78 赤のお昼寝少女とお疲れ魔導師
「ひどい目にあった……」
研究所からこっそりと抜け出したヴェイセルは、思わず呟いてしまう。
例のスライムを掘り出した日から三日三晩、レシアはごくわずかな休憩時間を除いてずっと作業を続けていたため、付き合わされていたヴェイセルも死にかけになってしまったのである。
途中でミティラが様子を見にきてくれたが、レシアの真剣さに負けて、ヴェイセルを助けてはくれなかったのである。
リーシャは「いつも働かないツケがやってきたな」なんて言うし、イリナはぐったりしたヴェイセルを「慰めてあげます」と言いつつはしゃぐので、余計に体力を消費させてくるし、エイネもレシアと一緒になって、ヴェイセルをこき使うのだから、どこにも行き場がなかったのである。
ボロボロになったヴェイセルは安息の地を求めて、村の中をさまよう。
どこか隠れる場所がほしい。いつものベッドで寝ていれば、すぐに起こしに来るだろう。見つからないところを探していると、不動のリビングメイルが見えた。
(少し狭そうだが……あれでいいか)
ヴェイセルは相当疲れていたらしく、頭が働かないまま中に飛び込むと、泥のように眠るのだった。
これまで、宮廷魔導師として重要な任務で何日も眠らなかったことは多々ある。危険な仕事はどれほどこなしたかわからない。
けれど、それ以上に少女たちの相手は骨が折れるのだった。
そうしてすやすやと眠っていたヴェイセルであるが、ガンガンと叩かれる音で目を覚ました。
(……いったい何事だ!?)
リビングメイルには、動かないように命じていたはず。
この魔物が命令に反することはそうそうないはず。揺れも感じない。となれば、移動している音ではなく、外部からの力が加わって、音が鳴っているはずだ。
このリビングメイルの中は、そう簡単に見つかるはずがない場所だ。
かつてリーシャとミティラ、イリナと一緒に「リーシャお気に入りのゴブリン」を探したとき、探すのに苦労した記憶がある。
あのとき、レシアもエイネもいなかったはず。
だからすぐに見つかるはずはないのだが……。
「ヴェルくーん。いつまで入ってるの?」
エイネの声が聞こえてくる。
誰かが哀れな魔導師を売り渡したのだろうか。ヴェイセルがしょんぼりしていると、リビングメイルの頭部が外されて、眩しい日の光とともに赤毛の少女が顔を覗かせた。
「……エイネ、どうしてここが?」
「機神兵に温度センサーついてるんだよ? 金属の中に人が入ってたらすぐにわかるでしょ」
「それは盲点だった」
リーシャたちがヴェイセルを売り渡したのではなかったと安堵する一方で、機神兵がいたら隠れる場所もないではないか、こんなことならベッドで寝ていればよかったと思うヴェイセルであった。
「……随分、元気だな」
「だって、あたしが担当している部分以外のとき、寝ていたし」
「くっ……寝不足魔導師をからかいに来たのか!?」
「それもいいけど、あの金属の正体がわかったから、伝えておこうと思って」
どうやら、ヴェイセルを仕事にかり出しに来たわけではないらしい。ヴェイセルはほっとしつつ、エイネの話を聞くことにした。
「あれは伝説の金属、オリハルコンだよ。昔の文献に当たると、それっぽい記述が見つかったんだ。どういう条件でできるのかは不明だから、詳細を調べるために機神兵に色々調べてもらっているところ。スライムの特性と組み合わさって、普通のオリハルコンとは違うみたいで、レシアは生物学的な特徴を事細かく見ているんだって。今まで見つかったことがない種類だから報告することになるんだけど、その際、名前をどうしようかって相談していたところなんだ」
「ぐう。すぴー」
ヴェイセルはエイネの話をほとんど聞いていなかったようである。
エイネはできる技術者らしく、最初に要点であるオリハルコンだということを告げていたため、あとの話は特に聞く必要がなかったのだ。というか、彼女が話したいから話していたというのがほとんどである。
そんなヴェイセルを見たエイネは、
「ヴェルくんは仕方ないなあ」
