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28 黒の少女、尻尾を振る


 その日、ごろりと寝ころがっていたヴェイセルのところに、イリナがやってきていた。ヴェイセルがすやすやと居眠りしていることを確認すると、その隣に座って、じっと眺める。


(……えへへ、ヴェイセルさんの寝顔可愛いなあ)


 幸せそうなイリナは、黒い尻尾をぱたぱたと振る。そうすると、先っちょが白くなっているのが右に左に揺れ動いていた。


 と、見えてもいないはずなのに、はっしとその尻尾が掴まれた。


(ど、どどどどどうしましょう!?)


 慌ててヴェイセルを見ると、目を開けてすらいない。ほっとするイリナだったが、彼はそのあと、すぐに尻尾をぎゅっと抱きかかえてしまった。


(ひゃあああああ! 掴まれちゃいました! どうしましょう!?)


「うーん? うーん……」


 ヴェイセルは尻尾に顔を埋めるが、そのたびにもぞもぞと動くばかり。リーシャの尻尾と毛並みが違うことに気がついたのだろう。


 しかし、すぐにどうでもよくなったらしく、尻尾を抱きかかえたまますやすやと寝始める。


(あ、ヴェイセルさん、そこはだめ……!)


 尻尾の付け根まで手を伸ばしてしまうヴェイセルに対し、イリナはもうさっきから興奮状態である。必死に抑えようとしているのだが、尻尾がぱたぱたと動きつつある。そして、我慢の限界を超えた。


 暴れる尻尾がしきりに動き回り、ヴェイセルの腕の中で何度も何度も叩きつけられる。


「うーん、おはようございます……あれ?」


 ヴェイセルは暴れ回る尻尾が黒いので、きょとんとして首を傾げた。



    ◇



 ヴェイセルは黒い尻尾を掴んだまま、そこにいる人物を眺める。

 イリナはなんだか顔を赤らめており、ヴェイセルを見て硬直していた。


「ち、ちちち違うんです! あの、ヴェイセルさんを眺めていたとかそういうことはないんです!」

「うん? うん。ところでなんで俺は君の尻尾を握っているんだろう?」

「それはその……ヴェイセルさんがそうしたいなら、ずっとそのままでも、いいですよ……?」


 上目遣いで尋ねてくるイリナ。


 ヴェイセルはこれまで一度も経験したことない反応に、どうしていいのかわからなかった。リーシャならば「お前はいつまでそうしているんだ!」と言うはずだし、ミティラなら「もう、ヴィーくんのお寝坊さん」と茶目っ気たっぷりにからかってくるはず。


 しかし、この少女はこのままでいいと言う。

 ならばこのままでもいいのではないか。


「ありがとう、お休みなさい」


 ヴェイセルはイリナの尻尾を抱きかかえて、丸くなって眠り始める。


 リーシャのものとは違うがこちらも柔らかくてふわふわだし、なんだか匂いもいいし、抱き枕には申し分ない。


 だが、ヴェイセルは顔をもう一度埋めたところで、思い出した。いや、思い出させられた。


 尻尾が激しく揺れ動き始めたのだ。

 それに合わせてヴェイセルの頭も右に左に揺さぶられる。


(うっぷ。気持ち悪い……)


 寝起きの頭を揺られて、ヴェイセルは思わず手を離した。そうすると尻尾は落ち着いてきたので、もう一度掴む。そうするとまたしてもぱたぱたと動き始めた。


 ヴェイセルはなんだか面白くなってきたので、イリナの尻尾を掴んだり離したり、遊んでみる。


「もう、ヴェイセルさんったら。えへへへへ」


 真っ赤になりながらはにかむイリナ。

 ヴェイセルも悪い気はしなかった。今日は一日、こうして過ごそうかと思うくらいに。


「おいヴェイセル。なにをしているんだ?」

「ヴィーくん、だらしない顔してる」


 いつの間にかやってきていたリーシャとミティラの姿を見るまでは。


「ええと……その……いつからそこに?」

「お前がにやにやしながら尻尾を掴んだ辺りだな」

「つまり、なんにも見てなかったということですね。俺はいつもどおりでしたから」

「なっ! お、お前はいつも誰彼構わず、こんなことをしているというのか!」


 リーシャがわなわなと震えると、ヴェイセルは慌てて弁明する。


「誰にでもはしてませんよ! 俺がこれまで尻尾を握ってきたのは、リーシャ様だけです。リーシャ様の尻尾だけです!」

「そ、そうか。私だけか。えへへ。……いや待て、いつもどおりってなんだ。私の尻尾なんて安っぽい抱き枕と変わらないと言うのか」

「違いますリーシャ様、誤解です! 俺にとってリーシャ様の尻尾は特別なんです。とても柔らかくて綺麗で素敵な尻尾なんです!」


 ヴェイセルが一気にまくし立てると、リーシャは顔を赤らめ、ついつい頬が緩んでしまうのを止められなかった。


「えへ、えへへ……特別。綺麗で素敵で特別なんだ……そっか、うん。じゃあ仕方ないな」


 リーシャは尻尾の状態を確認してから、心の準備を済ませてヴェイセルに向き直る。

 が、そのとき見たのは、ふわふわの銀の尻尾を抱きかかえているヴェイセルの姿だった。


「もう、ヴィーくんったらー」

「……ミティラ。なにをしているんだ?」

「ヴィーくんが、どうしてもこうしたいって言うから。『ミティラだからお願いするんだよ。普通じゃない、特別(・・)なミティラだから』って。『ミティラしかいないと思ってる。君じゃなきゃダメなんだ』ってお願いしながら抱きついてきたんです」


