24 魔導師と魔女
ケルベロスが勢いよく向かってくるのに対し、ヴェイセルはグレイプニルを放つ。その縄が前足に絡みつかんとするも、三つ首の犬は咄嗟の判断で回避する。
そしてヴェイセルの前面には、剣山が存在していた。ヤマタノオロチの能力の一つ、剣の生成だ。
それが向かってくると、受け止めるのは難しいと見て、フェンリルは横にずれる。ぎりぎりで回避すると、背後に突き刺さった剣が激しい音を立てるのが聞こえた。
その激しさに、常人ならば腰を抜かすことだろう。しかしヴェイセルは顔色一つ変えずに、まっすぐに少女を見ていた。
彼女はヴェイセルが近づくのを見て、対極に位置するように移動。そして間を遮るように二体の魔物がすかさず立ちはだかった。
「なるほど、暴走していると言っても、主人くらいはわかってるようだな。賢いわんこじゃないか!」
ヴェイセルはそんな言葉を吐きつつ、必死に敵の攻撃を避けていく。
そして彼が使うグレイプニルが、いよいよケルベロスの片足を捕らえた。
飛び回っていたケルベロスが、縄の領域から逃れられずにつんのめる。そして食いちぎろうとするも、グレイプニルはまったく切れる気配を見せない。
「よし、捕らえた!」
ヴェイセルがケルベロスの拘束を行わんとすると、ヤマタノオロチが突っ込んできた。八つの頭がフェンリルとヴェイセルそれぞれに襲いかかる。
さっと跳躍して一撃を回避した彼だったが、ヤマタノオロチの巨体にグレイプニルが引っかかり、逆に引っ張られてしまう。
「帰ってください! 今なら少しだけなら抑えられます! じゃないと、じゃないと私は……!」
青ざめた表情でヴェイセルを見る少女。そこからは、これまでこの二体の魔物が行ってきた行為への恐怖と後悔が見て取れた。
どれほど願わない惨状を見なければならなかっただろう? どれほど震えて眠らねばならない夜があったことだろうか。
だからヴェイセルはぐっと奥歯をかみしめた。
もし、自分がリーシャと出会うことがなかったら? もし、自分がうまく生き延びることができなかったら?
彼女のような運命を辿っていた可能性だってある。いや、それ以前に生きてすらいなかっただろう。
だからヴェイセルにはその少女を見過ごすことなんてできなかった。見て見ぬふりをして、自分だけが助かろうなんて思えなかった。
ここで二体の魔物を倒し、少女に刃を突き立てるのは容易いこと。しかし、ヴェイセルは決してその方法を選ぶことなどできなかった。
かつて、リーシャが助けてくれたように。
かつて、優しい表情に幸せを見いだしたように。
今度は自分が誰かを助けるときが来たのだ!
「俺は君の魔物に食い殺されることもないし、ここで大人しく引くことだってあり得ない。俺は必ず、君をその呪縛から解き放ってみせる!」
「そんなこと、そんなことできるはずが――」
「俺はできる、必ずやり遂げる! そして君が幸せな生活を、笑って過ごせる日々を送れるようにしてみせる!」
それは身勝手な言葉だったかもしれない。
勝手に屋敷にやってきて、勝手に救うと約束して。端を発するのは、北の調査というただの仕事だ。優しさなんてかけらもありゃしなかった。
でも、もうそれだけじゃない。こうして出会ってしまったのだ。
義務でも責任でもない。やらなければならないことがある。ここで決意しなければ、これまでの人生が無駄になってしまう。幼いときから抱き続けてきた覚悟を汚すことになる。
そしてなにより、これから先の人生を笑って過ごすことなんてできやしないだろう。
だからヴェイセルは彼女に向き合う。どこまでも愚直に。どこまでも真摯に!
「どうしてあなたがそこまでするんですか!」
「俺も君と同じだったから。偶然、誰かに救われてここにいる。だから俺は君を偶然救ってみせる。この偶然が、出会いが俺に与えられた運命だというのなら、必ずや勝ち取ってみせる! 君の陰りを払ってみせる!」
ヴェイセルが吠える。
そしてそのときにはすでに、ケルベロスはフェンリルを引っ張っていた。力負けしたフェンリルの肉体が揺さぶられた先では、ヤマタノオロチが大きな口を開けていた。
その牙が突き立てられる直前、ヴェイセルは飛び上がった。
グレイプニルを柱に引っかけて体勢を調整しつつ、さらにもう一方の手で投げた縄は、少女を絡め取っていた。
「きゃあ!?」
彼女の肉体がふわりと宙に浮く。直後、浮かび上がった二人の眼下ではヤマタノオロチがフェンリルに牙を突き立てた。
途端、その肉体はガラスのように砕け散った。ヴェイセルが手にしていた魔法道具も同様に。
たった一撃で倒れるようなヤワな魔物ではない。魔法道具の使用限界がやってきたのだ。
しかし、もうフェンリルですべき役割はすでに果たした。なにも問題はない。
そして部屋に飛び込んでくる存在がある。数羽のヤタガラスは少女を背に乗せ、ヴェイセルのところへと運んでくる。彼は少女を抱えつつ、ヤタガラスに支えられながら部屋の隅に降り立った。
「このような乱暴な出迎えで悪かった」
「い、いえ。それより、早くここから逃げないと……!」
「大丈夫。君はもう怯える必要はない。これからは普通に暮らせるんだ。俺を信じてくれ」
二人へと、ケルベロスとヤマタノオロチが迫ってくる。
ランク3のヤタガラスではとても抑えきれる相手ではなかった。
だが、ヴェイセルはそちらを見ることなく、じっと少女の瞳を見つめる。明るい茶色の美しい色をしていた。
「助けて……!」
ようやくひねり出されたか細い声は、今までのどの言葉より強く響いた。
ヴェイセルはそっと少女の左手を取り、魔力の制御を代わりに行う。彼女に集まっていた精霊は、彼の膨大な魔力に惹かれて少女から離れていく。
そして華奢な指に精霊よけの指輪をはめた。
途端、迫ってきていた二体の魔物の勢いが衰えた。やがて二人の前まで来ると、そこで停止する。
「あの、これって……」
「精霊よけの指輪。俺が昔使っていたものなんだけど、もう使わなくなったから取っておいたんだ」
この精霊よけの指輪は、とても庶民が買えるような値段ではない。それほど高額なものを惜しみなく与えてくれたからこそ、その心に惹かれたからこそ、宮廷魔導師としてのヴェイセルがある。
「これから少しずつ、慣れていけばいい。俺も手伝うからさ」
「……ありがとう、ございます」
少女はそっと、左手にはめられた指輪をなぞる。ほんのりと顔を赤らめながら。
これにて魔女の一件は解決することになった。だが、北の異変に関してはわからずじまい。というのも、ここでもダンジョンの原因となった魔物が見当たらなかったからだ。
ヤマタノオロチではないかという僅かな期待もあったのだが、そのようなこともなかった。
これからどうしようかなあ、と思いながら、ヴェイセルは少女を抱きかかえつつ頭を悩ませる。
ヴェイセルがもらったものとはいえ、リーシャの指輪をほかの人にあげるなんて、糾弾されても仕方ない。結局、彼がうんうんと考えるのは、そんなことだった。