なんて言いながら、狭いリビングメイルの中に入る。
一人入るのがやっとのところだ。小柄なエイネだからなんとかなるが、それでもぎゅうぎゅうで密着することになる。
眠っているヴェイセルを後ろから抱きしめながら、尻尾でそっと彼を撫でる。
いつもはお昼寝ばかりしていて、ちょっと情けないところがある魔導師。けれど、とてもかっこいいところがあるし、困ったときにはいつだって助けてくれる。
そしてなによりエイネには、いつも面白くて好奇心がうずくような状況を持ち込んでくれるのだ。
「ヴェルくんといると、退屈しないね」
すうすう、と聞こえる寝息を聞いていると、好奇心はなりを潜めて、穏やかな気持ちになってくる。けれど、そんな状況でもなんだかドキドキしてしまうのだから不思議である。
エイネはヴェイセルの体温を感じながら、
(スライムの名前、お昼寝スライムにしようかな)
なんて思うのだ。
発見者や所有者が命名する権利があるから、決定権はレシアかヴェイセルにある。けれどきっと、レシアも納得してくれるだろう。
それに、これまで宮廷ではなかば馬鹿にされてきたお昼寝魔導師が、大発見をしたのだ。見返してやることになるし、ちょっぴり間抜けなネーミングも、むしろ痛烈な反撃になるのではないか。
(ヴェルくんはきっと、どうでもよさそうにするんだろうね)
オリハルコンよりもお昼寝のほうがいいと。宮廷よりも、ベッドのほうがずっと居心地がいいと。
でも、それはなんとなく、エイネにも理解できるものだった。オリハルコンの輝きよりも、お昼寝魔導師の輝きのほうがずっと心引かれるものだから。
(お昼寝スライムにしよう。うん。悪くない)
富も名声も、すべては人の関係の前ではかすんでしまう。
エイネはヴェイセルと一緒にお昼寝をしていると、すっかり深い眠りについてしまうのだった。
◇
夕食の支度を始める頃になって、兵たちが兵舎に戻って行き始めると、エイネは目を覚ました。
おいしそうな香りが漂ってきているのである。
そうして体を動かそうと思って、リビングメイルの中にいることを思い出した。
ヴェイセルは、と思って状況を確認すると、いまだに眠っている。もう半日眠っていて、まだ寝足りないのだろうか。
しかし、随分眠りも浅くなっているようで、身じろぎもし始める。
「ひゃっ。ヴェルくん、どこ触ってるの……」
彼はエイネの尻尾を掴むと、優しく、繊細な手つきで撫でるのだ。
いつもリーシャの尻尾にそうしているのだから、なんとも言えない気持ちになる。
そんな彼女であったが、ふと、寝汗をかいていることに気がついた。普段はそんなこともないのだが、緊張していたのだろうか。
ヴェイセルはすっかり密着している。
エイネはなんだか気恥ずかしくなってきて、ヴェイセルの手を尻尾で払うと、そそくさとリビングメイルから抜け出すのだった。
◇
しばらくして、ヴェイセルは大きな欠伸とともに目を覚ますと、リビングメイルの頭部がズレている隙間から外を見る。
すっかり暗くなっているから、かなり眠っていたのだろう。
どうにも体が痛い気がする。こんなところで寝ていたからか。
ヴェイセルはよいしょ、と体を起こす。
まだまだ寝ていたい気もするけれど、ご飯も食べたい。暖かいミティラのご飯を、ゆっくりのんびり味わいたいのである。
ヴェイセルはリビングメイルから抜け出すと、ほっと一息つく。一時的に入っているだけならともかく、今後、使う機会はないことを祈りたい寝心地であった。
と、そんな彼はふと、衣服に赤い毛がついていることに気がついた。
「うーん?」
寝る前の記憶が蘇るも、エイネが解説をしているところで切れている。
今回ばかりは、ヴェイセルも話を聞く気はあったのだが、限界が来てしまったのだ。
「あとで謝っておこう」
そう思いながら、ヴェイセルはてくてくと歩いていくと、ミティラの家に到着。
明かりがついていることから、まだ起きていて、ご飯もあるだろう。
しめたものだと思って中に入ると、少女たちに出迎えられるのだった。




