50 やる気なし魔導師、墓穴を掘る
温泉を堪能したヴェイセルは、機神兵に乗って開拓村に戻ってきていた。
レシアは機神兵に載せて持ってきた温泉の湯を研究所に持ち帰り、エイネはその魔物の整備をすべく工房へと戻っていく。
そしてヴェイセルは、おうちに帰って寝よう、と考えながらてくてくと歩いていく。すると、視界の端にコガネバチを見つけた。
村からは離れたところに養蜂場を作ったのだろう。そこではゴブリンたちが作業に従事しているが、ときおり蜜を泥棒しようとしては刺されて「ゴブッ!」と声を上げている。
そんなゴブリンたちのほかに、リーシャとミティラが様子を確認していた。
ヴェイセルはそちらを見つつ、
(うーん。リーシャ様は偉いなあ。ミティラはきっと、新しい料理を考えてくれているんだろう。楽しみだ)
自分の魔物のことなのにまるで他人事だ。
夕食はなにが出るかなあ、まだそこまで蜜は集まっていないかなあ、などと考えつつ、自室に戻ろうとしたときのことだ。
「ヴェイセル! ダンジョンに行ってきたそうじゃないか!」
リーシャがぱたぱたと尻尾を振りながら駆け寄ってくる。
「あれ、どこで聞いたんですか?」
「北に機神兵が向かっていったと言うじゃないか。エイネたちと調査に行ったんじゃないのか?」
「ええ、そうなんですよ。行ってきました」
ヴェイセルが頷くと、リーシャは実に嬉しそうに尻尾を振るのだ。それを見た彼は、
(うーん? なんでリーシャ様はこんなに機嫌がいいんだろう? やっぱり、おいしい蜂蜜ができそうだから楽しみなのかな?)
などと思うのだ。
「お前もようやく、自覚が出てきたんだな。自発的に行くなんて、成長したじゃないか」
「いや、エイネに引っ張られていっただけですけれど」
リーシャの尻尾の速度がゆっくりになっていく。そして顔も呆れ気味になってきた。
この魔導師はとても素直ではあるが、世渡りはあまりうまくないほうかもしれない。
「……そうか、そうだよな。お前が自分から働くはずがなかった」
「ヴィーくんにそんな期待しちゃダメですよ」
「ひどい言われよう。俺だって最近は、いろいろとこき使われているのに」
たとえ自分からでなくとも、ヴェイセルはよく働いていると思うのである。ダンジョンの調査に駆り出されたり、宮廷魔導師との戦いをしたり、ほかの人物にはできない働きぶりを見せていると言っても過言ではない。
「まあ、それはいい。調査の結果はどうだったんだ?」
「とてもいい温泉が出ましたよ」
ヴェイセルが告げると、ぽかーんとなるリーシャ。彼はさらに自慢げに続ける。
「あ、そうだ。今回は自分から働いたんですよ。きっちり、いい岩風呂を作りました」
「お前はいったい、なにをしに行ったんだ……? 調査はどうなったんだ? ダンジョンの成因は確認できたのか?」
「あ……特になにかがあるようでもなかったので、忘れていました」
「まったく、お前というやつは……」
リーシャが肩を落とす一方、ミティラはからかうようにヴェイセルを突っつく。
「ヴィーくんはリーシャ様と一緒に温泉に入りたかったんだよね?」
その言葉を聞いたリーシャは赤くなる。
「そ、そんなことで誤魔化そうとしてもダメだぞ。ダメなんだから」
「じゃあ、ヴィーくんと一緒に、私だけで入っちゃおうかな?」
「だ、ダメだ! それもダメなんだから!」
悪戯っぽく笑うミティラと、慌てるリーシャ。
そんな二人にヴェイセルは、きょとんとした顔でこう口にする。
「あ、ちゃんと仕切りを作ったので、もう混浴にはならないですよ」
あれからちゃんと、ヴェイセルは働いたのである。褒めてくれてもいいくらいだと思うのだが……。
「おいヴェイセル。もうというのはどういうことだ? 混浴したのか!?」
「えっと……その、なんと言いますか……はい」
うっかり口を滑らせた魔導師は、こうなっては嘘をつくわけにも言い逃れするわけにもいかない。そんな彼にリーシャは頬を膨らませる。
「もう、ヴェイセルの馬鹿……」
リーシャがこうなってしまっては、ヴェイセルもおろおろするばかり。助けを求めてミティラに視線を向けると、
