42 開拓村の異変
その日もヴェイセルはすやすやと眠っていた。
日はとっくに昇っているが、昼過ぎまでこうしてのんびりしている予定だった。
けれど、なんだかベッドの感覚がいつもと違う。傾いているような気がするのだ。なぜだろうか?
そんなことを考えていると、腰から胸の辺りにかけて重みが加わった。
(うーん……重量変化する布団なんか買ったかな?)
そんなことを考えていると、その重みがゆっくりと顔のすぐ近くまで迫ってくる。
そこまでなれば、さしもの居眠り魔導師も目を開けずにはいられない。
寝ぼけ眼に映るのは、黄金色のふわふわした髪と、ぴょこぴょこ動く狐耳。そして子供っぽくも愛らしい少女の顔だった。
「なんでリーシャ様がここにいるんですか?」
「お前がいつまでも寝ているからだ」
「そんなのはいつものことじゃないですか。特別な理由じゃありませんよ」
「それが胸を張って言うことか」
リーシャが呆れ、ヴェイセルは欠伸を一つ。
そこで彼は、はたと気がつく。
「……あれ、きっちり鍵をかけていたはずなんですが」
「心配いらないぞ。私はちゃんと合い鍵を持っているからな」
(……うん? なにかおかしくないか?)
首を傾げるヴェイセル。
「監督不行き届きがないよう、しっかり見ていてやるんだ。喜ぶといい」
「あの……俺にもプライベートな空間があってもいいんじゃないかなあ、と思うのですが、いかがでしょう?」
「人に見られたら困ることがあるのか? どうせ寝ているだけだろう?」
「確かにその通りですが……今現在、寝られなくて困っているじゃないですか。あ、そうだ。じゃあリーシャ様も一緒に寝ましょう」
ヴェイセルはそうして、リーシャにまで一緒に布団をかけてしまう。
「なっ、なにを考えて……いや、その……私とて、嫌じゃないが、誰とでも一緒に寝るわけじゃないんだからな――」
「ぐう。すぴー」
もじもじしながら悩んでいたリーシャの耳に聞こえてきたのは、そんな呑気な寝息だった。
思わず、呆然としてしまうリーシャ。
そして今度はなんだか腹が立ってきた。せっかく会いに来たというのに、この男は寝ることを優先したのだ。
尻尾でぱたぱたと何度も何度もヴェイセルの顔をはたいてみる。
「むにゃむにゃ……リーシャ様……」
ぎゅっと尻尾を抱きしめたヴェイセルはそんな寝言を言う。
本当は起きているのではないか。リーシャはそんなことを思うのだが、尻尾に顔を埋めているので彼の表情は見えない。
(そ、そんなに私の尻尾がいいのか、仕方のないやつめ)
いつだって、この男は彼女の尻尾を見分けてくれる。照れるリーシャであったが、はたと思い出した。
「ヴェイセル、起きろ。寝ている場合じゃないぞ」
尻尾を何度も揺らすと、眠たげなヴェイセルが目を覚ます。
そんなぼんやりしたヴェイセルの顔を両手で挟むように掴み、自分のほうを向かせるようにする。
「最近、調査が進んでいないじゃないか。そこでだな、代役が派遣される話が浮上しているらしい」
「つまり、俺はのんびり寝ていられるということですか?」
「違うぞ。この家はそいつに取られることになる」
「そんな! じゃあ、俺はどこで寝ればいいんですか! ……あ、ミティラやアルラウネのところでいいか」
ほっと一息つく魔導師を、リーシャは何度も何度も揺さぶる。
「ここまで発展させてきたのに、手柄を取られるんだぞ!? いいのか、お前はそれでいいのか?」
別に手柄などどうでもいい、と言いかけたヴェイセルだったが、泣きそうなリーシャの顔を見ていると、とてもそんな言葉を口にすることなどできやしなかった。
「わかりました。このヴェイセル。リーシャ様のために働きましょう」
そう告げると、リーシャの尻尾がぱたぱたと右に左に元気に揺れる。
嬉しそうな姿を見ていると、ヴェイセルもなんだかいいことをした気分になるのだった。今日彼がしたことは、ただベッドから抜け出ただけだというのに。
