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39 海と少女と魔導師


 一面に広がる大海原があった。海である。


「すごいな……」


 リーシャをはじめとした少女たちは、思わず感嘆の声を上げた。


 コーヤン国は内陸国であり、小さな湖程度ならあるが、ここにいる者たちは海を見たことがなかったのである。


 そうして感動する少女たちに対し、ヴェイセルはぐったりしていた。なにしろ、ヤマタノオロチは蛇行するようにうねうねと動くのだ。すっかり気分は悪くなっている。むしろ戻さなかっただけ、頑張ったほうじゃないかと言いたいくらいだ。


「おえっぷ。気持ち悪い……」


 ヴェイセルがよろよろとヤマタノオロチから降りると、イリナが駆け寄ってきた。


「ヤマタノオロチさん、ご苦労様でした。ああ、ヴェイセルさんが倒れてしまいそうです。支えないと!」


 尻尾をぶんぶん振りながら飛びついてきたイリナは、ヴェイセルをぎゅっと抱きしめた。


 柔らかく、なんだかいい匂いもする。女性にこんなことをされたことなどほとんどありゃしないヴェイセルは、心拍数が急上昇していた。


「い、イリナ! お前はなにをしているんだ!?」


 慌てて駆け寄ってくるリーシャ。それに対し、けろりと応えるイリナ。


「ヴェイセルさんを支えているんですっ」

「そ、そうか。支えているのか。うん、そうだよな、うむ」


 リーシャは背後に回って、ちょっとばかり戸惑いがちにヴェイセルにしがみつく。

 その手が押したのは、ちょうどお腹の辺りである。


(うえっぷ。気持ち悪い……!)


「どうだヴェイセル」

「な、なんとか耐えられています。頑張ります」

「仕方ないな、それなら支えないといけないな」


 満足げなリーシャ。

 そしてミティラがそんなヴェイセルを見てクスクスと笑う。


「ヴィーくん。モテすぎてもう真っ青ね」


(そ、そんなことを言っていないで助けてくれ!)


 ヴェイセルの体調に気がついているはずのミティラは、助けてくれない。これはきっと、先ほどミティラと一緒に乗らなかったことをまだ気にしているのだ。


(いや待てよ、ヤマタノオロチに一緒に乗ろうと視線を送ったとき、彼女は目をそらした。ならばなにが原因だ……?)


 乙女心のわからない魔導師は、必死に頭を悩ませる。

 しかし、気分がますます悪くなってきて、それどころじゃなくなってきた。


 ならば、と助けを別のところに求める。エイネを見れば、機神兵に防水用の加工をしているところだった。レシアはヤマタノオロチをぺたぺたと触っている。興味はすでにそちらにいってしまっているようだ。


 先ほどはヤマタノオロチに乗りたがらなかったのに!

