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45 安心と信頼の魔導師


 ルードを見下ろしたヴェイセルは、彼の答えを待っていた。

 しかし、憎々しげな表情のルードは、歯噛みしたまま動かない。


「さあ、約束は守ってもらおうか。お前が負けたら、さっさと出ていくという約束だったな。今すぐに、部下どもをまとめて帰ってもらおう」


 告げるヴェイセルに対し、ルードはわめき散らす。


「こ、こんな勝負は無効だ! だいたい、どこから連れてきたんだあんな化け物! このダンジョンじゃないだろう!? あんなの、いなかったはずだ!」

「お前は初めてここに来たのに、なぜそう思う? 以前から、ずっとこのダンジョンを調べていたとでも?」


 ヴェイセルが告げると、ルードが歯ぎしりの音を立てる。

 そして、名案が浮かんだとばかりに、嘲りの表情を浮かべる。


「そうだな……引くとは言ったが、『いつ』とは言っていない。そして、貴様らが満足に調査をこなせると報告するともな」


 そのルードの態度に、イリナが表情を険しくし、ヤマタノオロチが舌をちろちろと出し入れしてみせる。


 だが、ヴェイセルは無表情でルードの胸ぐらを掴むと、力任せにぶん投げた。彼の肉体は木々の合間を飛んでいき、やがて草むらに頭から突っ込んだ。


 驚くリーシャたちのほうを振り返ったヴェイセルは、


「ちょっと、話をしてくるので、待っていてくださいね。彼も、どうやら俺と因縁があるようですから、二人だけのほうが話しやすいでしょう」


 にこやかな笑顔でそう告げるのだ。


「ヴェルくん、頑張ってねー」


 エイネが手と尻尾をぱたぱたと振るのを見ながら、「リーシャ様を頼むよ」と告げてヴェイセルはルードのところに向かう。


 そして草むらの中からルードを引っ張り上げると、


「き、貴様、こんなことをして、どうなるかわか――」


 もう一度ぶん投げた。今度はまったく遠慮がなく、さらに魔法道具で膂力も強化してあったため、遙か遠方まで高速で吹っ飛んでいく。


「ぐえっ」


 何度か転がって苦しげな声を上げるルードであったが、ヴェイセルはリーシャたちのところまで声が届かないことを確認すると、その男を踏みつけた。


「お前は負けたんだ。いい加減にしろよ……って、意識が飛んでいるのか」


 ルードは打ち所が悪かったらしく、気を失っていた。


 ヴェイセルはユニコーンの癒やしの魔法を使用してルードの傷を治すと、顔を何度も何度もひっぱたく。バチンバチンと激しい音で目を覚ましたルードは、一瞬呆然としていたが、すぐに状況を思い出す。


「宮廷魔導師にこのような仕打ち、どうなるのかわかっているのか?」

「ああ、こうなるな」


 ヴェイセルは懐から骸骨の頭を取り出すと、レイスを生じさせた。ランク5の魔物であるそれは、人の魂を奪うことができるとされている。


「ふ、ふんっ! 脅しても無駄だ。レイスの魔法は、格下にしか効かない! 宮廷魔導師にもなれば、抵抗することだってできる!」

「……ならば、こいつを砕いてもいいんだな?」


 ヴェイセルの視線の先には、ふよふよと漂う光の塊がある。ルードから奪った魂だ。レイスはカタカタと歯をかち合わせて笑っている。


 状況が飲み込めず、瞬きを繰り返すルード。しかし、すぐに慌ててヴェイセルにやめるように飛びついた。


「そ、それは――返してくれ! 今ならまだ間に合う! このような暴挙も、今なら目をつぶろう!」


 駆け寄ってきたルードを蹴り飛ばし、ヴェイセルは冷ややかに見下ろした。


「まだ立場をわかっていないようだな。宮廷魔導師の名にあぐらをかいていたお前にはわからないかもしれないが……この世には、暴力がなによりも強い場所もあるんだ。そしてお前はそこで、誰にも守られない弱者にすぎない。……いいか、リーシャ様に二度と近づくな。もう一度近づいたときには――」


 ヴェイセルはふと、宮廷魔導師になったばかりのときのことを思い出した。誰もやりたがらない危険で表に出てこない任務を押しつけられていたときのことを。そこには、暗殺や拷問、洗脳の類だって、いくつも含まれていた。


 ヴェイセルは魔法道具を用いると、震えるルードを見下ろすのだった。



    ◇



 リーシャは倒木に腰掛けながら、脚をぱたぱたと動かしていた。ヴェイセルは大丈夫と言っていたが、落ち着かなくて仕方ないのである。


 イリナもヴェイセルがいなくなった森とヤマタノオロチの間で、視線を行ったり来たりさせている。


 それに対し、エイネはリヴァイアサンの死骸に興味津々だ。


「やっぱり大きい魔物はいいよね! 魔法道具の作りがいがあるよ! 作業は大変だけど、たくさん作れるし、充実感も達成感もたっくさん!」


 どうしようかなー、と右に行ったり左に行ったり、つついてみたり、楽しげにしている。終いには、興奮を抑えきれなくなったのか、


「ヴェルくんに許可取ってないけどいいよね。あたしも手伝ったんだし、もらう権利あるよね。うんうん、それにどうせ魔法道具にするから、結果は変わらないもんね」


 と勝手に納得して、機神兵を呼んでくると解体を始めるのだった。


 そんな様子をぼけーっと眺めていたレシアに、リーシャは視線を向ける。


「レシア。エイネになにか言ってやれ」


 白い尻尾が一度揺れると、彼女は小さく頷いた。

 そしてエイネのところまでてくてくと向かっていく。


「エイネ」

「なに? どこか欲しい部位とかあるなら分けてあげるよ?」

「違う。こういう策を取るのはよくない。貴重なランク5の魔物。生かして観察すべき」


 あくまで、生きたまま捕らえられる策を取るべきだと主張するレシア。


「仕方ないよ、今回はあいつが相手だったし」

「それは仕方ない。でも、あいつとリヴァイアサン。どっちの命が大事なの?」

「え、別にどっちもいらない……」


 エイネとしては、解体して魔法道具にしたいのである。そこはレシアと意見がぶつかるところだ。貴重でもない魔物なら、いくらでも替えはいるから魔法道具にするのはレシアもどうでもいいところなのだが、数が少ない魔物ならたっぷり時間をかけて研究したいのである。


