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79 魔導師の覚醒



「ヴェイセルさん、ようやく起きてきたんですね」


 ミティラの家に入るなり、イリナが駆け寄ってきて、ヴェイセルに抱きつく。


「……あれ? なんだかいつもと匂いが違います」

「そ、そうかな?」


 イリナはヴェイセルの衣服に顔を近づけていたが、やがてはすっかり顔を埋めてしまう。特に違いを気にすることもなく、どうでもよくなってしまったようである。黒の尻尾はパタパタと揺れていた。


「そういえば、なんで皆で揃っているんだ?」

「ヴィーくんを待っていたんだよ。もうそろそろ、晩ご飯を食べに来るはずだから、待っていようって」

「先に食べていてもよかったのに」

「今日はお祝いだから」


 なんのお祝いだろうかとヴェイセルが首を傾げていると、向こうでエイネがレシアを起こしている姿が見えた。彼女がここにいるのだから、すでに実験自体はおおかた終わったということなのかもしれない。


(……あれ。もしかして、ベッドで寝ていてもよかったんじゃないのか?)


 そんなことを思うが時すでに遅し。

 ヴェイセルがこっそり抜け出せたのは、用がなかったから引き留めなかったのであり、呼びに来なかったのは特に仕事もなかったから。


 ヴェイセルの苦労は、まったくの無駄であった。


 なんだか損した気分になるヴェイセルであるが、ふと、エイネに声をかけてみる。


「エイネ。さっきはごめん」

「え、えっと……なんのことかな?」


 ほんのりと恥ずかしげな素振りをするエイネ。

 ヴェイセルは、はて、なにかやらかしてしまっただろうか、と思う。


「疲れていたみたいで、途中で意識を失っちゃってさ。話を聞こうとは思っていたんだ」

「あ、あー。そうだね。ヴェルくんは、いつものことだから」


 エイネはなんでもないよ、とばかりに尻尾を振る。

 そしてようやく目を覚ましたレシアに、「ヴェルくんがやってきたよ」と話し始めたので、彼も席についてご飯を待つ。


 と、リーシャがこう切り出した。


「お前と契約しているスライム。正式に新種として認められることになったぞ。審査は異例の早さだ」


 そのお祝いということらしい。


「それはすごいですね」

「ああ。そして名称がオリハルコンスライムに決まった」

「なるほど。そのまんまですね」


 ヴェイセルは安直なネーミングだと思ったのだが、アルラウネがそのスライムをテーブルの上に持ってきて、ミティラが近くにケーキを置くと、そのプレートに書かれている名前を見てぎょっとした。「お昼寝(オリハルコン)スライム」と書かれているのだから。


「あのー、なんですかこれ」

「主人に似ていていいじゃないか」

「ええ、まあ。そうだ。今日はお昼寝記念日として、全国民がお昼寝をしながら過ごす日にしましょう」


 なかなか立ち直りの早い魔導師であるが、リーシャは「国民がお前のようになったら困る」と苦笑いするのだった。


 ともかく、皆が揃ってお祝いの料理を堪能し始める。


「この村は短期間で快挙を成し遂げたんだ。ランク6の魔石。新種の魔物。実績はこの上ないぞ」

「確かに。リーシャ様が正式に土地の所有者として認められるのも、時間の問題ですね」

「そのためには、北の問題を解決しないとな」

「それが前に言っていた、そのうち手伝ってもらうことですか?」

「そういうわけじゃないが……いや、そうだな。うん。お前は私の補佐をするんだから、それも当然含まれる」


 むしろそれ以外に仕事なんかあっただろうかとヴェイセルは首を傾げるも、すっかり忘れかけていたが、リーシャは土地を開拓すれば正式に所有者として認められる、と張り切っていたことを思い出す。


(……リーシャ様はなんで、土地を欲しがっていたんだ?)


 考え直してみると、雪まつりのときのリーシャの言葉が蘇ってくる。あれはヴェイセルは尻尾がないから、一緒にいる氷像を建てるのはよくないと言ったときのことだ。


『自然なことなんだぞ。私が抱きかかえられているのも。私は責任者で、お前が補佐なんだからな』


 どうにも、ヴェイセルと一緒にいるのが当然のような物言いだ。


 そしてよくよく思い出してみれば、『私たちの所轄の領地』と言っていたし、そのとき王城に残るよう告げられたリーシャのしょんぼりした姿が思い出される。


『だって……ヴェイセルだけ行ったら、会えなくなっちゃうもん』


 ずっと、気づかないようにしていた一つの可能性。自分は彼女たちと違うからと、少しばかり距離を取っていた理由。


 それは北に行くと決まったとき、リーシャがすぐにかけてきた言葉で決定的に思い起こされる。


『ほら、お前もそろそろ安定してもいい頃じゃないか。その……たとえば、家庭を持って腰を落ち着けるとか……その、け、結婚とか――』


 リーシャが開拓村に来たのは、ひとえにそのためだったのではないか。土地を得てしまえば、外からあれこれ言う人はいなくなる。


 いくらお昼寝のことばかり考えている魔導師とはいえ、リーシャの好意くらいは知っていた。


(なんで今になって、思い出すのか……)