 ヴェイセルはそんなことを思いながら、やがて限界を迎えた。



    ◇



「その……ヴェイセル、すまなかった」


 しょんぼりしたリーシャが、ミティラに背中をさすってもらっているヴェイセルに声をかける。


「気にしないでください。酔ってしまっただけですから」


 ヴェイセルはイリナから水を受け取って口に含むと、心なしか気分がよくなった気がする。


 そうしていると、エイネとレシアがやってきた。


「ヴェルくんどうしたの? ぎっくり腰?」

「なわけあるか。俺はまだそんな年じゃない」


 レシアはじっとヴェイセルを眺めていて、それから持ってきた荷物の中から錠剤を取り出した。


「これ、酔い止め」

「持っていたなら、出発前にほしかったよ……」


 ヴェイセルはうなだれながらも、レシアから薬を受け取った。


 そんな調子の彼だったが、少し休むと、いよいよ海のほうへと向かうことにした。肩に乗っていたウンディーネがうずうずしていたのである。


 近づいてみると、大雨の影響もあってか、あまり水質はよくない。若干濁っているため、深いところまでは見えなかった。


 そしてウンディーネの様子を見ていると、流された仲間がすぐ近くにいるわけでもないようだ。


「エイネ。水中調査の魔法道具は?」

「いろいろあるから好きなのを選んでね」


 まず彼女が袋の中から取り出したのは、面積の少ない布であった。


「……これは?」

「水着だよ! リヴァイアサンの皮で作った特製品! なんと、使用するだけで薄膜が全身を覆って、水中でも呼吸ができるし、どんなに汚い水の中でもバッチリの一品!」


 エイネはぽいっと水着を放り投げた。ひらひらと舞って、それがリーシャの手に落ちる。


「こ、ここここんな破廉恥な! 破廉恥なものを着ろと言うのか!」

「でも、沿岸国で流行のデザインらしいよ? それとも、こっちのお子様用がいい?」

「ば、馬鹿にするな! 私だって、もう子供ではないのだぞ」


 胸を張って言うリーシャ。

 彼女に視線が集まるが、そこには同意など含まれていなかった。


 ヴェイセルはこのままではいけない、と判断する。リーシャが泣いてしまうのではないか。そう思った魔導師の行動は早い。


 すかさずリーシャのところにやってきたヴェイセル。


「大丈夫です。リーシャ様なら破廉恥なのも子供用もバッチリ似合いますよ! とても素敵です!」

「は、破廉恥……子供用……お前は私をなんだと思っているんだ! ヴェイセルのアホー!」


 リーシャはヴェイセルを尻尾ではたき、それから背を向けていじけてしまった。


「ぐすん。ヴェイセルなんてもう知らない」


 しょんぼりしたリーシャを見ておろおろするヴェイセル。

 なんとかなだめようとするが、なかなか立ち直ってくれない。


「いいもん、どうせ子供だもん。ぐすん」


 いよいよヴェイセルが困り果てたところで、


「ヴィーくん。どうかしら?」


 声が聞こえて振り返ると、そこにはミティラがいる。

 ヴェイセルの視線は思わず釘づけになった。


 清楚ながらもちょっぴり大胆なデザインで、腰回りにはスカート状の布を巻きつけている。スタイルのよさもあって、大人っぽい魅力がたっぷりだった。


「と、とととととても似合っているんじゃないかな」

「ありがとう、ヴィーくん」


 ミティラがそっと距離を寄せ腕を取る。ヴェイセルはどぎまぎして視線を泳がせることしかできない。


 それに、湖での一件を思い出してしまった。

 赤くなるヴェイセル。そしてリーシャにちらりと視線を送るミティラ。


 二人の様子を見ていたリーシャは、頬を膨らませ、それからエイネたちの声が聞こえる木陰へと走っていった。


 そんなリーシャを見たヴェイセルは、


(なるほど。実際に着ているところを見せて、リーシャ様の好奇心を煽る作戦か。ミティラはリーシャ様の扱いがうまいなあ)


 などと思うのだった。


 水着はエイネが持っていってしまっているため、そちらに顔を出すわけにもいかない。

 まだかなあ、なんて思いながら待っていると、向こうから弾む尻尾がやってきた。


「ヴェイセルさん、どうですか!」


 駆け寄ってくるイリナは、とても肉感的だった。

 惜しげもなく肌を出しているから、開放的になっているのかと思いきや、顔はいつもより赤い。


 しかも、今日はヴェイセルに触れないくらいの距離を保っている。


 ついヴェイセルがそちらに視線を向けると、イリナは尻尾で腰回りを、手で豊かな胸元を隠した。そうなると、かえって扇情的だ。


 ヴェイセルまで恥ずかしさで一杯になっていると、


「ヴェルっち。だらしない顔してる」


 いつの間にか隣にやってきていたレシアがぼそりと呟いた。

 ヴェイセルはぎくりとしながら彼女のほうを見ると、ワンピースのようなだぼっとしたものを着ているため、ようやくほっとした。


 それからエイネの元気のいい声が聞こえてくる。


「ヴェルくん。お待ちかねのリーシャ様だよっ! 褒めてあげてね!」


 登場したエイネは、ほとんど短パンTシャツと変わらないようなものを着ている。尻尾の辺りまでしか丈がないため、お腹周りが見えるのがちょっぴり素敵だ。


 そしてリーシャは、フリルのついた可愛らしい水着を着ていた。


「ヴェイセル、その……子供っぽくない?」

「とても素敵ですよ」

「えへへ、リーシャ嬉しいな。ヴェイセル大好きっ」


 はて、リーシャ様がこんなことを言うだろうか。ヴェイセルがそう思って見ると、リーシャのすぐ後ろにエイネを見つけた。


 リーシャの視線もそちらに向かう。そんな彼女にエイネがこっそり耳打ち。


「ほら、今がチャンスだよ。精一杯アピールしないと!」

「な、なにを言っているんだっ。アピールなんて……それに、素敵って言ってくれたし……えへへ」


 たったそれだけの言葉で、リーシャは照れているのだった。

 エイネはそんなリーシャを見て、これ以上遊ぶのは無理かな、と思ったらしく、


「さあ海に行こうよ。ほらほら。海は逃げないけれど、エイネちゃんは捕まえておかないと逃げちゃうよっ!」


 はしゃぎながら尻尾を振ってヴェイセルを誘う。


「ちょっと待て。俺の水着は……?」

「え? えーっと……あれ? おかしいな……」


 袋を漁るも、首を傾げるエイネ。ヴェイセルは嫌な予感がした。


「えっと……女性向けのこれでいい?」

「いいわけあるか!」

「ヴェルくん、細身だから大丈夫だよきっと」

「そういう問題じゃない」


 ヴェイセルがうなだれると、エイネは「でもこれしか持ってきていないからなあ」と呟く。


 そこでヴェイセルはふと気がついた。


「そうだ。なにも着なくてもいいんだ」

「え。全裸になるの?」

「違うっての。俺を誰だと思っている」

「お昼寝魔導師?」

「正解だ。いや、そうじゃなくて……魔法道具に長けた魔導師なんだよ。つまり、水着を着ることなく、魔法道具としての機能さえ発揮すればいいんだ!」


 ヴェイセルは女性用水着をぎゅっと握りしめて宣言する。

 それを見たリーシャとミティラは、眉をひそめた。


「うわあ、ヴェイセル、それはない」

「ヴィーくん、危ない人みたいよ」


 あれ、どうしてこうなったのだろう?

 ヴェイセルはしばしほうけてしまった。水着を握ったまま。

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