57 一面の白と五色の尻尾
ダンジョンの調査を続けていたヴェイセルは、その光景に絶句していた。
目の前には雪、雪、雪。とにかく吹雪いている。真っ白で遠くはまるきり閉ざされている。
「なんてこった……」
思わずそう呟いてしまう。どこかにこの寒冷化の原因となった魔物がいないと探していたのだが、気がつくとこの有様だ。
「なあエイネ。吹雪いているのは遠くのダンジョンだけじゃなかったのか」
「遠くが吹雪いているとは言ったけど、近くでも吹雪かないとは言ってないよ」
あっけらかんと告げるエイネ。
機神兵の舵取りをしていたのは彼女だというのに。
「……元来た道、わかるんだろうな?」
「ちょっと待ってね。ねえ機神兵、わかる?」
「魔物任せかよ!」
エイネは尻尾でぽんぽんと機神兵を叩きながら尋ねる。すると、機械音が返ってきた。
ヴェイセルはなにを言っているのかさっぱりわからないが、エイネは頷いているので大丈夫だろうと安堵した。その矢先、彼女は告げる。
「わかんないって」
「あれだけ納得した素振り見せておいてその結果かよ! ……どうするんだ」
「えーっとね。魔力切れになりそうだから、ちょっと休もうかなって」
解決策を聞いたのにこの回答である。
「本当になにも考えてなかったんだな……」
「ヴェルくんに言われたくないなー。ヴェルくんなんていつもお布団とご飯のことしか考えてないのに」
「それは違うな。俺はそれだけしか考えてないわけじゃないぞ。いろいろと悩んでいることだってあるんだ。快適な睡眠と食事を確保するためには、様々な障害があるんだよ」
「ヴィーくん、それのどこが違うのよ」
ミティラがため息をつく。すっかり白くなった息は、あまり弱音を吐かない彼女からの貴重なシグナルでもある。手先はほんのりと赤くなっていた。
このままでは風邪を引いてしまう。
ヴェイセルは懐から魔法道具を取り出すと、ヤタガラスを飛ばしていく。
魔力を込めると、はるか遠方まであっという間に移動し、あちこちの情報を伝えてくる。普段はやる気のない魔導師も、仲間たちが困っているとなれば、頑張るのである。
どこか休める場所を探していると、ちょうどいい洞窟が見つかった。
「エイネ、少し休めば魔力は回復しそうか? 洞窟があったんだけど」
「うーん、どうかなー? このダンジョン広いみたいだし、変化も激しいからそのうち力尽きちゃうかも?」
「そう思うなら、もうちょっと緊張感持ってくれ……」
気ままな尻尾に振り回されるヴェイセルであった。
そんな彼らは洞窟に辿り着くと、一息ついた。機神兵は折りたたまれて小さな形になり、洞窟の外の見張りをする。
「奥から物音も聞こえないし、ここなら大丈夫そうね」
ミティラが狐耳を動かしながら言う。
ヴェイセルにはそんなふわふわ柔らか立派な狐耳はないためによくわからないが、ミティラなら大丈夫だろう。
ごろりと横たわると、岩の冷たさが身に染みる。背中ばかりが冷えてきたので寝返りを打つと、入り口のほうにいる機神兵の上にゴブリンがよじ登っているのが見えた。
(おや、あいつが自主的に警戒を引き受けるとは……?)
意外に思っていたヴェイセルだが、そのゴブリンはひょいと手を伸ばすと、入り口付近にぶら下がっているつららに手を伸ばした。
(……それが欲しかっただけかよ!)
思わず内心で呆れるヴェイセルの視線の先でその緑の小鬼は嬉しげに「ゴブゴブ」言いながら、つららをパキッと音を立てて折る。
直後、ドサッと音を立てて降り注ぐ雪の塊。
「あー……そりゃそうなるよな……」
ヴェイセルはほったらかしにしていたが、機神兵は雪をどかし始める。ゴブリンのためではなく、単に視界が悪くなって邪魔だからだ。
そうしていると、雪の中から小鬼が飛び出し、自慢げな顔でつららを掲げた。あたかも英雄でもあるかのように。ただの氷を。
「ゴブッゴブッ」
誇らしげにぶんぶんとつららを振り回すゴブリン。ヴェイセルはそんな姿をぼーっと眺めていたが、やがて手が冷たくなったのだろう、つららを放り投げ出そうとする。しかし――
「ゴブッ!?」
手に張りついて取れなくなっていた。
大慌てになるゴブリン。振り回すがちっとも取れず、次第に涙目になってくる。
そやつがヴェイセルのところにやってきて、助けを求めてくると、ヴェイセルはため息をついた。
「はあ……なんで俺の魔物はこんなのばっかりなんだ」
どうせならふわふわして抱き枕になりそうな魔物がいいのに、と思いつつ、竜の牙を取り出すとレッドドラゴンの魔法で炎を生み出す。
あっという間につららを溶かすと、ゴブリンはようやく安堵するのだった。
そうしていると、リーシャが尋ねてくる。
「ヴェイセル……その、寒くないか?」
「え? まあ、寒いですが……」
「その……この掛け布団なんだが……」
リーシャはおずおずとヴェイセルに尋ねる。布団をぎゅっと握りながら。