 ヴェイセルはリーシャを直視できなくなって、なんだか困ってしまう。


「どうかしたのか、ヴェイセル?」


 リーシャが覗き込んでくると、ますますヴェイセルは当惑してしまう。


「いえ……頑張って働かないといけないな、と思いまして」

「それはいい心がけだ」


 笑うリーシャ。ヴェイセルは明日からは、もっと真剣に取り組もうかと考えたところで、家のドアが勢いよく開かれた。


 入ってきたのは機神兵。

 警告の赤いランプを光らせながら、エイネのところにやってくると、情報を壁に映し出す。


 そこに表示されているのは、各種数値など。


 エイネはそれを素早く読み取ると、ヴェイセルに告げてくる。


「ダンジョン同士が繋がっているって話があったけど……あれ、大変なことになっているみたい。全部が行き来できるようになったみたいで、魔物が入り混じってる」

「……すぐに処理しないと、ダンジョンがぐちゃぐちゃになってしまうな。原因は今回も不明なのか?」

「理由はわからないけれど……一カ所。高エネルギーが観測されているところがあるんだ。だから、そこになにかがあるはず」


 いよいよ、北の問題が顕在化したのだ。

 このまま放ってはおけない。ヴェイセルは魔法道具を準備し、北に向かう覚悟を決める。


「エイネ、機神兵を貸してくれ」

「うん。無事に返してよ?」


 それはヴェイセルがちゃんと戻ってきて、ということだ。


「任せておけ」


 そしてリーシャたちが駆け寄ってくる。


「危険じゃないのか? 大丈夫なのか?」


 その不安は無理もない。

 けれど、どんな危機だって乗り越えてみせる。この問題を解決すれば、彼女の思いに応えてあげられる気がしたから。


「今回も、すぐに片づけて戻ってきますよ」

「でも……」


 困っていると、イリナがヴェイセルに抱きつく。


「イリナもついていきます!」

「私もなにができるかはわからないが、一緒に行くぞ」


 そうしてイリナとリーシャが同行しようとするが、ミティラは首を横に振り、二人を押しとどめた。


「私たちが行っても、邪魔にしかならないよ。だから……待っていよう」


 彼女だって、不安なことに違いはない。

 けれど、そうすることで足を引っ張るくらいなら、じっとここで待っていることを選んだのだ。


 リーシャも口を固く結ぶと、黙って頷いた。


 ヴェイセルが機神兵に飛び乗ると、お昼寝(オリハルコン)スライムを持ったレシアがやってくる。


「使って」


 レシアは手渡してくるが、どうしろというのか。


「変形する」


 魔力を用いてお昼寝(オリハルコン)スライムの魔法を使うと、それは自在に変形して硬度を変える。


「……大事なものだけどいいのか?」

「ヴェルっちなら、大丈夫」


 全幅の信頼を寄せられて、ヴェイセルは頷いた。

 そしてエイネが魔石を渡してくる。


「これ、ランク6の魔石じゃないか」


 しかし、魔石をそのままでどう使うというのか。


「空間のゆがみを生み出す能力があったでしょ? ダンジョンが活性化している状態だから、その中だと、少しはその力を利用できるはず」

「なるほど。試してみるか。それにしても……いいのか? これまた大事なもの、預けちゃって」

「ヴェルくんなら、戻ってくるって信じてるからね。いってらっしゃい」


 エイネにぽんと背を押され、ヴェイセルはいよいよ空へと飛び立つ。


 新種の魔物とランク6の魔石。どちらも、そう簡単に預けていいものではない。もしかすると、紛失すれば責任問題に発展するかもしれない。


 それでも彼女たちは信じて預けてくれたのだ。成し遂げなければならないことがある。


 機神兵はますます速度を上げて、北の空を進んでいく。

 エイネに言われていた場所は、はるか北の向こうだ。到着するまでどれほど時間がかかるかわからない。


 しかし――


 機神兵は近くのダンジョンに飛び込む。そこはイリナがいた洋館がある場所だ。

 こんなところに入ってどうするのか。そう思ったが、機神兵が向かう先を見て理解する。


 空間のゆがみが存在し、別のダンジョンに繋がっているのだ。すなわち、これを利用すれば、ダンジョンを次々とワープして、遠方の北に到着することができるはず。


「よし、行くぞ!」


 空間のゆがみからは、別のダンジョンの魔物が出てきている。そこ目がけて、機神兵は加速していった。


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