番外編 ライルは日本で異世界無双する? その2
「ママに残念なお知らせです」
わたしはあやしいジェスチャーを繰り出そうとするママに厳かに言った。
「ライルお兄ちゃんは、日本語がぺらっぺらです。若かりし頃にアメリカに留学したというママの素敵な英語力に出番はありません」
「お、おう、オウマイガッ!」
両手を広げて肩をすくめるママ。
「本当に残念だわ! そして、ライルさんっていうのね」
お兄ちゃんは光り輝く剣を鞘にしまって言った。
「初めまして、ライルと申します。職業はビルテンの町の冒険者ギルド職員で、ランクB冒険者です」
「ええと……」
「わかりやすく言うと、故郷で事務員をやってる人だよ」
ママが首をひねっているので、助け舟を出した。
「ちょっと待て。今の自己紹介にはもっと突っ込みどころがあると思うぞ」
「ヒロはちょっと黙ってな。大人の話をしてるから」
わたしは余計なことに気づいた弟を制した。
「ヒロには後で詳しく説明するから、今はママに紹介させてね」
我が家にライルお兄ちゃんを泊められるかどうかは、ママにかかっているのだ。
「深い事情があって、ライルお兄ちゃんは着の身着のまま無一文で、今日泊まる所がないの。しかも、着ているものがこの鎧なの」
「キラキラして素敵な鎧ね」
ママはこの世代の女性に多い光り物好きである。
「でも、その格好じゃあくつろげないし寝るときに不便だわね。ヒロ、あんたなにか服を貸してあげなさい。新しいパンツも」
「ママ! お客様の前でパンツとか言うのはよしなよ! しかも、相手はこの通りの若いイケメン男子だよ、ブルーの瞳がオシャレな素敵男子だよ!」
確かにパンツの問題は重要だけど、そこは恥じらおうよ!
「ママは見た目が可愛いんだから、もっと発言に気をつける必要があると思います」
「いやあん、ママったらうっかりしちゃったわ! かっこいい男の子に会ったから、動転しちゃった」
うふふと笑って弟に言う。
「ほらほら、ヒロ、なんか持ってきてあげて。あったら新しい靴下もね」
わたしの年子の弟のヒロは中3になるんだけど、結構身長が高いのでLサイズの服を着ているのだ。バスケじゃなくて剣道をやってるんだけどな。跳ばなくても背は伸びるんだね。ヒロの服ならお兄ちゃんでもなんとか着れそうだよ。
ちなみにパパは横は大きいけど背は高くないのだ。
「それでは皆さん、この鎧を脱がしましょう!」
ママが高らかに宣言した。
「きゃー、脱がしましょう、脱がしましょう!」
「や、ちょっ、それは、」
ママとわたしのハーモニーにうろたえるお兄ちゃんだよ。
「鎧を着て靴を履いてたら、うちに入れないからね! お兄ちゃん、観念しなよ」
「観念しません! 僕は最後まで諦めない戦いをする冒険者ですから!」
「大丈夫よライルくん、おばちゃんそんなには見ないから、そんなにはね」
「わたしだってそんなには見ないよ! ちょっと横目で鎧の下はなにを着ているのかなあとか、ビルテンのパンツってどんなかなあとか、それくらいだから。だいたいわたしはライルお兄ちゃんの妹分なんだからさ、たとえその下がすっぽんぽんでも嫌いになったりしないから、気にしなくて良いよ」
「気にしますから!」
「女子どもどけー、そこをどけー」
物も言わず部屋を出て行ったヒロが、スーパーのビニール袋を二つ持って戻ってきて、いざお兄ちゃんを脱がさんとして両手をわきわきさせるママとわたしを押しやり、ベランダに立つライルお兄ちゃんの足元にかがんだ。
「ライルさん、足上げて」
ライルお兄ちゃんが足を上げると、そこにビニールを素早く被せて結ぶ。
両足にスーパーのビニール袋をはいたお兄ちゃんを、ベランダから部屋の中に入って来させる。
「こっちきて、俺の部屋に行くから」
「あっ、すみません」
ライルお兄ちゃんをわたしの部屋から連れ去ろうとするヒロ。
「ちょっとヒロ、何すんのよ、仕事速いよ余計な仕事が!」
「やめてー、ライルくんを連れていかないでー」
鎧姿のお兄ちゃんに取りすがる母娘だよ。
「そのコスプレは俺が脱がせてやるから。女子はこっちくんな! 覗くなよ!」
「ありがとうございます、ヒロくんはこのうちの常識なのですね」
「まさにそう。とりあえず俺の言う通りにしておきな」
ほっとした顔のライルお兄ちゃんは、ヒロに連れて行かれてしまった。
「ちぇーっ」
「ちぇーっ、ちぇーっ、もう少しで押し切れたのに」