 そんな二人を見て、リーシャは頭を抱えた。


「……頼む相手、間違えたな」


 ため息をつく彼女のところに、ミティラがやってくる。


「リーシャ様、ヴィーくんのこと、もう少し信じてあげたらどうですか?」

「でも……だって……あいつになにかあったら、どうすればいいんだ」


 狐耳をぺたんと倒すリーシャ。

 けれど、そんな彼女を見てミティラがくすくすと笑う。


「大好きなヴィーくんがいなくて、不安なんですね」

「ち、違うぞ。別にそんなんじゃないんだからな! あいつがいないと、今後の村づくりができなくなるじゃないか!」

「まあ、一緒じゃないとダメなんて、ぞっこんなんですね」

「違うったら。違うってば、違うんだもん」


 すっかり顔を赤らめるリーシャをミティラはからかう。

 そんなミティラを見て、イリナは首を傾げた。


「あの……エイネさんとレシアさんはともかく、ミティラさんまでどうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」


 ミティラは一番の常識人である。だというのにヴェイセルに関して、ほったらかしにしているのは、ちょっと不自然に思われたのだ。


 ミティラはうーん、と少し悩む。


「焦る理由がないから、かな?」

「え? それはいったい……?」

「だって、ヴィーくんだから。なんにも心配いらないよ」


 そう言って、意味ありげに微笑むミティラ。イリナはますます困ったような顔になるが、銀の尻尾はなんだか嬉しげに揺れている。


 エイネもレシアも、ヴェイセルの力は知っている。けれど、なにが理由になってそうなったのかは違うはず。そしてミティラが彼を信頼するようになったきっかけもまた別だろう。


 特にたいした理由でもない。

 けれど、二人とも違う自分だけが持っている、自分だけの彼への信頼が秘密の宝物にも思われた。


「残念だけど、答えは教えてあげない。だって、これは私だけの、ヴィーくんへの気持ちだから」


 ミティラが告げるも、やっぱりイリナはよくわからない、という顔だった。


「イリナちゃんも、ヴィーくんを信頼できる小さな出来事、あるでしょ? そういうのが積み重なって、一つの大きな信頼になるの」


 そこまで言われて、イリナもなるほど、と頷いた。

 彼女はヴェイセルに救われた記憶がある。あのとき、指輪までくれたのだ。そのことを思い出したイリナの尻尾は、激しく左右にぶんぶんと揺れるのだった。


 はてさて、そうして待っていると、木々の向こうからヴェイセルがやってきた。


「ヴェイセル! 遅いじゃないか!」

「すみません、リーシャ様。少し手間取ってしまいまして……」


 へこへこと頭を下げる魔導師に威厳はない。

 頬を膨らませていたリーシャだったが、安心していたのも事実。だが、そこにルードの姿がないことに首を傾げる。


「あれ、あいつはどうしたんだ?」


 尋ねられたヴェイセルは、困ったように頬をかいた。


「えっと……その、申し訳ないことをした、リーシャ様に合わせる顔がないと、王都にすぐに戻ってしまいました。ほら、約束したのも、負けたらすぐに戻るってものだったじゃないですか。というわけで、気にしないでください。これで勝負も終わりです」


 リーシャはちょっとヴェイセルの態度が腑に落ちないところもあったが、とりあえずそういうことなら、よしとする。


「さあ、帰ってお昼寝にしましょう。今日は動きすぎました」

「お前はどんなときでも、いつもそれだな。そう言っているうちは、なんにも問題ないのかもしれない」


 ヴェイセルが慌てている姿を、リーシャは想像できなかった。ミティラやエイネ、レシアもそうなのかもしれない。


「ヴェイセルさん、お疲れ様でした! 帰りはゆっくりしてくださいね! ケルベロスにも、ゆっくりするよう言っておきますから」

「疲れたから、天狐がいいなあ。リーシャ様、天狐に乗せてもらえません?」

「仕方ないな。今日はヴェイセルも働いたからな」


 そんなことを言うリーシャは嬉しげである。

 四人がそうしているうちに、エイネはすっかりリヴァイアサンの解体を済ませ、持ち帰る準備を始めている。


「あ、リーシャ様、あたしも一緒に乗せて。ついでだからいいでしょ?」

「定員オーバーだ。今日はヴェイセルも疲れているから、特別席なんだ。だいたい、機神兵がいるじゃないか」

「リヴァイアサン持っていくから、それは無理だよ。こっちは重量オーバー。じゃあイリナ、ケルベロス貸してくれない?」


 早速、エイネは彼女に声をかける。

 そんな賑やかな少女たちの声を聞きながら、ヴェイセルは天狐の上に寝ころがった。ふわふわの毛が最高である。


 そしてリーシャがその前に乗ると、ひっそりと、彼の頭の下に尻尾を入れるのだ。


「特別なんだからな。今回だけだぞ」


 そんなことを言うリーシャの尻尾を枕にし、ヴェイセルは大きな欠伸をする。

 今日はよく働いたやる気なし魔導師であった。

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