「じゃあ、仕切りを取って混浴に戻したらいいんじゃない?」
とんでもない発言がかえってきた。ときおり、この少女はからかってくるのである。
「そうしたらリーシャ様と私とヴィーくんで入っておあいこでしょ? ね、リーシャ様」
「そーいう問題じゃない! だいたい、ヴェイセルは水浴びすればミティラの裸ばっかり見るし、水着になれば私を子供と馬鹿にするじゃないか」
リーシャが拗ねてしまうと、ヴェイセルは慌ててフォローに入る。
「そ、そんなことないですよ! 望むならちゃんとリーシャ様も見ますし、水着姿もとても素敵だと思っていますよ!」
「ヴェイセルのえっち! もう、馬鹿」
リーシャはそっぽを向いて、ヴェイセルを尻尾でぱたぱたと叩く。
ヴェイセルはどうしてこんな状況になったのだろうか、と悩ましく思っていたのだが、今日は基本的に彼の失言がすべての元凶である。
(大人しく、さっさと家に戻って寝ればよかったなあ)
とうなだれるしかなかった。
◇
そうしてリーシャに怒られていたヴェイセルだったが、やがてふと、近くで建造中の建物に気がついた。
ヴェイセルはそんなものを作るという話を聞いてもいなかったため、なにがなにやら、という状況である。
「ミティラ、あれって、新しいゴブリンの巣?」
「違うよヴィーくん。養蜂場を作るのに、巣箱を設置して終わりじゃないでしょ?」
「ということは、調理場かな?」
「もう。食べることしか頭にないの?」
「ミティラの料理が楽しみなんだよ。とてもおいしいからさ。新作のことを考えると、それだけで涎が出そうだよ」
ヴェイセルが嬉しそうに言うと、ミティラもまんざらではないようだ。くるくると銀の髪を弄び、尻尾を揺らしている。いつものように、「ヴィーくんは仕方ないなあ」なんて言いながら。
「あそこで蜂蜜酒を作る予定なんだよ。それに道具置き場も必要でしょ?」
「なるほどなあ。よく考えているものだ」
ヴェイセルが感心していると、リーシャが呆れた顔になる。
「あれはお前の魔物だろうに。手入れをまるっきりゴブリンに任せてしまっていいのか?」
「うーん? まあ、大丈夫じゃないですかね? コガネバチはたいした毒はありませんし、契約している魔物ですから。……ああ、ですが、新しく生まれた個体は契約していないので、省く必要があるでしょうね」
通常の蜂と異なり魔物であるため、子を産んだところで精霊が宿らなければ活動することはないため、頻繁に産卵するわけではない。
そういう意味では、蜂のグループよりも魔物というグループで取り扱ったほうが近しい。
「だが、ここはダンジョンではないぞ。魔力が高いわけでもない。本当に精霊が宿って野生の魔物になるのか?」
「たぶん、抜け殻みたいな状態でしょうね。襲われる危険はないと思います。ただ、老いた個体の精霊契約を維持するには、定期的に契約している魔物の肉体から精霊を出して、新しい肉体に移す必要がありそうです」
とはいえ、コガネバチはサイズがそこまで小さくないため、何千、何万という数を扱う必要はない。手作業でもなんとかなるレベルだ。
が、それであってもヴェイセルはやはり面倒だなあ、と思うのだ。
やっぱりゴブリンに任せてしまおう。あいつらでも、そのうちきっと学習するだろう。そう考えていた矢先、
「ゴブッ!」
声が聞こえてきた。
(……きっと、学習するだろう。うん。そのはず)
不安になりながらそちらを眺めていると、駆けていくイリナの姿が見えた。そして彼女は作業中のゴブリンに服を着せ、頭にネットがついた帽子を被せる。
防護服らしい。
「へえ……イリナも手伝ってるんだ。偉いなあ」
そういえば服飾が得意だったな、と思い出したヴェイセルが呟いた瞬間、イリナの狐耳が激しく立った。
そしてゴブリンをほっぽり出し、尻尾を激しく振りながらヴェイセルのところに駆け寄ってくる。
「ヴェイセルさん! 私、頑張ってゴブリンの服を作りました!」
「すごいなあ」
「えへへ。もっと褒めてください!」
「イリナは働き者だ。嬉しいよ」
「えへへへへへ。もっともっとです!」