がっかりする母娘だよ。
がっかりしたママは、放りっぱなしの家事の続きをしに階段を降りて行ってしまった。
わはははは、女子を蔑ろにしたヒロに軽くばちが当たったよ。
「……なんで下だけ……短いんだよ……」
落ち込むヒロ。
再びわたしの部屋に現れたライルお兄ちゃんは長袖Tシャツとゆったりしたパンツをはいていたんだけど、パンツの丈が明らかに短いよ。
ちなみに、ヒロの部屋は足の踏み場もないくらいに散らかっているからね、座るところもなかったのだろう。
「大丈夫、袖だって短いよ! 手足が長いんだよライルお兄ちゃんは。さすがだねえ、スタイルがいいねえ、かっこいいねえ、イケメンだねえ、あはははは」
「いや、なんか、すいません」
うなだれるヒロに謝っている。
お兄ちゃんはビルテンでは背が低く見えたけど(向こうでは2メーター越えの獣人とかゴロゴロしてたからねー)欧米人っぽい人種だから日本人に比べたら背はすらっと高いし手足は長いし顔は小さいし、フツメンだけど雰囲気はイケメンでかっこいいんだよ! 剣を振り回している割にはそれほどマッチョじゃなくて、程よい肩幅がモデルさんみたいだね。
「わーいわーい、自慢のお兄ちゃんが鎧から出てきたよ!」
大喜びのわたしはお兄ちゃんに抱き着こうとしたが、その両手をがっちりと止められた。
お兄ちゃんに両手のひらを組まれて、それ以上近づけない。
見つめ合うわたしたち。
しかしなぜか、ふたりの眉間にはしわが寄る。
「なにをするのですかお兄ちゃん! 今わたしたちの手はしっかりと握り合わさっていますが、指もがっつり絡み合っていますが、これはなんだか恋人つなぎではないような気がします!」
「まったく違いますから。むしろ僕たちは戦闘体勢にあると言ってよいでしょう」
「なぜ戦うの? 仲の良い兄と妹であるわたしたちがなぜ? ちょっと再会の挨拶をしようと思っただけなのに! ぎゅっとしてくんくんするこれは日本の風習なのに!」
「あなたの行動に僕の勘が危険を察知したからです。そしてヒロくん、本当に日本にはそのような風習があるのですか」
「ない」
「ヒロ! 貴様! 姉の邪魔をするとは小癪な弟め!」
「ねーちゃん、外国からのお客さんに襲いかかるのはやめろ、恥ずかしいから」
「なにを言ってんの! ライルお兄ちゃんとわたしは運命の絆で結ばれているんだよ、おねーちゃんの幸せを邪魔しないで」
「ライルさんに失礼だろ。そんなだから、彼氏のひとりもできないんだよ、ねーちゃんは」
「うるさいね! しかも、『可愛いのに』が抜けているよ! ちゃんとつけるようにってママに言われてるでしょ」
「思春期の男子がいちいち母親の言う通りにするかよ。しかもねーちゃんは残念女子なんだよ、そんなにモテたかったらもう少し自分を客観的に見ろよ」
うわあああ、ムカつくよ! 上から目線の生意気な弟め!
自分がモテっ子男子だからって生意気なんだよ!
わたしはライルお兄ちゃんから手を離し、ヒロに飛びかかろうとした。
「ヒロぉーっ、きゃーっ!」
ライルお兄ちゃんがわたしの身体をひょいと持ち上げて、そのまま縦にくるっと回してベッドの上にぽんと置いた。空中で鉄棒の前回りをしたようだ。
「喧嘩はやめなさい」
「きゃーっ、きゃーっ、今のすごく面白かったよ! もう一回!」
わたしがベッドから下りてお兄ちゃんに飛びつくと、また腰を持ってくるっと回してぽんとしてくれた。
「すごーい、面白ーい!」
わたしは喜んで、何度もくるっぽんをしてもらった。
ライルお兄ちゃんはとても力持ちなので、わたしのことを何度回しても息をきらせることはない。
「はあ、はあ、面白かった! スカートじゃなくってごめんね! パンツ見れなかったね」
「見たくないので問題ありません」
お兄ちゃんがにっこりと笑って言った。
「ヒロ、うらやましいでしょ! ヒロは大きいからやってもらえないんだよーだ、やーいやーい」
「……ライルさん、ホントにもう、いろいろすいません」
「いいんですよ。ヒロくんは長い間ずっと、こうしてリカさんと関わってきたんですね。そして、おそらくこの先もずっと……」
ライルお兄ちゃんにぽんと肩を叩かれ、ヒロは涙を拭った。
「立派だと思います。勇者に匹敵するほど立派な行いだと思いますよ」
「ライルさん……」
あのさあ、なんだか失礼なんだけど、気のせいかな?
