、無力化。

 二人を同時に背後から狙撃して沈黙させ簡易手錠で拘束し、サブウェポンを取り上げる。

 沙織は格納容器に入れられた伊藤の生首を拾い上げ、バスケットボールのゴールを決めるように培養槽にポイと放り投げて溶液に漬けた。

 伊藤の首はあったが、ここには八雲の首がない。

 何を引き換えにしようとも生体脳を取られてはならないのは、八雲 遼生だけだ。

 神坂の遺体も軽々と担ぎ上げ、放り投げて培養槽に沈める。

 伊藤も神坂も、救助隊が到着するまでの間に脳細胞を保護できれば生体は死亡してもアガルタ内で人格を再現できるかもしれない。

 それ以上のことは、沙織にはできない。


(八雲の首は一体、どこへ……)


 別働隊がいて、優先的に八雲の首を持ち去ったのだろう。

 沙織が引き返そうとしていたところで、神坂が上階から到着した。


「沙織さん!」

「もう終わったわ。あなたはそこで溺死しているわよ。ご愁傷さま」

「私だけでなく大勢が犠牲になりました。これ以上の被害を食い止めたい。他に犯人はいませんか」


 神坂の胸中やいかに、自身の死亡に動揺をみせない。

 自分だけ死をもろともせず、高価なバイオクローンに乗っている後ろめたさゆえか、と沙織は臆断する。

 権力者や情報価値の高い人間には、相応のリソースが与えられ、世界はそうやって回ってきた。

 神坂は愛実が30管区のオペレーションルームで瀕死となり、救助隊に引き渡したと実の姉に告げる。


「そう」


 沙織は狼狽するでもなく、軽く一つため息をついて天を仰いだ。

 諜報員である彼女は任務中、感情を殺す訓練を受けている。

 たとえ実の妹が生死の境をさまよっていると告げられても平然としている。


「愛実は現実世界であなたに会いたがっていた」


 愛実の最後がどんな形であれ、彼女の望みが叶ったことにはかわりない。

 沙織はそう言いたげだった。


「……」


 神坂は得心できないといった複雑な表情をしている。


「八雲の首は持ち去られていたわ。私はこれからそれを追う」

「私も追います」

「覚悟はできたみたいね」


 神坂とともに通路に出た沙織は、通風孔が開いたままの状態になっているのを見つけた。


「奴ら、炎を避けてここから地下通路へ出た……」

「ですね」

「とみせかけて、こっち」


 沙織はエレベーターのドアを開け、フライングアタッチメントを装備する。

 フライングアタッチメント(飛行装備)はリング状の飛行装置で、足首と手首に装着して飛翔する。

 扱いが難しく重大事故があり、民間人の使用は法律で禁じられている。

 軍用もしくは特殊部隊の装備だ。


「あなたは飛行器官フライングオルガンは標準装備なのよね。前、そのクローンで飛んでいるところを見たし。飛べそう?」

「ご心配なく」


 その言葉に偽りがないことを示すように、神坂は彼女を追うようにエレベーター内部を飛翔する。

 彼が生身で飛べるのは、飛行器官という生体パーツが標準装備されているからだ。

 神坂のバイオクローンは全て生体パーツで構成されているために、EMP爆撃でも損傷なく、生体通信性能も問題なく発揮できた。

 神坂はバイオクローンの使い方をおおよそ八雲に教わっていた。

 皮肉にも八雲が疑似脳を遠隔式ではなく体内に埋設したおかげで、霞が関全体の電力が喪失していても彼は問題なく移動できる。

 エレベーターの昇降路の途中、窓ガラスの割れた箇所から二人共外に飛び出す。


「フライトトラッカーには記録されているはず」

「犯人が識別信号を出しているんですか」

「まさか。犯人のシグナルを追うのでなく、八雲の出しているシグナルをトラックするのよ」


 沙織のスーツに組み込まれている通信装備はEMP爆撃を受けた地上の基地局とは通信できなかったが、GROBELINKなどの低軌道衛星に接続していた。


「八雲さんの首を?」

「正確に言えば、八雲の髪のデバイスを認識しているようね」


 沙織と愛実は八雲に与えられた政府要人警護のためのセンサーシステムの存在を知っていた。

 それは防犯のためのナノデバイスで、非常時に位置情報や状況を把握できると説明を受けていた。

 沙織も愛実も毎日、ナノデバイスを整髪料に混ぜ込んで塗布している。

 八雲も同じものを使っていると言っていたから、逆探知すれば八雲の位置は把握できる。

 この防犯システムは限られた者にしか知られていないらしく、テロリストは八雲の位置情報を垂れ流しにしている。

 沙織たちが犯人を追える唯一のトラッカーだ。

 座標の移動速度から推測するに、犯人らは飛空車に乗り、太平洋をまっすぐ横断している。

 このまま北米大陸に到達するのだろうか。

 神坂が上空からふと見下ろせば、省庁の至る所から黒煙が上がり、懸命な消火と救出活動が行われていた。

 救助ロボットも多数投入されている。

 今、自分にしかできないことは、地上にはないと彼も理解する。


「行きましょう」

「ついてこれなければ置いていくから」


 沙織はフライングアタッチメントを神坂に投げ渡す。

 飛空車に追いつく速度を出すためだ。

 追跡に気付かれないようこのまま尾行し、八雲の首を奪還する。