「こんなに頑張るなんて、俺にはできないよ。これは天才と言ってもいいね」
のんびりしたヴェイセルの言葉を聞きながら、イリナははしゃいで尻尾を振る。頭を差し出してきたので、彼は撫でてみると、イリナの狐耳が後ろにふにゃっと倒れた。とっても幸福なとき、こうなるのである。
そうしていると、リーシャがなんだか機嫌がよくない様子でヴェイセルを突っつく。
「働いているのはイリナだけじゃない。エイネも蜂蜜を分離するための遠心分離機や大人しくさせるための燻煙器を作ってくれているんだぞ」
「エイネは本当に器用だよなあ」
「私もいろいろと必要資材の発注を行ったんだぞ。えへん」
リーシャが胸を張る。
ヴェイセルはそれを見て、
(やっぱり、リーシャ様は子供っぽくて可愛いなあ)
と思うのだが、頭なんぞ撫でたら子供と馬鹿にするなと言われるのではないかと、対応に困ってしまう。
そうしているうちに、今度はリーシャは頬を膨らませてしまう。
「なんだよー。いいよもう。どうせ私はお前とは違うし、たいしたことできないもん」
拗ねてしまうリーシャにヴェイセルはおろおろしていると、ミティラがリーシャを後ろから抱きしめて、頭を撫でる。
「リーシャ様は頑張りました。ヴィーくんはちょっと鈍いだけなんですよ」
「ちょっとじゃないもん。とっても鈍いもん」
「ね、ですから、ちゃんと言葉にしないと伝わらないんです」
ミティラに促されて、リーシャはおずおずと、ヴェイセルの前に出る。
彼はイリナの頭を撫でていた手を止めて、なかば握っている状態で、緊張気味にリーシャと向かい合う。きょとんとした顔のイリナは二人を眺めていた。
そしてリーシャが息を吸った途端、
「あのね、リーシャ頑張ったの。ヴェイセルにぎゅってして欲しいな?」
ヴェイセルの後ろから声が聞こえてきた。
そちらを振り返れば、いたずらっ子の顔をしたエイネがいた。
「な、なななななんてことを言うんだエイネ!」
「ここまで直接言わないと、ヴェルくんは気づかないよ? それとも、もっとすごいのがよかった?」
「も、もっとすごいの!?」
リーシャは顔を赤くして、大慌てだ。しかし、エイネはけろりとした様子で建造中の建物に視線を向ける。
「あ、ミティラ。遠心分離機と燻煙器、できたよ。もう運び込める?」
「うーん、できることはできるけれど……作業中だから、もう少し待ってもらえない?」
「おっけー。それじゃ、完成を待ってるね」
エイネは赤い尻尾をぱたぱたと振ると、元気に工房へと戻っていった。
すっかりからかわれたリーシャは、さっきから赤くなってぷるぷると小刻みに震えている。
「あのー、リーシャ様?」
「な、なんでもないぞ。エイネのことは気にするなよ。気にしちゃダメだからな」
「ええ。その、リーシャ様にお願いがありまして」
ヴェイセルが言うと、リーシャはぱあっと笑顔になる。
彼もリーシャのことをまったく理解していないわけではないのだ。統治者として頑張っているし、褒められたいのだろう、ということまでしか認識していないだけで。
だから、ヴェイセルはリーシャを頼ることにしたのである。
「お願いというのはなんだ? エッチなのはダメだぞ……?」
「リーシャ様、お祭りを行うって言ってたじゃないですか。そこで、次は酒類をメインにしてはどうかなーと。シードルとミードができますから、ほかになにか作物があれば、いい感じになりそうじゃないですか?」
「なるほど、名案だ。ヴェイセルもたまにはいいことを言うじゃないか! よし、それなら新しいダンジョンの作物を探さないとな。私は村の準備をするから、そっちはヴェイセル、頼むぞ!」
ヴェイセルはそこで愕然とする。
(しまった! 墓穴を掘った!)
ダンジョンの作物を取りに行くのは、リーシャにとってはヴェイセルの仕事である。まさか、余計な仕事を増やしてしまうとは。しかも、次の祭りが行われるとなれば、それまでに済ませなければならない。
(……ああ、俺のお昼寝時間が減っていく。なんてこった)
やる気なし魔導師は、今日はよく失言をする日だと肩を落としながらも、リーシャの満面の笑みには癒やされるのだった。