ヴェイセルはそんな彼女を見て、
(なるほど。リーシャ様は俺から布団を奪ってしまったと気にしていたんだな。俺がなにもかけずに寝ているから、哀れんでくれたのだろう)
寝ることばかり考えている魔導師は、ここに来てもそんな考えに至るのだ。
「リーシャ様。大丈夫です。この魔導師にお任せください」
「む……? むむ?」
彼女が首を傾げて狐耳を前後にゆらゆらと動かすと、ヴェイセルはレッドドラゴンの魔法を用いて一気に洞窟内を暖めた。
「ヴェイセル、これは……」
「どうですか、リーシャ様。寒くないですか? 魔法の炎なので、ちゃんと息もできますし、心配はいらないですよ」
ヴェイセルが告げると、リーシャは瞬きして、それから小さくため息をついた。
「お前はそういうやつだったな」
腑に落ちないヴェイセルだったが、考えていると、レシアがくいくいと裾を引っ張る。
「ヴェルっち。あたためて?」
彼女がそう言ってくる。
しかし、人肌で温めてということではない。彼女はもこもこした服の中から、保存食を取り出していたのだ。こうなることを想定していたのか、全員分ちゃんとある。
ヴェイセルは言われるがままに、彼女から保存食を受け取ると、レッドドラゴンの炎で焼いてみる。
が、どうにも焦げ臭い。
「ヴェルっち。へた」
「すまん。料理を作るのはミティラの専門なんだよ。俺は食べるのが専門」
「ろくでもない」
レシアが呆れる中、ヴェイセルは保存食を温める。
なにしろ、これを食べれば体が温まるのだ。リーシャだって、機嫌を直してくれるに違いない。
ヴェイセルがそんなことを考えながら、一つの保存食をリーシャに渡す。
「どうぞ、リーシャ様」
「すまないな」
彼女はヴェイセルから受け取ると、早速袋を開ける。
中からは保存食とは思えないほどいい匂いが漂ってきた。
笑顔で食べるリーシャをヴェイセルもにこにこと眺める。そうしていると、イリナが小首を傾げた。
「あの、ヴェイセルさん。奥からなにか聞こえますよ?」
イリナが向ける視線の先からは、確かになにか聞こえてくる。
そうなると、ヴェイセルでも気がつく。潜んでいる存在があると。
「エイネ、機神兵を頼む」
「おっけー!」
彼女は洞窟の外で活動していた機神兵を中に呼び戻す。
ガシャンガシャンと音が鳴る一方、奥から巨体が姿を現した。
真っ白な熊の魔物である。洞窟内が暖まり、いい匂いもさせたことで、冬眠から目覚めたのだろう。
「きゃあっ。ヴェイセルさん、助けてください!」
イリナが勢いよくヴェイセルに抱きつく。尻尾をぶんぶんと勢いよく振りながら。
一方でヴェイセルは特に気にした風でもない。
「機神兵がいるから大丈夫だろ。なあエイネ」
「うん。機神兵、倒しちゃって!」
彼らの求めに応じて機神兵が魔物の前に飛び出る。そして停止した。
「ピーピー」
エラーの音が吐き出される。そしてエイネがはっとした。
「ヴェルくん。一大事」
「どうした、なにがあった」
「……結露したみたい」
「地味に困るな!」
「動くまで時間かかっちゃう。というわけでヴェルくん頑張って!」
エイネはヴェイセルの背を押した。
(さて、どうしようかな?)
ヴェイセルは相手を見つつそう考える。けれど、ぎゅっとくっついたままのイリナは、彼にますます強く体を押しつけながら、シロクマを見て表情を変える。
「ケルベロスさん、やっちゃってください」
イリナの求めに応じて突如現れたケルベロスは、一瞬でシロクマを切り裂いた。
声を上げて倒れていく魔物にとどめを刺すケルベロス。
「きゃあっ。ヴェイセルさん、怖いです」
ヴェイセルの胸に顔を埋めるイリナ。尻尾はさっきよりも激しく揺れている。
そんな彼女を見て、
(うーん、イリナは怒らせないようにしておこう)
などと思うのだった。
そんなヴェイセルの一方で、レシアはシロクマのところまで行ってためつすがめつ眺める。彼女は魔物に興味があるのだろう。
ミティラは彼女のところに行って声をかける。
「レシア、なにかわかる?」
「なにもわからないことがわかった」
「そ、そうね……」
胸を張りながら言うレシアに、ミティラも苦笑い。
ヴェイセルもそんな魔物を眺める。
「こいつがダンジョンの主だったらよかったんだけどな。どうにもそうではないようだ。うーん、面倒だなあ」
「どうするんだヴェイセル。調査は進めるのか?」
リーシャがやってきて、彼にくっついているイリナをぐいぐいと押しのけながら尋ねる。
「とりあえず帰りましょうよ。お腹が空きました。その熊、食べられそうですし、持ち帰りましょう」
「お前は本当に食うことと寝ることばかりだな」
リーシャにまで苦笑されながら、ヴェイセルは洞窟の外を眺める。いつしか、吹雪はやんでいた。
エイネは機神兵にそれを載せつつ、
「今日は鍋にしよう。楽しみだなー」
などといいながら、出発の準備をするのだった。