◇
リーシャたちは、ミティラの家に集まっていた。皆で相談することになったのである。
「今度来る魔導師は、あのルードという男だ」
その言葉を聞き、エイネが嫌そうな顔をし、レシアが眉をひそめる。ミティラですら、困ったような顔をした。
一方、コーヤン国の事情などほとんど知らないイリナはどう反応していいのかわからず、そしてヴェイセルは首を傾げた。
「誰ですか? 有名なんですか?」
「おいヴェイセル、お前の同僚だろう! 一番詳しいはずじゃないか!」
「そんなこと言われましても……宮廷魔導師だって、いろいろいるんですよ」
「お前みたいなのは一人しかいないがな」
ため息をつくリーシャ。そして説明し始めるミティラ。
「ルードは宮廷魔導師の中でも、出世欲が強かったんだよ。だからきっと、北の開拓を行って、さらに名を上げようとしたんじゃないかな」
「ヴェルくんが成功し始めたから、横からかっさらっちゃおう! って魂胆だよ。ずるいね、にくいね、ぶっ飛ばしてやりたいね。とっ捕まえて埋めちゃおうよ」
エイネがつらつらと述べる。
はて、彼女はなにか恨みでもあるのだろうか? ヴェイセルが首を傾げると、レシアは首を横に振った。
「だめ。土の中に埋めると腐敗が進まない。だから跡形もなく消える薬品、作っておく」
二人して恐ろしい計画を立て始める。
レシアは本気で言っているのかどうか、フラスコを揺らす仕草をしてみせる。
ヴェイセルはそもそも顔も知らない相手なので、イマイチ状況が飲み込めない。
アルラウネがお茶を運んでくると、ヴェイセルはそれをずずっとすすってほっと一息ついた。そして「あ、茶菓子もくれると嬉しいな」なんて催促するのだった。
そんな呑気な魔導師は、今もなお尻尾の毛を逆立てている二人を眺める。
「うーん……君ら、なにかあったの?」
「あいつはね、ことあるごとに宮廷からくる仕事の邪魔してきたんだ。鬱陶しいから、宮廷の仕事なんて受けなくなったからいいけどさ」
「やつは鬱陶しい」
二人の共通見識らしい。
彼女たちは、ルードがここに常駐するようになった場合、もう王都に戻ってしまうだろう。それはヴェイセルも困る。せっかく、村での生活も快適になってきたというのに。
「まだ時間はある。ルードがこちらにいる間に、きちんと仕事をこなしていれば、問題なしと判断されるはずだ。父上にきっちり報告ができるよう、ダンジョンの攻略を進める。ヴェイセル頼むぞ」
リーシャから話題を振られたヴェイセルは、どうやらダンジョンをせっせと見に行かねばならないらしい。リーシャの中では決定事項のようだ。
(まったく……ルードのやつめ。俺に余計な仕事を増やしやがって! あとでぶん殴ってやる!)
元はと言えばこの魔導師がお昼寝ばかりしていたせいなのだが、ルードはすっかり彼の自由を奪う敵になっていた。
「ヴェイセル。ダンジョンのほうはどうなっている?」
「確か、まだ行っていないところは、近くに十数ありますよ」
「お前、その状況に気づいていながら昼寝していたのか……」
「人聞きの悪いことを言わないでください。ちゃんと調査したから、それだけ発見できたんですよ」
ヴェイセルが胸を張る。イリナが「ヴェイセルさんすごいです!」なんて褒めると、ますます調子に乗ってしまう。
けれど、エイネがつけ加えた。
「ヤタガラスの魔法道具使って、お昼寝しながらだけどね」
「一体、お前の昼寝にかける執念はどこからやってくるんだ……」
「仕方ないよ、ヴィーくんだもの」
「だ、大丈夫です! お昼寝しているヴェイセルさん可愛いですよ!」
呆れとよくわからないフォローを浴びせられた魔導師は、それでもなお大きな欠伸をするのだった。
そうしてやる気なし魔導師たちが賑やかな会議をしていた翌日。
都市から数台の馬車がやってきたのだった。