 ヴェイセルは「そんなこと言ってない」と抗弁しようかと思ったが、彼女の言葉には聞き覚えがある。というか、身に覚えがあった。


 なにを言っても逆効果になりそうだ。どうしたものかと様子を窺う。


 悪戯っぽく笑うミティラ。いまだにくっついたまま尻尾を振っているイリナ。そして、震えるリーシャの姿。


「ヴェイセルのアホー!」


 飛び込んで来たリーシャは、ヴェイセルの顔を尻尾でぱたぱたと叩く。

 そんな状況は彼女が落ち着くまでずっと続いた。


 そうしているうちに呑気なヴェイセルは、


(今日はよく尻尾で叩かれる日だなあ)


 などと思うのだった。



    ◇



「それで、結局イリナはなにをしに来たんだ?」

「あ、すっかり忘れてました。手紙を預かっているんです」


 と、イリナがヴェイセルに差し出したのは、王からの返事だ。どうやら、今日の朝に届いたものらしい。


 早速、封を切って読んでみると、今後も調査を続けるように書いてあった。

 細かいことは書いておらず、ヴェイセルが出す手紙よりもマシといった程度だ。


「なんにも書いてないな。たくさん書いてもヴェイセルには覚えられないと思われたんじゃないか?」

「それは違いますね。たぶん、たくさん書いてもそんなに動かないと見たのでしょう」

「胸を張るな、まったくお前は……」


 リーシャが呆れてため息をつく。

 そしてその動かない魔導師にミティラが尋ねた。


「これからどうするの?」

「え、お昼まで寝てからご飯にしようかと思ってたけど……」

「そうじゃなくて。ダンジョンに行くとか、魔物を増やすとか、あるでしょう?」

「うーん、そうだなあ。あ、作りたいものはあるんだ」


 ヴェイセルが思い出すと、皆がその言葉に期待する。しかし、彼の口から出てきたのは。


「俺もベッドがほしいんだよね。そろそろ床で寝るのも飽きてきた頃だなあって」


 三人の呆れた視線を浴びながら、ヴェイセルはすっかり定位置となったリーシャのベッドのすぐ近くの毛布をぽんぽんと叩いた。


 あれからヴェイセルは特にリーシャのベッドに復帰しようとは動かなかったし、リーシャも言い出しにくかったのか、そのままになっていたのである。


「やっぱりさ。上に立つ役職の人間が、いつまでも下に寝ているというのは示しがつかないと思うんだよ。というわけでベッドを作ろう」


 ヴェイセルがそう言っていると、ミティラは仕方なさそうな顔で、


「もうすぐ新しい家ができあがるから、そこにベッドはもう置いてあるわ」

「さすがミティラ。気が利くなあ」

「ヴィーくんがあまりにも利かないだけよ」

「いやいや、いつも助かるよ。君のおかげで俺はおいしいご飯も食べられるし、気兼ねなく昼寝できるんだ」


 ヴェイセルが彼女の手を取って言うと、ミティラはちょっと視線を外しながらはにかむ。

 と、リーシャはヴェイセルの手を取って、歩き出す。


「どこ行くんですか、リーシャ様?」

「ダンジョンに行くぞ。ご飯も昼寝もしなくていい」

「そ、そんな……じゃあせめて、ご飯を食べて一眠りしてからにしましょうよ」

「お前の言うことを聞いていたら明日になっちゃうじゃないか! ……そんなに私と出かけるのは嫌か?」


 リーシャの狐耳がぺたんと倒れると、ヴェイセルは慌てて首を横に振った。


「このヴェイセル、喜んでリーシャ様のお供をさせていただきます!」


 その言葉に嘘はない。

 なにより、彼女の護衛が務まるのは自分しかいないという自負があったから。自分のいないところで彼女になにかあったらと思うと、落ち着いてなどいられない。


「よし、じゃあ行くぞヴェイセル。おいで、天狐!」


 家を飛び出すと、早速天狐を呼び出して、ヴェイセルと一緒にその背に乗る。

 さて、そうして北へと向かっていく。途中までは、湖へと続く道を利用することになる。いつもゴブリンが水くみに行っているため、踏みならされているのだ。


 さて、そうしていくと、後ろから続く足音。振り返れば、そこにはケルベロスに乗ったミティラとイリナの姿がある。


 すると、リーシャがそちらに視線を向ける。


「なんでミティラがついてくるんだ?」

「あら、そんなにヴィーくんと二人きりがよかったんです?」

「そ、そんなわけないだろう!」


 リーシャは天狐の毛をぎゅっと握る。


 はてさて、そうしているうちに彼らはダンジョンに辿り着いた。

 歪んだ空間の向こうには、平原が広がっている。四人を乗せた天狐とケルベロスは、臆することなく中へと飛び込んだ。


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