わたしたちはお母さんが出してくれたよく冷えた炭酸飲料のペットボトルをそれぞれ持ち、勉強机に付いてきた椅子とベッドに腰をかけた。
お母さんはそのまま、夕飯のお買い物に出かけた。
「ライルくんが来たから、今夜はすき焼きよ。SUKIYAKIパーティーよ」
「わーい、ジャパニーズSUKIYAKIだよ! 楽しみだなー、溶き卵をつけて食べるんだよ」
わたしはたまご運がとてもいいからね、きっとすごく美味しいすき焼きになるよ。
お兄ちゃんは炭酸飲料を飲むのが初めてなので、軽くけふっとかむせて驚く姿が可愛くて萌えた。
「炭酸飲料を飲んだことがないとか、どんな田舎に住んでたんだよ」
「この国に比べたら、田舎なのでしょうね。日本とは興味深い国ですね、魔力がまったくない代わりに不思議な文明が発達しています」
「そうだね、魔法に匹敵するようなことが科学の力でできちゃうからね」
「……会話に中2テイストを混ぜんなよ」
ポテチをつまみながら、ヒロが言った。
「田舎の町からイベントに加わりにやってきたの? コスプレイベント? あの鎧、よくできてるよな」
「腕のいいドワーフが作ったんですよ」
ライルお兄ちゃんがおそるおそるポテチをかじり、おいしかったらしくいい笑顔になった。
「サンダルクのおっちゃんたちだね。元気にしてる?」
「元気過ぎるくらいにはりきって、ミスリルの武器や防具を作っていますよ。リカさんにお礼を言いたいと言っていました」
「お礼なんていいのに。むしろ、お兄ちゃんにこんないい鎧と剣を作ってもらったお礼をしたいよ」
これでミスリルの剣をくだいちゃった心の傷が癒えてるといいな。
「おい、ねーちゃん、いつおたくの人になったんだよ。ライルさんとはおたくのイベントで知り合ったの? テレビでやってるみたいな」
「違うよヒロ。ライルお兄ちゃんと知り合ったのはビルテンの町だよ。いい、おねーちゃんが説明してやるからよーく聞くんだよ。質問や突っ込みは後でまとめてうけたまわります」
わたしは人騒がせな神に連れて行かれた異世界での冒険の話をした。
ヒロが頭を抱えている。
「うーんうーん、そうきたか。しかしなあ」
「信じられないような話だけどさ、本当なんだよ。神様がそんな変なやつでショックだとは思うけどね」
「問題はそこじゃない」
ヒロが頭を抱えたまま上目遣いでこっちを見た。
「ねーちゃんがそんなうまくつじつまが合う話を妄想できるわけがない。ってことは、ライルさんは本当に異世界から召喚されてきたんだな」
「ヒロの順応性には目を見張るものがあるね!」
「誰のせいだよ!」
誉めてやった弟から怒鳴られる切なさよ。
「すいません、ライルさん。姉が本当に迷惑をかけました」
「はい」
「違うよ! ヒロ、なにを聞いていたの!? わたしは世界を救ったたまごなの、みんなのアイドルなの、すんごいいいやつなんだよ。迷惑をかけたりしてないの! ライルお兄ちゃんも『はい』とか言わないの!」
「ねーちゃん、語っていないことがあるだろう」
「え?」
「それか、無意識に記憶の底に押し込めていることが、めっちゃ、あるだろう」
「え? そ、そんなこと、アルワケナイデスヨー」
そうだよ、わたしは別に……たぶん……えへ?
「ライルお兄ちゃん、わたし、いいたまごにしてたよね? ね?」
お兄ちゃんは、ギルド職員らしい営業用の笑顔でわたしを見た。
じっとわたしを見た。
なにも言わずに見た。
うわあん!