 沙織と神坂は目視で互いの意思を確認すると、飛翔速度を上げた。


 ◆


 合同庁舎前には地下から次々に運ばれてくる負傷者が、敷地内のコンクリートに所狭しと横たえられている。

 怒号が飛び交い、土煙や黒煙が吹き荒れ火の粉が散る。

 心停止や重傷の負傷者が多すぎて、救助隊も対応が追いついていない。

 アガルタ機構のスタッフは13名が死亡、甲種一級構築士は33名中12名が死亡、大部分が安否不明という凄惨な事件となりつつある。

 負傷者は首都圏各所の医療機関へと収容されている。

 内科医でもある構築士エトワール、本名ジェレミー・シャンクスは自らに応急処置を施すと、規定の救助の手順に従わず、ほかの負傷者をさしおいて愛実の救助を優先した。

 しかし、すでに心拍は停止、瞳孔は散大し、体温は低下、死後硬直が始まりつつあった。

 彼は何度となく愛実の死亡を確認すると、唇を噛み締め涙を拭いながら、それでもトリアージタグを黒にしなかった。

 彼女の死を見届けたら、すぐに切り替えて救助活動に戻る必要がある。

 搬出された八雲の死体のもとに、数名の救急隊員が集って言い争っている。

 八雲は断首されていたが、心臓は鼓動しており切断面は黄金の液体にまみれていた。

 出血凝固が終わり、細胞増殖が行われている。

 八雲は黄金の血液を持っていた。


「この体液の色……バイオクローンに違いない」


 バイオクローンは生身の人間と区別をするために、血液の色は少し透明がかっている。

 だが、黄金の血液など誰も見たことがない。

 先ほど、ジェレミー・シャンクスが水槽の中で見た八雲の血は赤かったが、時間が経つと、あるいは酸素にふれると黄金に変色するのだろうか。

 浸出液が黄金なのだろうか。……何も分からない。ただ、バイオクローンだとしても異様だ。


「登録と申請がないだけで、新型バイオクローンなのかもしれない」

「網膜認証不能、指紋識別エラー、型番不明です」

「バイオクローンであれば体内にスペアの脳があるかもしれない。精査のために専門施設に搬送するか」


 ジェレミー・シャンクスは一縷の希望を込めて、八雲のトリアージのタグを黒から赤につけなおした。

 本来ならば生身の搬送者が優先だが、八雲の救助を優先したほうがいい。

 確たる証拠はないが、彼が崩れたからとしか思えない事態に襲われている。

 ジェレミー・シャンクスの手に、八雲の黄金の血液がぬるぬるとまとわりつく。

 それを服で拭おうとして、はっとあることを思い出した。


 イーコール(ἰχώρ)、それはギリシャ神話において不老不死の神々の体内に流れる黄金の血液の名だ。


 それを受けた人間には、不死が与えられるといわれている。

 東宝三賢者のメルキオールでもあったジェレミー・シャンクスは博識な構築士で、古今東西の神話と伝承に詳しい。

 八雲の流す血液が黄金であることと、ギリシャ神話の伝承におそらく関連はない。

 八雲が乗っていたのは新型のバイオクローンなのだろう。


 しかし、バイオクローンの体液に細胞保護性能や、場合によっては高度な修復機構を持つナノデバイスが組み込まれていることに間違いはない。

 ジェレミー・シャンクスは立ち上がり、愛実のもとに駆け寄って指先についた八雲の血液を彼女の舌下になすりつけて含ませ、神頼みはしたと納得して他の負傷者の救助に腐心した。

 東 愛実は数分後、誰の助けも借りず突然息を吹き返した。

 ジェレミー・シャンクスは信じられないという思いで、愛実に覆いかぶさる。


 "Are you awake? (気付いたか?)"


 愛実の返事はなかったが、頷く様子は見受けられた。


 "We're so grateful you're still with us. (戻ってきてくれてよかった)"


 ブリジット・ドーソンも気付いて駆けつけ、半泣きになりながら愛実に抱きついている。

 八雲は既に搬送されてその場に血液の残りはなく、神話の真偽を確かめることはできなかった。


 数時間以内に、関東一帯の被害の状況が明らかになってきた。

 EMP兵器により、千代田区を中心に半径10km以上にわたり通信、電子、交通インフラが破壊された。

 あらゆる電子機器はその機能を失い、政府機関、企業、首都機能を担う施設は機能不全に陥った。

 飛空車は無数の質量兵器と化し、多数の犠牲者を出した。

 都市はパニック状態に陥るなか、数十万人の移動が妨げられ、緊急車両の活動もままならない。

 火災は広がるばかりで、消火や復旧の目処はたたない。


 それは日本のみに降り掛かった惨事ではなかった。

 米国、欧州、中国、インド、アフリカ、続々と主要な機構と都市が同様にEMP攻撃を受け、混沌の中でアガルタゲートウェイは機構としての機能を喪失した。


 犯行声明はなく、犯行組織すら不明のまま、粛々と攻撃が加えられてゆく。


 ……だから地上の、生ある人々は誰ひとり知りえなかった。

 アガルタ機構はReachability of Intelligenceの保護のもと、壊滅を免れて密かに稼働し続けていた。


 理想郷は墜ちなかったということを。


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